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明日から6月。職場や学校では夏の制服に衣替えですね。高校の制服では、合服が好きでした。自分の誕生日の時期に着ていたからでしょうか。バス待ちの詰め襟くん達が白いシャツに替わると、梅雨入りが近づいたことを感じます。テレビにラジオ、デパート、スーパー、ショッピングセンター、銀行や病院のロビー、駅のホームetc.毎日耳にする音楽に、 がピクッと反応するご同輩はたくさんいらっしゃることでしょう。一緒に口ずさんだり、ハモったり、リズムを取ったり、微妙なアレンジやキーの違いに「ん?」と思ったり。 買物かご提げて、BGMと同じリズムでスイングしてたり、歌詞の形にパクパク口が動いている人を見かけると、「おっ!」と嬉しくなってしまいます。でも、パクパクの真っただ中、通りがかりのおばしゃんにハモられたり、「この曲、いいですね♪」と話しかけられて平常心でいられる人は、あまりいないでしょう気持ち良く音の世界に浸っている人を見るのが好きなので、そんなパフォーマンスに気付くと、温かく(?)見守るようにしています。かく言う私も、知らず知らずのうち、誰かに温かく見守られたり、「ぷぷっ」と思われてるのかもしれませんが…ミーハーのミーハーによるミーハーのための音楽ブログを綴り始めて3年目に入りました。生涯ーミーハーとしては、気になる情報はすぐ知りたいので、あれやこれやと調子に乗ってリンクを貼り過ぎ、文字数オーバーになることも何度かありました。この節目に、今まで書いた分や、頂いたコメントを読み返そうかと思いましたが、あえなく断念 いつも辛抱強くお付き合い下さっている皆さま、本当にありがとうございます。(毎度毎度、お疲れ様です)初心に返り、また短めに書こうと思っていますので、どうぞお気軽にご参加下さいね さて、今、脳内をグルグル回っているのは、ここでは初登場・中森明菜ちゃん(やっぱり「ちゃん」)のデビュー曲、スローモーションです。小学生の頃からスタ誕に何度も応募したという明菜ちゃん。本選では3度目の正直で、百恵ちゃんの曲を歌って合格、念願のデビューを果たしました。当時は「あきな」ちゃんという名前が珍しく、6人姉弟の5番目というポジションも、インパクト大でした。最近のアイドルにも「あきな」ちゃんがぼちぼちいるけど、お父さんやお母さんがファンだったのでしょうか?聖子ちゃんに続く実力派アイドル歌手として、2曲目「少女A」から、ベストテンの常連となりましたが、私は、ふっくらほっぺの頃のこの曲が、今でも一番好きです。セーラー服と機関銃 や、シルエットロマンス などを手がけた、来生えつこ&たかお 姉弟コンビによるバラード。映画のような風景が浮かんで来る美しい歌詞とメロディ。デビュー曲でこんな素敵な歌がもらえるなんて、ラッキーな新人だな、と思いました。百恵ちゃん同様、スローバラードの次にはツッパリ路線の曲が来る意外性も新鮮でした。明菜ちゃんのデビューした'82年(昭和57年)は、アイドルの当たり年で、花の82年組と呼ばれています。同期には、帰国子女のバイリンギャル、早見 優ちゃん、小泉キョンキョン今日子ちゃん、ドジでのろまな亀 が流行語になった、今や5児の母 堀 ちえみちゃん、明菜ちゃんとタメで来月44歳になる松本 伊代ちゃんに シブがき隊 、そして、シブがきヤッくんと同期結婚して、これまた5児の母となった 石川 秀美ちゃんと、錚々たるメンバーぞなもし優ちゃん、ちえみちゃん、伊代ちゃんは、数年前 ママさんトリオ として活躍してました。もう四半世紀以上も昔となった1982年は こんな年 だったそうです。皆さんは何をしていましたか花の新人さんチーム、それぞれの出身地をご紹介しますね 大田区 都 下 神奈川 静 岡 愛 知 大 阪 1都2県 清 瀬 デビュー曲
2009年05月31日
