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2014.10.24
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生まれなければ何もしなくてよかったものを.生まれたからには全て食べ尽くさねばならぬ全て食らい尽くさねばならぬ端から端まで自分が自分であることが常に一番の苦しみだ.
2014.06.06
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生まれたなら何事かを成せと誰もが云う.しかし,ただ生きていることより尊いことにも難しいことにも出遭える人はそう多くない.
2014.03.03
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親は家庭という小さな世界の中で十年以上を支配者として過ごす.しかし人間の頭脳は十歳を待たず性能を発揮するもので親より子の方が世事にも理屈にも明るいことは珍しくない.刷り込みにより尊敬にも崇拝にも似た感情を抱く相手を常に諦めとともに見続けなければいけないことは苦痛だ.それと同様に親が自分では一生かけても追いつけない人間であると早いうちに気付いてしまう子どもも少なくはない.結局,親というのはよほどの幸運と知識に恵まれなければ子どもにとって毒となることの方が多いのだ.
2014.02.24
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アブー・ヌワース「秘密を注がないでくれ」
2013.10.23
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アブー・ヌワース「ウンム・フサイン」
2013.10.22
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アブー・ヌワース「すばらしい色彩」
2013.10.21
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私はもうあの人を恨むことに疲れてしまった。彼の謝罪は自分の非を理解したからではない。彼は老いて私の非難に耐えられなくなっただけだ。老いさらばえたあの人の姿は私の感情的な部分に同情や憐憫に似た気分を起こさせる。それでも私が彼を赦すのは正しいことではない。だってあの子はもう還ってこない。彼が何も知らずに壊した物事を、何も知らないまま理解するだけの能力が無いという一点のみにおいて赦すなどということは私にはできない。彼には罰を受ける資格が無い。ゆえに赦されることもない。この断絶を埋める力の無い私にも罪はある。私の孤独は無力な私への罰でもある。肋骨の一つを失ったままで私は永遠に理解という根の繋がらぬ浮き草だ。
2013.09.17
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ただの思い出話。非公開。
2013.04.26
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恵まれた環境にいれば人はいつまででも子どもでいられるものだ.
2012.08.01
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たまに変わった場所を見つける。日本の中で、世界の裏側より遠い場所を見つける。でも世界の裏側にはもっと遠い場所があるかもしれないから、やっぱり旅に出る。
2012.06.01
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髪を切ってどきりとしたのは鏡に映った自分が死ぬ直前の彼女にどこか似ていたからだ。当時、男の人格を持っていた彼女は男のような髪や服装をしていて、元々私の方が男らしい容姿をしているからか不意打ちでイメージがかぶることがある。似ていると言われることもあったし、自分でもどこか似ていると思っていた。けれどそれは、髪の長い、女の人格だった頃の彼女とであってあのときの彼女と、ひやりとするほどの近似感をもっては今日が初めてだった。もう亡くなって丸四年になるが、思春期からの記憶は鮮やかなものだ。一生持っていられるのかと考える。彼女との記憶を一生持っていることは幸せだろうし、同時に置いていかれたのはずっと痛いことだろう。彼女は生まれ変わって幸せになればいい。私はできることなら死ぬまで記憶と感情を持っていよう。
2012.04.12
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先に述べたものは物理的な都市生活の話であるが,インターネットの普及に伴い,いつ誰が知り合いに化けるか分からない精神的な都市生活というものが始まっている.“全く関わるところのない他人”という人種が減っていく.我々は変わらざるをえないだろう.個々の意識は技術に率いられ変容を迫られる.基盤にあるものが電子であれ何であれ,盤上に乗る者同士は人間であるのだから.
