2003年02月17日
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バスが串本町へ入ると、ガイドさんが橋杭岩の話を始めた。

「その昔、弘法大師と天邪鬼が賭けをしました。弘法大師は串本から大島までたった1昼夜で橋を架けることが出来ると言うのです。弘法大師は次から次へと橋脚になる杭を海の中に打ち込んでいきます。もう少しで大島まで届きそうになりました。それを見た天邪鬼は慌てて鶏のときの声の真似をしました。朝が来たと勘違いした弘法大師はそこで杭を打つのを止めたために、未だに未完成のままです」

tetywestは、弘法大師の伝説が日本全国いたるところに500を数えるというくらい多いのは知っていたが、ここで出会うとは思わなかった。「香川県出身者でいちばん有名な人を挙げよ」と言われたら、ダントツで「弘法大師」だろう。2位は「大平正芳」か「平賀源内」だろうが、tetywestは香川県の西の方に住んでいるので「大平首相」にしている。

それはさておき、弘法大師は香川県の善通寺で生まれた。現在の「善通寺市」の名前の由来は弘法大師の建てた「善通寺」という寺なのだが、実はこの「善通」は弘法大師の父親「佐伯善通(さえき・よしみち)」の名前をそのまま使っているのだ。それは村の名前になり、やがて町の名前、市の名前になり、おまけに自衛隊の駐屯地(※有名なところでは日露戦争の乃木将軍の指揮した第11師団です)の名前にもなって、1200年たった今でも我々は弘法大師のお父さんの名前を唱え続けているのだ。何という天才、何という親孝行なのだろう。

弘法大師については、これも司馬遼太郎氏の「空海の風景」に詳しいのだが、西暦804年、31歳のときに遣唐使船で唐に渡った空海は、首都長安(いまの西安)で密教の秘法の伝授を受け、2年後、仏教経典や、詩、書、工芸品など唐代文化の精髄を携えて帰国する。

この本を読んだとき、tetywestは今まで想像したこともなかった新しい空海像が見えたような気がした。それは伝説の人でも、弘法大師でもなく、生身の人間としての空海だった。唐代文化の精髄を携えて帰国したと言っても、それはあらかじめ持参した多額の金塊で買い集めてきたものだし、第一、本当は20年間帰って来れない遣唐使の決まりを破って、たった2年で帰国しているのだ。

確かに唐に滞在中、空海が表わした文章の見事さ、華麗さには、唐の高位高官たちも舌をまいたとか、空海は中国語を自在に操ったばかりか、古代インドのサンスクリットにもよく通じていたといわれるように、まれに見る天才だったには違いない。しかし帰国後の政界への進出方法や最澄との密教をめぐるやり取りなどは、「まるで『山師』じゃないの」と思わせるフシが多々見受けられるのだ。

まあ、凡人のtetywestが伝説の弘法大師を批評すること自体ナンセンスなので、これくらいにしておこう。同じ香川県人だし・・・・

バスは国道42号線沿いの駐車場に停まった。橋杭岩はすぐ目の前だった。大小40ほどのの奇岩が大島に向かって一列に850mほど連なっている。昼食までには時間がたっぷりあるので、ここでバスを降りてゆっくりと散策する。

nachi8







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最終更新日  2003年02月17日 12時13分56秒
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