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野焼き後の三瓶山西の原
2012年11月03日
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ほんとに長い間休みました。結局、ブログを書き続けることに忍耐力がないということで子供神楽
2012年07月21日
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風邪症状で、近所の病院に・・・・。窓口で風邪ではないかと伝え、体温測定後医師の診断。聴診器で診断後、大きく口をあけ、咽チンコを診察、首のリンパ腺を触って「注射をしておきましょう!」「薬を出しておきましたから」と・・・医師との接触、会話はこれだけ・・・。医師から離れ、看護師に・・・・。注射をして窓口での支払いを終え、病院を出る。先般、妻が無意識に手を振ったその指先が、私の目ん玉に入り、痛みと共に、黒い影が現れるようになった。心配で町外の眼科医の診察を受けた。その医師には、以前にも何度か診察を受けているが、とても気に入った医師である。この日の診察も同じく、用紙に図を描き、細かく現状を説明してくれた。この過程で理解できない部分など説明を求めることがあっても、真剣に聞き、回答してくれる。理解してもらうまで、説明しようとする姿勢が、とても好感が持てる。言ってしまえば、「当たり前」のことかもしれない。今の病院に、このような医師と、出会うことはない。特に総合病院のような大きな病院には居ない。そこでは、まるで流れ作業の品物でもあるかのような自分を感じる。下手に口をきけば、やり込められるか、明らかに憮然とした態度で対応してくる。予約時間が決められていても無意味な状況が度々ある。あまりに遅いので窓口に問い合わせると、不機嫌な声で、「順番ですから・・・」と・・・。場合によっては、忘れさられることすらある。我慢、我慢・・・。ここで怒れば次からどんな仕返しがあるかも・・・と。我慢、我慢病院は、病気を治す所ではない。病気になるところだ!いつの間にか精神異常者にされてしまう。くわばら,くわばら。
2011年10月26日
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20年前にもなろうか、義理の兄が定年で職を辞した。国家公務員で、高い地位にいた。その際、天下りについて、議論したことがあった。民間企業にしか勤務したことのない、私の「天下り」に対する見識と、最初から公務の職を選んでいた義兄との間では大きな隔たりがあり、互い妥協し合えるような状況ではなかった。団塊の世代あたりまで、高地位に位置していた公務員は、「天下り」制度について、何ら疑問を抱く制度とは感じていなかったようだ。同期の仲間が共に同じ地位につくことは当然と考えていたようだ! 同期で椅子がない者には、椅子を用意する必要があり、このような天下り制度を考えたのだろう。能力、実績を考慮に配置される一般企業の実態など理解できないようだ!大企業は別として、一般企業に天下り先など作れる余裕はない。当然後輩が先輩の上司になる事例はごく普通にあって当たり前の事である。能力実績のない先輩や年上者は、能力実績のある後輩や、年下の配下になってしまう事はざらにある。このような事から公務員の「天下り」制度は即刻改善すべきである。国家公務員ならまだ我慢もできそうだが、これが私たちの一番身近な町村職員に、このような制度が適用されているとしたら、何とも我慢できない。現実定年前後に、このような事を憶測できそうな転職がとても多い。近年、なんだか何もかもが、腐敗しきって見えてくる。
2011年10月17日
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誰も彼も勝手なもんだ!自分の立場でしか、ものを考えない。立場が変われば、今までとは逆の事を主張する。政治家、資本家、役人、取り締まる側、逆の側、富裕層、貧困者・・・・と同じ人でも、立場が変わると、主張が変わる。年金問題にしてもそうだ!年金制度はそもそも老後の生を保証しあう互助制度と考える事が出来る。沢山掛けた者は掛け金に応じた年金配分を主張する。このように自分が掛けた金額を、まるで貯金でもしているかのように考えるのは本来の年金制度のあり方を否定し、利己的にしかものを考える事の出来ない人間なのだろう!年金制度の掛け金として徴収するから、問題が複雑になる。やはり、税金として徴収し、年金として平等に国民に配分すれば、済むことである。高額所得者は、年金などなくても、贅沢な生活をして老後を過ごす事が出来る。能力があるから高額な所得を得るのは仕方ないにしても、老後の互助制度に至っても能力主義を適用することは無茶な事である。能力あるものは非能力者の本来の配分を奪っているのだ!現役世代では止むを得ないにしても、互助制度を適用する年金にまでそれを適用することはないではないか!格差社会は日本も大きな社会問題として、取り上げられる問題ではないだろうか?
2011年10月16日
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「クォリティライフの向上」とあるサークルの目的。この過疎の町の、しかも限界集落化しようとしているこの地域の、爺、婆には???目的を達成するための事業として、「勉強会をする」。 これは理解できる。「勉強会をする」とあって、会員が個々に勉強会をするわけではない。サークル運営者が企画し実施するのである。そのためのサークルではないのか。サークルに入会したのは、サークルとして勉強会をしている。そこで皆と共に勉強できる。その期待を持って入会したのである。「自分の好きな勉強を自分でして、わからない時は知っている人に教えてもらって下さい。」そんなことであれば何もサークルに入会しなくていいんだ!!!続けてサークルに出席するわけがない。残された人生、時間がもったいない。改善しよう!勇気をもって改善の火ぶたをきろう!
