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(写真 ヘクソカズラの実)米大統領就任のご祝儀相場を期待していたものの・・・ いざ蓋を開ければ連日の右肩下がりと少々の誤算ありですが、わだつみ判官のセレクトした銘柄はゴールデンクロスを間近に控え、いずれも下げ幅は想定内。日経平均 7.745.25 -306.49NYダウ 8,122.80 -105.30米ドル 88.42 - - -ユーロ 113.90 - - -このように金曜現在、低調な株価は滅多にお目にかからぬ状況なので、今まで手の届かなかった銘柄を物色して、ひたすら買いの一手に出るというのもアリ! ともあれ、いずれにせよ"獲らぬタヌキの皮算用"であることには違いないです。(笑)
2009年01月24日
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明日いよいよ・・・ 空前の厳戒態勢の中、そして歴史的な不景気の中、おまけにアメリカは戦時中、ノッチ?いやバラク・オバマ新大統領がいよいよ就任しますね。 就任宣誓に続いて行なわれる就任演説が、世界の注目を集めています。 アメリカにとって、経済の再生を担う政権となり、山積した問題を抱えた苦難の船出となりますが、わだつみ判官にとってもニューヨークダウに影響される国内株価の動向は重大関心事。どうか就任式が無事に済み、景気回復のはずみとなりますように。 今日のブログ内容、どうしても判官の私利私欲が見え見え?(笑)
2009年01月20日
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出演:ニコール・キッドマン/ユアン・マクレガーほか(2001年 アメリカ映画)先週末、神戸のセンター街にある家電量販店で、見逃していた映画のDVDを見つけたので買いました。(しかも格安)映画『ムーランルージュ』は、若き作家と高級娼婦の悲恋を描いたミュージカルです。 物語の舞台は、20世紀に指しかかろうとしていたパリのモンマルトル。 そこには、華やかなショーで客を魅了し、一世を風靡したムーランルージュがありました。 人気を誇ったムーランルージュでしたが舞台設備に金をかけ過ぎ、一時的に資金難に陥っていました。 支配人のジドラーは、高級娼婦で新しいショーの看板女優となるサティーンを資産家の公爵にあてがい、パトロンにしようと考えていました。 本格的な女優を夢みていたサティーンもパトロンを必要としており、思惑はジドラーと一致します。 しかし、サティーンの方は、貧乏舞台作家のクリスチャン(ユアン・マクレガー)をパトロンと勘違いしてしまい、それがきっかけで二人は深く愛し合うようになってしまいます・・・見どころは、サティーンを演じるニコールキッドマンの美貌。 それに、赤を基調にして往時を彷彿とさせるイメージに再現された色彩豊かな衣装。 さらに、劇中流れる音楽は、近年のヒットチャートを当時の雰囲気に再編曲したもので、それがまた物語をさらに小粋に演出しています。Moulin Rouge(ムーラン・ルージュ) とは、フランス語で"赤い風車"を意味します。 ムーラン・ルージュは、パリのモンマルトルに実際に存在していたナイトクラブで、1989年の開業以来、当時流行したラテンやボヘミアンアレンジの歌やダンス、フレンチ・カンカン、そして芝居や大道芸を組合せた退廃的で前衛的なショーで人気を博しました。 画家ロートレックはムーランルージュに通いつめ、踊り子たちをモデルにポスターを描いたことでも有名ですね。 わだつみ判官の評価★★★☆☆正直、ミュージカルは映画の中でも好き嫌いが分かれます。 19世紀末から20世紀初頭のパリを知らない人でも、ムーランルージュの名前を耳にしたことはあるかも知れません。 アールヌーヴォ全盛で、"モダン"という言葉がささやかれた古きよき時代のパリのエスプリを、誰もが味わうことができる素敵な映画だと思います。
2009年01月19日
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高さ20メートル、直径が3メートルを超える樹齢500年(推定)の楡欅の古木は、中が空洞になっていてトトロが寝られるサイズ。 中に入ってみると腐食はかなり進んで空まで見えます。 かなり上の方に丸い物体を発見。 よく見れば、現役バリバリのスズメバチの巣。 なるほど、スズメバチにとって老木は築500年のなかなかの豪邸。 でも、こんなになっても、この巨大な老木は未だにご健在なのです。 珍しいので、少し近づいてデジカメで撮影しましたが、途中で巣が落ちてこないかとヒヤヒヤ・・・(笑)トトロの寝起きには出逢えませんでしたが、自然の営みって毎日が新しい発見です。
2009年01月10日