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新学期に配られる教科書をパラパラめくるのが楽しみだった私。ここ十数年は、子供の持ち帰った教科書に、「時代やのぉ~」だの、「へぇ~」だの「ほぉ~」だの言ってます。>へいへいほぉ~ ぢゃないよ今年驚いたのは、中3国語(東京書籍)。目次の次に、いきなり見開きで、中島みゆき さんの歌詞が、バーン!タイトルは、永久欠バーン 永久欠番。 背景のイラストは、空のように淡いブルー。砂漠の上に横たわる、ベージュ色をしたサザエ状の大きな巻き貝。ベンチのように伸びた細長い部分に腰掛け、空を眺める、後ろ姿の青い服。右下に作者の顔写真(モノクロ)とプロフィール。中島みゆき 1952(昭和27)年、北海道出身。シンガーソングライター、小説家。著書に「海嘯」「2/2」などがある。出典・アルバム「歌でしか言えない」この曲は知りませんでしたが、息子によると、自分なりの解釈をプリントに書き、一人ずつ発表した模様です。多感な時期、みゆきさんが丁寧に紡いだ深い歌詞と向き合った中学生たちは、この曲を耳にするたび、教室の窓から見える景色や、クラスメートの姿を懐かしく思い出すことでしょう。それは、いくつもの山や谷を越えたあとかもしれないけれど。久石 譲 さんの言葉を借りると、音楽は記憶のスイッチ だとか。 たしかに、たった1~2小節で、あっという間にタイムスリップし、思い出の場面や懐かしい顔が蘇ることは、よくありますね。特に、子供時代や若い頃聞いた音楽って、今も自分を支えてくれているなぁ…としみじみ感じる今日この頃です。私の場合は、テレビの歌番組や、ラジオの深夜放送から流れていた、'70年代の音楽が、心の真ん中にあります。2年前の今日、たまたま始めたブログで、懐かしい曲や思い出話をつらつら綴ってきました。会ったことのないブログ仲間と、まるで昔からの友達のように、歌い手や曲に寄せる思いやエピソードを語り合うなんて、なんだか不思議ですね。1つの歌にも、人の数だけ思い出があるのはすごいことだな、と、いつも思っています。みゆきさんの歌を初めて聴いたのもラジオでした。デビュー曲アザミ嬢のララバイ のもの悲しさや、世界歌謡祭グランプリ曲で二枚目のシングルとなった 時代 の、スケールの大きさに感動しました。明星で見た受賞写真は、ロングヘアーにベルボトムジーンズの、色白で綺麗なお姉さん。MTVもビデオもない時代、耳から入った歌手の写真に後からお目にかかり、失礼ながら、びっくりする事も多かったので、美形のみゆきさんは、ちょっと意外でした。北海道出身で、本名は 美雪 さんとあり、名は体を表しているな、と感心したものです。谷村新司さんのセイヤング「チャーミングなお客様いらっしゃいコーナー」のゲストで、初めて、みゆきさんの、元気はつらつなおしゃべりを聞き、「別人?」と思ったのは、もう30年以上前のお話。オールナイトニッポンのDJを始めた頃、私は深夜放送を卒業しかけていましたが、弟は、夜中に聞くだけでは物足りないのか、テープに録ってはゲラゲラ笑っていました。現在は、テレビCM で、大きな犬にどたどたと引きずられる白無垢の花嫁姿を披露しています。何度目かのウエディングドレス姿の聖子ちゃんに、「(お互い)照れますなぁ~」と、ひょうきんな笑顔を向けています。BGMは時代。花婿さんがどんな人かはわかりません。ソフトバンクのお父さん じゃないけど、まさか、あの大型犬? 二年前の春、百歳で亡くなった祖母の葬儀で、長い間会ってなかった親戚や、懐かしい人達と再会しました。それぞれに年を重ねたものの、昔の面影は残っており、祖母が元気だった頃の気持ちに戻りました。90過ぎまで新聞を読み、ニュースやスポーツ番組を楽しんでいた祖母は、93歳の頃、家で転倒し、病院のベッドで寝たきりとなりました。入院以降、徐々に認知症が進んでいることを母から聞いてはいましたが、半年ぶりに再会した時のショックは忘れられません。高校まで同居していた私の顔がわからず、目は合っても、記憶の引き出しはぴったり閉じたままでした。いつも背筋をぴんと伸ばしていた、気丈で洞察力のある祖母の姿はどこにも見受けられず、私は部屋の隅で涙しました。