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治療院をしていれば、当たり前だが、病院などで病名をいただいてくる人がある。
あるいは、ネットでたいていのことはすぐ調べられる(真実か否かは別にして)時代だから、自分の症状から調べていって、どうもこの病気ではないか、と自ら命名している方もいるくらいだ。
しかしながら、治療をしていくうえで、存外、この「病名」というのは曲者なのである。
体、というか、その人をよく見ていけば氣付くことだが、同じ病名をつけられていても、その中身はぜんぜん違う。
ひとそれぞれ、生き方が違うのだから、表面的な、頭があって、手足があって…というのは同じでも、中身のバランスはまるで違うのである。
だから、目の前の生きている体、その人に応じていく限り、病名、というのは、治療者側にはまるで関係がない。それはこちら側が氣をつけていれば済むことである。
もちろん、病名からマニュアル的に方法論が成り立っている体系、例えば、この病気にはこの薬、というのであれば、話は異なる。しかし、このマニュアル方式がうまくいっているのであれば、国家の医療予算がこんなに膨らむこと、世に病院が増えゆくことにはならないように思うのであるが…。マニュアル方式からあぶれた人が多数来られる当庵としては、疑問をもたざるをえない。
→つづく
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