2011年10月16日
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ただ集まって、何をするの?皆、何をしているの?本当に皆、それで満足しているの?パソコンサークルの現状世の中、何事においても、本人が納得すればそれで善し。結局物事に納得できない本人の気持ちが問題であって、他がどうであろうが関係ないのである。人は一人一人容姿が違うように、心も脳も違うものである。考え方が違って当たり前である。他が間違っているから問題である、との論理は突き詰めて考えると、全くの利己的論理にしかならない。勿論人間社会秩序をつくり、それを尊守することによって、人間の繁栄が続いているのだが、決められたことに対する、自由解釈は議論しなければならない。間違いは間違いとして正さなければならなくなる。
2011年10月13日
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サークルを立て直すには、結成時の初心に戻るのが一番良い。何を目的に結成したのか。会則 (目的)第2条 このサークルは、情報伝達の道具としてパソコンを勉強し、高齢化社会・核家族化におけるクオリティライフの向上を目的とする。 (組織)第3条 このサークルは、前条の目的に賛同して入会した者(以下「会員」という。)をもって組織する。 (事業)第4条 このサークルは、第2条の目的を達成するため、次の事業を行なう。 (1)会員個々のレベルに応じた勉強会 (2)町民からの問合せの対応・支援 (3)まめなかネットの啓発・支援 (4)その他情報化推進のための活動とある。少なくとも現状の「集まって楽しく時間を過ごしましょう!」的、目的ではなかったはずである。大部分の会員は、第4条(1)「・・・・勉強会」を目的に入会されたと解釈している。「パソコンを習得し、いろいろな事をしたい!」的、目的を持って入会したものの、運営側は何もしない。ただ集まるだけ・・・。「好きな事をして下さい。」「解らない所は解っている人に聞いて下さい。」「皆が先生で、皆が生徒です。」「パソコンを通して友達つくりができる。」「人との交流で楽しい時間を過ごす事が出来る。」サークル会則に照らしてみても、目的が違うように思う。運営者は今一度初心に帰って、活動計画を立て直す必要があるのではないだろうか?
2011年10月06日
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パソコンサークルができて、6年が経過した。当初、パソコンを学びたいとの事で入会したものの、「学び」と云うサークルの一面はほとんど機能していない、単なる集会的存在であった。それでも、その集まりの中で互いの生活情報をやり取りすることで、心の安らぎを得られれば、それで良いんだ的考えが主流になり、「今更勉強など・・・」「教室ではないのだから・・・」と、「皆が集まって楽しく時間を過ごす事ができる。そんな場所であるべきだ!」と・・・・。会員は徐々に減少し、ついには「学びたい」と考える会員は居なくなった。一日の貴重な時間を、このような集まりの中に身をおきたくないのが本心だろう!運営者はこのところを十分理解してサークルを引っ張っていく必要があろう。この「パソコンサークル」は何を目的にしているのか、目的に対して何をすべきか、
2011年09月30日
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毎日、人が亡くなる。過疎の限界集落化した町の現実の姿である。通夜、葬式に参列した際、場内の着席状況に大きな違和感を感じる。場外にあふれ出んばかりの参列者と思いきや、場内では周囲を囲んだ形で、中央部に多数の空席が着席者を待っている。誰一人として、後から入室する人のことなど考える思いやりを持った人はいない。葬儀を取り仕切る人に「前に詰めてください」と説得され勇気を出して前列に着席したとしても、後から続く者などいない。それを覚悟で一人ポツンといることが、本人にも、また周囲にも大きな違和感として感じ取られる。中には前の空席に自分の荷物を置き平然としている大馬鹿者がいる。その大馬鹿者が、私たちのような知名度のない、地域での役柄もない、極々普通の者であれば、どうにか我慢もできようが、地域指導者達であれば、腹が立ってならない。つい、苦言を言いたくなる。苦言を言ったら、「お前のようなものに・・・」とばかり、前の空席列にこれ見よがしに、荷物を置き無言の脅しをかけてくる。情けない話である。彼らがこの町を引っ張っている。ほんとうに彼らに任せていいのだろうか?「地域活性化、住民との協働の町造り、限界集落化対策、」等々彼らは、結局「自分の居場所」作りをするだけの"偽善者"に過ぎない。自分の立場さへ高く自覚できればそれでよい全くの「利己主義者」である。助成金を活用していろいろ手を尽くす最近の手法には、単に実施したとの実績をつくるだけの事が目に見え、本当の意味での町造りには程遠い現実が見えてくる。この町は人材の育成に大きな後れを取っていた事が伺える
2011年09月28日
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地域を活性化しようと、いろいろと策をこらして実行しているものの、中々効果が出てこない。見方によれば、「それなりに効果が出ている」との事だが、その評価も具体的でない。単なる見かけ的印象によるもので、議論するにも全く根拠のない空議論になってしまう。現実的に商店街としての機能をなくしたこの通りを、半世紀前の賑わいある街にすることができるのだろうか?活性化のための助成金を使い、いろいろな事をしているこの成果が、将来の町造りに見えてくるのだろうか?今が良ければそれでいいのではないの?とどのつまり、将来の事はどうでもいいのではないの?そうであれば、もっと違う対策はないのだろうか?いつまでも昔の栄華を追い求める姿は、悲しい限りに思える。むしろ、「限界集落」化した姿を想定し、対策を検討した方が良いのではないだろうか?昨日も、また今日も、さらに明日、明後日も住民が亡くなって逝く。誕生する命は、亡くなる命を上回ることがない。働く場所がない。僅かに育った若者は町を出る。結局、何もしなくていいんだよ!自然に任せておけばいいんだよ!住めなくなれば住める所に移動するよ!悲しい現実、悲しい感想、悲しい意見!
