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当庵月刊誌「からだの自然2016年1月号」より抜粋した記事の紹介です。
~皆違う、行いで変わりゆく体~
大晦日から正月の三が日、飲み食いが続きますと、起床時の腰の重いこと。
こういう時に、自らの行い、暴飲暴食と腰の関係を自覚することができます。
自分の体はもちろん自分自身そのものですから、自らの行いと切り離すことはできません。 瞬間、瞬間、自らの行いで自分の体が作られています。使うことで発達し、使わなければ衰える。
例えば、職人さんがスムーズに仕事をこなしていけるのは、決してやり方を知っているからだけではありません。仕事の中で何度も動きを繰り返して、仕事に対してスムーズに動ける体を作り続けているからです。
そうして体は絶え間なく変化し続けていますから、鏡では同じように見えても、昨日の自分と明日の自分は違います。もっと厳密に言えば、今の自分と、次の瞬間の自分はやはり違う。
自分もそうですが、他の人もそうして絶え間なく変化しているものですから、自分と他の人で歴史が違うように、体の中身、はたらきの程度はまるで違っています。
ですから、私の場合は暴飲暴食で腰が声をあげましたが、人によって声のあげる場所、あげ方、程度も様々、ということが起こってきます。例え、一口に腰痛と言っても、その中身もまた人それぞれ、様々なのです。
当然、体に関して、マニュアル的なことは限界が生じます。全ての人に有効な治療法というものが未だ存在せず、あの人はこういっているが、この人はまるで正反対のことを言っている、とネット検索して混乱が生じる道理です。
悲しいことに、自分の歴史とは相いれないマニュアルを導入して、体をいびつにしている方がほとんどです。
ところで、正月を過ぎて、食事の量が減るとともに、腰の重い感じも薄らいでゆきました。
体の不調、というのはある種の行いによって作り続けた今の体の状態を表しています。行いを変え、体が変わっていけば、行いによりけり、良くも悪くも不調も変化していきます。どんな不調、病気であれ、治っていく可能性は常にある、ということです。
誰かの作ったマニュアルは通じない自分の体ですが、行いを通じて作り続け、変化させていくことはできるのです。生きている限り。
それは同時に、今まで取り込んだマニュアル、即ち支配や束縛からの脱却でもあります。そして、自分自身の人生を築いていく、ということでもあります。
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