全197件 (197件中 1-50件目)

「立志編ー3:頂きを目指せ!どこだか分からんが。。。」から続く目指すべき頂きが朧気ながら見えてきた。その拠り所は世界中の行政・規格の動向と、工場での生産性・品質向上だ。もちろん営業の意見も多く聞いたが、俺の志向はもう海外に向いていた。ここでは直前のアメリカ駐在が大きく影響した。それに残念ながら日本の顧客はコストしか見ない。アメリカの顧客は性能を見極める。新製品でコストダウンを図る事はもちろん重要だが、それ以上に性能向上、品質向上がキーポイントだ。しかし俺たちの製品にとって性能向上とは何を指す?ここで基礎研究がものを言う。上司が与えた命題は正しかった。基礎的な性能を突き詰める事、そのために基礎研究を充実させる事は、新製品の差別化・セールスポイントの明確化に大いに波及するのだ。これで基礎研究に立ち向かうモチベーションが一段と高まった。500pに及ぶ原書を読解しなくてはならない。その先に向かうべき具体的テーマが見えてくる筈だ。ならばまずは数学・物理学だ。微分積分を疎かにしてはならない。すべての基礎だ。そして物理、特に電磁気学。そろそろネタばらしをして良い頃だろう。俺の立ち向かっているのは光学、それも波動光学だ。その基礎は20世紀初頭に切り開かれた。アインシュタインの相対性理論が提唱された時期だ。19世紀末から20世紀初頭は現代物理学の黎明期だ。レントゲン、ベクレル、プランクが現代物理学の扉を開き、アインシュタインが出現し、ボーア、ハイゼンベルク、シュレーディンガーが続いた。その渦中に俺の追っているミーも現れる。何と言う時代か。俺はミーの理論を完全に消化し、それに続いた研究者の功績を追跡しなければならない。この分野の研究は今もまだ盛んに行われているが、俺のやろうとしている事はそこから派生した枝葉のような分野だ。まだ誰も手を付けていない。そこまで早く到達しなければならない。それなのに俺の頭は着いていけていない。開成でトップに君臨していた奴らならお茶の子さいさいなんだろうか。(「私を作ったものー6:開成の授業とは?」を見てね。)くっそ。己の愚かさに腹が立つ!
2026年09月26日
コメント(0)

「立志編ー2:与えられた新たなミッション」から続く旅に出ようと思う。目的地は朧気にしか分からない。高い山だという事だけは分かっている。でもそれはどんな山?富士山のような高くきれいな山なのか、キリマンジャロにょうなジャングルの向こうの山なのか、ヒマラヤの山々のような荒々しい岩山なのか。。。 地図がない処か、目的地さえ定められておらず、とにかく高みを目指せと言われたのだ。ならば真っ先にやるべき事は、目的地を定める事だ。どんな山に登るべきなのかを見極める事だ。それには自分の経験だけでは足りない。周囲の考えを聞こう。営業の話も、工場の話も、顧客の話も、役所の話も、海外の話も。。。 一人で突っ走って来た俺がこんな気持ちになるのは初めてだ。皆、好き勝手な事を言う。しかしそれを一つにまとめてどんな形にするかは俺次第。並行して山に登るための基礎体力、登るための道具を揃えなければならない。つまり技術力、基礎知識だ。これにはずっとお世話になっている大学の教授に助言を求めた。どんな知識が必要か、何を勉強しなければならないか。俺はそれまでも理論的な裏を取りながら開発を進めてきた自負があり、その折々でその教授にも助言を求め共同で研究してきた。しかし0からの研究を行うためにはより基礎からの知識が必要になる事を改めて知らされた。やっぱそうだよね。そして1冊の参考書を紹介された。日本にはない種類のこの世界のいわば原典。もちろん英語、厚さ3㎝、約500pの技術書だ。これを全部、頭に叩き込まねばならない。ちょっと読み進めると、これを理解し習得するためには物理学、電磁気学、微分積分学を学び直さねばならない事も分かってきた。うわぁ、大変な世界に足を突っ込んだぞ。もちろん大学で一度は学んだ筈の事だが、必要とされる理解の深さが違う。相当性根を入れて勉強しなければ、先へは進めない。ここから2年以上、俺は試験機にも測定器にも手も触れず、ひたすら本に向き合う事になるのだった。
2026年09月25日
コメント(0)

「立志編ー1:帰国して真っ先に感じた事 」から続くさあ会社だ。1年半ぶりのオフィスは色々と様変わりしていた。いや、ひょっとすると俺自身が様変わりしていたのかも知れない。元々ウチのオフィスは自由度が高かった。いち早くフレックスタイムを導入し、通勤の服装も自由。なので俺はジーンズがデフォルトだった。で、客先を訪ねる時のためにスーツをロッカーにキープしておく。これはアメリカでも同じスタイルだった。だから「生涯最高の旅 第1位-3:バンクーバー空港でリアル「ターミナル」」の時も、現地スタッフがトロントまで俺のスーツを持ってこれたのだ。(ローレン、ありがとね!)さてオフィス再出社の初日、俺はアメリカと同じスタイルで出かけた。すなわちジーンズに派手な色のTシャツ、サングラス、首にはゴールドのネックレス。初日なので社内の作業着は持っておらず、まずその格好で挨拶に回り、総務でダサい作業着を貰った。どうもこれが評判が良かったようで(ちゃうわ、逆だ)俺を知らない新人や中途入社の連中が「なんかとんでもない奴が帰って来た」と噂していたらしい。大丈夫、中身は至極マトモですから。(こんなに悪そうではなかった、と思う。。。)配属先は元いた開発部署ではなかった。これがちょっと意外だったのだが「基礎研究課」に配属された。基礎研究?確かに俺はただの図面引きではなく、物事を現象から捉えるタイプの技術者だった。でも基礎研究課なんてウチの社になかったぞ。「新設された基礎研究課で主力センサの基礎研究を1からやって欲しい」世の中全体、メーカー全体の動きでもあったが、ウチのような中小企業に毛が生えたような会社でも基礎研究に手を染めなければならなくなったのだ。改良開発だけで世界で勝負できる新製品を産み出す事は難しいと、今さらながらにトップが気付いたのだろう。望むところだ。俺の出身学科は機械工学だが、理論的な考察には長けていると自分では思っている。(それも鼻っ柱をへし折られる事になるのだが・・・)まず何をやらねばならないのか、何を目指すべきなのか。長い闘いが始まる。「立志編ー3」に続く科学実験セット – STEM 科学キット、教育実験用おもちゃ、子供用化学セット |学習活動ツール、科学発見キット、 実験室実験、子供向け知育玩具、科学探検価格:8,180円(税込、送料別) (2026/9/21時点)楽天で購入
2026年09月24日
コメント(0)

「駐在員編-13:さらばアメリカ、自由と放埓の日々よ」から続く日本に帰って来た。1年半。たった1年半だが、俺に与えた影響は計り知れない。まず驚いたのが、国土のゴチャゴチャさ。太平洋を越えて成田に降りようとする俺の目に飛び込んだのは、山野を這いずり回る緑色の芋虫の群れ。そう、ゴルフ場だ。アメリカに旅立つ時には気にも留めなかったが、房総半島から成田周辺はゴルフ場だらけ。それが緑色の芋虫のように山の森を食い尽くしている。正直いやになった。アメリカでゴルフを覚えてきたが、アッチではこんな風には見えなかった。狭い国土に無理やりゴルフ場を詰め込んだのかね。バブルに浮かれて開発しまくったという面もあるだろう。とにかく嫌になった。アメリカでは月2,3回はコースに出ていたが、日本に帰ってきてからはコースに出る気が失せた。結局3,4回お付き合いで回った後は、ゴルフクラブは物置行きだ。(これ、美しいっすか?俺には・・・)話を帰国時に戻そう。成田に降り立ってまず気付いたのは匂い。日本は醤油の匂いがした。これはよく言われる事だが、世界の国には特有の匂いがする。LAに降りた時には乾いた砂漠の匂い。匂いと言うより鼻を刺激する乾燥した風だ。ソウルはキムチ、バンコクはパクチーのような香草の匂い、メキシコのティファナはレッドペッパーだ。成田は明確に醤油。久しぶりに嗅ぐから余計にハッキリと感じた。これからずっと、この匂いと暮らしていくのか。(なんか外国人みたいな感想だな)「立志編ー2」に続く
2026年09月23日
コメント(0)

「駐在員編-12:マシンガン撃ちまくり」から続くいよいよアメリカ駐在員生活が終わる。1年半、つかの間のアメリカ暮らし。英語はさすがに上達した。最近はアメリカ人との会話を頭の中でいちいち日本語に置き換えずにしゃべっているし、夢も英語で見ている。英語で考え英語を話しているのだ。もうアメリカ人じゃんね。始めの頃の苦労が嘘のようだ。特に俺は機械系の技術者だ。ここで設計もしたが、何しろ図面の単位はin、そして2進法を持ちいるのだ。つまり長さは12・13/64 in とかを平気で使う。13/64inだぁ?なんだそれ、って思うでしょ。日本人なら。でもこれも機械加工の現場を見て納得した。アメリカの加工機(旋盤とかフライス盤とか)はinで刻んである事はもちろんだが、バーニア部分が1/128刻みなのだ。バーニアって分かります?ノギス等に刻んである1mm以下の長さを読むための微細目盛りのこと。加工職人はこれで寸法を設定する。なので日本式に0.203inと図面に示すと、職人は電卓片手にこれを〇/128inに直さねばならない。これは非合理的なので図面の段階から1/128in単位で表す必要があるのだ。日本から来た設計者にとっては大変だ。mmをinに直し、さらに小数点以下の数値は1/128に直す。図面を見ながら打ち合わせできればまだまし。仕事は進んでくると、電話で詳細を詰めなければならない。「部品Bのセクション12の段付き部分を、1/64in小さくして8・11/64inに変更してくれ」PCのCAD画面も見られずにお互いの図面とにらめっこしながら、英語で電話する苦労、分かります?そんなこんなもアメリカ暮らしを続ける内に慣れて来て、仕事もプライベートも順調に運ぶようになってきた。英語上達の秘訣?一番効果が上がる方法を教えましょうか。「現地人と恋愛をする」これに尽きる。あ、相思相愛じゃなくてもいいよ。要は本気でコミュニケートしたいと思える人を探して、その人に一生懸命話しかける。その人に分かってもらえるように話す。そりゃあ仕事の付き合いのおっさんと話すより、かわいい女の子に話し掛ける方が断然、一生懸命になるよね。思いが通じなければ、どうすれば良いか考えて色んな話題を投げかけるでしょ。自然とボキャブラリーも増えるし、ボディランゲージも上達する。これが効くのだ。俺の最良の(そして最愛の)先生はブリジーダちゃん。カリフォルニア生まれのメキシコ娘だから、英語はネイティブ。そして可愛い、そしてそしてナイスバディ!日本に帰って何年かしてペネロペ・クルスが現れた時、ブリジーダちゃんがデビューしたのかと思ったよ。そっくりだ。ま、最愛って言っても完全一方通行だったけどね。彼女もそれを承知で俺に話を合わせてくれてた。おかげで英会話はメキメキ上達だ。そんなブリジーダちゃんとも今週でお別れ。最後に会社で盛大にフェアウェル・パーティを催してくれた。会社と言うか工場だ。俺はオフィスの白人連中より工場のフィリピーノやメキシカンとの方がウマが合う。彼らも歓迎してくれた。最後も飲めない酒を飲み交わして、工場のおばちゃん達からキッスの嵐だよ。(若い娘もいた筈だけど、なぜかおばちゃんばっかだったな。。。)今頃は皆、爺さん婆さんだ。元気かな、会いたいな。そして最後の仕事、荷造りを済ませてアメリカにさようなら。渡米してきた時の10倍くらいに増えた荷物で輸送費が大変な事になっていたが、どうせ会社持ちだ。帰ってから総務に文句言われたけどね。210cmのスキー板、ゴルフのフルセット、テニスラケット、天体望遠鏡、オーディオセット、そして我がVF-1000R。。。 しょーがないじゃん。色々やってたんだもん。アメリカに来る時にはあんなに軽々と飛んできたのに、帰る時には寂しくてたまらなかった。さらば、我が自由と放埓の日々よ!「立志編ー1:帰国して真っ先に感じた事」に続く
2026年09月22日
コメント(0)

「駐在員編-11:アメリカ大陸横断計画」から続くアメリカでの生活はとにかく楽しかった。旅行もしまくった。このブログでも既にいくつも紹介した。「デスバレーで吹雪に会い遭難しかけた」旅や、「カナダ漂流記」の旅。その他にもヨセミテからサンフランシスコへ、リノでスキー、メキシコのティファナにも何回か、サンディエゴは隣町だからしょっちゅうだし、ラスベガスは月1ペースで通った。仕事ではシカゴ、ボストン、アトランタ、ワシントンetc.音楽も聴きまくった。「Jazz好きならNew Yorkに行け!」で紹介したLAのJazz Club、そしてあこがれのNew York。New Yorkに関しては「カナダ漂流記のオマケ」で記したように、思い入れは深かったのだが簡単には行けなかった。その代わりに仕事で何度も訪れたChicagoでJazz Clubをはしごしたり、AtlantaのJazz Barに突入したり。仕事で知り合ったChicagoの人間に連れて行ってもらったJazz Clubでは、「Jazzの発祥はNew Orleansじゃない。あそこはDixie だがModern Jazz はChicagoだ」と言っていた。いやいやNew Yorkでしょと反論したが、彼は引かなかったよ。Chicagoには1年半の間に7~8回行ったので、もうお馴染みだ。ある時は土日を挟んだ出張だったので、休日にレンタカーでドライブした。イリノイ州の州都であるスプリングフィールドという街まで片道200ml。古き良き街という感じだったのだが、びっくりしたのはその帰り道。既に日も暮れてフリーウェーを走っていたのだが、ウィンドウに何かが当たる。それも淡く光る何かが。気になってPAで車を停めて驚いた。それは無数のホタルだったのだ。そこまで既に30分、距離にして50km近くは走っていて、ずっとその光の粒(すなわちホタル)が途切れないのだ。車から降りて光の靄のように飛び交う無数のホタルを見た時には、衝撃で動けなかった。こんな所があるんだ。。。次の日曜には相棒のローレンを誘ってChicagoのシューティングレンジへ。そこでは当時、USでここだけと言うマシンガンを撃たせてくれるのだ。ビルの地下のそのレンジではお馴染みのコルトのオートマチックピストルを試射してから、ダーティハリーの愛機 S&W M29の44マグナム弾を撃った。これは凄かったね。でもこいつに狙われてもたぶん大丈夫。だって当たらないもん。あれを操れるのはクリント・イーストウッドだけだよ。そしてメインイベント、マシンガンの登場だ。試射したのはイスラエル製のUZIという銃。これがまた凄い。フルオートマティックにセットすると1分間に1000発を発射する。撃っている感覚は放水ノズルだね。最強にした消防ノズルを支えている感じ。で発射された銃弾(直径9㎜)はもはや光線銃だよ。弾の軌跡も打たれた標的もレーザーガンで撃たれたようだ。これに狙われたら絶対に逃げられない。(このマシンガンがUZIだ!)今のアメリカはシューティングレンジの中だけじゃなく、普通にそこら辺の人間が重機関銃を持っているヤバい国になってしまった。まともな人間は隠れるしかないよ。「駐在員編-13:さらばアメリカ、自由と放埓の日々よ」に続く
2026年09月21日
コメント(0)