2011年09月25日
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曹洞宗のお経に修証義(しゅしょうぎ)と云うのがある。毎朝晩、仏壇の前で読み上げるのだが、この修証義 第1章「総序」の教えの中に「人身(にんしん)得(う)ること難(かた)し仏法値(お)うこと希なり、今我等宿善(しゅくぜん)の助くるに依りて、已(すで)に受け難き人身を受けたるのみに非(あら)ず、遭い難き仏法に値(あ)い奉れり」とある。仏教でのこの教えについては、それなりにきちんとした解釈があるのだが、あへて私流の解釈で理解することによって、自分の生きる支えにしている。人間に生まれる事自体「奇跡」であり、そして生きてる中で、こうしてあなたと出会った事も「奇跡」である。いつもの人との出会いは、当たり前のようであって当たり前ではないのです。そのように考えると、今まで何気なく当たり前のように出会って話している人が、とても大切に思えてなりません。you tube[★星]
2011年09月14日
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日暮れとともに裏の小山から「ホッ、ホッ、・ ・ ・」と盛んに鳴く鳥がいる。子供の頃、よく耳にした鳴き声だ!夜明けには、「ケーン、ケーン」と高い鳴き声が朝を告げていた。いま盛んに鳴いている「ホッ、ホッ、・・・」の主は「フクロウ」だと教えられていたが実際に目にした事はなかった。あらためてネットで調べてみたら、いくらか種類があり、この鳴き声に当たるフクロウは「ホッホーゴロスクホッホー」と鳴く「フクロウ」か、「オスはホホーと鳴き、メスがオスより低 い声でウーとこたえる」「シマフクロウ」かのいずれかにあたる。後者は生息地「北海道」となっているので、前者の「フクロウ」に間違いないようだ!しかし、細かいことを言えば鳴き声の表現が「・・・・ゴロクスホッホー」とは違う。単純に「ホッ、ホッ、」の繰り返しに聞こえてくる。100メートルも離れていない所からの鳴き声で、しかも毎夜なので聞き間違いはない。そんなことはどうでもよい事として、真夜中にも鳴き続けるこのフクロウは、たぶん雌を求めての悲痛な鳴き声であろう!もしかしてこの周辺でのフクロウの生息は、今鳴いている1匹かもしれない。こんな田舎も自然が破壊され、生息するすべての生き物に影響を与えているようにも思える。昔の環境がまだ残っているこのフクロウの鳴き声もそれを聞く人間の心をいろいろな思いに導いてくれる。大切にしたい環境である。
2010年05月23日
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世の中、何をするにしても、それなりの決め事がある。また、決め事では無いにしても、「こうあるべきだ!」的なものがあり、何をするに付けても、それにてらし合わせて良し悪しを決めてしまうことがある。基本的に、「法的」、「道義的」に反する事以外、その時の状況に合わせた対応が出来るようになりたいものだ。「良」として学んだ事が全てに「良」となるとは限らない。状況によっては「不良」としての行為もそれが「良」に変化することが少なからずある。単に「良」「不良」が一元的なものであれば、何事も苦労することは無い。誰もが同じように「良」としての仕事を完成させることが出来る。人間とは複雑な動物であり、何事にもそのものの考え方に違いがあり、「何が正しく何が間違い」かの判断は一律には出来ない。テレビの野球観戦で、常識的に「ここはバンドだな!」的な場面で、一人「待つべきだ!」と言った人は「野球を知らない人」との評価をする。やはり、現実のその場の状況に合わせて判断する事が大切だと思う。
2010年05月11日
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何かのグループを作って活動する場合、当然のことながら、グループの目的がある。目的を達成することを目標として活動していく訳だが、そのグループの「目的は何であるか」によって具体的な活動が決まってくる。当たり前のことだが、・・・。人数が多くなれば、本来の目的にそぐわない新しい考えも出てくる。グループをまとめる側からすると、目的に沿った活動を計画したいのだが、場合によっては人数の関係から新しい考えの人達の事も考慮しなければならなくなる。今まで天下を取って国を動かしてきた自民党内でも、新しい考え方のグループができ、一緒に行動できないとしてグループから出ている。同じグループとして仲良くやっていた者が、お互い非難し合うようになる。いい事なのか悪い事なのか分からないが、考え方そのものは色々あっていい。同じ考えの者同士で同じ活動をすればいいのだから・・・。そのグループでグループ本来の目的に合わないとなればそこを出て行けばよいのである。
2010年05月08日