天寿を全うしたこともあり、告別式の後は、思い出話に花が咲きました。笑顔溢れる祖母の遺影用の写真は、80歳の時に自分で用意し、父に預けてあったそうです。筆まめで、上京後はよく手紙をくれました。旧仮名遣いの上、まるで古文書のような草書体だったので、残念ながら半分ぐらいしか判読できませんでしたが、「たぶん励ましてくれてるんだろうな」と、想像力で補っていました。離れて住む従姉妹達も、皆、同じ経験をしてきたことがわかり、笑いました。祖母が80代半ばの頃、「自分史」がブームになり、帰省した私は、ふと思い立って、書いてもらうことにしました。書き始めると、あれもこれもと浮かんで来るので、筆が止まらなくなったと言っていました。たしか数日で仕上がったように記憶しています。厚い便箋1冊分を謎解きのように読み進め、ワープロ原稿をプリントアウトし、次の里帰りの折り、祖母に読んでもらいました。何ヶ所かダメ出しがあり、帰宅後、更に上書き。検閲済みの自伝を、長子である伯母に見せると、「あれ、私の誕生日、間違うとる」 1歳年上に書かれていたらしく、苦笑いしていました。この調子だと、あちこちに記憶違いがあるのかもしれませんが、大正時代の我が家を語れる人は、もういなくなってしまいました。一人一人に物語があることを、私は祖母に学んだような気がします。四十九日に出るため、一昨年のGWに、私は単身帰省しました。帰りの機内のオーディオ番組で、竹内まりやさんの新譜「DENIM」の曲が流れ、ご本人とDJの女性がおしゃべりしていました。味わい深い歌詞に、しみじみと心に沁みる曲ばかり。永久欠番となった祖母との思い出を反芻していた私には、まさにストライクゾーンど真ん中でした。春先にNHKの「SONGS」で初披露された、人生の扉 に感動し、偶然空の上で聴けたことに、何かのご縁を感じました。その数日後の5月16日、楽天のサイトをのぞいているうち、間違って「ブログを始める」のボタンを押し、生まれたのがこの日記 です。追悼記事を書かずにいられないのは、たぶん、いつも祈っていた祖母が、心の中にいるからでしょう。この2年間、辛い別れや、いろいろな悩みもありましたが、なんとかここまで続けて来られたことを嬉しく思っております。いつも温かいコメントを下さるブログ仲間の皆さま、あしあとを残して下さる皆さま、お立ち寄り頂き、ありがとうございます。これからもマイペースで、好きな歌を歌い続けていけたらと思っています。ブログの更新やPCをお休みされている仲間とも、またいつかおしゃべりを再会できることを願っています。音楽はタイムマシーン。こんなミーハーブログですが、お好きな曲が見つかったら、どうぞ、あの頃へタイムスリップしてくださいね。最後まで長文にお付き合い頂き、だんだん。これからもどうぞよろしくお願いいたします どんな立場の人であろうと いつかはこの世におさらばをする たしかに順序にルールはあるけど ルールには必ず反則もある 街は回ってゆく 人一人消えた日も 何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと 百年前も百年後も 私がいないことでは同じ 同じことなのに 生きていたことが帳消しになるかと思えば淋しい 街は回ってゆく 人一人消えた日も 何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと かけがえのないものなどいないと風は吹く どんな記念碑(メモリアル)も雨風にけずられて崩れ 人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう だれか思い出すだろうか ここに生きてた私を 百億の人々が 忘れても 見捨てても 宇宙(そら)の掌の中 人は永久欠番 宇宙の掌の中 人は 永久欠番 (詞:中島みゆき) 永久欠番 時 代 蕎麦屋 ファイト ホームにて
2009年05月16日