「駐在員編-10:遂に憧れのビッグバイクが!」から続く遂に憧れの HONDA VF-1000R を手に入れたのは、帰国の2か月前。そ~っと乗りながら次第にビッグバイクにも慣れてきた。こわごわと開いていたスロットルも、もうブワンと回せる。しかし凄いわ、このバイク。その気になればどんな速度からでもホイールスピンできる。それでいて俊敏で素軽い。まだまだ手の内に入れたと言えるレベルではないが、ロングツーリングにも不安はない。ならばそろそろあの計画を実行に移そう。それは「アメリカ大陸横断ツーリング」!実は前任者の後輩が帰国前、1週間の休暇を取ってここ Huntington Beach からフロリダの Key West までレンタカーで走っている。走行距離3000mile、帰りは飛行機だった。だったら俺は New York に行く!バイクで!ルートはほぼRoute 66 だ。ChicagoからLAを目指したJazzの Route 66 を逆に行く。Now you go through Saint LooeyJoplin, MissouriAnd Oklahoma City is mighty prettyGallup, New MexicoFlagstaff, ArizonaDon't forget WinonaKingman, Barstow, SanbermandinoWon't you get hip to this timely tipWhen you make that California tripGet your kick on Route sixty six ♪今は旧Route 66に代わって Interstate-40が主のルートで、Oklahoma Cityから北でなく東に向かえばNew Yorkだ。走行距離は2800mile。想像しただけでワクワクするね。往復はきついので(何より休暇が取れん・・・)、帰りはやはり飛行機にしたい。でも My Bikeで行きたい。じゃあどうする?帰りは誰かに任せよう。ちょっとアメリカ人は信用できないけど、日本人なら大丈夫。で、アメリカの日本人コミュニティ雑誌と、日本のバイク雑誌に広告を出した。「俺のバイクでNew YorkからLAまで走ってくれませんか。」1000ccのバイクを駆って毎日1000kmを5日間走り続ける。もちろんNew Yorkまでの渡航費用も必要だ。もちろんバイクはただで貸してあげるつもりだが、ちょっと無理かなぁ。。。ところが希望者が現れた。日本から。しかも若い女性だ。願ったり叶ったりで文通で詳細を詰め、〇月〇日にNew Yorkで逢いましょうとなったのが帰国の1か月前。携帯電話なんてない時代だから、お互いの写真を送りあい空港で落ち合う。空振りしたら全てオジャンだ。しか~し、敵は我が内にいた。帰国後の仕事や引継ぎ等を現地スタッフと話し、1週間の休暇の了承も得て日本本社に連絡した。すると、、、「今すぐ帰って来い。こっちが困っている。」えぇぇぇぇぇぇ。前任者はしっかり休みを取って帰国したじゃん。あいつなんか1週間休暇の後の帰国便でハワイに途中下車までしている(実は飛行機代は変わらない)。なんで俺だけ今すぐなんだよ。「あいつとお前は違う。早く!」全部オジャン。相手の女の子には丁重にお詫びの手紙を送った。すると彼女の方もいろいろ障害があって、どうしようかと考えあぐねていたらしい。ちょっとご縁が薄かったかな。そんなゴタゴタの後、帰国したのだが、悔しいから持っていた帰国便のオープンチケットをビジネスからエコノミーに変更して、浮いた費用をあれこれに回してやった。だって金を全部使い果たしていて、成田から自宅までの電車代が足りないんだもん。。。その原因はこのバイクを日本に持って帰りたかったから。船便で送る算段をして、最後の日に船に載せた。これで有り金全部なくなりました!「駐在員編-12:マシンガン撃ちまくり」フリップアップレバー ペア/11色 ホンダ VF1000R VF1000 R/R2 SC16 1984-1986 Flip Up Levers Pair / 11 colors HONDA VF1000R VF 1000 R / R2 SC16 1984-1986 【並行輸入品】価格:71,500円(税込、送料無料) (2026/9/16時点)楽天で購入
2026年09月20日
コメント(0)

「駐在員編-9:アメリカ大好き!みんなありがとう」から続くせっかくバイクネタを引っ張ったんだから、時系列からは外れるが例の夢がどうなったのかをお話ししよう。その夢とは「カリフォルニアと言えばビッグバイクでしょ」ビッグバイクと言えばもちろんハーレー・ダビッドソンだ。これで砂漠を突っ切ってラスベガスまで行くのだ!と言う計画だったのだが、仕事が忙しいのと YAMAHAの400で結構満足しちゃって、どこにでもこれで行っていたのよ。サンフランシスコまで行く途中でこけて断念した話は「駐在員編-8:バイク事故!そして人の温かさを知る」で記したが、その他にもラスベガスやメキシコのティファナなどまでツーリングした。エドワード空軍基地にも行ったな。スペースシャトルが地球へ帰ってくるのを見るつもりで。あそこは広大な砂漠の道を行くと、突然ゲートが現れる。で、当然「何しに来たんだ?」と聞かれるので、「スぺースシャトルを見に来た」と告げると「今回はここじゃない」。。。へっ、違うの?別の空軍基地?まぁそんな事もあるさ。てな感じでYAMAHA SECA400は大活躍で、なかなかビッグバイクに乗り換える気が起きなかった。それでも帰国予定が近づくと、やはりビッグバイクが欲しくなる。で、手頃な中古を探していると、やはりハーレーは高いのよ。で、目を付けたのが当時話題にもなっていた HONDA VF-1000R。めちゃレーシーなビッグバイクだ。400と同様、店に行って「これちょうだい」と言って YAMAHAの下取りもお願いした。2年落ちで下取りと差し引き$4000くらいだったな。(当時のレートは250円/$くらい)1年も400に乗っていれば、いっぱしのライダーのつもりなのよ。で、バイク屋からの帰り道、自分のアパートメントまでのフリーウェーでスロットルをちょいとふかすと、、、いとも簡単にホィールスピンした。やべっ、まだ俺には簡単には乗りこなせないわ。400とは全く別物だという事を肝に銘じて、しばらくは安全運転に徹するのだった。「駐在員編-11:アメリカ大陸横断計画」に続く
2026年09月19日
コメント(0)

「駐在員編-8:バイク事故!そして人の温かさを知る」から続く翌日、一番のグレイハウンドでLA DownTownに行き、バスを乗り継いで我がHuntington Beach に戻って来た。ボロボロにすり切れた革ジャンと、傷だらけのヘルメットを手に。冬の恰好でよかった。夏のTシャツ姿だったら、俺の右手は使い物にならなかったかも。いや、メットがなければ俺は確実に死んでいただろう。当時のアメリカはヘルメットの着用義務なんかなかったから、実際に近場に行くときにはメットなんてしてなかったし。 それでも肩に痛みがあるし、ちょっと擦り傷も負った。で、一応病院に行くと肩はただの打撲で問題はなし。しかし医者は傷を診て〇〇は受けたかと聞いてきた。医療用語なんて全部分かる訳がないので、病院に行くときには辞書は必帯だ。何のことかと辞書を手渡すと、そこには「tetanus」。破傷風の事だ。子供の頃に予防接種を受けた筈だが確証は無いと答えると、なら一応ワクチンを打っておこうと言われて注射をブスリ。これで安心。さて連休明けのオフィスに出ると、バイクを取りに行く算段をしなければならない。目を付けたのはこのフィリピーノ2人。(後ろの二人な。前は俺だから、間違えんといて)毎日ポンコツトラックでオフィスに来ていたので、次の週末にSan Luis Obispoまでバイクを取りに行くことを一人$100でOKさせた。プラス飯代おごり。みんな気の良い奴らだったな。今頃どうしてるんだろ。結局、サンフランシスコ行きが実現したのは、それから3か月後。車でヨセミテ~サンフランシスコと回った時だった。バイクでシスコまでは行けなかったけど、それ以上の思い出ができた旅だった。アメリカ大好きだ。滞在した1年半で嫌な思いってした記憶がない。ヤバイ所にも結構行ったのだが、あまり怖い思いもしていないし。せいぜいピストルをちらつかされた時くらいだな。(十分ヤバイだろ・・・)「駐在員編-10:遂に憧れのビッグバイクが!」に続く
2026年09月18日
コメント(0)

「駐在員編-7:カリフォルニアのお勧めツーリングコース」から続く明けて日曜日、今日も天気がいい。ここからCarmelまでは、まさに海岸にへばり付くように道が走る。気を引き締めて行こう。そしてなんとこのCarmelは、数か月後にクリント イーストウッドが市長に就任するのだ。びっくりしたなぁ!(マディソン郡の橋でのクリント、伝説の雨のシーン)いや、イーストウッドの事でびっくりしてなんかいられないのだ。San Luis Obispoから快適なシーサイドを飛ばしていった。なだらかなカーブが連なる道は、海に落ちる崖の縁をなぞっていく。50Mlほどはそんな感じだった。ちょっと調子に乗ってしまった。道はSalmon Creek と呼ばれる地点から急に山道になる。その対応が遅れた。スピードオーバー。己が初心者だという事を忘れていた。そして免許の試験で出ていた「山道の左カーブはゆっくり」と言う鉄則も忘れていた。速度は40MPH(約60キロ)くらいだっただろうか。きつめに曲がる左カーブに砂が浮いていた。あっという間にコントロールを失う。俺のバイクは右に流れ、路端の溝にハンドルを取られて俺は宙に投げ出される。ああいう時の人間って意外に冷静なのだ。右肩から転がって受け身を取らなければ、なんて思っていた。スローモーションのように地面が近づいてくる。(Morro Bayあたりで撮ったマイバイク:YAMAHA SECA400)もんどりうって倒れたが、受け身がうまくいったのか大怪我はしなかった。うめきながら立ち上がってバイクを見ると、フォークがひん曲がっている。こりゃもう走れない。するとすぐ後ろを走っていてたピックアップトラックから50歳くらいの白人男性が走り寄って来た。「大丈夫か!」「ありがとう、怪我はしていないみたいだ。」あとから奥さんも下りてきた。「あの、もしよろしければ最寄りのグレイハウンドが停まる町まで乗せて頂けますか?」「バイクはどうするんだ?」「来週にでも友人と取りに来ます。」「こんな所に置いておいたら盗まれるぞ。」と言われ、どう見ても新車のピックアップに引き上げて運んでくれた。それもトラックと言うよりバンだから、室内の荷台にだ。400のバイクは男二人でもおいそれとは持ち上がらない。新車の荷台にキズがつくのも構わず、彼は引っ張り上げる。「San Luis Obispoならグレイハウンドは停まるし、DMV(交通運輸局)もある。」彼は50Mlも来た道を戻ると言うのだ。結局、1時間以上もドライブしてSan Luis Obispoまで戻り、俺とバイクを下してくれた。「ありがとうございます。後でお礼を差し上げたいので連絡先をお聞きできますか。」「いいんだよ。おれはDavidだ。」それだけ言うと彼は立ち去った。 2日連続で泊まることになったBest Westanのベッドで俺は涙した。それは、少しづつ痛みを増した右肩のせいじゃない。Davidの優しさがうれしかったのだ。「駐在員編-9:アメリカ大好き!みんなありがとう」に続くオートバイ 2026年6月号 【電子書籍】価格:980円 (2026/9/13時点)楽天で購入
2026年09月17日
コメント(0)

「駐在員編-6:アメリカと言えばハーレーでしょ!」から続くアメリカでのライダー生活もだいぶ慣れてきた。1日掛かりのライディングにもよく出かけた。お気に入りのコースは海沿いコースなら、Huntington Beach → Laguna Beach → Dena Point → Carlsbad → San Diego までの100マイル。Dena Pointまではあえて下道を走り、そこからはI-5をまっしぐら、2時間もあればサンディエゴだ。山添いコースもあるよ。Huntington Beach → Santa Ana → Riverside → San Bernardino → Big Bear Lake までの約100マイル。こっちは Highland を過ぎるとお気に入りのスキー場:Baer Mountain Ski Resortまでワインディングロードが続く。スキー場は基本的に人工雪だが、ピークは標高2600mあるので甘く見ないでほしい。ツーリングコースとしても海抜0mから一気に2000m以上まで駆け上るワインディングロードは走りごたえ十分だ。冬はダメよ。凍ってる。そんなこんなで修行を積んで、そろそろ自信も付いてきた頃、President's Day の3連休を利用してツーリングに出かけようと思い立った。よしサンフランシスコに行こう。それもフリーウェーは使わずに海沿いのPacific Corst Hiwayを走って。Hiwayって言うと高速道路みたいに思うだろうが、普通の下道です。わがアパートのあるHuntington BeachからSan FranciscoまではPCH、即ち州道1号をひた走って500ML、下道だと途中1泊だな。よし、270ML先のSan Luis Obispoで一泊だ。土曜の朝に出発!まずは我がアパート前を走る405号でサンタモニカまで走り、そこからは下道のPCHだ。平日の大渋滞が嘘のような土曜の早朝のフリーウェー。快適だ。サンタモニカでPCHに下りてからも、しばらくは3車線の広い道路が続く。60MPHで走っても何ら問題ない(ポリスには捕まるけど)。それがマリブで2車線になり、マリブから15MLも走ったPoint muguあたりで1車線に減る。いよいよ海沿いの緩やかなカーブが続くPCHらしい風景の中を走る。あちこちで休憩を取りながら、San Luis Obispoまで6時間ほどだったか。無事、第1目的地に到着した。どこにでもあるBest Westanに宿を取って、San Luis Obispoの街を歩く。感じのいい街だ。メキシコ風と言うか開拓時代風と言うか。Best Weatanから街の中心街までは4~500mほど。ランドマークのMission San Luis Obispo de Tolosaはすぐに見つかった。メキシカンなかわいい教会だ。そしてそのすぐ脇にあるBubblegum Alleyは、なんとも奇妙な路地。狭いレンガ塀に挟まれた路地の壁一面に、風船ガムが張り付けてある。もう何十年も前から積み重ねられているようだ。最初は高校生のいたずらだったみたい。San Luis Obispo 小さな街だけど、今は温泉で有名みたいだ。明日はサンフランシスコまでまっしぐらだ。「駐在員編-8:バイク事故!そして人の温かさを知る」に続く
2026年09月16日
コメント(0)

