雅の日記~お気楽生活をめざして

雅の日記~お気楽生活をめざして

2020年06月08日
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「老い」を人が嫌がるのは、美醜の問題以前に、「当たり前のことができなくなる」というもどかしさが根本にあるのだと思う。
要は、身体なり、頭なり記憶なりが「狂う」ことを実感し、そこに恐怖や不安があるから人は老いをイヤがるのだ。
老いても、狂いが少ない、遅い人というのはたまに存在する。そういう人は老いを受容するという言い方が正しいのかはわからないけれど、淡々と生きている。いや、狂っていないから受容できている、ということなのかもしれないが。

歳を取って(痴呆や認知症という以外の意味で)急におかしくなる人を見かけることが少なくない。おそらく身勝手だったり、多少無理を続けて生きてきて、それで通ってきた(やってこれた)から、「自分のあちこちが狂ってきたけれどどうにかなる」とか、そもそも狂ったことを認識していないのかもしれない。
高齢化社会になってきたことも手伝ってか、そういう人を見ることが少なくなくなってきた。
老いて狂う当人に悪気があるわけではないということも、もちろん承知しているが、それでもこちらが開いてから被ることの重たさ、ストレスだったり大変さを考えると、いつも100%受け止めることはできない。それなりの関係性(血族だったり、大変お世話になったり)がなければ、受け止めは勘弁だよなーと思うこともある。

いつかは自分も狂うわけだし(というかもう若干狂っている自覚がある)、まぁ順番に人に迷惑をかけるのだから少しでも受け止めをしないといけないなぁという気持ちはあるのだが、そこはやっぱり関係性というか、人間関係の距離が大事になってくる。ほどよいソーシャルディスタンスの近さを保っていないと「ごめんだよ」となるわけで。

私は独身だし、まぁ狂ったら「身ぐるみはがされて姥捨て山にポイ」される可能性が高いと思っている。それを怖いとか悲しいとか思ってはいなくて、もはやそういう認識ができなくなったらそうしていただいて構わないと思っている。だって世の中のお役に立てないし、どう考えたって存在が邪魔だもの。
自分の存在が尊いと思っていないから、自分をいつでも粗末にできるし、それを受け入れられる。老いて、自分が何かに役立つとしたら「自分を大切にしない」というモットーそのものの生き方かもしれない。

「断捨離」のブームが続いているが、まず処分するのはモノではなくて「己の欲とかこだわりとかプライド」なんじゃないのかな。できれば狂ったことすら認識できなくなる前に、それをやりたいものである。





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最終更新日  2020年07月13日 12時33分24秒
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