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長野県東部、北佐久郡にある軽井沢は、地元では「かるいさわ」という。浅間山南東麓に位置する標高約1,000mの高原の町で、1万7千余の人々が暮らしている。 8月の平均気温が20.5℃と札幌より1.2℃ほど低く、東京駅からJR長野新幹線で80分という地理的条件から、夏の全盛期の入込客は常住人口の10倍にのぼるという。 軽井沢銀座聖パウロ カトリック教会は、軽井沢のシンボル的存在こんばんは!ルミルミです先週は軽井沢に避暑に行ってきましたここは札幌より涼しいらしくとっても快適ですさすがに半袖でも寒いぐらいでしたよ大阪からは遠くてあまり馴染みが無いのですがさすが日本を代表するサマーリゾート軽井沢旧軽井沢は木立の中に別荘が点在する美しいエリア中軽井沢は緑豊かな自然が息づくエリア南軽井沢はのびやかな、開放的で手つかずの自然とアミューズメントが同居しているエリア私は山より海の方が好きですが美しい山々に囲まれた自然もいいですねお昼はフレンチ~とっても美味しかったですアウトレットモールに行ってピンキー&ダイアンの素敵なスーツもゲットしましたそして嬬恋の温泉に行きました料理も美味しかったです来週は両親を連れて海に面した和歌山の温泉に行ってきます
2009年08月31日
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老犬メイクをして迫真の演技こんばんは!ルミルミですお盆休みも残念ながら残すところあと1日今回は旅行には行かなかったけれど毎日遊びましたまず映画~HACHI約束の犬渋谷の忠犬ハチ公物語のアメリカ版ですがワンコ好きには涙無くして語れないハチの名演技~ワンコのトレーナーのギャラがリチャード・ギアより高かったとか・・うちのワガママハッピーちゃんに見せたいです次にグルメ~ダイエットの大敵ですが大好きな串の房の串かつおまかせコースではどこで終わりにするか?つい食べ過ぎてしまいますねその後カラオケ~うちの会社の同僚がソファの上で飛び跳ねるのを子供みたいと非難していたのにもかかわらずミイラ取りがミイラになってソファの上で踊りながら歌いました~これがとっても気持ちいいその後吉本のお笑いを見に~久々に面白かったですそして最後は名門奈良ホテルでランチしてから奈良燈花会・東大寺釣り灯篭幻想的で綺麗でしたが凄い人で長い時間並んだので疲れました最後を飾るのが奈良の大文字焼きですね天皇ご一家をはじめ、英国国王エドワード8世(後、王位を放棄)、中国最後の皇帝溥儀、オードリー・ヘプバーン、アインシュタインetc・・・・・。が泊まった名門奈良ホテル幻想的な奈良燈花会東大寺釣り灯篭境内の約2,800基あまりのとうろう(石灯籠約1800、釣灯籠約1000)のすべてにあかりがともされ、このときは回廊の内部が特別拝観できます。いちばん古いものは、釣灯籠で、なんと藤原頼通が寄進した京都の五山の送り火のように有名ではないけれど、奈良の大文字もなかなかのものです
2009年08月13日
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こんにちは!ルミルミです久々の更新です最近フィットネスとダイエットで成功して4Kg痩せましたやった~気を良くしてコアリズムでウエストを絞ってフェロモンダイエットでグラマーな身体にこのエクササイズはお腹や腕、背中の贅肉を胸に集めるみたいで発案者 吉丸 美枝子先生(なんと60歳)は20年かけてバストAカップからHカップになったそうですホントかな~でも信じる者は救われるで毎日頑張っています~居酒屋竹取物語~竹を切ってかぐや姫がいそうな座席とか鯉が泳いでいたりと楽しい内装です~お料理も美味しいですよSOUL ROOM少し私達の成長についてすこしだけ説明します。私達はもともとエネルギーの塊であり、それ自体には特定の身体があったわけでもなく、便宜上の乗り物として各種の身体(肉体、幽体、ライトボディーなど)を使っているに過ぎません。それらの身体はその気になれば脱ぎ捨てることも出来ますし、形を変えることも出来ます。