「駐在員編-5:ゴルフは社会人の基本、てか?」から続くアメリカ、カリフォルニアと言えば、、、ビッグ バイク!これですよ。ハーレーにまたがりLAからベガスに続くフリーウェーをぶっ飛ばす。ジーンズに革ジャン。デニムのベストでもいいな。長髪に髭をたくわえノーヘルで、セットしたオーディオから Born to be wild なんかを流して走る。そのためにはまずライセンスだ。(何だよお前、バイクの免許を持ってないのかよ)はい、日本でも持ってません。それどころか原チャリもレンタルで2,3回乗っただけっす。おっきいバイク、怖いっす。などと言っていては夢に辿り着けない。まずは免許を取ろう!アメリカでのバイクの試験も学科と実技。学科は4輪の免許と違って英語のみ。でも基本的には4輪と同じだし、何より通すための試験なので恐れるに足らず。でもね、なかなか合理的な問題を出すのよ。例えば「山のワインディングロードを走る時は、右カーブと左カーブ、どちらがより速度を落とすべきか」分かります?ライダーならピンと来るかも知れないが、正解は左カーブ。なぜなら、山道は基本的にかまぼこ型の断面をしている。両端は斜めだ。そこに左カーブが加われば右側通行のアメリカではバイクは遠心力に逆バンクが加わって、グリップを失いやすい。よって左カーブではよりスピードを落とすべきなのだ。ね、なかなか合理的でしょ。牽引車両は何mなんて知識よりよっぽどためになる。(これをちゃんと実践していたら・・・)さてそんな筆記試験を通ると仮免許が交付される。路上でバイクに乗れる。バイクがあれば。なのでバイクを買いに行った。凄いよね。まあ家族や友人がバイクを持っていれば、それを借りて練習するのだろうけど、渡米3か月の俺にはまだバイクを借りるような友人はいない。だったら買っちゃえ!はい、仮免交付されたその足でバイク屋に行きました。なんせ原チャリ3回の俺なので、いきなりハーレーなんて離れ業はさすがにできない。ここはおとなしく中型の中古をチョイス。で、買ったのはヤマハの400。現地ではYAMAHA SECAと呼ばれていたモデルで、日本にはない機種のようだ。これちょうだい、ハイよ。てなもんですぐに変えちゃう。買うときにはもちろん免許の提示が必要になるので、堂々と仮免を見せると店長はポカァンとしている。でも売ってくれた。颯爽とバイクにまたがり、セルモーター一発。ちょいと後ろを確認して半クラスタート。「プスッ」いやぁエンストしちゃったね、アハハ。気を取り直してスロットルを回しぎみにしてクラッチを繋いた。「コテッ」いやぁ立ちゴケしちゃった。ここで店長が慌てて近づいてきた。「お前、ひょっとしてバイクの運転は初めてか?」「まぁ、そんな感じで・・・」おいおい冗談かよと引き留められた。「ウチの駐車場でしばらく練習してから道路にでろ。ウチの前で事故るんじゃないぞ」ありがたきお言葉に涙して1時間ほど練習させてもらうと、なんとか立ちゴケしないで発進するし、クルリとコーナーも曲がれるようになった。よし、もういいだろうとバイク屋を後にしたのだ。それからは新しいオモチャが嬉しくて毎日乗っていた。オフィスにもバイクで通った。危ない事はなかったね。だって超安全運転だもん。なかなかに俺、バイク運転のセンスがいいのかも。2週間ほどたっていよいよ本免試験。カリフォルニアのバイク試験は自分でバイクを持ち込んで受ける。大きさは問わない。で、免許は1種類しかないので、原チャリを持ち込んで受かれば大型に乗れる。その試験というのが、バイクに乗ってエンジンスタートして、試験官の合図でスタートして100mほどの直線コースを走り、指定位置でUターンして戻ってきて、STOPの掛け声で止まる。これだけ。これだけで1000ccのモンスターに乗れるのだ。いいの?大丈夫なの?自分の方が心配になっちゃう。もちろん試験は一発合格して、晴れて本免許ゲットだ。これで日本に帰れば限定解除だ。(これについては後日)計画では最後はハーレーだが、当面は中型でガマンしておこう!「駐在員編-7:カリフォルニアのお勧めツーリングコース」に続く
2026年09月15日
コメント(0)

「駐在員編-4:アパートはHuntington Beachから車で10分「から続くアメリカに赴任して1か月。だいぶ日々の暮らしにも慣れてきた。アメリカでの生活に必要なのはまず運転免許。これはIDカードにもなるので真っ先に取得する。日本の免許があれば超簡単な筆記試験だけでアメリカのライセンスが下りる(たぶん今も)。しかもその試験は日本語だ。右と左を間違えなけりゃ問題ない。それでライセンスをゲットできれば、次は銀行口座の開設。ライセンスと言うIDもできたし、こちらも銀行で手続きをするだけ。40年前はまだチェック(小切手)万能の時代なので、銀行口座はマストだった。俺の場合、給料は日本からの送金なので、その受け口としても必要だった。カッコいいサインもこの時に考えた。別に日本語で書いても良いのだが、オフィスでも何かとサインする場面が多いので英語で書いたよ。ちょっとカッコつけた奴をね。それをいまだにパスポートとかで使っている。アパートの調度品とかは揃っている。足りない物と言えば、、、ゴルフクラブかな。オフィスの先輩いわく、カリフォルニアでゴルフができないと誰も遊んでくれない、と。。。まあ半分は当たっていたね。なのでクラブのセットを買い揃え、ついでにショップで開いているスクールにも通い始めた。まだウッドはパーシモンの時代だ。いい音がしたなぁ。スクールに通い、練習場にも足しげく通ったおかげでめきめきと上達し、、、とはいかなかったが、それなりに形になり始めたので、コースに出ちゃえ!と、初めて近所のパブリックコースを回った。パブリックは一人でも二人でもそこにいたパーティに交じって回ることができるのだが、さすがにズブの素人が大叩きしているのに見知らぬアメリカ人を突き合わせる事はできない。まだ数少ない現地の友人を集めて4人でコースを回った。結果は!いやぁ、一番ホールの第一打を見せたかったね。いきなりのドライバーショット、ティーグラウンドから低い弾道で放たれたボールは見事にレディスのレッドティの大きな赤いボール状のマーク(直径20㎝くらい)にヒット!そこで反射して後ろに飛んで行った。第1打の飛距離はー30ft。なかなかの飛距離だったよ。パーティの3人だけでなく、出を待っていた次のパーティからも大受けだ。やるな、俺!赤い大きなボールを持ってレディスティの位置を探している場面が写真で残っている。恥ずかしいから出さないけど。。。そんなこんなでアメリカ暮らしは順調に進んでいくのであった。「駐在員編-6:アメリカと言えばハーレーでしょ!」に続く
2026年09月14日
コメント(0)

「駐在員編-3:我が街は Big Wednesday の舞台だった」から続く前編で「名作:Big Wednesday の舞台となったピアのあるビーチからまっすぐ Beach BLVD.を走れば、俺の住むアパートに辿り着く」と書いたが、ちょっとだけ修正。 Beach BLVD.は Hunington Pier から一筋だけずれてます。pier は Main St.だから Beach BLVD.からは500mくらい西です。あしからず。さてそのアパートは俺の前任者からそのまま引き継いだ。2階建ての小さ目のアパートが約50棟ほど並んだ集合住宅だ。総戸数は200戸ほど。この辺では大きいアパートメントだ。基本的に独身者や若い家族用のアパートメントなので、部屋はそんなに大きくはない。俺の部屋は1LDK。広さは100平米ほど。デカいリビングにベッド・ソファー・ダイニングテーブル・等々を全部並べている。結構快適だ。アパートメントにはプール・ジャグジー・ジム・ビリヤード・テニスコート・バスケットコートetc.。まぁ何でもある。これがアメリカの若い独身者の平均的暮らしかと思うと、何故か遠くの山を眺めるような目になってしまう。あれから40年が経つが、日本はその暮らしに追いついたと思うか?でもほんの短期間でもアメリカ人の生活を体感できたのはラッキーだった。ビジネス面でももちろんだが、アメリカ暮らしがその後の俺の人生にどれだけ大きく影響したか、今振り返ってみても貴重な体験だった。住人はほぼ白人。Hntington Beach はOrange Countyの中でも住居費が高い方なので、移民や貧しい人々は住まない。彼らはもっと北の Garden GroveやSanta Anaが中心だ。アパートメントへのゲートはちゃんと管理されているし、比較的安心して生活できる。住人はみんな気のいい人たちだったよ。会えば挨拶を交わすし、何かあれば手を貸してくれる。プールで体を焼いてたら、BBQをしていた人たちに誘われた事も一度や二度じゃない。テニスコートは空いていれば誰でも使えるので、日本の友人とよく打っていたが、後から人(もちろんアメリカ人)が来れば、「一緒に打とうぜ」となる。当然だ。これは酒場のビリヤードでも同じ。数少ないビリヤード台を仲間で独占なんて事はありえない。次に打ちたい人間は台の上にプレー代のコイン(当時はQuarter、つまり25セント硬貨)を置いて「challenge!」と言えば、勝ち抜き戦が始まる。その後は勝った者が居残り、次のチャレンジャーがQuarterを置くのを待つ。誰もいなければそのまま友人と打つ事になる。台はいつでもオープンなのだ。日本ってなかなかこれができないよね。何でも仲間内で独占する。最悪なのが公営プールのデッキチェア。朝一で押しかけた人間がタオルを置けば、それで一日貸し切りだ。チェアに座っている時間なんて丸一日プールにいてトータル数10分だろ。その他の何時間もの間はただのタオル置き場だ。小さな子供や老人が休もうと思っても使えない。バカな事だと思わない? アメリカでは絶対にそんな事は起こらない。何でもアメリカを(特に昨今のアメリカを)例賛する気はないが、こう言うオープンな気質は見習いたいな。「駐在員編-5:ゴルフは社会人の基本、てか?」に続く
2026年09月13日
コメント(0)

「駐在員編-2:アメリカ赴任はファーストクラスで 」から続くアメリカでの新生活が始まった。俺の職場はロサンゼルスから車で1時間、海沿いの街 Huntington Beach だ。良い街だったよ。群(County )としては Orange County に属し、ディズニーランドや大谷翔平のプレーしたエンゼル・スタジアムのあるアナハイムや、アーバインが中心の、居住にも観光にも適した穏やかな地域だ。俺の住む Huntington Beach も治安が良く、食住には不便しない。サーフィンのメッカであるビーチまでは車で10分。あの名作:Big Wednesday の舞台となったピアのあるビーチからまっすぐ Beach BLVD.を走れば、俺の住むアパートに辿り着く。Big Wednesdayを覚えています?カリフォルニアの若者3人の青春譜。ジャン・マイケル・ビンセントとウィリアム・カットが印象的だった。サーフィン、若者らしいバカ騒ぎ、ベトナム戦争を挟んで、若者の成長を描いている。俺は好きだったな。テイストはアメリカン・グラフティやスタンド・バイ・ミー、マイ・プライベート・アイダホ。何気ない日常を描いたニューシネマだった。その公開は1978年だから、俺の頭の中にはあの巨大な波とピアが刻み込まれていた。まさかそれを住んでいたアパートから10分のビーチで見られるとは!結局、何度訪ねても伝説の巨波は現れなかった。ピアで釣りをしてハンバーガーを食べてた。「駐在員編-4:アパートはHuntington Beachから車で10分」に続く【中古】 ビッグ・ウェンズデー/ジャン=マイケル・ヴィンセント,ウィリアム・カット,ゲイリー・ビジー,リー・パーセル,バーバラ・ヘイル,ジョン・ミリアス(脚本),バズ・フェイトシャンズ,アレックス・ローズ(製作総指揮)価格:605円(税込、送料別) (2026/9/6時点)楽天で購入
2026年09月12日
コメント(0)

「駐在員編-1:元モーレツ社員、海を越える」から続くアメリカへの赴任を1年間延期してもらい、自分の開発プロジェクトを完遂してから渡米する事となった。いやあ忙しい1年だった。仕事にも恋愛にも(「Chap.4-2:9000キロの遠距離恋愛」を見てね)。英会話の方は渡米直前に付け焼刃のように英会話スクールに通ったが、まるで自信がない。まぁ行っちゃえば何とかなるさ。しかしアメリカへ渡る飛行機からして波乱万丈だった。飛行機には同時に赴任する営業の部長と、現地子会社の社長、そして向こうで相棒となるアメリカ人社員(ローレンと言う)の4人で乗り込んだ。チケットは俺とアメリカ人、社長と部長が隣り合わせ。2組は離れた席なので別々にチェックインした。すると、俺の前にチェックインしようとしていた日本人客が成田のカウンターでユナイテッドの地上クルーに何か言われて戸惑っている。その時のクルーはアメリカ人で、英語で何か言われた日本人客は「ノーノー」みたいな事を言って拒否している。なんだ?さて我々の番になってチェックインしようとすると、なんと予約していたビジネスクラスの席がオーバーブッキングされているので、ファーストクラスで良いかと言う。えぇぇぇぇ!さっきのおっさん、これを断っちゃったの?アメリカ人に英語で話しかけられてパニくったんだな。どうぞどうぞと揉み手で了解し、なんと初の海外赴任はファーストで渡米ですよ。ビジネスでも大喜びしていたのに、なんとファースト!ローレンと二人、大喜びしてシートに着いた。でも、でもですよ。我々の後ろの方のビジネスには社長と部長が座っている訳よ。俺もさすがに考えたね。このままラッキーを活かしてロスまで快適なシートでフンズリ返っているか、社長と部長に恩を売って席を交代して上げるか。ローレンともまだ拙い英語で話し合った結果、「お前がそう言うのなら代わってもいいよ」という彼の言葉もあり、ビジネスに移る事にした。思わぬファーストが転がり込んだ二人は大喜び。俺たちもまあいいかって事でビジネスで満足していたよ。たぶんアメリカ人の感覚からしたら、本音は代わってやる必要はないと思っていただろう。その後も長い付き合いになったのだが、ローレンはいい奴だったよ。たった1時間のファーストでのフライトでごめんね。こうして降り立ったアメリカの地、ロサンゼルスの空気は、、、アッケラカン。アッケラカンと思えるほど簡単に降り立っちゃったね。もう少し感動というか、緊張感があるのかなと思っていたのだが、日本から気が付けばアメリカで生活していた。到着してから1週間ほどはホテルに滞在していて、車で勤務地である現地工場まで送迎してもらったが、ここでもアッケラカンと着任した。現地職員への挨拶とかオフィスの見学を一通り済ませて、前任者と簡単な引継ぎを行ったが、特に引き継ぐようなものがない。前任者は俺が赴任を延期したために代替で1年間務めた後輩だが、お前、仕事してたのか?現地オフィスの職員は20名程、うち日本人は私を含め5名。他に工場にワーカーが50人。メキシコ人とフィリピン人が半々だ。俺はオフィスのアメリカ人より工場のフィリピン人の方が気が合ったね。さあこれから1年間、どんな事が待ち受けていることやら。「駐在員編-3:我が街は Big Wednesday の舞台だった」に続く【中古】 憧れのファーストクラス 一度は乗ってみたい最上級の空の旅/ファーストクラス取材チーム(著者)価格:220円(税込、送料別) (2026/9/5時点)楽天で購入
2026年09月11日
コメント(0)