2012.03.02
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その昔,人は村社会の中で生きていた.互いに関わり互いに意識し合う人々の中でのみ暮らし支え合い歩んでいた.都市生活というものが近代になって出来た.都市間の交通や流通というものが作られた.私たちは今や地球の裏側にでも一日で行ける.安全な暮らしの守られる如何なる場所の人間とも気軽に知り合える社会になった.ところで,私たちの意識は村社会の頃と比べて変容したのだろうか?他人が常に其処此処に在ることを意識する個人,それとも常に在るのが当然の他人を意識から排除する個人.今在る都市というのはどういう個人の集合体になっているのだろう.
2012.03.01
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気味が悪いというか倫理的にまずそうな夢を見たので非公開日記。夢占いとかしたら何か分かるのかもしれないけど、単に普段から思ってたことが夢に出ただけかもしれない。
2012.01.26
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小さい頃から普通の人になりたかったけどなれなくて周りの反応が怖くて最初から“ちょっと変な人ですよ”って予防線張ってそれでもあんまり普通の枠から抜けないように頑張って頑張りすぎると折れるって知ってから頑張ることにすら臆病になったけど私に根を張ったピエロだけはいつまでも踊り続けている。醜くて見られたものじゃない顔を、ひょうきんなペイントでごまかして笑顔の形を描く。笑えたらいいのに。
2012.01.04
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若さが万人にとって価値あるものであるのはそれが万人に平等に訪れ,平等に去っていくものであるからだ.しかしそれは一因でしかなく,単に若さを褒めそやす口々に踊らされていることでもある.
2012.01.03
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小さくなった殻を捨てて新しい殻を纏うこと,それを成長と呼ぶのなら成長というのは必要に強いられた怠惰な奴隷の仕事でしかない.
2012.01.02
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聞き分けの良い子どものふりも分別のつく大人のふりも一時しのぎにしかなりやしない.自分を押し殺すことは成長には繋がらない.殺した自分を踏み台にして何処かへ上ろうとするならその手が届くのと足蹴にした自分たちが死ぬのとどちらが早いか賭けることになる.
2012.01.01
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死者に捧げてどうするのかと嘲笑う人もいるだろう.しかし私が望む世界というのはあの人が二度と死のうと思わない世界なのだ.世界があの人に優しければ,私たちが過剰に優しさをやり取りする必要も無くあのとき本心を言えたと想うのだ.逝った人は満足だろう.いつだって,悔しく思うのは残される身だ.もし次に産まれてくるあの人がまた世界を厭うことがあれば心底絶望するのは私の方だろうから.もしあなたが次に産まれてくる場所が分かれば攫ってでもあなたに幸福をあげるでしょう.だけどあなたを見つけられない私は,無力感とともに隣り合う全ての人に優しくする以外ないのです.遠いあなたに届けばいいのにと願いながら.
2011.12.10
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たとえば今持つ愛情を失った私が私ではないように今持つ憎悪を失った私を,私は赦せないだろう.それは私の原点でありどれほど遡ったところで憎悪を持たない私を作ることなどできない.今の“私”を全て否定して一から作り直さない限りこの体から恐怖と憎悪が抜けることはない.脳味噌から頭蓋骨の外へしみ出して抜けていけと願う心を踏み立つ地を守れと言わんばかりの足が拒否している.
2011.12.01
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“人間”が“優しい”ということはときに酷い悪徳になる.そう在ること,意図すること,見なされること,全てが倫理に反してしまう.
2011.11.03
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小さいころは神様も転生も何一つ信じやしなかった.生を受けて二十年たち遅ればせながら愛情を知り,ずっと私の前方に見えていると思っていた背中が消えてこの途から落ちたと聞いて,ようやく何の理屈も前提もなく神を信じた.私は“神様”と呼ばれる運命を信じている.この社会は神様のほんの爪先の一部で,あの人の死も私たちの諦めや怠惰や諸々の後悔すべき選択の全てを包んでただただ流れる運命の中にあったのだ.「あの人が死んだのはこれ以上の不幸に見舞われないための慈悲なんだ」「もっと善い人生を早く貰えるように駄目な人生にけりをつけただけだ」そんな妄想も全て赦される.神は罰しもしない,救いもしない.求めるものを誤れば死ぬまで手に入らない一生もある.“愛情”自体が不正解だったなら,それはもうやり直すしかないだろう.
