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2005年07月05日
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テーマ: 吐息(401)
カテゴリ: Essay


 これが他人から見たわたしの印象だと思うけど。
 実際にはそんなに強いわけではなく、時として消えてしまいたくなる。
 ”じゅーん!しゅわしゅわー”と、空気に紛れ込めたらなーって。
 ところがそれをしなかったのは、耐えうる精神力があるからだろう。

 十八歳から十二年間。
 わたしは『いけばな』の世界に、どっぷり首まで浸かっていた。
 このいけばなこそが、わたしを支え、逆境に耐えうる精神力を植えつけてくれたのだと思う。
 厳しい師匠だった。

 親に恥をかかせてはいけないと思えば、事前に学びある種の予習をしたものだ。
 でも、そういうことが少しも煩わしいことではなく、誉めてもらった時の嬉しさが喜びに変わるまでに、そんなに時間はかからなかった。
 人間関係がうまく行くと、すべてが面白いように運んでいった。
 師匠は当時銀行員だったわたしに、財産を預けてくれるようになった。
 そのおかげでわたしの営業成績は上がり、銀行内でも一目置かれるようになったのだ。
 師匠が期待をかけて下さるのが手に取るように感じられ、それに応えたいわたしがいて、いつしかその世界にはまって行ったのである。

 花材を前にした時のわたしは、内面がどんなであっても、深い森の奥にある湖のように、心がしんと鎮まりかえるのであった。
 一切の邪念が飛ぶというのだろうか、穏やかで真っ白な心になれるのだった。
 そこはすでに、わたしの精神修養の場と言っても過言ではなかった。
 だから、この生け込む時間がわたしは大好きだった。
 怒りも苦しみも何もかもが、この生けるという行為によってすべて昇華されるのだから。


 やがて諸事情により、この世界から離れてしまったのだけれど、いまだに教わった多くの事柄には、感謝の念を忘れてはいない。

 これほどの経験を一つ持っていれば、誰もが逆境なんか恐くないのではないか。
 だから娘たちにも、それが何であるか、早く見つけてくれることを願ってやまないのだけれど。





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最終更新日  2005年07月06日 10時55分06秒 コメントを書く
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