「社会人編-12:エースの矜持」から続く恋に仕事にと絶好調だった28歳の春、大病に続いて俺の人生観を変える出来事が勃発する。ある日、部長に呼び出された。「1年間、アメリカに行ってくれ」ウチの会社にはカリフォルニアに現地工場があり、そこで現地生産品の設計と技術補佐を行って欲しいと。非常に光栄な事だし、海外生活はぜひ経験したいと思ってもいた。しかし俺は今、人生最大とも言え開発プロジェクトの真っ只中にいた。ここで俺がいなくなればそのプロジェクトは暗礁に乗り上げる可能性もある。俺としては是非ともやり遂げたい。「1年間、待って頂けませんか」恐らく前代未聞の申し入れだっただろう。この海外派遣は言わば人材育成の一環でもあった。それをまだ20代の若造が蹴って来たのだ。もちろん話は人事を通じて来ている。それなりの調整を経て俺の所に回って来た話だ。蹴るとなれば代替の人材も必要だし、各部署との調整もいる。部長にも気の重い話となるが、彼は俺の辞退理由を理解して承諾してくれた。俺の代替要員は同じ部署の後輩が当てがわれた。彼は驚いていたが、二つ返事で引き受けてくれた。そして俺は残された1年間で絶対に現在のプロジェクトを完遂させなければならないという十字架を背負った。そして1年後、無事にプロジェクトは当初目標を果たし、俺はアメリカに赴任する事となった。最後の数か月は忙しかったなぁ。残業は相変わらずそんなに長時間ではないが、なにしろ集中して物事に取り組んでいた。仕事も濃密だし、英会話も習わなきゃならないし、恋愛にも忙しい。(「Chap.4-1:突然、炎のごとく」を見てね)それやこれやを上手にこなし、アメリカに向かったのは1986年の春だった。「駐在員編-2:アメリカ赴任はファーストクラスで」に続く
2026年09月10日
コメント(0)

「社会人編-11:紙一重で天才を通り越してしまった・・・」から続く失敗談の前に、もう少し「俺様伝説」を語ってもいい?あ、不愉快なら飛ばして下さい。なんたって終活なんだから、冥途の土産に戯言を並べさせてよ。なぜ30歳前の俺様が開発部門のエースと自他ともに認める存在になったか?ま、実績だろうね。・歴代の主力製品のセンサ開発を担当し、全てのプロジェクトで成功を収める。・それらの製品は旧製品に比べ明確な差別化と性能アップが図られた。・生産についても斬新な製造工程を取り入れ、生産性向上と品質向上を両立した。・実際にフィールドに出回った後も大きなトラブルなく、客先にも高評価を得ている。・生涯出願特許数150超。グッドデザイン賞受賞。電気学会等の学会発表多数。特に特許については、俺は競合他社から徹底マークをされていたらしい。我が社の知財担当曰く、主要他社の知財部門には俺の動向を分析する担当者が置かれていたようだ。さらに俺の出願した基本特許に対して、他社が徹底的に妨害工作を仕掛けてきて、一度ならず特許裁判を起こされた。特許裁判ってご存じ? 俺の特許の成立可否について特許庁が承認した結果に不満があるとして、競合他社が訴訟を起こしたのだ。これがなかなかおもしろい。何がって、一般の裁判では被告原告が直接面と向かって議論するなどと言う事は起きないよね。必ず弁護士が中に入って議論する。ところが特許裁判は当事者の技術者同士が口から泡を飛ばさんばかりに議論するのだ。もちろん事前に互いの論点は明示するので、それに沿った証拠を示し議論するのだが、裁判所では質疑として技術者がそれに意見を述べる。科学的な矛盾点はないか、論理的に正しい手法と言えるか、その点だけでなく他の点での検討が必要でないかetc.もちろん議論は深い技術の話になるので、裁判官では心もとない。裁判官は普通の地方裁判所の判事が務めるので、俺の時の担当は普段は民事で離婚裁判などを手掛けている女性判事だった。それでは技術面の判断はできないので、裁判所が専門家を招聘して意見を聞く事になる。俺の時は工科系大学教授と産総研の技官と特許庁の担当者。被告原告の技術者が掴みかからんばかりに議論していると、その3人がなだめにかかるのだ。そして最終的にはこの3人の専門家と判事が協議の上、判決を言い渡す。いや、その場では言い渡されず、後日文書で知らされる。おもしろかったな。純粋に技術論で真剣勝負できる場はそうは無い。社内の会議など生ぬるいだけだし、学会での議論も遠慮気味だ。でも特許裁判は言わば真剣勝負。負ければ大きな権利を失うのだ。で結果は? 俺様の勝利!当たり前だ。ウチを訴えた競合他社は、おそらく俺の特許を潰すつもりで製品開発を行っていたのだろう。その特許が潰せなかった事で大きな方向転換を強いられた筈だ。ざまぁ!でも目の前で裁判官から判決を聞きたかったな。無理筋とも言える訴訟を仕掛けて俺の特許を亡き者にしようとした原告担当者の面の皮を見てみたかった。判決が出たらざまあ見ろって言いながらアカンベーをしてやったのにな。(小学生か。。。)「駐在員編-1:元モーレツ社員、海を越える」に続く【中古】あかんべえ (PHP文芸文庫)価格:608円(税込、送料別) (2026/9/4時点)楽天で購入
2026年09月09日
コメント(0)

「社会人編-10:な、Beautifulだろぉ」から続くBeautifulに余裕をかませ始めた俺、仕事も絶好調だ。歳は28、若手から中堅に差し掛かろうという頃、経験はまだ十分とは言わないが、業務知識・専門知識は蓄積された一方、20代相応のパワーもある。身体的にもう無理は効かないが、それを補う発想力がある。その証拠にこれ以降、会社の大きな開発プロジェクトは全部俺が関わってきた。全部だ。最終的に定年退職するまでそれは続き、結局我が社の売上の1/5は俺の開発製品が占める事になった。そのために必要なのは地道な研究と弛まぬ努力、血と汗の結晶たるデータの蓄積と試作品の山。。。 ではない!これは自信を持ってい言う。ただひたすらに今の努力を続けていれば世界に打って出る製品が開発できる訳ではない。只の改良開発品でさえ、だ。必要なのは問題意識・着眼点、そして発想力だ。・○○についてのクレームが多いから何とかしましょう。・○○のトラブルについて重点的に対策しましょう。・営業から○○を変えてくれと言う要求が多いので対応しましょう。そんなものは二の次だ。最も重要なのは、俺が「次の10年間でこの製品を通じて世の中をどうしたいのか」偉そうだろ? そりゃそうだ。俺は偉いんだから。そんな視点から研究開発を俯瞰している人間なんて、この会社に俺意外にはいない。だから社内で議論なんかしても無駄。俺の思うようにやれば結果は着いてくる。そう信じてやるのだ。「私を作ったものー4:天才と変態は紙一重」でも書いたじゃん。「思い過ごしも恋のうち」「思い上がりも人生を変える」俺の人生は俺の思った通りに生きるんだ。そして幸いなことに俺は、紙一重で天才を通り越してしまったと言われた男だ。そんな俺のやる事が会社の不利益になる筈がないじゃないか!もしも失敗したら?俺、失敗しないから。(いや、一度だけあったな。。。)「社会人編-12:エースの矜持」に続く劇場版ドクターX FINAL DVD 通常版 [ 米倉涼子 ]価格:3,476円(税込、送料無料) (2026/9/4時点)楽天で購入
2026年09月08日
コメント(0)

「社会人編-9:モデルチェンジ後の俺は・・・」から続く大病を経験してモーレツ社員から足を洗った俺は、まさにBeautifulな人生に舵を取った。これはいいぞぉ。生活にも精神にもゆとりができる。すると遊びもモーレツではなくなった。人間、そんなに簡単に変われるもんかね。まぁ単純な人間だからね。それまでは時間を惜しむようにガツガツと遊びまくっていた俺が、大人の余裕をかますようになった。例えばモーレツ時代は、平日は6時起き、6:30通勤 → 8:30仕事 → 22時退勤 → 24時帰宅 → 25時就寝土曜も17時まで仕事。20時から冬なら車でスキー場に向かう。明け方到着日曜夕方までスキー。18時から帰京 → 24時帰宅 → 25時就寝やっぱアホやね。これがBeautifulになってからは、平日は6時起き、6:30通勤 → 8:30仕事 → 19時退勤 → 21時帰宅 → 24時就寝 水曜日は17時退勤。帰宅後は取り溜めた放送大学を受講。土日は休日。すると逆に毎週スキーに行こうとは思わなくなった。なぜかな。。。水曜日にはLive Houseに行く事も多くなった。この頃は土曜日にもLive House通いをしていたので、週2日、年に100日はLiveを聴いていた。スキーには1シーズンに10回くらいかな。日程にも余裕を持って計画して。すると自然と女の子連れのスキーが多くなるのよ。「社会人編-6:モーレツ社員はモーレツに遊ぶ」で紹介したラケットボールを始めたのもこの頃だ。な、Beautifulだろ?世はまさにバブル絶頂期を迎えようとしていた頃、俺は逆に余裕をかましていたのだった。「社会人編-11:紙一重で天才を通り越してしまった・・・」に続くおもしろtシャツ みかん箱 余裕のよっちゃん 【ギフト プレゼント 面白いtシャツ メンズ 半袖 文字Tシャツ 漢字 雑貨 名言 パロディ おもしろ 全20色 サイズ S M L XL XXL】価格:2,180円(税込、送料別) (2026/9/4時点)楽天で購入
2026年09月07日
コメント(0)

「社会人編-8:モーレツ社員、モーレツをやめよかな」から続く1か月の入院、3か月の自宅療養はさすがのモーレツ社員にも応えた。身体への影響ももちろんだが精神的にも多いに影響した。「モーレツや~めた」元々、そんなにスパルタンなモーレツ社員ではなかったが、身体をぶっ壊した事でもうバカな働き方は辞めようと思った。バカな遊び方をどうするかは、、、まぁその時になってみてだね。とにかく勤務に復帰して少しずつ仕事量を増やしていってからも、以前のようなバカな働き方は辞めた。そこについては上司ともよく話し合い、自分なりのハードワークに留める事で了承を得た。それに身体でハードワークしなくても、頭でハードワークすれば十分に会社の力にはなれる自信があった。俺はその時には既にエースの地位を勝ち取っていたのだ。病気静養中にも特許のネタを4つほど暖めていた。復帰後、本格的に検討に入り、無事出願に漕ぎつけている。ただ休んでいた訳ではないのだ。なのでその後は残業時間は月30~50時間に抑えていた。皆(特に先輩たち)には悪いが、元々人が残業しているから俺も、というタイプではなかったし、先輩上司も俺の体調を気遣ってくれた、良い職場でしょ。さて、そうなると時間に余裕ができる。かなりの時間だ。今までの残業70時間分が丸々自由時間になるのだ。これは何かをしなくてはもったいない。土曜日も毎週休みだ。(∩´∀`)∩ワーイで、何を始めたかと言うと「放送大学」。学び直しだ。選んだのはやはり自然科学。特に生物学、動物生態学だった。テキストを買って毎週講義放送を聴く(もちろん録画して)。今はオンデマンドとかで聴けるのだろうか。それと期末ごとの試験・課題提出。通信制と侮るなかれ。なかなかのレベルなのだ。放送大学は期ごとに最低出席数があって、3~4日は各地にあるキャンパスに出向き、講義を受けなければならない。私の場合は旧都立大学に出向いた。放送大学は正式な4年制大学なので、卒業単位数も普通の大学並みだ。つまり普通の大学と同じだけ講義を受ける必要がある。社会人が働きながら4年で卒業するのはほぼ不可能で、俺は最初から6年で卒業する計画でいた。ちなみに教養課程の1年分は卒業した大学の単位が認定される。よって2~4年の3年分を6年で取ろうとしたのだ。楽しかったよ。やっぱり学ぶって楽しい。特に自分にとって新鮮な分野の学習は楽しいから、身が入る。「Scientific Fishing のすすめ」で小難しい釣りを提案して、それ以降の「釣り」カテでは魚に関する論文をいくつも紹介しているが、それも放送大学での生態学等を学んだ影響だと思う。こうして俺の第2章、第2形態の俺がスタートした。少し生き方の変わった俺についても記していく。終活だからね。「社会人編-10:な、Beautifulだろぉ」に続くS.H.Figuarts フリーザ 第二形態 ドラゴンボールZ◆新品Ss【即納】【コンビニ受取/郵便局受取対応】価格:28,280円(税込、送料別) (2026/9/3時点)楽天で購入
2026年09月06日
コメント(0)

