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会津地方の名物「歳の神(さいのかみ)」です。ばあちゃんたちは「さいのがみ」といいます。毎年1/15日。村中の人が、昨年のカレンダーや破魔矢、お札、だるまなどをもってきて火に投げ入れます。八百万の神の精神。どんなものにも神様が宿っているという日本人的な発想。そうおもえば、そういったものはゴミ箱へ捨てられませんね。年のはじめに、村の人たちが顔をあわせる。暗闇の中に、それぞれの顔が浮かび上がります。その火で、もちやするめを竹の先につけて焼きます。それを食べれば無病息災。その火でつけたたばこをすえば、虫歯にもならないという迷信。こどものころそういわれてたばこにむせ返った記憶がありますが、この村に小学生はいません。さびしいかぎり。昔ほどの村にも勢いがなくなってきているのを感じます。つくるのはめんどくさいなぁと思いますが、こういう行事は残していきたいものです。ちなみに、息子大和を取れていきましたが、燃え盛る火にびびって泣きまくりでしたが、きっちりもちとするめを持ち帰りました。もちはあぶないので食べさせていませんが、するめをかじって、こちらが油断した好きに嫁さんのビールを飲んでいました。気をつけねば。
2006.01.19
巨人入団した辻内投手。昨日から読売新聞のスポーツ欄に特集がありました。日本最強投手をめざす辻内投手。豪腕の呼び名がぴったりですが、中学時代、大阪桐蔭1年生時代は自己主張の強い子ではなかったようです。野球への情熱。投手への情熱。最初のきっかけは父親主導だったらしいです。中学3年のときに130キロ。ピッチング練習のときに、父親がとり損ねて体に当てたときに父親との投球練習をやめたというエピソード。父を越えた瞬間。お父さんはどんな気持ちだったでしょうね。捕球できなくなるまでに剛速球を投げ込む息子。それまで捕れていたボールがとれなくなる。うれしさ反面、さびしさ反面といったところでしょうか。父親の手を離れ、どんどん自分を確立していく息子。多くの父親がその時を経験するのでしょう。巨人期待の左腕。辻内投手。お願いだから大事に育ててほしいと思います。
2006.01.12
好き好きはあるかもしれないが、野村監督の野球理論は一理ある。点を取られなければ、負けることはない。投手力中心のチーム。かつて、人数のぎりぎりチームで連戦連勝のチームがあった。そこの監督の方針は、一にもニにも投手。一番体格、能力に秀でた子を徹底していい投手に育てる。究極の一点集中。2番目の子を捕手に。後は徹底した守りで1:0の勝利をめざすソフトボール。強力打線をも黙らせる投手。ピッチャーで一番。その子のホームランのみで勝つスタイル。しかし、あまりに、投手の育成に手をかけたためか、誤解を招いて、保護者と衝突してチームを去ったという。人数の少ないチームで、効率よく勝つひとつの方法がそこにある。五年間指導してきて、いつも投手の育成には選手任せのところがあると自分を分析している。チーム全体の底上げをしていると、投手の育成が薄くなる。内野、外野を仕上げることを優先してしまう傾向がある。投手の重要性をわかりつつもバッテリーに任せてしまう。投手ほど、時間をかけて育てるポジションはない。依然は6年生の投手をつくることで精一杯で、いざ6年生が卒団して、次の投手を育成するといったへまをしていまた。しかし、じっくり熟成させなくては、いいものを引き出すことができないことに気づいて、各学年に複数の投手をつくり、競わせた。一枚看板では、危険な場面が多々あるし、連投による体力的な問題を考慮してのことだ。投手の育成は難しい。そのときがよくても、後で悪くなったり、そのときがだめでも後でよくなったり。長いスパンで選手を見ることのできる指導者。全体を見ていると、どうしてもおろそかになっているなぁと思う。わがチームに一番必要なのはバッテリーコーチだ。今年は、その割合をバッテリーに比重をおいて指導していこうと思う。
2006.01.11