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暦の上では夏になり、日中は暑い日が増えました。今日は、やっと200回目の更新です。数字にちなんだ曲でも、と思ったものの、何も浮かばなかったので、5月つながりということで、この方に登場して頂きましょう。Queenのギタリスト Brian May さん。昭和22年生まれで、今は「アラ還」と呼ばれる団塊の世代。今年62歳です。同じ年生まれの皆さんは こちら。 名字はMay さんだけど、お誕生日はJuly。ブライアンの曲で一番有名なのは We Will Rock You ですが、その守備範囲は広く、ギンギンのロックから、アコースティックな弾き語り、ライブでお馴染みの美しいバラードなど、たくさんの曲を手がけています。穏やかでシャイな印象ですが、根っこには熱いロック魂 昨日は母の日だったので、華麗なるレース から、A面第一曲目のTie Your Mother Down、行っちゃいましょう。親孝行ソングどころか、やんちゃ息子が、お前の父ちゃん、ウザいから閉め出せだの、お前の母ちゃん でべそ 縛り上げろだのと、物騒なことをぬかす歌です。いくらノリノリなロックンロールだからといって、母の日に愛を込めてこの曲をプレゼントするのはやめませうもう一曲は、会場を巻き込んで歌う定番ソング。私も、フレディと2回、ブライアンと1回、トゥギャザーしました ライブで本物のアーティストに会えるだけでも心ウキウキなのに、聞き慣れた曲の数々が目の前で繰り広げられ、会場で一緒に歌う楽しさは、一度経験するとやめられまへん一期一会の空気のうねりや、観客の人数分ある人生の、わずか2~3時間を共有し、一緒に歌う瞬間は、二度と来ないんだなぁ…と思うと、たとえ1万分の1であっても、歌に気持ちが入ります。生フレディにはもう会えないけど、またいつかブライアンやロジャーが来日すれば、ステージに遊びに来てくれることでしょう。この Love of My Life や、日本語のフレーズがある「Teo Toriatte(手をとりあって)」は、フレディのピアノ弾き語りや美メロが印象的です。彼の歌だと思われがちですが、実はこっそりピアノも弾けるブライアンの作品。今回は、彼のもう一つの顔にスポットライトを当ててみましょう。 華麗なるレース 学 長 著 書ブライアン・ハロルド・メイ博士は、ロンドンの国立大学卒業後、大学院で宇宙工学を専攻しました。バンドの成功で、長い間、研究活動から離れていたものの、宇宙への思いが消えることはなかったようです。世界ツアー中も学術誌を読み、天体観測をし、難解な数式を解いていたのでしょうか。30年にわたるブランクを経て、一昨年、完成させた学位論文が認められ、天体物理学博士号を取得したそうです。天文学の世界では、50年や100年は誤差の範囲内なのでしょう彼が執筆した宇宙の解説本(共著)は、本国でも評判が良いらしく、翻訳本も出ています。興味がある方はチェックしてみて下さい。(右の写真をクリックすると、内容が表記されます。)改めて彼の詞を読むと、歌えるかどうかはともかく、天体がらみの表現や、俯瞰したようなスケールの大きさを感じるものが多いことに気付きます。宇宙好きで真面目でロマンティックなあたりは、英国版 宮沢賢治といったところでしょうか? セロ弾きじゃなくてギター弾きだけど。'92年に設立された Liverpool John Moores University は、メイ博士を大学の教育理念にマッチする人物として高く評価し、4代目学長に選出しました。その理念とは、夢を持ち、青写真を描き、実現させること。 世界的なロックスターとして第一線で活躍し続けながらも、長年の夢を諦めず、60歳で叶えたメイ博士は、大学の理想像にぴったりだったようです。昨年4月の就任スピーチぞなもしこのたび学長に選ばれたことを、とても誇りに思います。私は、教育や生涯学習を、とても大切なことだと考えています。一生学び続ける姿勢こそが大事なのです。もう何歳だからとか、今、人生の何合目にいるからなどということを気にする必要は全くありません。