2003年05月07日
XML
テーマ: 中国旅行(487)
カテゴリ: カテゴリ未分類
開元寺(2)


ガイドさんは二十歳代だろう。薄茶色のジャンバースカートに濃い茶色のハイネックセーター、茶色のブーツを履き、髪まで茶色に染めて完璧にコーディネートしている。中国語の解説をshmさんが通訳してくれる。

大雄宝殿は西暦686年に建立されたのだが、唐、南宋、元、明の時代に火災で再建されている。現在の建物は西暦1637年、明の末期に建てられたもので、高さは20m、間口45m、奥行き30m、面積は1388㎡と、とても大きい。正面に安置されているのは大日如来で、大日如来を中心として、両横に 東の阿しゅく如来、南の宝生如来、西の阿弥陀如来、北の不空成就如来が並んでいて、合わせて 「五方仏」と呼ばれている。

大雄宝殿は、100本の柱があることから「百柱殿」とも呼ばれている。が、実際には86本しかないのだそうだ。元々は木の柱だったものを、明の末期に再建したとき全部石の柱に換えた。その柱はさまざまな形をしていて、四角いのもあれば丸いのもある。また竜を彫ったものも、16角形のものもあるのだそうだ。また人面獅子や人面鳥などの彫刻もあるのだが、これらはインドやスリランカに特有のもので、泉州が宋・元の時代に海外との貿易で繁栄していたことを物語っている。

ようやく大雄宝殿が終わった。次は予想通り甘露戒壇へ向かう。ううっ、やっぱり塔を見るのは当分「お預け」になってしまいそう・・・

「この建物は西暦1019年に建てられました。この地方はいつも甘露が降りていて、甘露井と呼ばれる井戸がありました。その上に建てられたので甘露戒壇と呼ばれています。この戒壇は、北京の戒台寺、杭州の昭慶寺とともに中国三大戒壇の一つです」

戒壇とは受戒の行われるところで、受戒とは僧侶として守るべき事を確かに履行しますと仏前に誓う儀式だ。従って最も厳粛なものであり、戒壇は神聖な場所なのだ。戒壇といえばtetywestは東大寺と鑑真和上を思い出してしまう。754年、当時唐に於いて戒律の第―人者だった鑑真が、5度に及ぶ渡航失敗を克服して来朝し、大仏殿の前に戒壇を築いて聖武天皇を始め百官公卿400人に戒を授けたのだ。

現在の建物は西暦1666年に再建されたもので、8角の尖った屋根を持つ4層の櫓構造になっている。建物の梁には24体の「飛天楽技」が彫られていて、それぞれ手に琵琶、二弦、洞 簫 (どうしょう・尺八の元祖)など南方風の楽器を持っている。

次は蔵経閣かと思ったが、違っていた。今度は甘露戒壇と大雄宝殿の間を通って西の方に向かい、建物を周る通路に出た。ここから西塔へ向かうのかと期待したのだが、高い塀が南北に続いているのでその先へは行けそうもない。しかし、みやげ物を売っている店の横に鉄の扉がある。ガイド嬢は鍵の束を取り出すとその扉を開け、中に入るように促す。おお、これは特別の通路を通って案内してくれるのか・・・と胸を躍らせて入ってみると、その先は行き止まりの小さな庭だった。ガイド嬢はみんなが入ってしまうと扉を閉めてしまう。ううっ、いつになったら塔を見れるんやろ・・・






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2003年05月07日 12時22分35秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索

コメント新着

鶴亀彰@ Re:50年前のビデオ(2)(08/08) 突然のメールで失礼致します。私はカリフ…

バックナンバー

2026年10月
2026年09月
2026年08月
2026年07月
2026年06月

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: