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戦争があった。 勝者は誰だ?人は全て負けた。勝ったのは狂気という名の怪物のみだった。 Arranged by Neville Chamberlain
2004.01.31
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私はあの頃勉強ができる事が厭で嫌で仕方が無かった。多分、六年前。小学校を卒業する辺りの記憶だろう。親は私の勉強には煩くて、色々と口出しした。彼の口癖は「煩く勉強しろと言った憶えは無い」だったけど、それは“学校の勉強には”という意味で、私があの頃たとえ課題を全て無視したとしても恐らく何も言わなかったのだろう。あの頃は真面目過ぎてそんな事考えもしなかったが。彼は一から十まで兎角、口を出した。そのせいでか、私はどれだけ担任に褒められようが、心の底から嬉しくは思えなかった。どうせこれは私の能力じゃない。全部、彼の能力だ。そう思っていたからだ。憶えている限りでは、一度だけ彼に言った事がある。「勉強できるのが厭だ」彼は怪訝そうな顔をして、「何わけの分からないこと言ってるんだ」と切り捨てた。あの頃、彼は恐怖の対象でしかなくて一言話すだけでも精一杯だった私はそれだけしか言えなかった。多分、泣いていたんだろう。自分でも変な事を言っていると感じながら、他にどう言えば良いか考えられなかった。彼はいつも考える時間を与えてくれなかったから。自分の能力、他人の能力と堅く考えていた頃の話。自分の精一杯を否定された憶えは数え切れない程あるけど、もう彼の事は気に掛けたくないから全て忘れたいと思う。憎しみの中にすら彼を思い浮かべたくは無い。あれから数年で割り切れるようになった。たとえ誰が授けた能力であろうと私が行使できるものは私の能力だ、と。何だか何処ぞの政治家の詭弁のようだが、こうでも思わないと前には進めない。たとえ目の前が断崖であったとしても、もう後には戻らない。
2004.01.30
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鎌倉時代の随筆家、通称「吉田兼好」氏は友人にしたくない者として“病気をした事の無い人”つまり、健康な人を挙げた。しかし、私は不健康な人を友人にしたいとは思わない。吉田氏は、病気をしたことの無い人は病持ちの人間の心が解らないから、と言った。しかし、それは愚考であると私は思う。見なくても、体験せずとも想像するのが人間であるからして、氏の配慮は杞憂である。私が病持ちの人間を友人にしたくないというのは、此処を見ている数少ない知人に少々の誤解を招かせるであろうから弁解を書いておく。私が忌み嫌うのは病ではなく、その心である。人は誰しも自分と他人を比べながら成長し比較しながら生きていくものだ。其処に自分が病持ちであるというファクターが絡むと、どうしても卑屈になったり健康な人間を妬んだりするものだ。自分の体を真正面から見つめられる神様のような人間など、そうそう居ないのだから。厳密に言うと、私が嫌うのは病持ちの人間の変わり易い機嫌だ。病とまではいかなくとも少々の疾患を持っている友人が居るが、その機嫌の悪い時は通常の比ではない。何処かが痛む時は誰だって機嫌が悪くなるものだが、普段から疾患を持っている人間は他とは違う。怪我をしたのなら周りもそれに気付くし、そう長く続く状態でもない。それに比べ、生まれつきの疾患というのは何時その痛みが起こるか当人にも判らず周りは対処の仕様も無いのだ。疾患持ちというのは壊れかけの自動販売機のお札入れ口のようなものだとも思う。時々上手くいくかなぁ、程度の期待しか持ってはいけないのだ。あまり書くと擁護団体予備軍から何か言われそうだからこれ以上失礼な事は書かないが、まぁ必ずしも自分は好きな範囲の人間であるとは限らないのだ。
2004.01.29
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「零を最初に発見した人は何て偉いんだろうね」と、彼は言った。でも、僕は思う。「壱を最初に発見した人の方が偉いよ」だって、それは“存在”を定義するって事だから。本当は数えられるものなんて何も無い世界で独りで定義して独りで算数を始めたんだ。本当はそんな必要なんて何処にも無かったのにね。周りはさぞかし奇異の目で創始の人を見つめたことだろう。孤独の中で彼は定義したんだ。何故だろうね。全ての始まりには理由なんて無いのに。不必要なものが必要に変わるまで何千年あっただろう。彼は先の見通しなんざ建てなかったろう。何故、彼は数え始めたのだろう。僕にはサッパリ分からないよ。でも、僕らとは全く違った人だったんだろうね。特別な、神様みたいな人。見えるものしか聴こえるものしか信じない僕らと違って、存在しないものの存在まで定義できる人。創始の人。会ってみたいなぁ...