学問を始めるのに、幾つだから遅すぎるということはないのです。現に、30年がかりで学位を得た私が、ここにいるのですから。学長として、私の今までの経験が、何らかの形で皆さんのお役に立つことを、心から願っております。ありがとう、名 メイ先生。Killer Queen からのファンでした。あなたの存在はとても大きく、実力者で努力家で謙虚なところが大好きです。60歳を過ぎて新天地を見つける人も、世の中にはたくさんいます。まだまだ時間はあるのだから、夢を諦めるのはMOTTAINAIですね。五月生まれといえば、41歳にして、脇役人生から舞台の主役にchangeした、森 光子さん。42000人のおくりびとを集めた清志郎さん最後のロックンロールパーティがあった5月9日、放浪記 の上演回数が2000回に達したそうです。奇しくも89歳の誕生日、カーテンコールのステージで、スタンディングオベーションを受け、ケーキでお祝いする様子をニュースで見ました。初演は'61年、オバマ大統領が生まれた年で、実に48年がかりで達成した、前人未踏の記録だそうです。ちなみに、1000回目は、'90年。70歳の時だとか。お客様は毎回違うので、いつも新鮮な気持ちで臨んでいる。足を運んで下さる方々やスタッフあっての記録なので、皆様に感謝したい。今までに一度として会心の出来はなく、毎回、試行錯誤している。もっと表現力豊かな演技ができるようになりたい。年齢を味方に付ける森さん。時間ですよ のおかみさん時代はアラフィーだったのかな。一体、何回目あたりだったのでしょう。 国民栄誉賞 おめでとうございます お邪魔? トモダチ 炎 '39 愛 ここにいるよ おまけ Mother 新 旧 五月姉妹 五月 メイ おまけ
2009年05月11日
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緑鮮やかな季節となりました。北海道では桜が咲き始めたようですね こちらはつつじが満開です。ニュースでは、この大型連休中の、空港や駅や高速道路 の混み具合を教えてくれます。でも、そんなに休みも取れず、家族のスケジュールも合わず、エンゲル エンジェル係数も高い、と、三拍子揃った(?)我が家は、ここ数年、ひきこもり気味。出ても近場だし、人混みはできるだけ避けたいので、せっかくの情報も、あまり参考にはなりません。むしろ、休日出勤のアナウンサーに、「お疲れ様です。」と声をかけたくなります。ご近所は田植えだべ週休二日制が定着した所が多いせいか、最近は、飛び石連休 や鈞ドン 半ドン という言葉をあまり聞かなくなりましたが、まだ使われているのかな? 高速道路で思い出す曲といえば、ユーミンの 中央フリーウェイ。'76年、荒井 由実 時代の卒業アルバムとなった 14番目の月 A面最後を飾る曲です。道路交通情報では 中央道 と呼ばれるハイウェイ。都心から40km離れたユーミンの実家に帰る道すがらの実況中継ソング、と言ったら変かな?私は、今では学生の街となった 八王子 や、多摩美術大学 などの固有名詞をユーミンで覚えました。上京後、高尾山に行く途中、八王子を通り、東京とは言っても、かなり遠いことを実感しました。中学時代から六本木の会員制レストランに入り浸っていたユーミン。洗練された、都会の大人の世界を、頬杖をついて眺めていたせいか、精神的に早熟だったようですが、帰りは、めちゃ混みの中央線に揺られていたのでしょうか中央自動車道 という、味も素っ気もない響きも、中央フリーウェイ と言い換えると、あら、不思議。おしゃれなユーミンワールドぞなもし 英語だとChuo Expresswayというそうですが、フリーウェイは無料の高速道路ってことだから、ニュアンスはちょっと違うかもユーミンの実家は大きな呉服屋さん。季節感を大事にする、和の世界で育ち、美大で日本画を専攻し、染色を学んだそうです。四季の移ろいと心象風景を重ね合わせた感性溢れる表現は、まさに職人技。