2011.11.02
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人を傷つけて何を得ようとしているの.誰かを傷つけることで満たされるのは情動の中でもどうしようもなく動物的な部分だけだ.幸せを求めない人はよいだろう.彼らには社会なぞ本当は必要ないのだ.幸せを求める人は社会の中でしか生きられない.そうして求めれば求めるほど,幸福を信じもしない人々に踏みにじられていく.信じさえすれば,この世の全てを愛情で満たせるのに.不信の種ばかりが芽生えていく.富に恵まれれば人間が素晴らしい生きものになれるというのならもうとっくの昔に人類は天上人になっているだろう.これ以上の何を手に入れたところで幸せになんてなれやしない.幸せは奪い取れるようなものではないのだから.
2011.11.01
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生まれておいで。あなたは私を知らなくていい。子どもっぽい駄々をこねた私のことなど忘れてもう一度、この手の届くところに。今なら生きるために本当に必要なものをあなたに与えてあげられる。貰った光の分だけ、返せるものがある。もうたくさんだと思っているだろうけど私は新しい道を見つけたんだ。あなたもそこへ案内したいんだ。もういちど生まれておいで。
2011.06.03
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私たちは絶望の世界で逢った。絶望は人を殺さない。せいぜいが深淵から目が離せずに蹲り続けるくらいだ。希望は人を殺す。大きな原動力がまるで自分の背にも翼があるように錯覚させる。そうして私たちは奈落へ消える。諦観ではない幸せを私は今になって見つけようとしている。もし今あなたに逢えたなら、きっと言えることがある。同じような時期に同じような方法で私たちは過去を捨てた。知っている。あなたが死ななければ死んでいたのは私だったのだろう。愛されていたと知っている。けれど今でも理由は分からない。
2011.06.02
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最近、友人の誕生日にパイ投げをやった。馬鹿騒ぎを写真に収めてその夜に眺め直すと眩しいものを見る気分になった。私にもこんな写真があったら遺影に使ってほしいと思った。遺影と云って私が思い出すのは、四年前の師走に死んだ人だ。成人式の時の写真だった。笑顔だったのに複雑な気分になった。『あなたは幸せでしたか』と自殺した人に訊ねてしまう。もとより私たちと遊んでいたときさえ、あの人が笑顔の下で心から笑っていたかなど知らない。遠い人だった。憧れていた。太陽のように輝いて、まともに目を合わせられなかった。だからだろうか私が穴が空くほど眺められる写真からは別人のような香りがする。
2011.06.01
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夢の中の私は,これが夢であるかと考えない.ただ単純にその場面での対処法を考える.それはもう無心ともいえるほどに他のことを想わない.思うにあれを本当に私と呼んでよいものだろうか.私は夢の中で鏡を見たことがなく別の名前で呼ばれることも往々にしてあり大概の夢の中で私は空を流されている.羽を見た記憶は無く,思いどおりに飛べた憶えも無い.私が現実と夢の区別を疑い始めたのはそもそも小学生の頃なのでそれ以前の私など記憶の隅を浚っても見当たらないがあれは私が私であると認識する前の私なのかと思うことがある.これもあれこれと組み替え並べては疑うことを覚えた今の私が想う戯言の一つではあるのだが.
2011.04.01
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天と地の間は,風で満たされている.あらそわせぬために遠ざけ,別たれぬためにむすび.だからたまに欲しがりすぎて涙することがあっても後になれば腑に落ちるだろう.どうしようもなく満たされていることに.