2004.01.28
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『愛されたい』という欲求は生存本能と同じくらい厄介なのだと貴方は知っていますか?僕が二つの想いを消そうと努力していることを邪魔で邪魔でしょうがなくてそれでも消せないことを
2004.01.27
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“三大欲求”というものを知っていますか?睡眠欲、食欲、海水浴です。・・・嘘です。最後の一つは色欲です。三つの中から仲間外れを選んでください。 まず、食欲ですね。あとの二つは常識的――可笑しな事ですが――には夜型です。 次に色欲ですか。これは一人の人間の生存という観点からは然程重要ではありません。種の保存という観点に於いて大いに必要なのです。他の二つは完璧にこれらから遠ざかろうとすれば、一月もしないうちに死にますがね。あとは、公共の場で話題にしてはいけないのも色欲ですか。元々は、睡眠欲も食欲も「寝汚い」「意地汚い」と批判されたものですが、最近はどうも寛容になってきたらしく、公共の場であるバスや電車のホームで寝る人もいらっしゃれば、クレープを食べながら歩く人もいらっしゃいます。でも、同レベルの欲求である筈の色欲はポルノ法に引っ掛かりますね。基本的に日本人は欲を表に出さない事を美学としてきたわけですから、いつまでも個人で留めておいてほしいです。当たり前の現実を建前で覆い隠す事だって時には必要ではないですか。
2004.01.26
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人間は予測を建てるには少々厄介な生き物です。自然の摂理には従ってくれません。欲があるから機械のように正直ではありません。情があるから有益性の為だけに働きません。本当に、厄介で面白い生き物です。
2004.01.25
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この疵を全て清算したところでこの痛みは消えやしないんだ。それを思うと人の脳がとても厄介なものに思えて只管 滑稽だった。
2004.01.24
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羊水から出て、もうすぐ十八年になる。自由に動けるようになって八年になる。現実の認識が曖昧になって七年になる。何かに追われ、追い詰められる感覚に陥って三年になる。年々衰えてくるのが判る。精神から老化してくるような気がする。このまま残りの数十年を過ごすのが怖い。常に在りし日の自分を羨みながら生きるのは哀しい。それでも僕は打開策を知らず、赤ん坊のように只管 泣くことしか出来ぬのだろう。
2004.01.23
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近い未来に私が思い出す、最も美しい情景は恐らく今 眼下に拡がる雪景色だろう。散々足止めをくらって通学にいつもの三倍以上の時間を掛けさせられ、雪なんかもうコリゴリだと思う矢先にその想いすら打ち砕き、ふと静かに佇んでみせる雪景色だろう。木の上に、墓の上に平等に降り積もる自然をその至然を私は目に焼き付け、忘れたくないと願うのだ。
2004.01.22
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恐らく僕らはこの目の見える限りこの手の動く限り何かを書き続け創り続けているんだろうそのことが希望でなく絶望でなく高確率な予想として言えるこれが倖せ以外の何なのだろうか
2004.01.21
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人は自然態で既に理屈の通った生き物なのだと思う。人に限らず、存在する全てが或る程度は理屈が叶っている。 例えば、人の幻想について――――人は自分の身近なものについて、然程幻想なぞ見ない。その実態を知っているからだ。雪国の人間は雪を儚いなどとは言わないし、砂漠の人間は太陽を崇めたりはしない。程よく離れていて、それでいて全く触れる事が無いわけでもないそんな絶妙のものを見つけては、それに幻想を見るのです。よく次から次へとそう上手く見つけると感心しますよ。
2004.01.20
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生きる事の定義を存在の定義を君は知っていますか?ならば、僕の存在や世界の意味が君の存在に依り定義される事を君は知っていますか?
