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今日のサンデープロジェクトで、秋葉原無差別殺傷事件と今日の日本社会との関係についてとりあげていた。最近この番組をまったく見なくなっていたのだが、ネット社会に関心があるものとして、このテーマは面白いと思ったので、久しぶりに見てみた。番組には、桜井よしこ、姜尚中、香山リカ、東浩紀氏が登場していろいろ意見を述べていたが、残念ながらなかなかこれという結論を導くにいたらなかった。そこで試みに、ここでの各氏の意見を参考にして、自分なりにこの問題についての結論めいたものを出してみたい。桜井氏が日本が戦後アメリカの倫理観を受け入れたことに、原因があると言っていたが、それに対して姜氏が、日本はアメリカのような格差社会にならず、格差が固定化している、と言っていた。格差社会とは、まさにそのようなものだ。格差のある社会を格差社会とは呼ばない。なぜなら世界中格差のないところはない。格差が固定化されている社会を格差社会と呼ぶべきだろう。力を持ってない中高年や若者の多くは、格差が固定化されたことによって、社会の中に埋没した。格差が固定化されていれば、若者は自分の惨めさの原因を、力のない親に求めるのは、一理ある。親が金をくれず、しかるべき職を与えてくれないからこんな境遇にある。と言われても、親のほうも集団就職から這い上がって生きてきたのに、そんなわけの分からぬ息子の発言に同調できるわけがない。せめて教頭でもやっていれば、小学校の教師にはさせてやれたかもしれないが・・・・・・・。小泉改革によって、力を持っているものには実に都合の良い改革がなされた。これによって多くの大企業の収益が改善された。しかしキャノンや松下のような、日本を代表する企業においてすら偽装請負がなされている実態が発覚した。社員は雇用する必要がない、派遣労働者でいいのだ。権力者による改革は、当然力のあるものにとって都合の良いものとなる。これは、既に富と力を手にしていた中高年には都合の良いものであったかもしれないが、持たざるものや多くの若者にとっては心地よいものではない。されど今後当分、おそらく20年くらいはこの格差社会は、深化することはあっても、変わることはないだろう。なぜなら、日本はそれなりにグローバル化は果たしたのだし、社会の安定化は多くの人の望むところだから。もっともこれだけで、今回の秋葉原の事件の原因が導き出せるかと言うと、それほど単純ではないという気がする。もっと考えなければと思う。しかし、今頃この問題を取り上げるサンデープロジェクトの真意は、どのへんにあるのか?何にしても、多くの人がすぐに忘れ去っていくことを、いつまでも考え続けることはそれだけで十分反社会的な行為を感じる。そして同時に私はそのことに生きる意味を見出す。
2008年08月10日
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今日は立秋だ。旧の七夕でもある。そんなことはともかく、毎日暑い。それに9日連続の熱帯夜だそうだ。何より雨の降らないのが困る。雨が降らないと、庭の水撒きのために水道代が高くつく。下水道代は水道代に比例して上がるので、余計こたえる。そもそも水道代より下水道代のほうが高い。だから倍以上水道代を払っているような気になる。夕立もこのところない。どこかでは豪雨の被害も出ているようだが、このあたりは全然降らない。市内で大雨でしたと、ローカルニュースで言っても、山(丘)一つ超えたこの辺では何の関係もない。それほど天気が狭い地域で違うようだ。水道代節約のために、雨水でも貯めればとも思うが、それもこの天気では、意味ないかもしれない。今のところ断水の知らせはないが、このまま八月いっぱい行けばどうなるかわからない。
2008年08月07日
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今日、楽天で日記とやらを書いていた。途中で、ひらがなから直接入力に変えようと思って、半角/全角を押したつもりが、ESCを押してしまった。突然今まで書いたものが全部消えてしまった。これに懲りて、途中で下書き保存することにした。最後にできたと思って、公開するを押そうとしたのだが、誤って下書き保存を押した。幸い、IEがメッセージを出してくれたので、いいえを選択した。すると両方のボタンとも、薄くなって選択できなくなってしまった。しばらく待っていたが、何の変化もなし。しかたなく再読込を行うと、前に下書き保存されたものが表れた。ちょっとのことを書くのに、ずいぶん余計な時間をとらされたものだ。要するにこんなものはよほどの暇人でもないかぎり、まともに付き合っていられないらしい。しかし楽天ブログを書く人が多数いるということは、暇人が多数いるということなのか。そう言えば、秋葉原に突っ込んだ人も頻繁に書き込みをしていたという。実に不思議な世界だ。
2008年08月06日
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日本は唯一の被爆国として、核兵器の完全廃絶を世界に訴えている国だ。それなら残留放射線による被爆者に対する対応は、いささかお粗末だと言えないか。核兵器の脅威を訴えるのに、残留放射線の問題は実に効果的なはずだ。なのにお膝元でこの調子では、腰砕けにならざる得ない。核兵器は人間が作ったものだが、いやそれだからこそ何事も計算どおりにはいかない。E=mc2は、人間の存在とはそもそも何の関係もない。人間がいようがいまいが、それは成り立つ。人類が存在する前から、成立していた。もちろん核戦争の後でも同じだ。秋葉広島市長が言うように、核の完全廃絶こそ私たちの願いなら、まず足元から核兵器に対するしっかりした対応をとらなければ、なかなか実のあるものにするのは困難なのではないかな。
2008年08月06日
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NHKの歌番組でやっていた阿久悠特集。北原ミレイが、「ざんげの値打ちもない」に、幻の4番を入れて歌っていた。この曲、昭和45年の曲だというが、ヒットは46年になっている、昭和45年といえば、赤軍派によるよど号ハイジャック事件の年でもあり、三島由紀夫が自衛隊において、割腹自殺をした年でもある。その前年には、東大安田講堂に機動隊が突入して、一年が始まった。この歌は、そんな時代の空気の底流に流れるものを、うまくとらえているように思う。幻の4番を聞くとますますそう思えてくる。今は、安田講堂に血が流れることはないが、秋葉原は血の海になる。もし、阿久悠さんが生きていてくれたら、こんな時代のためにどんな歌を作ってくれただろうか。そう思うと、この人の死が残念だ。幻の4番の場面を、録画しなかったのも残念だ。またこの4番入りで歌って欲しい。なぜかこの歌、今の時代の気分にどこか合ってるように思う。幻の4番を聞くと、ますますそう思えてくる。
2008年08月05日
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