2011.03.01
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「私」は弱かった.私も弱い.人はそう簡単には強くなれない.神経を壊すほどの憎しみを消すにも抑えるにも私は未熟すぎるし頼れるほどの人もいない.いつのまにか故郷は“小さい人たち”の集まりになっていて憎悪なくば私は家を忘れるだろう.……実際よく忘れる。忘れている間は憎しみも頭から抜け落ちている.が,何かの知らせで家を思い出すと夢の中には必ず殺意が登場する.死んだあの子に一つ言いたい.おまえ、愛されたいと願っていたようだけど私たちからは厭というほど愛されているよ。つくづく愛情とは一方通行だ.人は自分の望んだ先からしか受け取ろうとしない.死ぬ人間は向けられた愛情全てを捨てていく.まあ、望んだものが愛情ではなく平穏だったのなら私たちが生まれたこともあの子には全く意味のないことだったのだろうけど。大概のものは出逢った頃には既に手遅れだ.私はあの家には実質1年ちょっとしかいなかったけれど、患者として治すべきは寧ろ親の方だと思ったよ。治らないだろうとも思ったがね。生まれた時には全て手遅れだった.だから今度は私が作り出して私が背中を押す.私があの子に想う未練も全て詰め込んで.愛しい人の生まれ変わりを引き当てられたらそれだけで幸せで未来などどうでもよくなるだろう.
2011.01.02
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私が一般に“実家”と呼ばれるものに帰らないのは人殺しにならないためであり,愛着が全く無いせいでもあり齟齬があると感じるからであり,それを質せないと思うからでもある.物量の豊かさでは心の平穏を購えないこともあると実感として学べたという意味に於いてだけ価値のある15年だった.他人の夢に付き合わされるのはもううんざりだ.死んだ子のことを私は知らない.子のことも親のことも推論から象ることはできる.家の外でどんな人間だったかは何となく思い出せる.(最期2年は媒体自体が壊れていたから全くだが.)推論だけ見れば、あの子は愛されたかったんだろうと思うがそれはただ私に欠ける部分がそれだったからで愛情への感慨が消え失せた後の私が言っても白々しいだけだろう.
2011.01.01
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何度だって言ってあげましょう.だってあなたはもう絶対に私の前に姿を現さない.臆病者の告白は得てしてこういう時の方が顕われやすいのです.今日はあなたの三度目の命日です.私はまだあなたが好きです.生きていなくては関係を変えることすらできないのです.私の神様.土の中でもあなたは輝くことをやめられない不自由な人.
2010.12.10
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急いてはことを為損じるとはいうものの機を逃しては咲く芽も咲かぬが現状です故.真っ当に生きたところで幸せになれるか分からないという以前にあなたのいうところの“真っ当な”生き方なんぞ21世紀の日本には残っていないのですよ,お母さん.あなたの言うハードル高過ぎますよ.職業貴賤の意識が言葉の端々に出ていますよ.そしてそれは私の職業に対する見方とは大分違うのですよ.まあ全部やっちゃってから私幸せですって言えば許してくれるんじゃないかと思っているのです.どんだけ渋い顔していようともね.あなたからは胡散臭い職業に見えるでしょうけど少なくとも人を騙したりしない誠実な職業ではありますよ.
2010.12.02
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何となく捨てられなかった高校時代の化学のプリントを眺めていた.パズルを眺める感覚と同じ,これは面白いものだという意識が先にくる.必要な時には殆ど手に取らなかったくせに.思えば高校の時の勉強は好きなものが多かった.結局のところ私が勉強を止めた理由なんて“現実に負けた”という陳腐なものだ.一生好きな研究だけやっていられるなら楽しいだろう.けれどそれを他人に社会にアピールして金策に走り親や知人に頭を下げることを想像したとき,私の中にある玩具に対する稚児のごとき興味は思春期の少年の攻撃的なプライドに粉々に砕かれてしまった.趣味を職業にしてはいけないのだ.