「社会人編-7:モーレツ社員、病に倒れる」から続く大学病院に入院した。入院当初は謎の病だ。心不全、肺水腫、腎不全。。。 でも原因は分からない。入院してから1週間はとてもしんどかった。とにかく尿が全く出ずに体中に水が溜まっているので、まずは水気を切ろうと言う事で離尿剤を投与された。するとびっくりするほど尿が出ていく。トイレで自分の尿を袋に溜めて行くのだが、10Lの袋が1日で一杯になる。で、あれよあれよと浮腫みが取れていく。肺水腫の方は直接注射器で水を抜いた。これが凄いのよ。マッドサイエンティストしか使わないような太さ10cm、長さ50㎝はあろうかと言う特大注射器を医者が持ってきて、ナースと二人で俺の脇の下から長さ30㎝はある注射針をブスブスと刺していく。部分麻酔をされているので痛みはさほどないが、そのビジュアルよ。焼き鳥になった気分だ。左右の肺からデカい注射器1本分の水(血に近い)を抜いてもらうと、直前までしつこく出ていた咳がピタッと収まった。これぞ医学の勝利!結局病名は「溶連菌感染による急性糸球体腎炎」。溶連菌とは土中等のどこにでもいる細菌で、普段は別に悪さをしないのだが、罹患した人の状態により風邪のような症状を発する。そしてたまに溶連菌と戦った白血球が糸球体と言う腎臓のフィルタ部に溜まって目詰まりを起こす事がある。それが重症化すると俺のように腎炎を引き起こすのだ。思い返せばかのスキーツアーの前は2週間ぶっ続けの勤務。それも毎日夜10時までだ(だってスキーに行きたかったんだもん)。かなり疲労が溜まってた中で、楽しい楽しいスキーに出かけて運動と睡眠不足に拍車を掛けた。そして・・・兎にも角にも急性腎炎という事で、治療法は「何もしないこと」。ひたすらベッドで横になっている事なのだ。例の離尿剤も浮腫みが取れてしまえば用無しで、後は本当に寝ているだけなのだ。これ、入院している必要ある?いやある!なぜか?楽しいのだ。華やかなのだ。大学病院には看護学科もある。するとナースになりたてのかわいい女の子がわんさかいる。そんな子たちが俺の世話をしてくれる。嬉しい!まぁ最初の内だけね。最初は「動くな!」って言われていたから、それこそトイレに行くのも体をふき取るのもナースがやってくれた。だけど只の腎炎(って言う程軽くは無かったのだが)と分かってからは「自分でできるでしょ」となってしまった。それでも華やかな事には変わりはない。俺の人生であんなに若い女の子に取り囲まれた時間は無かったもん。(観月ありさ、かわいかったな)と言う事で俺的には「モーレツな仕事が招いた重病」だったのだ。しかし見舞いに来る会社の同僚たちは口々に「遊びすぎ」「スキーに行きすぎ」「女の子を誘いすぎ」etc.いやいや、それ違うから。その前の仕事っぷりを見てくれないと!結局、入院は1か月に及び、その後も静養が必要と言う事で3か月に及ぶ自宅療養が続いた。もう少し入院していても良かったのになぁ。。。「社会人編-9:モデルチェンジ後の俺は・・・」
2026年09月05日
コメント(0)

「社会人編-6:モーレツ社員はモーレツに遊ぶ」から続くいやぁ我ながら衝撃的だった。身体って限界はあるんだね。月残業100時間、平日は22時退社、土曜は出勤、その合間を縫うようにスキーだLiveだデートだを繰り返していたのはバブル絶頂期だ。その時もいつもの通り金曜22時まで働いた後、その足で(車だけど)金~日のスキーに出かけた。同行は男2人女2人。ダブルデートみたいだが残念ながら健全なグループ交際だ(その後で××な事はあったけど。。。)車は2台。目指すは奥志賀高原。当時はまだ長野道は開通しておらず、東京下町の自宅からだと6時間は掛かった。逆に金曜の深夜から出れば土曜の朝のちょうどいい時間に到着する。真夜中はスリップさえ気を付ければ渋滞もない。でも少し体調が悪いな。変な咳が出る。。。それでも女の子連れのスキーなのでスパルタンな上級者コースになんか行かないし、らくちんスキーで気持ち良く滑っていた。ペンションに戻れば大貧民三昧で深夜まで女の子たちとキャッキャ言って遊んで、1時2時におやすみ。で日曜日は夕方まで滑って、自宅に帰ったのは26時過ぎだ。これで翌月曜には6時に起きてちゃんと会社に行った。すると…あれっ、なんか変だぞ。調子悪いな。咳はひどくなるし、身体もだるい。風邪ひいたかなと思い、月曜日は定時に帰って薬を飲んだ。そして火曜日、きつい身体を引き起こして何とか会社に行く。すげぇ息切れがする。動悸までする。こんな事初めてだ。すると先輩が「おまえ、急に太ったか?顔が浮腫んでるぞ。」鏡を見るとたしかにプクプクしている。などと言っている間にどんどん体調は悪化していく。我慢ができなくなって午後は半休して医者に行くことにした。自宅まではキツイと思って職場近くのクリニックに入った。すると医師は私の顔を見るなり、横になれと言った。慎重な診断の後、「すぐに入院が必要です。ここから救急車を呼びます。」え、あ、、、 そんなに深刻な状態なの?「私の診断は心不全。他の臓器もかなり機能が落ちています。」。。。マジか。でも自宅から遠いこの近くの病院は何かと不都合なので、自宅近くに入院したいからと紹介状をお願いしてクリニックを出ることにした。医師はくれぐれも途中で気分が悪くなったらすぐに119番するようにと付け加えて、紹介状を書いてくれた。帰りの電車は確かにきつかったが、何とか帰宅して翌日、大きな大学病院に向かった。ここでも医師は顔を見るなりすぐにベッドに寝かしつけられて、即入院だ。そんなに重い病気なの?まずICUに搬送されて徹底検査。で、診断は心不全、肺水腫、腎不全。元凶は腎臓らしい。腎機能が低下し体内の水分と毒素が排出されず、体中に溜め込まれた。それが心臓の機能を低下させ、肺に溜まって咳を発する。それが特定されたのは入院後かなり経ってからで、それまでは大学病院名物の「〇〇教授の回診です」と言うアナウンスと共に回ってくる重鎮たちに、担当医師がカルテを見せても皆で首をひねっていた。なに?俺そんなにヤバイ病気なの?病名不明・治療薬なしとかの。。。入院後2週間は不安いっぱいで過ごしたのだった。「社会人編-8:モーレツ社員、モーレツをやめよかな」に続く
2026年09月04日
コメント(0)

「社会人編-5:24時間戦えますか!」から続く俺は月100時間残業しながらも、よく遊んでいた.もちろん恋愛も。俺ね、彼女いない歴が異常に短いのよ。振られた回数もハンパないけど立ち直りが早いと言うか、惚れっぽいと言うか。マジメな男なんだけどな。二股とかやった事ないし。過去のコイバナ案件を時系列で示すと、 Chap.1 1982年Chap.2 1984年Chap.3 1986年Chap.4 1985年Chap.5 1987年Chap.6 1989年プロポーズ大作戦 1993年きれいに並んだね!Chap.6からプロポーズ大作戦までのコイバナはその内に。。。女の子との週末デート以外にもあっちこっちで遊んでいた。冬は毎週のようにスキーだったが、夏は?真夏にもスキーに行っていた。月山夏スキー。山形県の月山の頂上付近の北斜面に広がる残雪を滑るのだ。もちろんリフトなどない。つ~かGWを過ぎ6月も終われば他にスキー客などいない。6月までは「普通の」スキー客でごった返している。そんな所には行きたくもない。スキーリフト(Tバーリフトと言う)も撤去されて誰も行かなくなった頃に出かける。ふもとの山小屋に寝泊まりしてお弁当を作ってもらって、2mのスキー板を肩に担いで自分の足で登る。時期にもよるが最長だと2時間以上掛けて、やっと雪渓に辿り着く。これまた時期にもよるが8月末まで2~300mの長さは残っている。もちろん貸切だ。これまたまた自力でその雪渓を10~30分掛けて登っていき、上でスキーをセットしてウオリャと飛び出す。すると数10秒で雪渓の下端に着いてしまう。で、また数10分登っていく。アホでしょ。夏の月山には白装束の月山詣での人達が多く登っていくのだが、皆「なんだこいつらは」と言う目で見ていく。滑りながら「ヒャッホ~」とか叫んでいるので尚更だ。ですよね~。自分たちでも5~10回も滑るとヘトヘトになって、「俺たちアホなの?」とようやく気が付く。でボロキレのようになりながら下山する。やっぱアホですね。(俺の行く時にはこの辺に雪はない)こんな事はせいぜいひと夏に一回なので、その他の時には普通の人のまねをして海に行ったりテニスをしたり。一時期ラケットボールにはまったな。知ってます?次のLA五輪ではスカッシュが競技に加わるが、あれの親戚です。違いは部屋の5面(天井・壁)のどこに当たっても良い事と、ボールがちょっと大きくて良く弾む事。これでプロの打球速度は300キロを超える。アマチュアがやってもめちゃくちゃに運動になる。カロリー消費率はあらゆるスポーツの中で最高らしい。職場の近くにこのラケットボールのコートがあったので、会社でサークルを作ってプレーをしていた。件のノー残業デーの夜とかに。たまに早く帰れるんだから、とっとと帰って休め?まぁそうなんですけどね。。。我ながらタフだったよ。あれが若さかね。モーレツの性かね。そんな日々がある日突然ブチ切れる事が起こるのだ。。。「社会人編-7:モーレツ社員、病に倒れる」に続くプロケネックス ラケットボールラケット ブラックエースプロ 165 DLRスペシャルエディション Black Ace Pro 165 DLR SE ver.26 ストリング張上 CP-14418価格:31,680円(税込、送料別) (2026/8/30時点)楽天で購入
2026年09月03日
コメント(0)

「社会人編-4:モーレツからビューティフルへ、だとぉ!」から続く肝心のモーレツな働きぶりを紹介しよう。俺がまだ若手と呼ばれていたのは1980年代前半から中盤にかけて。世はまさにバブル前夜、イケイケの時代だ。世の中の移り変わりで見てみようか。 マハラジャは1985~1991年 男女7人夏物語が1986年 私をスキーに連れて行ってが1987年 「24時間戦えますか」が1988年オイルショック真っ只中に入社した俺たちは、会社のどん底からのイケイケを肌で感じていた。良い指標がボーナスだ。入社した年はひどかった。月給と見分けがつかないくらい少ない。それが4~5年後には「こんなに貰っていいの?」ってくらい出た。俺たちにしたら当たり前だ。それだけ働いてやっているんだから。どれだけ?お聞かせしましょう。平日は8:30に仕事が始まり、終わるのはだいたい夜10時過ぎ。それでも会社が週1日はノー残業デーと言うのを形だけ設けていたので、俺はホイホイと帰宅した。ソフト設計者とか回路担当はそんなもん関係なく10時過ぎまでだ。土曜はほぼ出勤。日曜くらい休ませてよと言う事で、実質週休1日だ。これで残業は月100時間になる。件のソフト屋や電気屋は150~200時間。よく身体が持つよね。それでも研究開発部門の俺たちは良い方だ。営業や施工部門はさらに50時間くらい多かった(実質は)。そう彼らは残業を丸々は付けられていなかった。ただね、彼らには「接待費」と言う裏給与があったからね。仕事とプライベートの境界がないという悲劇はあったが、実質給料は俺たちとは比べ物にならない。じゃなきゃ六本木で万札ヒラヒラさせてタクシーは呼べないだろ。研究開発部門の仕事は気合を入れれば進むものではないので、かつて(1970年頃)取りだたされたモーレツ特訓とかとは無縁だが、やらなければならない時はやらねばならない。例えば工場のラインを使っての量産試作。現在稼働している製造ラインを使って試作をしなければならないのだが、工場の生産を止める訳にはいかない。なので必然的に生産ラインの止まった真夜中にやる事になる。前日の朝に普通に出勤して試作の準備を行い、工場の生産が終わるのを待つ。17時に終わればいそいそと試作を始めて朝の8時まで、様々に条件を変えながら試作を進める。何とか翌日の生産開始に間に合わせて、ラインを引き渡す。その後、作った試作品を片づけたりデータ整理をして、帰れるのは早くて12時、むしろ普通に17時退社の場合がほとんどだった。それに何の疑問も持たなかったな。当たり前の事だった。今は生産を止めて量産試作をデイタイムに普通にやっている。それじゃ俺たちがやってきた事は何だったの?長時間にわたる実験もある。その現象自体が長時間にわたって進行していくような実験では、真夜中までつきっきりになる。また実験施設が空いていなくてグループ間で取り合いになるような事もあり、そんな時は施設の稼働率を重視して作業者は3交代で実験を行う。もちろん真夜中にだ。いずれも今なら自動計測を行ったり、外の施設をレンタルしたりして社員に過度な負担を掛けないようになってきた。作業員のアウトソーシングも当たり前になっている。こんな事をやっていると残業が月100時間とかは普通になる。俺自身は納得してやっていたね。身体はきつかったけど。俺の場合は通勤に往復4時間掛かっていたので、朝自宅を出るのは6時過ぎ、夜家に着くのは12時だった。シャワーだけ浴びてバタンキューだたっが、睡眠時間は5時間無かった。それにちゃんと残業代は出ていたし、評価もそれなりにしてくれていた。ボーナスも多かった。おかげで大いに遊びもしたよ。24時間戦えますか? 普通に戦っていたよ。30時間くらいはね。「社会人編-6:モーレツ社員はモーレツに遊ぶ」萩原健一コンクリートジャングル収録 74454★本命働く男の歌★HOLIDAY/美しき狼たち/酒と泪と男と女/勇気のしるし★全17曲★ARB/おぼたけし/河島英五/牛若丸三郎太★CD新品★1701価格:1,518円(税込、送料別) (2026/8/29時点)楽天で購入
2026年09月02日
コメント(0)