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母が老いて施設にお世話になる頃から、朝晩礼拝をするようになった。もう10年にもなろうか。動機はなんだった分からないが、いつの間にか自然と仏壇の前で両手を合わせ、今日1日の無事を願い、そしてその無事を感謝する気持ちになっていた。今日も1日の無事を感謝する事で仏壇に両手を合わせお経を唱えていた。小4年の孫が来て隣に座り込み一緒に両手を合わせてくれた。嬉しかった。信仰心などもってはいないが、感謝する気持ちはしっかり持っていなければいけないと、常々思っていた。孫は単に珍しさで一緒に両手を合わせたのかも知れないが、それでもとても嬉しい。私も子供の頃、祖母の横に座り仏壇に両手を合わせ一緒にお経を唱えていた。信仰心を持っていた訳ではないが、どんな気持ちでいたのか分からない。大人になっても信仰心などあるようには自覚していない。祖母はとても信仰心の強い人だった。高校1年の時亡くなったが、仏教の説教らしきことをよく聞かせてくれていた。極楽、地獄、・・・今から思うと、とても分かりやすい人間の善悪を教えてくれていたと思う。各家庭でこのように知らない内に道徳教育をされていたように思う。それも家庭の家族構成が、祖父母両親、子供、孫と生活の知恵などを伝えられる仕組みになっていたからだろう。孫の行為に、つい子供の頃の自分をダブらせて思い出した。
2010年04月29日
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パソコンを操作を学びたいとパソコンサークルに入った。活動日にパソコンを持って集まり、さ~あ、何をするのかと・・・・。「各々したい事をしましょう!操作が分からない人は、知っている人に聞いて下さい。」みんな何をしているのか、一人でキーを打っている人、2~3人で教えあいをしているような人達、1人の人について教えている人・・・と、なにやら勉強をしているような様子ではある。共通するパソコンというものを通して人が集まり何かをする。何かをする過程で人の「和」を育み、友をつくり、楽しく時間を過ごす。「何かをする」何かとは「何か」?・・・・・パソコンを使った自分のしたい事で、何でもいいんだよ!サークルは「教室」ではないんだ!今更この歳になって難しい事を学ぼうとは思わないよ!「ここに来て、楽しく時間を過ごしてもらえればそれでいいんですよ!」と・・・・。時間を過ごすことが目的なの?友達づくりが目的?それとも勉強して実用に供する知識を身に付ける事を目的にするの?どれも否定するものではないが、目的を明確にしておく事が必要だと思う。
2010年04月11日
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今の時代、パソコンなんて誰でも使えるよ!パソコン教室なんて・・・。50歳代までの人たちは思うだろう。団塊の世代から上の人達は、パソコンなんて誰もが・・・難しい~い!、分らな~い!が多い。パソコンが普及し始めた頃の地位は、管理職、仕事は部下がしてくれて・・・机上にパソコンがあってもファイルを開くことで間に合い、使いこなす時間などなく、同時に不便を感じなかった。定年退職し、時間に、金銭に余裕ができ、組織から離れ、地域の一住民になった時初めて自分を冷静に見つめ、何もできない事に気付き、パソコンでもしようかと思ったがプライドが邪魔をして今更地域の顔見知りの前で恥をかきたくないと、ならば自力でマスターしてみせると頑張ってみたが、一晩寝れば忘れ、前に進まず、こんなはずではなったのにと自信をなくし、結局今更勉強など・・と、余生は楽しく過ごす為に今まで頑張って来たんだ!その内足腰が弱りこれではダメだと、歩け歩け・・・両手を大きく振って早足で歩く、今日は何歩あるいた。しばらく続けたら膝が痛くなり、ならば足に優しい水中歩行にと・・・しばらくプール通い・・・。~~~~~残り少ない人生、「生きがい」となるものを早く見つけようよ!
2010年04月06日
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我々のPCサークルも4月からは新年度。県も新年度から県立情報化センターを廃止した。しかし各地域でのIT普及活動の為のサポート体制は続けられる事になっている。大変有り難い事であり、今まで通り利用させて頂こうと思う。今まで施設的には全ての点で環境が良かったが、新年度からは決して満足とは云わないまでもサポート体制についてはスタッフの意気込みで更に充実したものになりそうだ。我々のサークルも更なる活動を目指してICT普及に励みたいと思う。その事が私達のような高齢者の生きがいになればこの上ない事である。
2010年04月03日
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今年は何かおかしい!何が「おかしい」か?桜の開花と降雪、積雪、知る限りこの地で経験がない。 開花そのものも例年より早い。かと思えば彼岸を過ぎての降雪がある。黄砂はひどく、例のない事象が次々と発生する。地球は病んでいるのだろう!と同時に国も、国民も、政治も、経済も・・・?
