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プラタナスと呼ばれる木は、スズカケノキ、アメリカスズカケノキ、モミジバスズカケノキの三種類ある。写真は上下とも左がスズカケノキで右がアメリカスズカケノキ。木の皮と葉っぱの具合がちがうでしょ。古くから街路樹としてプラタナスが植えられてきたので、歌にもよく出てくる。父は鈴懸の径が好きでよく口ずさんでいたし、シューベルツの「風」という歌にも「プラタナスの枯葉舞う 冬の道で~♪」というフレーズが出てくる。この歌のせいなのか秋から冬にかけての何となく悲しい雰囲気に似合った木というイメージを持っているが、スズカケノキのこの剥がれた色具合が何とも好きだなぁ。日本で街路樹などに最も多く植えられているのがモミジバスズカケノキ(カエデバスズカケノキ;楓葉鈴懸の木)で、これは人間の手によってつくりだされた交配種(スズカケノキとアメリカスズカケノキをかけあわせたもの)。「鈴懸の木」の由来は,落葉後に集合果がつり下がっている様子を山伏の首にかかる篠懸(すずかけ)にたとえたものとか。
2005.10.20
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犀川越えを控えた宿場「丹波島宿」善光寺を目前に犀川超えの渡しを控えた宿場。宿場は慶長16年(1611)に開設、本陣や問屋あとの碑があり整然とした街並みが往時を偲ばせる。丹波島宿の遺産マップ丹波島宿の西端には、旧丹波島村の村社の於佐加神社がある。問屋跡。民家の屋根で見つけた瓦鍾馗。京都を中心に関西方面では多いらしいが、長野では見たことがなかった。正面は犀川に掛かる国道117号の丹波島橋。橋を左に犀川を渡るといよいよ善光寺といった感じだ。長野市から丹波島宿、篠ノ井宿へと向かう丹波島橋の東側の歩道にはこれと言った表示はないが、善光寺へと向かう丹波島橋の西側の歩道には橋脚の一区切りごとに丹波島の渡しから鉄橋への移りかわりの由来が描かれている。今回の稲荷山からの行程でこの説明が一番読み応えがあったので、ご紹介を。渡し舟の時代慶長16年(1611)、北国街道に善光寺宿、丹波島宿、屋代宿が開かれるとともに「犀川の渡し」が置かれた。この渡しは、千曲川に置かれた「屋代の渡し」とともに重要な役目を担い、これにより街道を往来する人びとの流れは松代廻りから善光寺廻りへと変わっていった。舟橋の時代明治6年(1873)3月、民間の「丹波島舟橋会社」が設立され、渡し舟は舟橋へ代を譲ることとなった。木橋の時代明治23年(1890)9月、丹波島地区の人びとによって民間経営の丹波島橋(初代木橋)が架けられた。 鋼橋の時代昭和7年(1932)12月、全長541m、全幅12.2mで両側歩道付のゲルバー型トラス構造の橋が総工費88万円で架けられた。 そして善光寺常夜灯。旅人はこの常夜灯をみていよいよ善光寺にたどりついた喜びを噛みしめていたことだろう。かつて鉄道が無かった頃はこのまままっすぐ善光寺へと行けたのだろうが、今は新幹線と在来線の線路が道をふさぐ。跨線橋を渡れば長かった北国西街道の旅は終わり。善光寺へとたどりつく。
2008.10.26
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