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通勤途中に空を見上げたとき、上空には航空機は飛んでおらず、なおかつ気流は横方向に強く流れているにも関わらず、北の空に見えたのは上下縦に伸びてゆく雲がありました。 短絡的に地震雲だと騒ぐつもりはありませんが、地球は今、何が起きても不思議ないくらいダメージとリスクを抱えています。 日常から、備えだけはしておきましょう。
2009年01月09日
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昨日の続きです。。。今回、高知を巡って感じたことがあります。 日本という国は、スピリチュアル的に例えていうならば、かつてのアイルランドのようなところではなかったでしょうか・・・ なぜなら、あちこちに種族がいて、地方には地方色豊かな土着の文化が点在し、自然の恵みを糧とした暮らしですから、太陽や空、海、水、森、大地や山は流れとして信仰の対象となり、文字通り自然を敬い、人が自然を支配するのではなく自然を慈しみ共生する日本人の魂が形づくられてきたような気がします。神道という一部分から考察しても、自然崇拝から八百万の神々への信仰が生まれ、やがて地方の支配者や権力者が神格化された時代辺りから、人の自然への恐れや敬いの心は薄れ、徐々に自然と共生する心は薄れてきたのではないでしょうか・・・ 国の歴史は、それぞれに他国との関わりから形成されてきました。 日本でも、大陸との関わりから儒教や仏教が伝わり、桃山時代頃にはキリスト教が伝来、文明開化の維新を経て、戦後に至れば神道そのものが次第に廃れてゆき、信教の自由を背景として今では様々な宗教やカルトが生まれています。世界的に地球温暖化と自然崩壊が深刻化する中、人と自然の関わり方を見直さなければ、人は生きる道すら失ってしまいます。 かつて、日本中にあった地域の鎮守の森は、地域の人々の心の拠りどころであり、地域の自然環境を護る役割をも果たしていました。今となっては、海を越え山を越えて、このような長旅をしなければ、こうした懐かしい日本の原風景に出会うことができないのは哀しいことです。 かつて、広がっていた瑞穂の国の美しい風景を取り戻すためにも、もう一度、自然への敬いの心と、かつて日本人の心を支えた、八百万の神々の"神恩"を思い出す必要があるのではないでしょうか・・・
2009年01月08日
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(天石門別安國玉主天神社の狛犬)昨日の天石門別安國玉主天神社の続きです。。。神社に狛犬は付き物です。 狛犬は犬に似た想像上の獣の像で、社殿前や参道の入口などに左右一対で配置され、右が阿(あ)形、左が吽(うん)形を配するのが基本の形です。 狛犬のはじまりは、インドのガンダーラで、仏像の両サイドにライオン像を配したのが起源だといわれています。 そもそも、ライオンは古代オリエントでは強さの象徴であり、他の多くの文明でも権威の象徴とされていました。 また、古代エジプトやメソポタミアで聖域を守る神獣とされたライオンの像を狛犬のイメージ的起源だとする説もあります。 実際、狛犬のことは英語で『Imperial guardian lion(インペリアル・ガーディアン・ライオン)』と呼んだりしていますから、狛犬はライオンなのでしょうか? それとも犬なのでしょうか?(笑)狛犬は想像上の動物ですから、角を生やしたものもあります。 角のある狛犬でも左右に違いがあり、阿(あ)では狛犬は口をあけて角はなく、吽形(うん)では口を閉じて角を生やしています。 そんな様々な像も含めて"狛犬"と呼んでしまっていますが、厳密にいえば角のないものが唐獅子で、角のあるものは狛犬と呼ぶのが正しいそうです。日本ではおもに神道で見かける狛犬は、日本へはなぜか仏教とともに中国、朝鮮を経由してもたらされており、高麗犬が"こまいぬ"となり、現在の狛犬という漢字に定着したともいわれますが、この説は定かではありません。 以前のブログでも、紀州から神戸の狛犬の時代別様式を特集したことがあり、わだつみ判官は、狛犬フリークです。(笑) 今回、高知県の黒瀬の天石門別安國玉主天神社で見かけた狛犬は江戸期後期の作ですが、近畿各地や他の地域に見られる洗練された様式的・形式的なのものと比べると、野生的で生々しく様式も不規則ですが愛嬌と趣きがあり、ユーモラスで大変気に入りました。
2009年01月07日
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昨日の続きです。。。黒瀬の天石門別安國玉主天神社は小規模ですがこちらが本宮です。 境内は素晴らしい気に満ちてとても居心地がよく快適で、この場所が維新以降、人々に忘れ去られていたために荒らされることなく、逆にこの環境が保たれていたことが容易に想像できます。 境内の立ち木は楠の木のほか、楡の木を中心に樹種も豊富で、どれも樹齢300年を越えると思われる立派な巨木で、枝は荒々しく曲がり風雪に耐えてきた風格と威厳に満ちて、神々しさすら感じさせます。諸説は存在するそうですが、かつての土佐藩の式内社調査では、地元で天岩戸大明神とも呼ばれた時期があったそうで、それを裏付けるように祭神は天手力男命(タジカラオノミコト)と伝えられています。場所は、下流にある神谷の天石門別安國玉主天神社と同じく、仁淀川に面しており、拝殿の後方は鋭い岩肌を確認できました。 仁淀川の澄んだ川の流れといい、緑豊かな自然環境といい、今さらながらこの地に神恩を感じたわだつみ判官でした。明日に続きます・・・