何を言いたいのかというと、どのレベルの天界にいても身体自体はそれほど重要な問題ではなく、本質のレベルでは全ての存在(人間も含む)はみんな同じなのです。では何が違うのかというと、過去の経験により作られてきた、自分自身の定義が違うだけなのです。わかりやすく言い直すと、自分というエネルギー体の中に含まれている自分自身に関するデータが違っているだけなのです。まだわかりにくかったら、要するに過去の経験が違うということで理解しても良いのです。 結局のところ何を言いたいのかというと、どの人もみんな本質は同じなんだということを言いたかったわけなのです。それはどのような存在であっても本質的な部分では優劣などは存在しないということなんです。しかし、全ての人が異なっているというのも確かなのです。その中でも、魂の体験によってより多くのことを思い出している人と、まだ自分自身というものが良くわかっていない人など、言葉は適切では無いのですが、要するに成長具合が人それぞれで違うのです。 私達人間の癖で、何でも優劣をつけて評価したがる傾向があるので、あえて細かく書きます。成長しているかどうかは、今の状態の個人差の問題であって、本質的な優劣とはなんら関係無いのです。もうすでに人間という体験を終えて、別の世界の冒険にいっている人も大勢居るし、これから人間を体験する天使達も大勢いるのです。たとえて言えば、すごく長い行列の中で行進していて、いまどこの部分を歩いているのかという違いでしか無いのです。優劣という幻想にはまっている人は、とんでもなく長い行列の中で、自分の気にしている相手が何歩前にいるとか、何歩後ろにいるのかというのばかり気にしているようなものなのです。 もともと霊的なことに関心を寄せるというのは、ある程度魂が成長していると考えることが出来ます。今、ここを読んでいるということだけでも、その人がある程度以上のレベルで魂が成長しているということになるのです。だから、読みながら自分の魂の成長レベルがどれくらいなのかと言うことにはあまり気にしないでください。それに魂の成長というのは、時としてものすごい成長をごく短時間でしてしまうこともあるので、そのことに気を使う必要は無いのです。なにしろ魂の成長とは、すでに知っていることを思い出すということなのですから、きっかけさえあればすごく早いのです。むしろ大事なことは、今、自分にとって必要なことをしっかりやっているかどうかということなのです。ということでぼちぼち本題にいきましょう。 さて、ある程度成長した魂の話です。私達が生まれてくる前の話です。これからどのような人生を選ぼうかと考えたとき、その時には何があるのでしょう。過去も、現在も、未来も同時に存在しているということを思い出してください。それは何を意味するでしょうか?それは歴史がすでに存在しているということなのです。地球の人間の歴史だけではなく、全ての歴史がすでに存在しているのです。それは河の流れのようにずっと変化しながらも流れ続けているのです。ある程度成長した魂の場合には、この流れをみることが出来ます。そして、その時代と場所を選んで生まれてきているのです。 すこし例えの話をします。川に遊びに行ったりしたとき、河原の石を移動させたりして新しい流れを作ったり、堰を作ってダムのようにしたり、支流を作ったりしたことありませんか?私もこういうのはけっこう好きなのです。なぜ好きなのか良くわからなかったりするのですが、石を置いたりすることで作った支流の流れが変ったりするのをみながら、あれこれやるのは面白いですよね。まあ小さな川をコントロールする楽しさなんでしょうね。さて、なぜこの話を書いたかもうわかりますよね。歴史がすでに存在していて、大きな河の流れのように流れているのです。生まれる前にそれをみながら、次の人生の予定を建てるのです。人生を何度も繰り返したある程度成長した魂なら、当然思いつくのです。自分でどれくらい歴史を変えることが出来るか試してみたくなるのです。それは歴史という河で遊ぶこと、結局は生命(いのち)の遊びなのです。 さて、なぜ「生命(いのち)の遊び」であって「魂の遊び」では無いのでしょうか?それは私達の意識がそれを選んでいるいるからなのです。その意味はわかりますか?私達があちらの世界で考えたことなのです。