2010年04月01日
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2月21日大田市市民会館で近隣町村から神楽社中が一同に集まり”神楽大会が”開催された。我が町からも千原神楽団が参加しており、中でもとび抜けて上手だった。わが孫は他の神楽団で小太鼓を担当していたが、思いのほかこれまた上手にたたき、わざわざ観に行った”爺”を安心させた。観客もとても多く立ち見客が相当出ていた。このようなイベントが開催される環境作りは、地域住民の意欲的活力があればこそで、行政との協働の町づくりには欠かせないと思われる。
2010年02月23日
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町内無線放送のチャイムが、朝6時を告げる。6時半には若くてきれいな声で、連絡事項や行事予定等が町内全域に流されて一日が始まる。都会にはない、又出来ない施策だと思う。とてもよい事だ!しかし、残念に思う事は、この朝一番の定期放送の前に、「逝去」のお知らせが流される事だ。近年からこのようになったのだが、「逝去」のお知らせを目覚めと共に聞かされるのは、どうも一日の始めとしては好ましい感じがしない。朝出かける人の為にお知らせしておきたい気持ちは分かるが、何も目覚め一番に流す必要はないだろうに・・・と私は思う。親類縁者には必要かもわからないが、一般の者には?色々考えての実施だっただろうとは思うが・・・・。何をするのにも一人一人考えが違うのでそれを纏めるのは大変な事である。良かれと何かをすればそれに対する批判も当然出る。行政に係わる人達の苦労も十分理解する事が出来るが、このような意見もある事も知った上で頑張って欲しい。
2010年02月15日
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真冬の日曜日、午前5時前いつものように仕入れに出向く父親を送り出した母が、私を起こした。前の晩、行商に出向く母について行くとせがんでいたのだった。母はこうして午前5時頃父を送り出した後時々山奥に行商に出向いていた。自分で言い出していながらその時になると、「もっと寝ていたい」!言い出した以上起きないわけにはいかない。小雪がちらつくとても寒い朝だった。子供にも負える「オイコ」にそれなりの荷を入れてもらい母と共に出発。町はずれ家並みが途絶えた。未だ夜が明けない。山道に入った。雪は積もってはいないが、道が白く続いて見えた。懐中電灯などなかった。山道は続いた。しばらくして夜が明けた。相変わらず小雪がちらついていた。手足が冷たい!どこまで進めば家があるのだろうか?不安になった。「お母さん、まだ?」母は無言だった。そのまま歩き続けた。本当に家があるのだろうか?また不安になった。「お母さん、まだなん?」「もうチョットだけ~な」「オイコが重たいよ~!」「足が冷たいよ~!」ようやく山間に家が見えた。うれしかった。小学校4~5年生頃の事だったろう。母が一人で山奥に行商に出向くのがとても不安だった。子供心にも男としての根性があったのだろうか。「僕がついていて守ってあげなければ・・・」「手助けしなければ・・・」的な心が強く働いていた。寒い冬になり小雪がちらつく朝は半世紀前の母と自分を思い出す。
2010年01月18日
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同級生のN君が都会からUターンした。何年か前から単身帰郷し、ひとり暮らしの老母の看護を続け、最終的に今年Uターンを決められたようだ。家族を迎え新たな生活が始まろうとしている。90歳を超える母親の面倒を、一人でやってきた事は、それがわが親とは云え頭が下がる。たまたま私の弟との関係から、その現役時代の都会での活躍ぶりを知る事が出来た。子供の頃の彼はクラスでも常時トップの成績で温厚で誰からも信頼されるとても優秀な方だった。それから考えればその活躍ぶりは不思議はない。このように私達の年代は故郷では知られていないが、能力ある人材が活躍していた。今、団塊の世代が定年を迎え、このような能力ある人たちの第2の人生の出発点と、私達の町のおかれている状況を考えれば、この町の活性化にヒントがあるようにも思える。N君料理の腕前
2010年01月16日
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毎朝晩、仏壇に手を合わせ経を唱える。いつの間にか習慣になって7~8年。何がきっかけだったか定かでない。1日も休まずよく続いている。特別信仰心がある訳でもないのに・・・・。自分でも不思議である。自問自答する夢を見た。「何のためにお経をあげているの?」と。夢では答えられなかった。朝、女房に話した。何の反応もなかった。「くだらん!」「歳をとったからだ!」と・・・。そのくせ、お経を唱える時間に仏前に座っていなければ「忘れちゃ~だめじゃ~ない!」と急き立てる。訳の分からん女だ!こんな女と何で一緒になったのか、自分が分からん。女房も同じことを言っている。今更どうする事も出来ないから諦めるが、今から先どうも歳と共に男が不利になるような気がする。女房は病気だから私がいなければ困ると、たかを食っていればとんでもない事になりそうだ!
2010年01月14日
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昨年後半、地域の各自治会をまとめた「連合自治会」なるものが結成された。互いに連携を持ち、地域全体としての活性化を図ることが目的のように思う。早速連合自治会としての活動が始まり、昨年末の商店街美化活動に続いて新年になって、子供から高老齢者までが一同に、しめ飾りなど持ち寄り雪の残る小学校校庭で「とんど焼き」が実施された。過疎化に悩む地方の町村は、何かをして活力を取り戻そうと一生懸命だ!出来る事は小さな事でも実行する行動力が見えているいるようにも見える。
2010年01月12日
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パソコンサークルが出来て早や5年が経過した。この間このサークルで得た知識は私の操作技術を大きく向上させてくれた。他人と比較すると「その程度で・・・」と云う人もいるが、比較する気は毛頭ない。どうにか自分の力でパソコンを楽しむ事ができるようになった事が一番の向上だと思う。歳とともに記憶力が目に見えて衰え、これ以上の向上は望めそうにも無いが、それにしても懲りずに続ける事で僅かなりとも・・・と。足腰が立たなくなった時の事を考えれば、今習得したこの操作技術がどんなに有り難いか想像することが出来る。
2010年01月11日
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今日は1月10日、今更 「新年明けましておめでとうございます。」 もないだろうに!とは言え、今年初めての書き込みでもあり・・・。「今年も宜しくお願い致します。」情報が無いではないが、どうもバイオリズムが低下している精か、気分が優れない。こんな時は何もしないで ”じっと” しているに限る。
2010年01月10日
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女房を病院に・・・その足でパソコン講習会場に(昨日今日と午前中)・・・午後女房を迎えに・・・待合室で同じ病気の患者の連れ合い(旦那)との話、・・・病気の奥さんは、ほとんど寝たきり、自分も病気を持ち通院しながらの送り迎え、「生きていても何も楽しみがない」「妻も生きている価値がないと思っているだろう。」との事年齢も75歳、奥さん83歳奥さんは生涯透析を続けなければならない。その送迎を続ける自分も病気で通院しながら治療を続ける。悲しい事だ!私の何年か先の姿を見ているような話・・・・だが、私はなりたくない!ならない!”どんな状況におかれても、生きる限り「生きがい」を持ち続けたい!”