2010.12.01
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あなたの誕生日よりも命日を強く憶えている.それは考えてみるにとても厭なことだ.あなたが生まれたことよりもあなたが死んだことの方が私に影響を及ぼしたのだとそう言われてみれば反論しようもない.私はあなたが生まれた日のことを知らない.(あなたの方が年上なのだから当然だけれど)祝福されてか疎まれてか何の感慨も付随されずにかどんな環境かは知らないがあなたは生まれて16, 7年後に私に会った.剥き身のエネルギーと相対しているようだった.私の太陽.あなたはああいう生き方しかできなかった.あなたを作った環境を作ったのはあの人たちだったかもしれないがあなたは最期の最後にそこから一歩踏み出してしまった.“満ち足りた”とあなたが書いてから去ってしまうまでの時間にあなたは何を考えていましたか?おそらくそれは私が7年前に掴み損ねたもので掴み損ねたからこそ私は生きているのだけど私はあなたも私のように贋ものを掴んだのだと思い込んで少し安心していたのです.諦観ではない満足とは何ですか?それは生きていることすらどうでも良くなるほどでしたか?あなたに会いたい.
2010.11.01
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いいかげん、この高二病をこじらせたブログを終わらせないととは思うんですが、なかなか終わらないものですね。たぶん自分で立派な社会人になったと思えたら終わるんですけど。形式が既に卑怯だとは分かっています。批判を受け付けるポーズだけとって、文章は他者の理解を思いっきり撥ね除けてますから。もうちょっと分かりやすく書かなければとは思うんですが、前後関係まで詳しく書くと、あまりにも私事すぎるんですよね……。結果的に書き逃げっぽくなってます。自分の中の整頓にはなってるんで、まずまず良しなんですけどね。得たことを整頓して、今は吐き出す段階に入ろうとしています。全く違うように見えるものに加工できたらいいなと思いつつ。
2010.10.02
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『死にたい』という感情と『死にそうになる』精神状態というのは一般的には,ひょっとしたらほぼ同一視されるのかもしれない.何一つ嫌なことなど無くて,希望だけがあってそんな時にふと『あのビルから飛んでもいい気がする』と想うのは当人に全く死ぬ気が無くても自殺願望と呼ばれるのだろうか?ここからどこかに飛び立とうとする時の勢いは今まさに飛び降りようと靴を揃える時の勢いに少し似ていないだろうか.『今なら死なない気がする』という安心感が未来への緩衝剤であり同時に未来を殺す可能性を孕んでいる.『何でもできる気がする』の中には『死ねる』も含まれている.見る前に跳ぶのだ.次の足場は土の舌かもしれない.
2010.10.01
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知識や情報という途方も無くどうしようもないものが好きだ.そして手に入れたそれらに連れられて自分が変化していくのならそれは仕方のないことだと思う.だけどどれだけ成長した変わったと言われようともういない人の誕生日をいつまでも祝うことができたら自己満足だとも子どもっぽい愚かさと言われようと幸せなことだと思う.いつか私はあの人の誕生日を忘れるだろう.あの人の顔を思い出すために写真を眺めるようになるだろう.私が老いていけば彼女への印象も変わるだろう.だけどあの頃の憧れとも嫉妬とも憩いとも刺激とも何とも言いようがなくただ「だいすきです」と伝えた感情を今はできる限り永く覚えていたい.
2010.08.01
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ライオンのように強くなりたい.鳥のように空を飛びたい.過去の人々が思い描いた望みのほぼ全てをヒトは既に叶えている.これ以上を望もうとすればヒトは自らの頭の中から指標を見つけねばならない.
2010.06.03
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風に押し流されて不時着した部屋の中には人が寝ていた.畳敷きの,現実の祖母の家のような懐かしい部屋のふとんの中に白布を顔に貼付けた女がひとり.それは私の母で,どうやら死んでいるようだった.好きだった古めかしい戸棚や箪笥に後ろ髪をひかれながら私は廊下の窓から外へ出ようとする.母の肌はまだやわらかそうだった.死んでいるはずのそれが起きる前に部屋の外へ出なければと私は焦る.確かに死んでいたけれど,それは今にも目覚めそうな死だった.