生まれてくるときにそれを忘れてきてしまっているので、魂がそれを思い出すようにいろいろとサインを送ってきたりするのです。 さて私達が忘れてしまった私達の計画は、こちらの世界にいる私達にはどのようにみえるでしょうか?理由はわからないけれどやりたいこと、あるいは理由はわからないけどやらなければ成らないこと、要するに使命のように感じられるのです。わかりますか、使命と感じたことも元は自分が生まれる前にあった歴史をどのように変えようかという自分自身の計画なのです。ちょっと余談ですが、全部が全部自分で決めたものばかりではないかもしれません、それでも私個人の意見としては、自分の計画として考えた方が良いと思います。なぜなら、自分の計画だと認識していれば、状況によりそれを変更することも可能になるのです。 もともと「やらなければ成らないことなど一つも無い」のです。そう思っていても、なぜか使命感を感じるというのは、自分でそれを選んだからなのです。それだけのことなのです。だから、そのまま自分の計画として使命に見えるものを実行するのか、はたまたもっと別な方法があるのか、改めて考えてみるのも良いと思います。そして、自分で決めれば良いのです。くどいですが、自分自身の計画だと認識してはじめて、その計画を変える事が出来るのです。このような原則はとても大事なことなのです。自分に起こったことの全ての責任が自分にあると認識してはじめて変更することが可能になるのです。ひとのせいにしている間は、何事も変える事が出来ないのです。(ちょっと余談でした。) 話を戻します。「生命(いのち)の遊び」とは、歴史を書き換えることなのです。もちろん自分の価値観で良くなるように変えないと意味は無いのです。自分自身の今回の人生で地球上の歴史にどれくらいの影響を与えたのかということがその遊びの評価になるのです。このようなことの繰り返しで、歴史は過去も未来も同時に調和に向けて変化していくのです。私達は「歴史を作るもの」ではなく、「歴史を変えるもの」なのです。 さて、すこし補足をしておきます。歴史を変えるとは何かとてつもなくでかい事をやらなければ成らないということではありません。御存知のように全ての人の意識はつながっています。そして地球上もまたエネルギーの世界なのです。そこにはいろいろな意識エネルギーが混在しているわけで、その意識の中に少しでも高いエネルギーを供給するというのでも歴史を変えることになります。身近の誰かに愛で接して、その人の成長を促すというのもまた影響の大きいことなのです。いろいろな方法が考えられます。もちろん環境保護などで具体的に活躍するなどと言うことも大切なことなのです。何をしたら良いのか、それは自分の魂が覚えています。自分自身の中にその答えを見出してください。それがあなたの道なのです。 この歴史を変えるということには、パラレルワールドというのが密接に関係してきます。この細かなことまでは私もまだ理解していませんが、どちらにせよいろいろな(目標をもった)努力は決して無駄にはならないように出来ています。そしてもう一つ、すこし視点を変えると歴史の全てがゲームなんだと言うことにもなるのです。どうせもうゲームを始めてしまっているのですから、とりあえず(気楽に)やるだけやってみようではありませんか。それが人生を楽しむ方法です。 もう一つ付け加えておきます。私達は自分自身の人生をまた繰り返すことが出来ます。それは以前にはうまくいかなかった同じ時代の同じ環境、同じ家族で、もう一度やり直すことも可能なのです。それはこのようなことでもあるのです。例えば今回、みんなのちからをあわせて21世紀の地球を住みよい世界にしたとしますよね。そしたら、その次には別の人が、20世紀をやり直してまた調和の世界に変える、そしてその次には19世紀を調和の世界に変えるというように、時代を変えることを楽しむこともできるということなのです。だから、なぜ今の時代なのか?という質問があったとしたら、その答えは今を変えたいからということになるのです。それが「生命(いのち)の遊び」というものなのです。
2009年08月01日
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