2009年12月09日
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「安心安全インターネット講座」を受講した。毎年受講しているのだが、今回の講師は初めてだった。講義について、とても分かり易くて、参考になった。講義内容について、私達のレベルに合ったもので、前述のように分かり易くて参考になったが、それ以外に講師に対して大きな「迫力」的な「力強さ」を感じた。その人の持っている知識、経験、人柄、等々能力的な全ての力が非凡ではない大きな何かを感じた。何かを「成す人」には、聞く人をこのように感じさせる力が備わっているのだろうか。2時間と云う時間を釘付けにしてしまい、瞬く間に終わらせてしまう。久し振りに出会った素晴らしい講師であった。
2009年12月06日
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現役を引退した後の生き方について、定年退職を前に色々と考えていたが、いざこの場に至って当初の思い通りにいかない現実を痛感させられる。仕事がしたくとも、体力も、また能力もない自分に、何が出来るかと云って、何もできず、ただ、ただ日を過ごしている。好きな事をして楽しんでいると思ってはいたものの、生きがいとしての認識が湧いてこない。自らの意思で良かれと入り込むボランティア活動では、本当に自分の行為を必要としていてくれているのか迷いも出てくる。現役時代から社会的に認められている者は、延長線上で役立っているとの認識を持ち、生きがいとしての余生を過ごす事が出来ようが、何もない者にとっては、存在さへ認識出来ず、生きがいなど持てない。生活に役立たせようと学び事に入り込み、教養を高めんと学んだとしても、それは生きがいにつながっていかない。最終的には誰かの役に立っているとの認識がなければ生きがいにはならないように思う。自分の行為に対して相手が喜んでくれる。そして相手のその喜びを喜びとして感じられる認識が持てる事が生きがいになるように思う。病気の女房の為に、ここでクタバル分けにはいかない。女房と云う人の役に立っている認識があるから・・・。そして”私がしなければ”と云った責任感があるから・・・。私は、辛うじてこの事で生き延びているような気がする。定年退職後の社会にも誰もが生きがいを感じるような制度作りを考えて行く時代に来ているのではないだろうか。
2009年12月02日
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ゴールデンユートピアでパソコンサークル会員が撮影した写真を展示した。前回、前々回に続いて今回は3回目である。「秋」を題材にしたデジカメ写真で、自由な目線で各々が撮影したものである。会員30名の内20数名の方が出品されたが、中には素敵な作品もある。撮影したデジタル写真を単にA-4写真用紙に印刷しただけで・・・・と非難めいた意見も耳にする事もあるが、特に写真とか絵画、書、陶器・・・等々評価、価値観は色々であり、観る人の心一つで決まってくるものである。要は、私達パソコンサークルのメンバーは写真のプロでもなければ、展示そのものを有料にしている訳でもない。展示する事への評価の仕方についても、写真そのものの評価についてもプロ的観点から作成し展示している訳でもない。パソコンを利用してこのような事も出来るようになりました的な、ほんとうに初歩的な率直な心で展示しているのである。現役を引退した、昔で云う隠居の身になってまで完璧なものや、高レベルな行為を望む必要はない。大切な事はこのような活動を通して、今自分の持っている能力を素直に人前にさらけ出される心を持っているかどうかである。そしてその行為によって誰かと喜びを共有できるかどうかである。隠居の身であって何時までも現役世代の「しがらみ」を持ち続ける必要はないのではないだろうか。ゴールデンユートピア正面玄関ホールに展示「写真展」
2009年11月30日
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周囲の山々がようやく色付き、落ち葉も溜まっています。暦は明日で11月が終わり、早くも12月に入ろうとしています。季節の移り変わりが暦とのズレを感じるようになりました。子供の頃の今時、既に雪が積もっていました。暖かくなっているのが窺えます。地球の環境も地域の社会環境も昔と大きく変わりました。私達にとって良い方向に変わっているのだろうか?西原山”浄土寺山門” 大銀杏からの”落ち葉”
2009年11月29日
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今日は地域町政懇談会なるものがあり、初めて出席した。町の本庁舎が置かれているこの地域は、常に町の中心地域である。主催する町と地域連合自治会は、ある程度多数の出席者を予想していたようだが、思いのほか少なかった。この町政懇談会は、2年に1度開催されているとの事だったが、人前に出る事を苦手としている私にとって勇気のいる出席であった。このような懇談会なり、集まりに出席する顔ぶれは大体決まっているようだ!自由参加で出席を促すPRをしているにもかかわらず、出席しない者は何時も出席しない。出席する意思が元々ないからである。それなりの理由が各々あるのであるが・・・。行政は地域住民との協働の町づくりを推進して行く事を大道に掲げ、このような機会を設けているのであろう。地域住民の参画は意外と限られた住民に止まっているように感じた。場慣れした人達の懇談会なり集まりであり、私のように多くの人を前に発言を経験した事のない者には大変な勇気がいる。ましてや百戦錬磨物怖じしない町長、役場課長連中、何時も発言している出席者等の中で、気の弱い者に発言を期待しても無理な事である。その事を理解して、予め各自治会からの要望なり、質問を連合自治会が吸い上げ、まとめて提出する方法をとったのであろうが、各自治会とは言っても、自治会長個人の意見をまとめただけだろう。