2010.06.02
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羽は思うように飛んでいかない.はるか見下ろすミニチュアよりもまだ小さな町を見てここから墜ちたらあの中のどれに当たるのか見当もつかないな,と考える.風に流されもがくように留まりたい場所を見つめる.不自由な鳥.
2010.06.01
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誰かを救える気でいたのだろうか?どれだけ知識を身につけようとどれほどの経験を積もうとも人は他人を救えない.親兄弟であろうとも他人であり人は自分自身しか救えない.死の淵に佇むとき,傍らに誰も立つことはできない.そこには一人分の地面しか無い.後ろから呼びかける声を聞くも聞かぬも自由であり本当の自由はそこにしかないとも言える.だからあのとき彼女を私が救えたはずはないが,彼女に聞こえるところで言葉を投げなかったことは何年たっても続く後悔なのかもしれない.
2010.05.03
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いつまでたっても友人にはなれなかった.言うほど美人ではなかったはずなのに直視できるほど凡庸ではなくて彼女といるといつも緊張した.憧れのアイドルだった.どんな有名人と一緒にいても,あれほど緊張することは無いだろう.何が良いとは(失礼ながら)自信をもって言えることは殆ど無かった.顔やスタイルが抜群ということもなく,喋り方も軽薄に聴こえて面倒見は良かったものの愚行としか言えないこともしていた.それでも彼女は私には無い全ての美しさだった.あれほど存在感のある人には彼女以来ただ一人も出会えないし,もう出会うこともないのかもしれない.知らない人に紹介するときは“もういない友人”と言うだろう.冗談めかすことが許されるなら“私の青春”とも“アイドル”とも言うだろう.けれど本音はこの冗談の中にしかないことを彼女は知っていただろう.彼女が生きていても私たちは永遠に友人にはなれなかったと思う.彼女の死は偶像の墜落だった.私はそういうふうにしか受けとめられなかった.墜ちた先は私の立つ地面ではなかったので結局のところ私は偶像の内側を見たことがない.
2010.05.02
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彼女が死んでも私は大してダメージを受けなかったと思った.けれど,もし彼女が死ななかったら私は今の私になっていただろうかと考えるとだいぶ違うものになっていたんじゃないかと思える.あんなに大事に思っていた人が,夢のように思っていた人が死んでそれでも私は予定通りに人生の岐路で賭けをした.(どれほど後悔を負っても足は前に進むのだと知った.)あるいは人生を賭けた大事に似合わぬ呆気無さ,現実感の希薄さこそが私の受けていたダメージなのかもしれない.彼女は天蓋のようなもので,常に太陽と共に在った.瑞々しく荒々しい大気であって,光であり夢だった.彼女の死から二年半が経ち,気がつけば私は彼女の夢を追っている.あの天蓋が消えて,私に夢が降ってきたようだ.眩しく辛く,綺麗なだけじゃないものが.彼女は,私の夢は幸せだったろうか.私にはどちらが良いかなど分からない.
2010.05.01
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自分に最も近いと思っていた人間に理解を求めそれが得られずに絶望した日の幼さよ.思考のほんの一部分の理解が何に成るというのだろう?口先ばかりの慰めさえも手に入らなかったと嘆いたがそれが手に入ったところで結局は同じだろう.限度を設定しない希望など,自分で失望の一歩前を作ったようなものだ.私と同じ人間など何処にもいない.似たような性格の人間は何処にでもいるというのに積み重ねてきた人生の環境の違いが深く隔ててしまう.理解どころか話すらまともに出来ない.孤独に耐えかねて共有できる感情を探すことにも疲れた.誰かに理解してほしいと思うこと自体に含まれる矛盾に気付かぬような年でもないのにいつまでも感情は思考を上回る.
2010.04.04
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少なくとも人間は『発生』の不自由という点ではボウフラと何ら変わりない.人は何度も目覚めるが,それを制御できない.まして誕生の瞬間など後から伝え聞く程度だ.もし個体となる瞬間に選択が可能であれば誕生より先に知性が目覚めていたらそれでも生まれようと思うのだろうか?誰に望まれようと望まれなかろうと環境も全てが僅差としか思えないほどに人は圧倒的に孤独な生きものだ.