「社会人編-3:モーレツ社員への階段」から続く時代は1980年代初頭。「モーレツからビューティフルへ」だぁ?ウソつけ。モーレツ真っ只中だ。「24時間戦えますか」(1988年)だ。ちなみに「Oh!モーレツ!」と小川ローザがパンチ ラしていたのは1969年。長い間モーレツをやってたねえ、日本は。なので我が社(中小企業では大きい方、大企業では小さい方という中途半端な会社)でも当然のようにモーレツ真っ只中なのだ。どんな風に?・帰宅は普通夜22時。土曜はほぼ出勤。・残業はやり放題、と言うかやらせ放題。・課長職への昇進条件の一つは「2日程度の完徹に耐える事」・社員の憩いは飲み会と慰安旅行。このペースで働くと残業嫌いで隙を見れば帰宅する俺でも毎月100時間残業になる。多い奴は150~200時間だ。今なら過労死ラインだ。これで当時は過労死する奴もメンタルいかれちゃう奴も出てこないのよねぇ。どうなっていたんだろ?で、俺的には仕事はどんと来い。徹夜なんて社畜予備軍の大学での卒研で慣れっこだ。問題は最後に挙げた「飲み会と慰安旅行」だ。俺は酒は飲まない。飲んでもいいけど、すぐ寝ちゃう。それが分かってからは周囲の人間も俺に酒を勧めなくなった。良い事だ。当時の新入社員は座を盛り上げるために一芸を披露する。女子社員は酒を注ぎに回る。これも今なら「うっせぇうっせぇ」となるが、自分らは何か楽しんでやってたな。出し物を考えたりして。(アホなのかも知れない)慰安旅行も大騒ぎだった。事業所全体で行くから約300人、バス6~7台、ホテル貸切だ(じゃなきゃ他のお客さんに迷惑)。昭和だろぉ。日本全体でこんな事をやっていたのが、突然なくなったんだ。温泉ホテルはバタバタと潰れるよ。で、貸切になってしまったホテルでのバカ騒ぎっぷりが想像できるだろうか。ああ言う場になると「そうなっちゃう人」と「そうはならない人」の差の大きいこと!そして当時の日本社会は「そうなっちゃう人」を許容できちゃうのよ。酒の上だから仕方がない、と。酒を飲まない俺にはちょっと理解できなかった。それ以降は〇〇さんは「そうなっちゃう人」なんだと一本線を引いて付き合う事になったのである。「社会人編-5:24時間戦えますか!」に続く【中古】 ザ・宴会芸 / 立川 竜介 / 成美堂出版 [単行本]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】価格:30,274円(税込、送料別) (2026/8/27時点)楽天で購入
2026年09月01日
コメント(0)

「社会人編-2:大変な職場に入ってしまったかも」から続く入社して早や半年。仕事にも環境にも慣れて、だいぶ素の自分に戻って来た。特に背伸びする必要も自分アピールをする必要もなく、自然体で仕事ができていた。変わった事と言えば、独身寮を出て実家に戻ったこと。だってメシが不味いんだもん。いつも残業を終えて帰ってくると、冷え切ったミックスフライか焼いた青魚の定食が待っている。電子レンジさえなかった時代なのだ。もう一つは古い建物なので、やたらGが出る。メシを食っていても、部屋でくつろいでいても、寝ていても。。。 あれ、心臓に悪いわぁ。で、居たたまれなくって、その年の夏に実家に戻ったのだ。そこからはほぼ始発に乗って都心の実家から郊外の職場に通った。ラッシュと逆方向なのが幸いして、上りの満員電車を対面に見ながら優雅に座って通勤できたので、体力的にはそんなにしんどくなかった。車内でよく眠れたしね。半年もすれば仕事もフルスロットルだ。モーレツ社員だ。まだ研究開発の本丸には手が届かないが、そのための実験・試作は俺が担当した。今でこそプロトタイプの試作は全部試作屋に丸投げだが、45年前は自分で作っていた。ウチの製品はφ100くらいの樹脂製の製品なので、材料の樹脂を旋盤からフライス加工まで自分で行い、設計図通りに仕上げていく。大学時代からお手の物だ。こうして自分で機械を動かして作っていく事で、製品にした時の加工性・量産性を肌で感じる事ができるのだ。今の若手はそのセンスが身についていない。まして3Dプリンタ等により形成できない形がなくなってしまったので、余計にそのセンスが失われた。1個を3Dプリンタで作る事と、10万個を量産する事は違うのだと言う事に気が付かない。仕事上の失敗?大したドジは踏んでいない(まだこの時は)。しいて挙げれば、試作品のたくさん入ったバケットを派手にひっくり返した事くらいかな。先輩たちは本番の国家試験前でかなり焦ってたけど本人は「あちゃ~」てなモンだ。┐(´д`)┌ヤレヤレ件の武闘派係長も話せば良い人で、冬には芦ノ湖にワカサギ釣りに誘ってくれて、帰りにはご自宅にお招きされてワカサギ天ぷらパーティなんかを催してくれた。釣りたてのワカサギ、おいしかったな。それでもまだ1年生なので仕事の割り振りも手加減してくれていたが、モーレツ社会の波は2年目には容赦なく襲い掛かるのであった。「社会人編-4:モーレツからビューティフルへ、だとぉ!」に続く【中古】恋すれど廃盤 Vol.2 オー・モーレツ価格:11,539円(税込、送料別) (2026/8/27時点)楽天で購入
2026年08月31日
コメント(0)

「社会人編-1:新人研修は新たな戦場だ」から続く田舎町の研究開発部門に配属された。実家からは私電を乗り継いで2時間近く掛かる。それはしんどいと思い、取り合えず事業所近くにある会社の独身寮に入った。何とも古臭い寮だが部屋は広い。大量採用した時代があったのだろうか。基本は4人部屋だが、今は一人部屋になっていて、それでも全部屋の7割くらいしか埋まっていない。ならば新人の俺たちにも1部屋ずつくれて良さそうなものを、研修の一環という事で先輩と同室になってしまった。まあいいか。話せば気の良さそうな2年上の先輩だ。そして新たな職場は歩いて5分。職住接近にも程がある。なので寮生は皆、会社の作業着で寮を出て会社に向かう。それもダサい工場用の作業着だ。う~ん、、、ここでは素敵な出逢いは期待できそうにないな。配属されたのは開発部門の端末機器を担当する部署。この会社の主力製品だ。そしてそこに、入社試験の技術系面接を行った2人がいた(詳しくは「私を作ったものー20:就職活動なんてやってないし」を参照)。あの時にJISについて質問したのがここの主任。「おいこいつ、機械科の学生だよな?」と言ったのがここの係長。あちゃ~、やりにくいなぁ。。。それでも別にアゲンストな雰囲気もなくチームに歓迎してくれて、機械系の新人という事で機械設計担当の主任がトレーナーを担当してくれる事になった。主任は俺より10ほど年上の温厚な人柄だ。専門知識も豊富で思慮深い。永年にわたって俺に目を掛けてくれて、後々には常務にまで上り詰める人だった。まずは仕事を覚えなければならない。新人は雑用からだ。電話の取次ぎ、細々とした事務手続き、他部署に顔を出して名前を覚えてもらい、開発に関する技術のイロハを学んでいく。ここはかなり特殊な業種なので、一般的な技術知識だけではまるで足らない。会議にも出席する。まあ、ただそこに座っているだけなんだけどね。で、入社してから3,4か月経った頃に事件が発生する。いや、実はここでは事件と呼ぶ程のものではなかったようなのだが。。。俺の所の係長と他部署の係長の意見が対立した。もちろん純粋に仕事上の、技術上の問題に関する事だったが、二人の言い合いがだんだんヒートアップしてきた。そこには寮で同室の先輩もいて、その様子を見ながら俺の方に目配せをする。「また始まったよ。見てな」とでも言うように。そして、、、とうとう二人は取っ組み合いを始めた。狭い会議室の一番前、白板の前で胸倉を掴んでド突き合ってる。マジか。なんなのこの会社。周りはもちろん止めに入り、まあまあと二人をなだめる。2人は憮然としながらも、その後は何事も無かったかのように会議を進め、それなりの妥協点で着地した。その日、寮に帰ってから同室の先輩に聞いてみると「しょっちゅうだよ。あの二人は武闘派で仲が悪いから。」この会社、技術部門に武闘派がいるのか。それじゃあ日々職人を相手にしている施工部門とかはどうなっちゃってるんだ。想像するのはやめよう。とりあえず武闘派だと言う自分の係長に殴られないようにしなくっちゃ。ps. ネットで「武闘派社会人」と打つとこの画像が出てきました。意味分かんないんですけど、どなたか説明して!「社会人編-3:モーレツ社員への階段」
2026年08月30日
コメント(0)

「私を作ったものー20:就職活動なんてやってないし」から続く、のか?会社に就職した。防災機器を製造する、まかりなりにも一部上場企業だ(形だけは)。社員数は約1000名、今年の新入社員は大卒が10名。本社は東京都内だが、技術系の勤務先となる研究所・工場は東京の外れ、はっきり言って田舎だ。入社式には大卒10名(うち女子は1名)の他に、一般職の高卒女子が20名ほど。うやうやしく入社式を行い、幹部の祝辞を聴く。感想は、、、田舎くさい。社長も幹部も洗練されていない。見た目だけではなく、言動も大したことを言っていない。中堅メーカーってどこもこんな感じなのかね。同期入社となる他の9名とは、この日が初対面だ。入社試験の時に会っていたのかも知れないが、全く記憶にない。なので式の後、自由時間にお互いに挨拶をして探りを入れた。すると、、、このレベルの会社にしてはそこそこの大学から学生が集まっていた。国立大が4名、早大1名、明治1名、東女1名。。。 そして後から分かった事だが、この年までこの会社に国立大の卒業生は入社した事がなかったのだ。さらに分かったのは、俺たちの前年は入社0だった。あらら、就職難って本当に本当だったのね。そして買い手市場であればある程、取れる学生のレベルは上がると言う訳だ。ここで再び「私を作ったものー20:就職活動なんてやってないし」で思惑を巡らした浅ましい企みが頭を持ち上げるのだ。「この会社のレベルなら、研究開発部門で頭角を現すことはそんなに難しくはないだろう。問題はこの同期の中から何人が技術部門に選抜されるかだ。」この会社がどの時点でその選抜を行うのか、あるいは入社の時点で既に決められているのか。それは分からないが、今できる事はこれから始まる新人研修でどれだけ俺の優秀さをアピールするかだ。これは受け身の講義みたいにノホホンと聞いていられないぞ。まずは会社の概要や組織の内容の紹介から始まった新人研修を、一人だけやけに前のめりで聞いているのだった。概要紹介が終わると、各部署から持ち回りで中堅社員がやってきて業務内容や製品の説明を行った。さあここからだ。俺は食い入るように説明を聞き、少しでも疑問があれば真っ先に手を上げて質問した。それはアピール目的が半分だが、真に自分の疑問を解きたいと言う気持ちも半分あった。「君、なかなか良い着眼点だね。」2回ほどそんなコメントを貰い、気分上々だ。そして2週間が過ぎ(短い研修だ)、配属先が発表される。そこで俺は、、、目論見通り研究開発部門に配属された。4人いた国立大卒のうちの3人が同じく研究開発部門。なんだよ、結局大学のランクで選んだのか?兎にも角にも目論見通り研究開発部門に潜り込めた。このマリーシアな男がどう当時のモーレツ社会を泳いでいくか、もう少し見守っていてくれ。(ちなみにこんなに溌溂とはしていない。。。)「社会人編-2:大変な職場に入ってしまったかも・・・」新入社員、会議についていけません。 社会人を悩ませるビジネス用語集 [ Gakken ]価格:1,430円(税込、送料無料) (2026/8/26時点)楽天で購入
2026年08月29日
コメント(0)

「バブル男のプロポーズ大作戦 第2位:二人ならまだ見ぬ海を渡っていける」に続いての第1位は、いよいよ自分のポロポーズをご披露しなくてはならない。💦💦第2位で紹介したのは海の上のプロポーズだったが、私のプロポーズは空の上だった。クリスマスも近づいた12月のある日、彼女に「ちょっとおしゃれをして来てね」と告げて、自分も珍しくちゃんとスーツを着て車で迎えに行った。向かったのは埼玉県桶川市。彼女の家からはそこそこの距離があったが、おしゃれまでして来いと言われた彼女はワクワクしながら車に乗っていたはずだ。そして走る事2時間ほどで目的地に到達した。畑の続く郊外の道をひたすら走って来たので、どこかのおしゃれなレストランに行くのかと期待していた彼女はポカンとしていた。到着したのは本田エアポート。本田自動車が経営する軽飛行機用の飛行場だ。「ここってひょっとして。。。」「そう、これから東京の夜景を見に行くんだよ。空の上から。」チャーターしたのはこんな軽飛行機だ。残念ながら今はここから軽飛行機による遊覧飛行は飛んでおらず、ヘリコプターに切り替えられたようだ。まあ巡航速度はどちらも時速150キロほどなので、同じようなコースを同じような時間で飛ぶのだろう。この日のパイロットは若い(30歳くらい?)女性だった。コースは桶川の本田エアポートから千葉方向に向かいディズニーランドを回ってから海岸線沿いを東京駅まで飛び、東京タワー → 新宿 → 池袋 → 大宮と回ってエアポートに帰ってくる。一周約1時間のナイトフライトだ。ちなみにまだスカイツリーは影も形もない頃だ。念のため。。。パイロットも私たちも分厚いヘッドホンとインカムを付けて、女性パイロットはそこかしこで解説を交え案内をしてくれる。幸い天気も良く、気流も安定している。どこまでも続く冬の都会の灯が飛行機の窓越しにキラキラと輝いていた。「きれい。。。」何度もつぶやく彼女がますます愛おしくなった。そして周遊コースの半ばに差し掛かった東京タワーの真上で、私はポケットから小箱を取り出して蓋を開き、彼女に差し出した。中には彼女の誕生石であるルビーの指輪が。えっと驚いたように私を見つめる彼女。「このきれいな街の灯にもう一つ、君と僕の部屋の灯を付け加えたいんだ。そうしたらその灯は死ぬまで僕が守るって誓うから。」小箱からリングを取り出して彼女の薬指にはめる私。彼女は少しうるうるしながらもハッキリと、「はい。」その瞬間、パイロットが「ひゃっほ~」と奇声を上げて機体を大きく上下に揺すった。まるでジェットコースターみたいに。しまった! インカムで二人の会話はパイロットに筒抜けなのを忘れてた。かなり恥ずかしい感じになった二人だが、なんかパイロットの方が興奮状態なのだ。「すごいすごい!私、こんな場面に出くわしたの初めてです。」それからのパイロットは案内により力がこもり饒舌になっていった。私たち二人は後部座席で肩を寄せ合って、逆に何も話すことがなくなっていた。そこからエアポートに帰りつくまでは30分も無かったはずだが、私たち二人には無限に続く夜間飛行に思えた。予告マラソン期間中エントリーでP5倍&1110円OFFクーポン★ゲラン GUERLAIN 夜間飛行 オーデトワレ EDT SP 75ml レジェンダリー フレグランス 【香水】【当日出荷_休止中】【送料無料】価格:15,510円(税込、送料別) (2026/8/23時点)楽天で購入
2026年08月28日
コメント(0)