連合自治会の世帯が大きすぎて、総会的な場を設けてもまとめられないのは、今回の懇談会と同じかと思う。このような懇談会は形式的なものであって、本質は違うところにあるように思えてならない。要するに”協働の町づくり”を掲げ組織を作り、住民との”懇談会の実施”と云う実績を作り上げる事で、”良し”としているのではないだろうか?勿論、これだけでも努力は報いられる結果となり、各自治会に助成金が交付される事になるだろう。助成金を得る手段として悪くはないにしても・・・・・・。近年このような施策が意外と目に付く。(前々からの事ではあろうが・・・)施策を”協働の町づくり”と掲げているものの、実のところ地域住民無視であって、単なる助成金目当てであるのでは?本当に地域住民の声を反映した町政を目指したいなら、このような形式的な集まりであって出来るわけがない。各自治会にまで入り込んだ、懇談会を計画すべきである。
2009年11月27日
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今日も「トントン、トントン」と大工の金槌の音、「ジャ~ン、ジャ~!!」と電気鋸の音「ガタン!、ゴト~ン!」と木材の音、オマケに隣の犬が、ギャンギャン吠える。いや、「ウオ~ウワン!」大工さんは仕事で生活がかかっているから仕方ないにしても・・・、「そがぁ~に吠え続けりゃ~ シワイだろ~が!」「吠え~でも食わせてもらえよ~が!」・・・ 「そうか!留守番しとるんか。」一日中、大工と犬で・・・・。仕方ないとは言え、「しかたないな~、がまん!」静かになったと思えば、昼飯時。あさっては日曜日、朝から静かになる。「あ~うるさい!」とは言え人間の昔ながらの生活の息遣いを垣間見るような気もして、不思議と心は安泰。
2009年11月27日
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ついに自宅隣接地に町営住宅建設が着工された。東南の位置に2階建てで自宅地盤よりも1.5メートル程度高い位置からの建設になる。しかも、庭先の境界から、5メートルしか離れていない。猫の額ほどの裏庭全体が日照を妨げられ、視界も住宅の外壁に遮られて、その先にある山並みも見る事が出来なくなった。家には陽が入るから隣接住宅には問題ないとの判断からのようだ。町営住宅入居者は基本的には生涯の中で仮の住居となる。私は、永住者でしかも相続者もいる。先祖から、又さらに孫子の代まで、この位置に居住する永住者にとって、やりきれない思いである。
2009年11月25日
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美郷町産業祭11月15日、粕淵商店街通りをメイン会場に、町最大イベントとも言える「美郷町産業祭」が行われた。粕淵商店街通りを歩行者天国にして、町内の団体、個人、等がテントを張り出店、曇り空で肌寒い天候にもかかわらず、多くの人出で賑った。恒例の鴨山駕籠かき大会も行われ、産業祭を盛り上げた。粕淵商店街歩行者天国 鴨山駕籠かき大会(競技) 鴨山駕籠かき大会(チーム1)
2009年11月21日
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夜10時、電話が鳴った。中学生の時の恩師からだった。「明日、NHKテレビで放映される番組の中で自分が映るので見て欲しい。」と・・・。わずか何秒かであろうが・・・だが、先生のこんな行為が、何故か可愛いくてうれしい。年寄りは歳と共に可愛くなって欲しい。子供のように純粋な心になって欲しい。嬉しい時は嬉しいと、悲しい時は悲しいと、その気持ちを素直に表現出来る年寄りであって欲しい。童心に帰られる年寄りは最高である。いつまでも現役時代の自分を捨てきれない人には、こんな年寄りになれないだろう!この年になった今でも、この先生に教わっている。
2009年11月06日
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井戸神社(大森銀山)奉納神楽11月3日、石見銀山(世界遺産)の井戸神社(大森代官井戸平左衛門を奉った神社)の祭りに子供神楽が奉納された。これに我が孫も年少者で出演し、寒い中、観に出向いた。小学校3年生だが4月から練習をし、どうにかこうして人前で演技できるようにまでになった。上級生との格差はあるにしても、孫もよく舞った。難しい口上も上手に言う事が出来、爺としては満足な時間だった。指導者には頭が下がる。伝統芸能を次の時代に残す努力をするのも、並大抵のことではないだろうに!子供神楽を通して世界との交流も盛んにされ、地域の活性化にも積極的に参加され、地域における貢献度はとても大きいと考える。勢揃い(太鼓、笛、手拍子) 大太鼓、小太鼓、笛、手拍子 この娘が鬼に変化 神の鬼退治
2009年11月05日
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時間の経つのは早いものだ!もう11月!いつの間にか秋祭りも通り過ぎた。今年も過ぎようとしている。年々、祭りが衰退していく。祭りどころか、昔からの色々な行事も、そうである。地域の過疎化がそのようにしているのだろうが、・・・。それでも残った住人は継承する事に一生懸命! しゃぎり1 子供神輿 しゃぎり2 屋台引き
2009年11月01日
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約半年ぶりに入室した。パスワードも忘れて、騒動したが、ずいぶん長い間休んだものだ!今日から少しずつ書き込んでいく事にする。パソコンは好きなので毎日開いているものの、ブログとなれば、単に日記的要素だけでは、面白味がないと、ついいろいろな情報を掲載しようとする。これが長続きしない一つの要因だろう!自分の為のブログか、たくさんの人に見せる為のものか、考えによって続けられなくなるのだろう。ま、どうでもいいが、自分なりに書き込んで見る事にする。(自分自身との会話)サークルメンバーによる写真展(第2回)