2010.04.03
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ところで、何故“修験者”もとい托鉢僧なのだろうかと考える。修験者という認識は多分まちがいだ。正しくは托鉢僧。現代の日本にもいる。たまに道で見る。故郷では滅多に見なかったが、関西ではそこそこ見かける。いつもあまり近寄りたくない。編み笠で顔が隠れているのが怖いのだと想う。何を考えているのか分からないというのは恐怖だ。嫌悪や不快に近いもの。インドの写真に見るようなエキセントリックな修行は肉体損壊までに及んだものでも怖いとは思わない。日本の修行僧はただ座っているだけ。顔が見えないということはそこまで恐怖だろうか?他に理由といえば、あとは周囲から浮き過ぎているというところぐらいか。二人以上で托鉢をしている姿は一人の時より怖くない。何の信仰心もない大多数の中で理解も共感もされないままに独り座り続けることの違和感。知識としては理由も座って何をしているのかも知っている。しかし結局は私も理解できないのだろう。インドの修行僧は信仰心の中にいる。周り中、彼が何をしているのか知っている。日本の修行僧は信仰心を内に持っている。皮膚の外側には無いもの。強いな、と思うと同時に、理解できないな、とも思う。正直なところ、ヘジャーブをかぶっているムスリム女性の方がよっぽど理解できる。弱者道徳と宣った何処ぞの哲学者ではないが、社会は弱さの中で共鳴しているように思う。弱さ在ってこその社会なのだ。強さは排除され、寧ろ“弱さ”が社会となる。それでは信仰するものが少なければ少ないほど、宗教は強さになるのか。分からないなと思う。
2010.04.02
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広い閑散とした道、バイクで妹の後ろを走っていたら雨が降ってきた。私は合羽を着ようと道の脇に停車した。視界の端に修験者がいる。“修験者”と私は思ったのだが、托鉢僧のような編み笠をかぶっている。それが近づいてくるように思えて私は合羽の透明な膜で視界の端を隠す。悪い予感は当たって、それは近づいてきて錫杖が私の肋骨に突き当たった。というところで私は自宅のベッドに寝ている自分に気付く。なら薄暗い雨の路傍は夢なのだ、なんだか中国の南部のような景色だったと思うも、ベッドに横たわる自分の合間にもまだ雨の路傍が入り交じる。夢が覚めないのかおかしいなと私は体を起こして完全に夢から出ようとする。そうして自分の足を掴むものに気付く。まだ何かが肋骨に突きたっている。薄暗い道端ではなく自室のベッドで何か分からないものに何か分からない攻撃を受けているということを私は何分も認識せずにいて、認識しないうちに目が覚めた。右の肋が痛いなと思いながら枕元の携帯を見る。午前5時に届かないくらい。本当に最近夢見が悪い。大災害も世界の終わりも夢ならどうってことないが、夢の中で横たわるのだけは勘弁だ。確実に何かに攻撃される。夢から覚めても痛みが残る。そういえば人間は実際に出血しなくても、その錯覚だけで心肺停止に陥ることができる。夢見が悪くて突然死とかヤだなぁと想うけれど、今はどうにもならない。
2010.04.01
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人は常に死なない努力をし続けている.意識せずにいられる人は幸福なことだが,これは存外に骨の折れることだ.
2010.03.01
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悪夢は小さなところに好んで棲みつくようだ.それらは些細なこと過ぎて誰にも防ぎようのない空気穴のような防壁の穴だ.小さな声がいつも私たちに呼びかける.そうして脳味噌の中に洪水を起こして嗤う.本当に些細なこと.――悪夢が私を忘れてくれるのが先か――私の命数が尽きるのが先か答えが出るはずのない問いだ.元より誰も答えることができないように作られているのに答えを求めるあいだ苦しみばかりが募る悪魔の問いかけだ.
2010.02.06
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