「バブル男のプロポーズ大作戦 第3位:峠の向こうに未来が見える」に続いて第2位は、油壷のシーボニアヨットクラブからのクルーザーチャーターだ。おいおい、それはもう「デートにお勧めのレストラン 第1位:シーボニアヨットクラブハウス」で紹介してるだろう。そうなんですけどね。もったいないからこのネタでも使いまわそうかなって。。。だってリアルに自分のプロポーズでは、これから紹介する第1位とどっちにするか迷ったんだもん。でもシーボニアヨットクラブは以前に彼女(つまり今のヨメ)と訪れたことがあって、インパクトの点で弱くなっちゃったなと思い本番には使わなかった。次のプロポーズではここを使いたいと思ってます。(おい!)改めてシーボニアヨットクラブを紹介すると、三浦半島の相模湾側に突き出した小さな半島、油壷の北側にある歴史あるヨットクラブだ。ここは水平線に沈む夕日を見ながら地中海料理を楽しめる関東では稀有なレストラン:リビエラがある。しかもこのリビエラは、沖に停泊している船まで料理をケータリングしてくれるのだ。(リビエラのHPから)今日こそプロポーズするぞと心に決めたら、彼女に「ちょっとおめかしして来てね」とお願いして海に誘おう。そして夕暮れ時、ヨットクラブでチャーターしたクルーザーに二人して乗り込んで、まずは城ヶ島あたりまでクルージングだ。たっぷりと潮風を浴びたらシーボニアの沖合に戻って停泊する。そしてリビエラからのケータリングを待ってデッキでディナーの始まりだ。ゆっくりと西の水平線に沈む夕日を眺めれば、そのはるか彼方には赤く染まった富士山のシルエットが浮かび上がる。そして夕日が水平線の下に沈んで夜の闇が訪れれば、満天の星たちが煌めき始める。時は来た。ここで貴方はスーツのポケットからエンゲージリングを取り出して、彼女の前に膝まづく。自立した大人の女性になら、「君と二人ならどんな荒海でも渡れると思うんだ」たぶんカカア天下になっちゃいそうな強い女性になら、「君が行く手を照らしてくれれば、僕は全力で家族という船を守る」夫を支えてくれそうな優しい女性になら、「僕一人じゃ越えられそうもない海も、君となら渡れる」いろいろと決めセリフも考えてました。(使わないで済んじゃったけど・・・)夕闇せまる海の上なら、どんな気障なセリフでもカッコが付くさ。「バブル男のプロポーズ大作戦 第1位:夜間飛行」に続く美女と野獣 ガラスドーム プリザーブドフラワー 一輪のバラ 名入れプレート 結婚記念日 プロポーズ 誕生日 ギフト 妻 彼女 恋人 友達 記念品 赤バラ ピンクのバラ 黄色いバラ 白バラ 青いバラ 銀婚式 還暦 喜寿 米寿 古希 ブリザードフラワー価格:9,680円~(税込、送料無料) (2026/8/21時点)楽天で購入
2026年08月27日
コメント(0)

前回シリーズの「デートにお勧めのレストラン」に引き続き、今回はもう一歩足を進めたい貴方に贈る新シリーズ「プロポーズにお勧めのデートコース」だ!前回の「デートにお勧めのレストラン第1位」の油壷シーボニアヨットクラブのリビエラを、プロポーズにも最適な第1位と書いたけれど、実は自分はこのコースではなかった。ヨメへの義理からも第1位には自分のプロポーズコースを推したいと思うが、それは後日。まずは第3位からだ。え、お前は3回もポロポーズをしたのかって?そんな事はない。もちろん1発で決めている。でもプロポーズコースのプランだけはいくつも作っておいたのだ。バブルの男は準備に抜かりはないのだ。その「バブル男のプロポーズ大作戦 第3位」はスポーティな彼女へのプロポーズにお勧めのアクティブプラン。題して「峠の向こうに未来が見える」。例えば貴方の友人、それも地方から東京に出てきた人だったり、あるいは初めて日本に来た海外の友人から「富士山を見たい」と言われたら、どんなエスコートをします?私なら車で東京→東名→小田原厚木→西湘バイパス→箱根を経て乙女峠を目指す。すると大磯あたりまでは丹沢の山越しに頭をのぞかせていた富士山が、小田原では箱根の山に隠れて見えなくなる。そこからは富士に近づいているはずなのに、全く見えなくなるのだ。それでいいのだ。それがいいのだ。そしてさらに御殿場を目指して箱根を登り、乙女峠のトンネルを抜ける。すると、、、トンネルを抜けた途端に目の前に「バ~ン」と富士山が現れる。広大な裾野から頂上まで全部だ。白洲正子はこれを「素っ裸の富士」と呼んで紹介している。(実はこのコースは白洲正子の受け売りです)俺は実際にこのコースで外国の友人を何人か(アメリカ人とドイツ人)エスコートしたが、乙女峠越えの富士山を見た途端に全員が叫び声を上げる。「Waaaaao !」これですよ。これが日本の美学なのです。車で御殿場まで直接行っちゃったら、この「Waoo!」は無かった。白洲正子だからこその美学です。そしてこれをプロポーズに使おうと言うのがこのプランだ。彼女を誘うのもこのルートが良い。今回目指すのは金時山だ。富士山の眺望が素晴らしいこの頂をハイキングで目指す。乙女トンネルのちょっと手前で「はこね金太郎ライン」に入り、金時見晴パーキングに車を停めよう。ここからトレッキングシューズに履き替えてショート登山だ。道程は約3km。ゴロタ石もちらばる登山道を登る事45分。たっぷり汗をかいた頃には金時山頂上に着く。そこからの景色は、、、「バ~ン」やっぱりバ~ンなのだ。乙女トンネルを抜けた先で出会える景色と同様、木々に囲まれた山道でほぼ見えなかった富士山が、最後の山坂を越えた瞬間にバ~ンと現れる。その感動を二人で味わってほしい。頂上には山小屋っぽい茶屋があり、ロマンチックでも何でもない。人気のコースなので登山客も多い。その辺は全然プロポーズにふさわしいものではないのだが、気持ちだから、大事なのは。「君と二人ならどんな坂道でも乗り越えられると思うんだ」(富士屋ホテルHPより)だめ?ロマンチックじゃない。分かりました。ではハイキングの感動はそのまま持ち帰って、次の目的地に行きましょう。それは「富士屋ホテル プロポーズプラン」冗談じゃなく、そういうプランが用意されているのだ。もちろん俺の時代にはそんなものはなかったが、宮ノ下の富士屋ホテルは使わせてもらった。初めて訪れたのはその時の彼女と箱根にドライブに行った時。気まぐれで仙石のゴルフ練習場で打ちっぱなしを楽しんだ。するとゴルフボールの中に金のボールが出てきた。何だろうと受付のおばさんの所に持って行くと、「あら、本当にあったのね。初めて見たわ。」何の事かと思っていたら、この演習場を運営しているのが富士屋ホテルで、金のボールはそのレストランでのディナーご招待だと言う。思わぬラッキーに二人していそいそと富士屋ホテルに出向き、評判のメインダイニングでのフレンチを堪能した。それ以来、あの建物、あの味が忘れられず何度か訪れている。あの雰囲気とメインダイニングでのディナーならプロポーズに最適でしょ。それをそのままパッケージにしたんだって。ホテルのチャペルでスタッフに囲まれてプロポーズするも良し、レストランでのディナーの後、同席したお客さんの拍手を浴びながらリングを渡すも良し。。。もちろんセミスィートの部屋をリザーブして熱い夜を過ごして下さいね。恥ずっ!「バブル男のプロポーズ大作戦 第2位:二人ならまだ見ぬ海を渡っていける」に続く
2026年08月26日
コメント(0)

「爆笑ものまねLive:新宿キサラを見てきたよ Part-1」に引き続き、キサラのショーも後半戦だ。その前にここのシステムをちょいと紹介しよう(お前は店の回し者か?)入場料は7000円で飲み放題、食べ放題。テーブルには未開封の角瓶と焼酎のボトルが置いてあり、ビールやソフトドリンクはセルフでサーバーへ取りに行く。料理は20種類はあったな。どれもなかなかの味だ。ショーは7:30開演で約1時間に6組のものまねタレントが登場する。開演前にも川倉店長のマシンガントークでたっぷり笑わせてくれているんだけどね。6組のタレントには出てきたと思ったらすぐに引っ込んじゃうタレントもいれば、15分ほどじっくり歌を聞かせてくれるタレントもいる。だから顔真似・体真似タレントも必要なのだ。そして後半戦トップバッターはこの男。キサラ名物「ジョーク東郷」。分かりやすいですよね。まぁでも、このメイクをすれば誰でもゴルゴ13にはなれると思うけど、ここから笑わせる所がプロですよ。さすがこのネタ1本で伊達に20年近く飯を食っていない。客席を飛び回ってマシンガン撃ちまくりです。だれか警察呼んで下さい。そしてお待ちかね、キサラの大スター「まねだ聖子」ちゃんの登場だ。うまい!似てる!ご本人が本家松田聖子の追っかけをやるくらいの大ファンと言う事で、メイクからドレスからその時代時代の聖子を完コピします。そして若い頃の聖子ソングを若い頃のキーで歌ってくれる。本家はもうかなりキーを下げないと歌えないのにねぇ。(拍手!)ショーが終わった後はタレントたちが客席を回って写真&握手タイム。聖子ちゃん、綺麗でしょ。本家は70を過ぎたけど、こっちの聖子ちゃんももう60の筈だけど、衰えてません。そしてまねだ聖子の後は長渕剛そっくりさんの「英二」。ステージでは生ギターで剛のヒット曲を連発してました。おまけで中井貴一似の「きくりん」も回ってきます。ミキプルーン持参なので何とか認識できます。たっぷり笑わしてくれて大満足の1時間、店長の前振りとショー後の写真タイムを合わせれば1時間半以上楽しめました。音楽も生が一番だけど、ものまねも生に勝るものはないね。
2026年08月25日
コメント(0)

久々に行ってきました、新宿のものまねショーパブ:そっくり館 キサラ。いやぁ笑った笑った。食べ放題のビュッフェ料理で一杯になったお腹が弾けれるかと思ったよ。キサラは新宿、伊勢丹のちょい手前のビルの8階にあるものまねショーパブ。テレビでもお馴染みの面々(と、そうでもない面々)が次々に出てきて笑かしてくれる。あれは生だわ。Liveで見ないと面白さは半分しか伝わらないね。開演前に客席を盛り上げるのは黒Tの川倉店長。この人が凄いわぁ。まさに接客のプロ。アドリブの天才。お客の出身地やちょっとした身なりを題材にドッカンドッカン笑いを取る。左側の細身のジャケット姿は、よく見ると中井貴一そっくりさんです。説明されないと気が付きません。開幕して1番手は、これは分かりやすいですね。松山千春そっくりさんの「まっちゃま」。(そうでもない人の名前は「」で囲みました)そうでもない人ですが、ものまねは本物です。千春のハイトーンも良く伸びてます。サービス精神も旺盛。客席を回って今朝剃りたての頭をなでなで。特に御利益は無さそうです。2番手は見たまんま、「大谷似翔平」。ええ身体してるわぁ。まぁバット振っただけなんですけど。。。彼も最近、名が売れて来ました。芸名はまんま「ジャッキーちゃん」。昔から見てますけど、最近より似てきたよ。川倉店長のツッコミに片言の日本語っぽく答えるのも様になってる。で、ここまででお分かりのように、キサラは「ガチのものまね」と「顔真似。形真似」と「よくわからない真似」がうまい事混在して出てきます。それがまた楽しいんだけどね。てな訳で、今日は疲れたからもう寝る!続きは明日のココロだぁ。「爆笑ものまねLive:新宿キサラを見てきたよ Part-2」に続く
2026年08月24日
コメント(0)

「デートにお勧めのレストラン 第2位:横須賀のTEX-MEX マイクス」に続いてのデートにお勧めのレストラン 第1位は三浦のシーボニアヨットハーバーのクラブハウス:リビエラ。場所は三浦半島の先っちょの相模湾側に位置する油壷だ。シーボニアヨットクラブは油壷のある小さな半島の北側、小網代湾にある歴史あるヨットクラブであり、そこのクラブハウスにあるレストランがリビエラと言う地中海料理のレストランだ。(リビエラのHPから)ここのお勧めポイントは何といってもロケーションだ。ちょっと考えてみて下さい。関東地方で海に沈む夕日を見ながら食事ができるレストランってどこにあります? 西伊豆に行けば見られるけど、あそこは静岡県。房総半島の先っちょも見られるけど、ちょっと遠い。他には?会社帰りに車を走らせて夕日に間に合うような場所は?意外にないのだ。私が思うにここ油壷が唯一の場所だろう。葉山や逗子にも良いレストランはあるが、夕日はすぐに湘南の陸にかかってしまう。油壷は相模湾の水平線越しに富士山のあたりに沈む夕日が見られる貴重な場所なのだ。しかもここリビエラは窓の外はすぐに海。はるか彼方に富士山。ロケーションとしてはこれ以上のデートスポットはないよ。ただし真夏には太陽はだんだん北の方に沈むことになるので、富士山からは離れてしまう。逆に真冬には手前の岬が邪魔をするかも。春と秋が夕日のベストシーズンだろう。せっかくシーサイドなのに真夏の夕日が見られないのはちょっと。。。と言う貴方にはとっておきの方法があります。それはクルーザーをチャーターして沖に停泊し、船までレストランからケータリングしてもらう。贅沢でしょ。四方は海、もう貴方を邪魔するものは何もない。ここで落ちなかった女は今までにいなかったな。(一人しか試してないけど)お勧めのデートコースNo.1のここは、ポロポーズポイントでもNo.1なのだ。クルーザーの上で夕日を見ながらのディナーの後で、彼女にプロポーズ。ちょっと彼女が友達に自慢したくなるようなシチュエーションじゃない?バラ 花束 108本 薔薇 誕生日 記念日 赤い バラ プロポーズ 告白 結婚式 深紅 ばら サプライズブライダル お祝い 生花 ギフト ロングサイズ50cm価格:19,980円(税込、送料無料) (2026/8/19時点)楽天で購入
2026年08月23日
コメント(0)