2009年10月11日
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中部情報化センター”ちゅうぶねっと”今月(5月)に入り私の体調がかんばしくない。パソコンも、画面を見ると、目が痛くなる。眼科の診察では白内障だそうだ!白内障は年齢が進めば誰でもかかる病気で今では手術も簡単に出来て心配する事でも無いと思う。それ以外の不具合もあるので、暫らくパソコンも控えることにする。日記のネタを考える事も負担になるので(一番はこれだが・・・)・・・。
2009年05月19日
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フォトストーリー湯抱温泉
2009年05月07日
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ゴールデンウイークの高速道路今年のゴールデンウイークは、高速道路の料金が1,000円になるので、マイカーを使って旅行する人が多かった。その為高速道路の混雑は、予想以上だったようだ。利用者の意見をテレビで放送していた。1、「時間がかかっても通行料金が安いがいい」45%2、「料金は高くとも早く移動したい」55%※おいらは思うよ!2、の人、「だったら飛行機で移動しろよ!」
2009年05月06日
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赤名ボタン園赤名ボタン園に出向いた。残念ながら開花までには一週間早過ぎた。折角だったので、写真だけ撮った。来週あたりから見頃になるそうだ!”さくら”と云い、”ツツジ”と云い、今日のボタンと云い、今年の花見はタイミングが合わない。
2009年05月05日
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美郷町浜原”妙用寺”の藤の花 妙用寺のツツジが綺麗だよ!との事で、写真撮りに出向いた。残念ながら、盛りが過ぎ一番美しい時を逃してしまったようだった。境内の藤の花もそうだったが、美しさは衰えていなかった。突然の訪問にもかかわらず妙用寺の和尚は、気持ちよく室内からの裏庭の撮影をさせて下さった。そればかりか風格もない私のような者にも、貴重な時間を割いて応対して頂き、とても嬉しかった。ツツジの写真(topページに戻る)
2009年05月03日
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このところサークルや同好会、その他の会の総会が各々開かれている。今日は、明日は、〇日は、と云ったように・・・。行事報告、会計報告、今年度計画案等々と我等のパソコンサークルも開いた。今年度の行事計画について新たな動きが見られた。代表の都合で出来なかった、代表によるパソコン講習会が実施される事になった。代表は以前役場が実施していた、パソコン講習の講師だった。絶対的なパソコン知識の信頼、尊敬を得ている人だ。パソコンサークル設立以来初めて、その代表による講習が予定された。サークルメンバーを対象とした講習は、これまで島根県中部情報化センターの実践サポート制度を利用して実施していた。このような絶対的な信頼、尊敬を得ている者が、講習をするとなると、サークルに対する評価も上昇するものと思う。代表も現役世代である事から時間的に窮屈な計画なることだろうが、頑張って頂きたい。
2009年04月20日
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竹の子(筍)息子が竹の子を持って来てくれた。女房が私に”茹でろ”と指示した。面倒なので圧力釜で米糠を適当に入れてストーブの上に4時間位ほ~ッておいた。途中近所の奥さんから、茹でた筍をもらった。やわらかく茹であがっていて、とても美味しそうだった。ストーブの上の圧力釜を開け、具合をみると、茶色味に茹であがっていた。女房が大意地を出した。「だから言ったでしょう!普通の鍋で茹でんさいと!・#$’#・・・?」すかさず言い返した「色なんかどうでもいいジャン、柔らかけリャー!」女房の手が飛んで来るかと思ったら、今日は意外だった。「竹の子が可愛想でしょう!!貰ったのを見てみんさい!色が白いでしょう!」どっちみち味付けすれば、色は変わるのに・・・くだらん事云うな!
2009年04月19日
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幅寄せ 女房が”安かった”と言って瓶入りの食品を買って来た。蓋を開け、食べていくうち容器内で箸が自由に効かなくなる。蓋を開けた時の口径は、蓋の口径に合った大きさだが、ある位置から、内径が極端に細くなって、2本の指先が入る程度の大きさになっている。”上げ底”ならぬ”幅寄せ”である。消費者は容器の外径で判断してしまう。まさか、内径が指先2本ほどの大きさとは・・・。ラベル表示内容量を確認したり、外観を念入りに確認したりして、値段の比較をして購入すればよいものを・・・。”役に立たん女房だ!”###・・・とは言え、ほとんどの消費者は、こんなもんだろう。
2009年04月18日
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美郷町文化協会の総会に参加した。今年度から加入した。PCサークルの活動を町民に発表PRする手段としての加入である。町の文化祭に参加する場合、この協会に入会していなければ作品発表が出来ない規則になっている。町の行事として行事をするのだから、もっと幅広く参加資格を広げてはどうかと思う。中でも公益性、公共性を重視した活動に門戸を広げてみたらどうだろうか。
2009年04月15日
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