2004.01.19
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お願いです。君が見ていた優しい景色を彼が見ている優しい大地を彼女が見る筈の優しい空を僕にも見せてください。
2004.01.18
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この世に、心の底から暇だという人が居る事が信じられない。お金が無くて働かなければならないといった類の事以前に、趣味とか無いんですか?と訊きたくなる。中には、暇人の美学というものを持っている人も居ろうかとは思うが、残念な事に私はまだそんな人には会った事が無い。やりたい事があるけれど出来ないという人ならば居るだろう。けれど、やりたい事なんて無いという人には「酸素の無駄遣いだと思いやしませんか?」としか訊ねようが無い。
2004.01.17
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まるで、この世で数字だけは絶対だとでも言うかのように数字を絶対視する人がいる。それも決まって中途半端に数学を学んだ似而非理系に多い。数字は幻だ。ままごとで勝手に作られた設定と何が違う。0が「存在しない数」だと云う事は結構ポピュラーだと思うが、誰か貴方の周りに一人でも“1なんて存在しない”と言った人は居ますか?もし貴方が一度も聞いた事が無かったら低俗な民間信仰にはまっていると思いなさい。騙されていると気付きなさい。この世には定義せずに数えられる物なんて一つも無いんだから。
2004.01.16
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人の寿命を八十年とする。そのうち最後の二十年は心身共によく動かないので、活動期間は多めに見積り六十年間。最初の十五年間は自我がまだ定まらないから、六十年中 その人の軌跡として遺すべきは四十五年間。―――四十五年間。これは、何もやりたい事の見つからぬままに過ごすには、ちと長過ぎる時間だろう。しかし、何か一つでも極めようとするには、ちと短過ぎる気がしないか?中途半端に出来ている。余地を与えようとして逆に困らせているような時間だ。いや、もしかしたら最初から困らせる事しか念頭に置かれてないのか。自分一人で完成できないように、こんなにも中途半端な時間に生を区切ったのであれば腹立たしい以外の何だろう。手を伸ばし あと数ミリの 苛立ちが 如何に憎いか 神のみ見えざる。
2004.01.15
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「この棚、写真立てが無い方がすっきりして好いかもね。」「ねぇ」「何?」「この部屋、あなたが居ない方が綺麗なんじゃない?」
2004.01.14
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今頑張らなかったら一生敗者だ。僕は一体人生何回分 敗けたんだろうか。今度こそは―――何度心に思っただろうか。腐敗臭がして何処から臭ってるのか探したら、多分僕に辿り着いたんだろう。いつか手遅れに気付いた日に僕は過去を呪うんだろうか。あんなに楽しかった思い出さえも。そうして 全てを裏切り、敗け続けるんだろうか。
2004.01.13
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何の為に生きるかなんて知らない。まだ見つけてないけど見つける必要があるとは思えない。だってそんな事知らなくても私は生きてるし悩んだところでイキナリ死のうとか思わない。そりゃ人並みに時々は死にたくなるけど、その場その場で楽しい事をやっていれば生きていける事を知っている。何かを望めば代償を払う。そうやって生きていける。でも、特別に何かを頑張ろうとする時には原動力が要る。憎しみは原動力として最高だ。もしも私が誰をも憎まず、誰からも憎まれていないと思っていたなら私は前に進もうとは多分決意しなかった。誰もを愛し、誰からも愛されていると思っていたなら私は立ち止まるどころか後退しただろう。愛さない、少なくとも相手に愛を感じさせない愛し方もあるのだろう。
2004.01.12
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私たちの高校に長年続く生徒一般参加の文集が廃刊の危機らしい。去年自分たちの学年が仕切った時に張り切り過ぎたのも一因かと思った。微量の罪悪感。それと同時に、モノを書かなくなった下級生への憤り。何故書かない?私たちは無力だ。高校では与えられ得る限り最高の自由を与えられてはいるが、そんなものは畢竟 籠の中の噺ではないか。無力さを思い知れ。周りの全てに牙を剥け。術は書く事しか無いだろう?それともその御立派な頭の中身は数式だけなのかい?年表しか詰まっていないのかい?爪を出せ。視界に入る全てを切り裂け。守るのは真実大事なものだけで充分だ。「不満なんて無いから。」そう言う前に、自分の首に首輪が付いていないか確かめたか?
