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当庵5月号より抜粋した記事を紹介します。
~五月病?心の病?心と頭~
花咲き、新緑繁りゆく、いい季節。
いい季節とは裏腹に、ゴールデンウィーク明けぐらいから五月病と呼ばれる症状が表れることがあるようです。
五月病は、医学的には「適応障害」や「うつ病」と診断されるとか。
そんなたいそうな名前をつけていただくと、病名という錦の御旗を掲げて、一気に泥沼街道を突き進む人もあります。その病名から発想するマイナスのイメージや、情報を引っ被って、自滅街道まっしぐら。
適応障害?
それは多くの場合、自分で周りに壁を作ったり、殻に閉じこもったりするために、適応力が低くなっているだけ。
もまれていない、即ち幼いだけ、という場合もある。
最初から、何でもかんでも適応できるか、というとそういうわけにもいきません。周りにもまれて、適応力は高まっていくもの。その過程でいろいろ起きて当たり前。
ところが、診断されて「自分は適応障害なんだ」と納得したが最後、「適応障害」を言い訳に、自分の成長の芽を摘み取り始めることが多い。先に記した錦の御旗、という皮肉はそういう意味です(これはもちろん、どんな病名でもあてはまることです)。
「うつ病」にしても、もちろん、医学的な基準はあるものの、けっこう曖昧。いったいどこからが「うつ病」やねん?と考えていくと、病院で先生に「うつ病」と診断されたら、「うつ病」なのです。されなかったら「うつ病」ではない。こういうことに疑問をおぼえませんか?
自分のことを、人に決めつけられることに疑問をおぼえないのでしょうか?
お利口であることが摩擦(うわべの)を減らす、という教育の賜物なのか、お利口を装う人は多い。それがいつの間にか身について、考える力が育たず、流されやすくなってしまうのかもしれません。
「うつ病」やら何やら、俗に言う「心の病」が昨今は多いらしい。しかし、私の見る限り、それらの多くは「心」ではなく「頭」の病、いや、インプットされている考え方が適切でないだけ。
「心の病」というと、何かとらえどころがなく、深刻な感じ。しかし、考え方が適切でないのならば、適切でないことに氣付き、新たに学習していけばいいだけです。
自分の周りに作っている壁や殻、自分を窮屈に苦しめているのは、思い込みに彩られた考え方、頭の働きです。それが常に輝ける心とそこから生じる意志、行動にブレーキをかけるのです。
五月病や心の病など、どこかの誰かが作ったただの言葉。振り回されて、貴重な人生の時間を損なうのはもったいないですよ。
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