2009年01月06日
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(黒瀬 天石門別安國玉主天神社 全景)昨日の続きです。。。腹が減っては戦もできず・・・ 神谷(こうのたに)地区の天石門別安國玉主天神社(長い!)の参拝後に腹ごしらえをして、同じ仁淀川沿いの上流にもう一つあると判明した黒瀬地区の天石門別安國玉主天神社へ急ぎました。神谷から黒瀬へはさらに車で30分。 道路族議員のお陰で、戦後の日本の道路網がいかに発達した時代とはいえ、近畿南部の自宅を出てからこれまでの道程ですでに"7時間以上"経過しているわだつみ判官にとっては、一種のランニングハイ。 あと30分かかるなんてのは、もうどうでもよくなっていました。(笑)そしてついに行き着いたのが本宮とされる黒瀬の天石門別安國玉主天神社です。 社殿の規模は神谷よりも小規模ですが、境内には相当な樹齢の楠の巨木が何本も生い茂り、故郷の紀州熊野の森や長年親しんでいる渡津神之森が放つ気を遥かに凌ぐほど、強力な"気"が周囲に満ちていました・・・この続きはまた明日。
2009年01月06日
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(神谷 天石門別安國玉主天神社 全景)天石門別安國玉主天(アメノイワトアケヤスクニタマヌシノテン)神社は、古い資料では土佐之国吾川郡旧郷社とあります。 現在の御社は、天文九年(1540)に神谷の領主であった勝賀瀬氏によって建立されたものだそうですが元々の歴史は古く平安以前にまで遡ります。京阪神からは明石大橋と鳴門大橋を渡り、これだけで約3時間。 さらに、徳島市内からエックス・ハイウェイで高知道を約2時間。 高知市内で友人と合流し、休む間もなく、今度は四万十(しまんと)方面の標識と地図を頼りに194号線を延々と走ることになりました。途中、地元のお店やガソリンスタンドで聞いても神社を正確に知る人は見つからず、さらに仁淀川沿いの曲がりくねった山間道を北上し、ようやく神谷という地区に辿り着きました。 そこからは少し迷いつつ、道路を外れた集落の隅に目的の神社を発見。(ちょっと感動)天石門別安國玉主天神社は、元々は地域の村の鎮守であったとは思われますが、貴船神社との合祀で郷社となったそうです。 江戸中期、土佐藩主の命を受けた大学者谷泰山の調査によって式内社二十一社の一つと確認され、一度は式社とされますが明治3年の神社改正に伴い、ここから少し上流の黒瀬地区にある天石門別安國玉主天神社の方が式社となって本宮として扱われ、以後この御社は、新宮となった経緯があるそうです。天石門の文字から、容易に"天の岩戸"に由来すると連想できる通り、社殿を正面から観れば背面は切立ち、左側にも大きな岩崖が露出する場所にお祀りされていました。 こうして、今年のパワースポット探訪では、わだつみ判官の5年越しの希望が叶い、このあと、仁淀川の上流で、さらにとてつもなく強い"気"を発する、驚愕のパワースポットと出会うことになるのでした・・・ちなみに、地元の人に聞いても今ひとつピンと来なかったのは、神谷は"かみたに"ではなく、"こうのたに"と読むんだそうです。 地名って本当に難しいですね。(笑)
2009年01月05日
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(天石門別安國玉主天神社)新年明けましておめでとうございます。皆さんはどのような三賀日をお過ごしだったでしょうか。 わだつみ判官は、年末から除夜の鐘の音を聞きながら、サボっていた原稿を泣く泣く片付け。 明け方に嫌がる愛犬の御家老を叩き起こして元熊野のお社へ初詣。 今年もわずかながらですが境内整備の寄進をし、二日には正月恒例(?)の遠征へ。わだつみ判官の今年の遠征は海を渡り、高知と愛媛の県境に近い四国のほぼ真ん中の山中という大遠征。 時代に忘れ去られたこの社は平安以前の古神道の聖地で、『天石門別安國玉主天神社』という、日本でも屈指の"長~い名前"の神社です。約5年前にインターネットで存在を知り、是非とも訪ねてみたい場所でしたが、四国の山中で人里離れ、あまりにも遠い場所であったために詣でる機会がありませんでした。 参拝の機会をつくってくれたのは高知県出身で私の元部下の友人。その友人が事前に下調べをしてくれ、年末に電話をくれたのがきっかけで悲願の参拝が叶いました。 今年は熊野本宮大社の分家となる高知県の熊野神社へも参拝し、奉納した絵馬には『世界征服』と。(爆笑)
2009年01月05日
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