2004.01.11
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例えば、人込みの中に居ると孤独を感じる人がいる。同列に並べて良いものかは迷うが、携帯を持つと友人が居ない事を痛感する人間も居るらしい。(冗談だが;かのギャグ歌「携帯哀歌」を体現するような人が居るのかと逆に興味はあるから暇になったら探してみようと思う。それは置いておいて、孤独というのも主観的感情である以上、比較対象であり相対概念だ。どれだけ独りで過ごそうと本人から人と距離を置こうとする者は孤独でなく孤高と一般に称されるらしい。冒頭に示した、人込みの件の人を延長すると恐らく、友人数名とカラオケなんかで騒いでいる最中にふと我に返り虚無感を覚える類の人間に当たるだろう。周りから見れば、人付き合いも宜しく明るく何一つ問題の無い人。しかし、その心の空洞は広く深く、もしかしたらそれだけで世界を形成するだけの容量を持つかもしれない。他人を一切必要としない彼は彼女は孤高だろうか。空洞が果てしなく広く、嘗て見ていた境界をとうに忘れてしまっていたら、それは孤高だろう。その循環は全て自己の中に完結し、一つの綻びも無い。完璧だ。 しかし、その空洞が中途半端な広さで、もしも境界が見えてしまったら?孤独だろう。当たり前のように周りから手を差し延べられて、それでもその手を取れない自分を歯痒く思うだろう。断絶されたとしか思えないその距離を恨むだろう。幸いなるかな。私はこの距離が掴めない。遠いのか近いのか、また私が相手に触れているのか触れていないのか判らない。相手もまた人なれば、いつだって境界に出張って居るわけでもあるまい。触れたと思ったのは相手の境界の膜かもしれないのだ。因って、私は自分が孤独か否か判らない。そして今のままでも不都合は無いので、これ以上の思考は辞す。そのうち誰かが私に批判を下そうとするまで、私の方から近づくのも止そう。断絶を甘受する。人は人が居ないと生きていけないと先人の曰く。でも、もしかしたら現代では人は人が居ると生きていけないのかもしれない。余りにも満たされ、余りにも繊細になった。排他的なアタシ。近づくアナタに断絶を。
2004.01.10
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高校はとても幸せな場所だった。此処から出たくなくなる程に幸福だった。自由で、しかし責任は少なく子どもとしての最後で最高の時間だったのだ。最高の仲間が出来た。それでも数年後に再会する時はやはりぎこちないだろうか。何の予測も立てずに挑んだ高校の入学式は慣れない環境のせいで周りに心配される程の青い顔で終えた。あの時、考えもしなかったように大学でもそんな時間が送れるのだろうか。この高校の三年間は戻らない。何度でも繰り返したいのに。幸福だった。高校が五年間在ればと思った。キリが無いけど。これ以上に幸福な時はもう訪れないだろう。この最高の時間の中、死にたいと思うのはエゴですか。ずっと幸福に浸りながら眠りたいと願うのは。今死ねば思い出は幸せな事ばかりだろうと。・・・みんな ありがとう。
2004.01.09
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本音を喋らなくなっている。十七年間共に暮らし、判った事がある。敗者には発言権等無いという事。只、喚き散らすだけなら、どうとでも勝手にすれば良い。しかし相手に自分の言葉を理解させるだけの忍耐を強いるにはまず相手に勝たねばいけないのだ。勝つという事、相手の信念を粉々に打ち砕き、自分の信念を植え付ける。それは罪以外の何物でも無いように思えるが、勝つか負けるかの二つしか無い以上は仕方の無い事とも言える。全ての罪を背負い、そしてイエスは多くの人々に勝った。それから二千年近く経つが、彼を聖人と見做す人が多すぎるように思える。彼は聖人だ何だと云われる前に一人の勝者だったのだ。皆、彼の前に其の膝を付き崇め奉る。私は勝たねばならない。ただ一人の人に、私を認めさせる為に。それが出来なければ私なんて要らない。出来ないような私なんて只の生物以外の何だと云うんだ。私を確立する為、他でも無い私の為に。全力で彼方へ走って行けたら。
2004.01.08
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十年前、単純に何かを知る事が楽しくて仕方なかった。暇が有ったら天体や植物に関する本を読んでた。その頃身につけた知識は少し実用的で多くは神秘的だったように想う。入試が終わったら、煩わしい事は全部忘れて本を買い漁って、あの頃に戻ろうと思う。役に立たない事だから、なんて厭な事に従事するかのような言い訳は辞めて只管 目的なんか無い、知識の補充をしよう。その行動自体が快楽であり、それ以上の何物にもならない。一つの趣味として。十年前、本棚は私を圧倒するように大きかったけど、沢山の本に囲まれて幸せと感じるまでもなく当たり前だった。此処に在る全ての言葉は自分のものになるのだと信じて疑わなかった。あの頃のように、手の届く全てを求めようと思う。
2004.01.07
