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2005年05月24日
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テーマ: 吐息(401)
カテゴリ: Essay


 二人の娘の躾などのほとんどが、その亡き母からの継承であった。

 嫁いでしばらく経ったある日のこと。
 食卓の汁わんが左側に置いてあった。
 何かの間違いだろうと思わず右側に直した時、姑はわたしをたしなめた。
 「あなたはこんなことも知らないの。汁わんは左側です」
 「あのぉ、実家の母から教わったのは右なんですけど」
 「いいえ。長い間我が家はこう置いてきました」

 わたしは承服しかねる思いを抑えてそこは引き下がったが、どうにも納得できなかった。
 そんな時、親戚の面前でわたしの鼻を明かしてやろう、と少し意地悪な気持ちになったのか、姑は迂闊にもこの話をしてしまった。
 「おばさん、彼女が正しいわよ」
 親戚の人は、いとも簡単に姑の間違いを指摘したのであった。
 その時の悔しそうにゆがんだ姑の顔が、今でも目に浮かぶのだけれど。

 人は得てして踏襲し持続してきたことを、正しいことだと勘違いすることがある。
 だから、一概に姑を責めるつもりはなかったのだけれど、わたしがこの件に固執したのは、実母の躾云々に至ったからであった。
 わたしを貶したり罵ったりするのは良いとしても、その害が実母に及ぶ時、すごく悲しい気持ちになったものである。

 という経緯もあり、どんなに貧しい食卓であっても、わたしは二人の娘達にその範を示した。
 その甲斐あってか、今では二人とも黙っていても正しいテーブルのセッティングが出来るようになっていた。

 高が汁わんの位置の話であるけれど、わたしは貴重な体験をした、と今でも時々思い出す。
 この話には、嫁姑の確執や思惑、そして様々なエピソードをはらんでいるからだろう。
 今では妙に懐かしく、ほほえましくさえ思えるから、時の経過というものは不思議なものである。





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最終更新日  2005年05月24日 14時55分44秒 コメント(4) | コメントを書く
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