2006.1.7 スポ少が始動しました。大雪の会津にあって、最初の練習場に選んだのは、町内のリフトのないスキー場。ここにそりをもって集合と号令をかけました。誰かしら休むだろうなと思っていましたが、年明けそうそう全員参加。冬季トレーニングにこなかった選手も来ていました。うまいやつだけがうまくなるんじゃない。補欠にいたるまで、チーム全員の底上げが無ければ、うちのチーム全体の力は上がらない。それがわかるなら、冬季トレーニングの重要性がわかるよな?と全員に私の意図を伝えて、スキー場の山頂までそりをもって歩いて(800mくらい)、会津盆地を見下ろしながら、一発目の挨拶をしました。大雪が降って喜ぶのは犬と子供。雪の中で、子供たちは大はしゃぎ。 斜面の雪原をあるくだけでもトレーニング。歩くだけではなく、走ったり、転んだり、ジャンプしたり。効率よく歩く、登るには自然と足の内エッジ(内側)に力が入ります。これがいい練習になります。 写真は、ジャンプ台をつくってのそりジャンプ大会。右端に黄色のソリで飛んでいるを捕らえました。そして、雪原での三角ベースでしめくくりました。雪の上では、横っ飛びしても痛くありません。普段よりも思い切ったプレーができる利点があります。ただ、遊びの範囲をでないので、本当の練習には不足がありますが、ひとつのきっかけとしてはいい練習になります。3月後半の雪解けまで、こういった練習がつづきます。雪解けまではあっという間。冬休み気分をすぐに払拭して、春にむけたトレーニング。どういうチームにしていくのかというイメージ作りを全員でしていきたいと思います。
2006.01.10
親父の名代として、親戚のお葬式にいってきました。「名代(みょうだい)」。今年で30歳になりますし、そろそろ大人になってきたなぁと実感しました。そうはいっても、親戚の顔がわからない・・・向うは「おう、元気だったか?」「でっかくなったなぁ。貫禄でてきたなぁ。」とか、話しかけてくるのですが、誰だっけ?の浦島太郎状態。でも、よくよく話すと、昔何回かあったことのある人だったりします。そういう方面は、まったく無関心ではいけないなぁと少し思いました。親父は昭和23年生まれの団塊の世代!?くらいの歳。まだまだいけると私は思っていますが、そのうち60歳になっちゃうんですよねぇ。家は、田舎の旧家なので、いろいろめんどくさいしきたりがてんこもり。同じ田舎出身の嫁さんでさえ、てんてこまいするほど。伝統を完全にまもる自信はありません。祖父が無くなってから、やめてしまった伝統もいくつか。そうやって、風化していくのはしかたのないことかもしれませんが、親父はなんでもデジカメにとって残していくと意気込んでいます。大雪の中に、風化していて田舎。後何十年かしたら、14戸そこらのこの村はどうなるんでしょう?跡取りがいるのは4、5軒。確実にそのほかは減ります。近所に一緒に遊ぶ子はなく、小学校は統廃合でバスで8キロ先。過疎の地域の切実な思い。私も感じ始めています。正月早々、暗雲渦巻く将来のことを考えても仕方ないので、今をしっかり生きていこうと思います。野球があるのが、一筋の光明かな。
2006.01.06
ごぶさたしておりました。あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。今日から仕事はじめ。とんでもなく雪が降っています。あらためて、会津は豪雪地帯だと思い知らされます。春になったら解ける雪。その雪を勝たすために、雪国は何億というお金を注ぎ込む。雪の苦労は、やがて報われる日がくるのでしょうか?視界2、3メートル。車が一台やっとやっと通れるくらいの道幅。こんなときに外出したいとは思いません。こんなときに、ロードにいってくるといった行為はまさに自殺行為。八甲田山になってしまいます。春のこない冬はない。このいてつく雪国で、みなさまを参考にしつつ、今年もがんばっていきます。
2006.01.04
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