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ねぇ、もうあなたと話なんかしたくない。うんざりなの。携帯でメール打つのも疲れたの。他の事がやりたいの。全然進まないじゃない。ねぇ、あなたは笑ってるんでしょうね。嫌だと言いながら、あなたから来るメールを無視できずに律儀にレスを送る私をあなたは嘲笑ってるんでしょうね。てか、本気で朝だけで百通以上送られたらウザいでしょうに。
2004.01.06
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随分前の話。半分親戚のような奴との会話。「自分よりも30近く年上の人が愚痴ってて、それを聞いてた」「何の愚痴だよ?」「一個下の学年の奴の人間性のなってなさについて」「それをそいつと同じくガキのあんたに?愚痴った人も大人げ無いな」「うん。半分せせら笑いながら聞いてたんだ。言葉だけは同意して。周りに人いたから、少しうんざりした感じをギリギリで出して」「後でその愚痴ってた人と同じように見られない為に?用心深い事だ」「さっき思い返したんだ。あの時あたしは自分の行動が大人気無いとは思ってなかったんだよ。卒無く全部やり過ごしたと思ってたんだ」「うん」「だけど、あの時のあたしの頭の中は企み事してるガキと大差無いんだ」「・・・そうか?」「うん。」「それ以外にどう出来た?」「わからない」「可笑しいだろ。“あの頃ガキだった”てのは成長した後に言う事だろ。つまり答えを見つけてからだ。」「でも何か違うってのは判るんだよ」「そんだけ分の成長?じゃあ訊くが、もしその時と全く同じ状況になったらどうするんだよ」「…面と向かって言うのはスマートじゃない。あの子のフォローする義理も無い。…やっぱり同じ事するかなぁ。微笑んで聞いてる」「変わんないだろ。何処がガキだなんて言えるのかよ」「心の中で笑わない分だけマシだと思わない?」「行動に出なけりゃ同じだね」「そうかなぁ。私は笑わなきゃやってられなかったんだ。“どうしようもねぇ”って思ってたから。…笑わなくても大丈夫になったら成長だと思う」「笑いは感情の緩衝剤かよ」「かもね」「…そのくらいは大人でも」「目指す大人の理想は程遠いんでね」「あんたが目指してるのは大人じゃなくて菩薩だよ」「それも面白いね」いつか、その“大人”ってのに会いたい。緩衝剤が足りなくなって、感情が擦り減る前に。誰かの背を見つめられたら。
2004.01.05
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私が生まれる前の人の話を聞き、その儚さに涙するのはそれが自分や私の愛する人にも適用さるる事を無意識のうちに知っているからでしょう。すぐに無くなると知っていながら執着して醜い姿を晒して…確かにそれは分相応だろう。あまりに相応し過ぎて哀しくなるくらいに。
2004.01.04
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便利な物だと思う。確かに周りが良く見えるようにはなった。でも、それは私にとっては凄く恐ろしく忌まわしい事だった。一所懸命ごまかして、見えない振りをしてきた物が見える時、目が疲れたと とってつけたような台詞と一緒に眼鏡を外して何も見えない人に戻る。知らない事は不幸で不憫であったとしても、見えない事は不幸でも不憫でもないと思った。見なくても知ってる奴は知ってるしそれでも、見ようとしても見えない奴らに混じって莫迦になって騒いだりしてるんだ。騒音で耳を塞ぎ、悪趣味なライトで目を潰し。もし誰かの瞳に悟りきったような色を見つけたら訊ねてごらんよ。ねぇ、何から逃げてるの?って。
2004.01.03
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死に逝く貴方に訊きたかった事がある。酷くどうしようもない質問だけど。「あなたは死ぬ事を如何想ひますか?」と訊きたかった。人倫に悖るだらうと訊かなかった。訊かなくて良かったとは想うけど、訊いてみたかったと未だにしつこく考える。一体何を想って死ぬのか、それは私が一番気になる事。安らかに逝っただらうかと、基督者でもないのに考える。墓穴を掘り返し、骨壷の蓋を開けたら訊けるだらうか。もしその程度のリスクで訊けるのであれば、この手を汚してでも訊きたいと想ふ。「ねえ、貴方は何を最期に言おうとしたの?」もう邪魔なチューブは無いんだから、と。あの時、玉響の倫理感に阻止された言葉。やっぱり 貴方へぶつけたいんだ。今から墓へ行こうか。真っ昼間から墓を荒らすのも面白そうだけどね。風情があるのはやはり夜でしょう?昼にやってしまったら狂人扱いされるやもしれないしね。暗い中でランタンに明かりを燈して、素手で穴を掘って。骨を手に取り、ささくれだったそれに血を流しながら話し掛ける。可笑しいね。叙情的じゃないか!
2004.01.02
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何泣いてるの?終わったから。はぁ?何が未年が・・・・゚・(ノД`)・゚・それで何がそんなに哀しいのさ。黒い家には何も残ってないから。・・・だってあの時死んだのは灰色の羊じゃなくて白と黒だったんだもん・・・・何で何も答えてくれないの?参照元サイト出せって。ゴメンアサイ;
2004.01.01
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