明け方や夕暮れの光の織りなすグラデーションや、湿度や空気を歌った詞は、絵心に溢れています。映画のワンシーンのようなこの曲からは、スピード感や流れる風景、空の色の変化や風が伝わってきます。でも、高速で片手運転は危ないぞなもし。良い子は真似しないでねカーマニアの旦那さんは、自動車番組 の司会や、日本カーオブザイヤー の選考委員をしているようですが、ユーミンは、運転免許を持ってないそうです。 中央フリーウェイ 右に見える競馬場 左はビール工場 この道は まるで滑走路 夜空に続く いきなりバスガイドのような名所案内に、初めて聴いた時は「え?」と思いましたが、そう歌われると確認したくなるのが、ミーハー魂というもの。中央道に乗った折、現場で右向いて左向いて指差し確認をしながら歌ったことのあるご同輩、かなりいらっしゃるのではないでしょうかでも、ビール片手に競馬新聞を読む、耳に赤鉛筆おじさんの絵が浮かんでこないのは、やっぱりユーミンブランドだから?夜、まっすぐな暗い道を走っていると、この曲が頭をグルグルします。夜空に続く滑走路、なんだか飛べそうな気がしませんか?さてもう一曲、毎年五月になると聞きたくなる、大好きな歌をご紹介します。'79年のアルバム 悲しいほどお天気 より、緑の町に舞い降りて花巻空港への着陸態勢に入った機内から見下ろす風景に感動したユーミンが、一気に書き上げたという曲です 東北新幹線の延長に伴い、廃止された路線です。運航会社は地方路線を担当していた 東亜国内航空。やがて日本エアシステムと名前を変え、当時、国内では幹線のみを担当していた JAL に吸収されました。敬愛する宮沢賢治の出身地ということで、ユーミンは昔から花巻や岩手に親近感を持っており、ご当地 盛岡のコンサートでは定番の曲だそうです。宇宙や星をテーマにした歌が多いのも、賢治の影響でしょう。 銀河の童話を読みかけて まどろみ 心は はばたく先月、いわて花巻空港 がリニューアルした際、この曲が空港のイメージソングに選ばれ、歌詞のレリーフ除幕式に、ユーミンが訪れたそうです。盛岡でこの曲、聴いてみたいです。行ったことないけど。 輝く五月の草原を さざなみ はるか 渡ってゆく 飛行機の影と 雲の影 山すそ かけおりる 着陸間近のイヤホーンが お天気知らせる ささやき MORIOKA という その響きが ロシア語みたいだった「盛岡」がロシア語(当時はソ連)に似ているかは、天国の米原万里さんに聞かなければわからないけど、思わず旅に出たくなる、そんな曲ですでは、皆さんは、この連休、どちらで過ごされますか?До свидания! 昨日、嬉しいニュースと悲しいニュースがありましたので、ジュークボックスに追加いたします。大泉 洋 ちゃん、ご結婚おめでとう一昨年の12月8日 ジョン・レノン・スーパーライヴ で、私にとっては一期一会となってしまった 忌野 清志郎 さんの訃報に、とてもショックを受けています。初めて彼の音楽に出会ったのは'72年、RCサクセションの この曲 でした。35年後のあの日、日本武道館で、病み上がりの元気な第一声を聴けたことは幸せでした。58歳だなんて、あまりにも早すぎます。追悼日記は苦手なので、当時の記事の一部をご紹介します。とてもまっすぐで、反逆精神と人間愛に溢れた、永遠のロック少年。改めて、ジョンっぽいな、と思います。 Q: ライヴの抱負・意気込みを聞かせてください。 A: 僕にとって再生、復活の第一歩です。 Q: あなたの夢は? A: 世界平和。Love&Peace。愛と平和。 Q: 世界の子供達にメッセージを A: 夢を信じて生きてゆこう。信じることも才能だよっ! 清志郎さん、長い間お疲れ様でした。たくさんの愛をありがとう。あっちのみんなと楽しくやってくれよ、ベイビー。愛してまぁぁ~~~す。合掌 中央道 バイパス 高速道路 マイカー MORIOKA おめでとう ありがとう 追 悼 覚え書き1 覚え書き2
2009年05月03日
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