「デートにお勧めのレストラン 第3位:真鶴の海鮮料理 うに清」に続いてのお勧めのレストラン 第2位:はメキシコ料理、それもテキサス風メキシカン クゥイジン:TEX-MEXの店 MIKESだ。MIKESは全国に5店舗あるチェーンで、ここ横須賀の他に東林間(厚木基地の傍だ)、横田(言わずもがな)、沖縄、佐世保にある。つまりは米軍基地のある街だ。東林間のMIKESは前回「美味いメキシカンを喰いたけりゃ基地の街に行け!」で紹介したばかり。ここ横須賀店は東林間よりもっとアメリカン。客はほぼアメリカ人、と言うか米兵と家族だろう。飛び交う会話は全部英語。店員もアメリカ人なのでオーダーも英語(日本語も通じるけど)。なのでこの際、思いっきりアメリカに浸かっちゃいましょう。車でなければ様々なテキーラベースのカクテルも楽しめる。そして夜に訪れればまるで映画の1シーン(トップガンのバーとか)みたいな場面に出くわせる。満腹になったらどぶ板通りをフラつくのも楽しい。ここは昼間はただの観光客向けお土産屋街だが、夜は表情が一変する。やはりアメリカなのだ。2昔ほど前はとてもじゃないが女の子を連れて歩きたい街ではなかったが、今はすっかりおとなしくなった。それでも酒場に一歩足を踏み入れたら、いつでもドンチャンやっている。あのはしゃぎっぷりはやっぱ日本人とは違うわ。異人種交流がしたければ、そして彼女がそれを望めば、ほんのちょっと彼女と距離を置いていれば、秒で米兵が寄ってくる。魚もこれくらい簡単に寄ってくれば釣りも楽なんだけどな・・・「Hi ! What's up?」あっと言う間に何人もの若い米兵に取り囲まれる。彼女がちょっと困った顔をしている所にビール瓶でも持って現れればいいのだ。奴らも別に悪気はなく、単にお話したいだけなのだから(本音は知らんけど)。しばしの異文化交流を拙い英語で行えば、ここは本当に日本かと思えてくる。夜のデートコースになっちゃったけど、昼から楽しみたければ横須賀の軍港巡りがお勧め。これまたなかなか見られない風景が目白押しだ。ガイドの説明もジャングルクルーズみたいで楽しいよ!「デートにお勧めのレストラン 第1位」に続くのだ。横須賀海自カレー人気食べ比べセット 4食 送料込み ギフト プレゼント 贈答 お取り寄せ お土産 (レビュー記入で300円OFFクーポン配布中)価格:3,390円(税込、送料無料) (2026/8/19時点)楽天で購入
2026年08月22日
コメント(0)

久々のグルメネタはコイバナ繋がりで「デートにお勧めのレストラン」だ。デートにお勧めのグルメ 第3位は真鶴にある海鮮料理屋、うに清だ。うに清は平成天皇もご来訪された有名店なので何を今更感は否めないが、とっておきのデートコースと共にご紹介しよう。うに清は昼営業(4時まで)しかやっていないので、東京からデートで向かうならまず海鮮で昼食だ。土日に行くなら予約は必須。11時の開店時なら2階窓際の特等席を予約する事ができるかも。窓の下には相模湾が広がり、行きかう遊覧船や釣船を見ながら特上の海鮮料理が堪能できる。2人いれば定食をオーダーして船盛が楽しめる。まだ動いている魚やイセエビの美味いこと。酒飲みには堪らないごちそうだろうが、酒を嗜まないドライバーももちろん大満足だ。刺身を平らげた後のエビの鬼がら汁も絶品!ボリューム的には6000円の亀定食で十分だ。食事が終わったら店の下の海岸に出て磯遊びで腹ごなし。潮だまりには小さな魚やカニがいて、見ているだけでも楽しめる。俺はお遊びで短い竿で小魚を釣ったりする。極小ルアーにすれば虫嫌いの女の子でも楽しめる。小さなハゼやカサゴの仔魚が釣れちゃうよ。少し腹ごなしができたら遊覧船がお勧め。目の前の岸壁から真鶴半島の先端、三ツ石までのほんの30分ほどの遊覧だが、きれいな海と点々と連なる三ツ石、そして何よりフレンドリーなカモメたちが迎えてくれる。このカモメに餌付けができるのだ。船内でもスナック菓子みたいなのを売っているが、パンくずを自分で持って来る事もできる。俺はいつも馴染みのパン屋さんに落としたパンの耳を分けてもらって持ち込んじゃう。船長は別に何も言わないよ。船が岸壁を離れるとすぐにカモメたちが寄ってくるが、少し走ってたくさん集まってからが勝負だ。でも慌ててパンを投げるのは素人。ましてパンを海に投げてカモメに拾わせるのは愚の骨頂。せめて空中キャッチを見せてもらおう。でも俺たちは違う。パンを持って空高く差し出して根気強く待つ。するとカモメが船のスピードに合わせて飛んできて、俺の手から直接パクリと咥えていく。かわいいのよ。特に他の客がパンを投げつくしちゃうと、エサは俺たちしか持っていないので、次から次へと取りに来る。人間何事にも辛抱なのだ。遊覧船の後は温泉だ。関東の古湯、湯河原温泉は目の前だ。これに入らない手はない。お勧めはみやかみの湯という日帰り温泉施設。大浴場にゆっくり浸かって、おやすみ処で湯冷ましをして東京に帰りましょ。親密な二人なら一緒に泥パックサウナとか、貸切風呂もあります。泥パックはお勧め。お肌つるつるになるし、スチームサウナも気持ちいい。帰りの車の中、助手席で満足そうに眠っている彼女を見るのって、嬉しくありません?「デートにお勧めのレストラン 第2位:横須賀のTEX-MEX マイクス」に続く(8/15~★P5倍~最大50%OFFクーポン)【公式】NANOA 泥パック クレイパック 医師が大注目の エクソソーム ヒト幹細胞 ナノア4種の泥 配合 美容 クレイマスク ピーリング 毛穴 黒ずみ 角質 角栓 いちご鼻 ケア 80g価格:2,480円(税込、送料無料) (2026/8/19時点)楽天で購入
2026年08月21日
コメント(0)

「Chap.6-2:浮かれたのは俺か彼女か?」から続く冬になった。ヒフミと過ごす初めての冬だ。冬になればこっちのもの。俺の季節だ。12月から3月までの週末はほぼゲレンデにいた。1人の時も多いし、その時の彼女との時も。俺はあまり大勢のグループで行動するのが好きではない。せいぜい4,5人まで。会社ではスキーサークルなんぞを作っていたくせに、実は団体行動が苦手なタイプなのだ。そして1月の週末、俺はヒフミを誘ってスキー旅行に出かけた。目的地は車山高原。蓼科の一画にある関東のスキーヤーにはお馴染みのゲレンデだ。ここのペンションでの一泊スキーツアーに誘った。いつもは金曜の夜中から動き始めて土曜の朝にはゲレンデに立っていたい俺だが、女の子連れでそんなスパルタンな事はせず、普通に土曜の朝にヒフミを乗せて東京を出た。ところがこの日は猛烈な雪。中央高速が甲府盆地に差し掛かる頃には吹雪になり、高速は全面通行止めで甲府の手前で20号に降ろされてしまった。車山まではまだ100キロはある。しかも20号線は高速を降ろされた車で大渋滞だ。この時点で既に昼の12時。ここからが腕の見せ所だ。俺の名は「裏道キング」。伊達にそうは名乗っていない。ナビなど無い時代にロードマップをハンドルに掛けて裏道探しの旅が始まる。甲府市内はどうにでもなる。韮崎から北杜に入る辺りからはもう過去の記憶と野生の勘が頼りだ。しかも大雪で下手をすれば車はスタックする。しかし愛車は雪道の王者 スバルレガシィGT。発売と同時に飛びついたピカピカの新車だ。上り坂でスタックするFF車を尻目にぐいぐいと進んでいく。女の子連れだ。無理はせず、ちゃんとほうとうを食べたりコーヒーを飲んだりして休憩を取りながら車山を目指した。そして5時には何とか目的地に到着。事なきを得た。宿に着くとペンションのオーナーがびっくりしていた。高速は通行止め国道も大渋滞で、他の客は到着を諦めてキャンセルだったらしい。今日は貸切だ。ペンションらしいライトな洋食を食べ、ゆっくりと風呂に浸かって部屋に戻った。貸切のペンションで二人だけの部屋だ。普通ならあんな事やこんな事になるはずだが、彼女とだと何かそう言うムードにならず、ふざけた話ばかりして盛り上がっていた。「明日は早起きしてゲレンデに出よう。素敵なものが見られる筈だよ」なんと健全な二人なんだろう。おやすみ・・・そして翌朝。雪はウソのようにやんで真っ青な空だ。9時少し前にペンションを出てスキーを肩にゲレンデに向かった。すると。。。誰もいない。思った通りだ。広いゲレンデを二人だけで貸切なのだ。「すてき。私たちだけなの?」「昨夜言ったでしょ。素敵な景色が見られるって」動き始めたペアリフトに二人だけで乗り込み、ゲレンデ頂上へ。そこから処女雪の上を二人のシュプールを描きながら滑り降りた。振り返ると俺たちが描いた2本の線だけが真っ白な雪の上に残っている。他には誰ひとりいない。不意にヒフミが近づいてきて、俺にキスをした。愛情たっぷりと言うより「ありがとう」と言っているような。まあいいさ。君とはそう言う関係がお似合いだよ。私をスキーに連れてって [ 馬場康夫 ]価格:2,715円(税込、送料無料) (2026/8/15時点)楽天で購入
2026年08月20日
コメント(0)

「Chap.6-1:派遣社員は恋する蝶々」から続くヒフミを誘ったのは汐留だ。今でこそ先端のオフィスビルと五つ星ホテルが立ち並ぶ汐留シオサイトだが、バブル前は国鉄の操車場だった。それが廃止され広大な空き地になったのはバブル直前。新橋駅と銀座、浜離宮に囲まれた一等地はその大きさと価格からなかなか再開発がスタートせず、宝の持ち腐れ状態だった。その空き地が仮設のエンタメ施設として利用され、サーカスやテント劇場、仮設遊園地に変身した。木下大サーカスとかやっていたな。その中の一つが仮設遊園地で、アメリカのカーニバル会場のようなアトラクションが設置されていた。そこにデートに誘ったのだ。ヒフミを一言で表せばアメリカンガールだ。茶髪のショートヘアをくりくりにして、明るく飛び回っていた。溌溂とした話声と明るい笑顔が印象的なアメリカンコミックに出てきそうな女の子だった。なので彼女とはしんみりした雰囲気にはならず、明るいデートばかりだったな。ここ汐留に来た目的の一つはダイビングシミュレーター。水の中ではない、空の上だ。バラエティ番組で芸人が太いチューブの中で下から強風を受けて浮き上がっているのを見た事があるだろう。あれである。世界各国にありシンガポールやドバイのが有名で、日本ではフライステーションという会社が越谷に日本初の施設をうたって9年ほど前に営業を開始した。しかし彼らが日本初ではなかった。40年近く前の日本にあったのだ。まさにこれだ。透明な太いチューブの床にネットがはってあり、その下から時速200キロを超える強風が吹きあ上げてくる。ゲストはぶかぶかのつなぎとヘルメット、ゴーグルをつけてインストラクターと中に入りスカイダイビングを経験する。最初は壁際に立っていて、風が既定の速度になるとインストラクターに風の中に投げ出される。「あらよっと」と言う感じだ。するとフワリと言うよりもブワァーっと吹き飛ばされて宙に浮く。この写真だと青がゲスト、赤がインストラクターだろう。一度宙に浮いてしまえば、コツさえ掴めば上がったり下がったり横に移動したりは難しくない。宙返りは素人には無理だね。それと遊泳中は空気圧のため鼻で呼吸ができない。仕方がないので口を開けると、強風が飛び込んできて強制的にターザンになる。よだれダラダラにもなるが、よだれは上にたなびいていく。しばらく(5分足らず)空中遊泳を楽しんで、再び壁際に帰ってくる。おもしろい!おもしろいけど高かった。ちなみに上記のフライステーションは1分6000円。1秒100円だ。もちろん着替えたりガイダンスを受けたりするので、トータルでは30分くらいの体験らしい。ヒフミも誘ったのだが「ターザンやだ」と断られた。よだれだらだらは嫌らしい。でもこれでヒフミとの距離はぐっと縮まった。やっぱ浮かれたのは俺だけか?「Chapter6-3:二人きりのゲレンデ」に続くBIRDMAN NINJA Wingsuits 忍者 ウイングスーツ価格:296,010円(税込、送料無料) (2026/8/14時点)楽天で購入
2026年08月19日
コメント(0)

学生時代までの自叙伝から一休みして、再びジジイのコイバナに話を戻そう。このカテは、「Chap.5-2:行き場のないジェラシー」以来だから4か月ぶりだ。時をバブル期に戻そう。俺はアメリカから帰ってきて3年、仕事も私生活も絶好調だ。ようやく「Chap.3-1:真夜中にベルが鳴る」からの深い失恋の傷も癒え、元のイケイケポジションに舞い戻って来た。と言ってもそんなパリピじゃないよ。バブル男子の平均的な生活だ。それは、・週に2回はLive House通い。主に六本木。・月1回は旅に出る。冬はスキー、夏は海かテニス。・週末はデート。ドライブかテーマパーク。・その他の時間は仕事仕事仕事。残業はLiveに行かない日(即ち週3日)に早くて10時まで。土曜は出勤。これで残業時間は100を超える。よくデートするヒマがあったよね。よくデートの相手を見つけたよね。我ながら感心するわ。でも俺はいわゆるナンパはした事がない。ナンパ目的で酒とかを飲みには行かないし、合コンとかにも顔は出さなかった(第一、酒は飲まないので)。自然な出会いで自然にお付き合いが始まっていた。なので仕事関係の女性が多かったな。ヒフミは派遣会社からやって来た開発事務員だった。主な仕事はいわゆる事務雑務の他に、データ整理・集計、実験補助、計測記録と様々。そこそこのスキルを要求される仕事だ。もちろん最初はやり方を教えるのだが、彼女はとても呑み込みが早い。頭が良いんだな。その頭の良さが気に入って色々と話すようになった。彼女もアメリカ帰りと言う俺の話を喜んで聞いてくれた。で、自然と「次の日曜日は時間ある?〇〇に行こうかと思っているんだけど。」当時話題になっていたプレイスポットに誘ってみた。「わぁいいな。私も行きたい!」でスンナリと初デートが決まった。これは恋なのかと気付くまでには時間がかかるが、恋に落ちてしまうのは一瞬だ。「Chap.6-2:浮かれたのは俺か彼女か?」に続く【中古】 恋する惑星 4Kレストア(Blu−ray Disc)/トニー・レオン[梁朝偉],フェイ・ウォン,ブリジット・リン[林青霞],金城武,チャウ・カーリン,ウォン・カーウァイ[王家衛](監督、脚本、製作),フランキー・チャン(音楽)価格:4,114円(税込、送料別) (2026/8/13時点)楽天で購入
2026年08月18日
コメント(0)

「私を作ったものー19:捻くれ者の矜持」から続く大学4年生には卒研と並んでもう一つの関門が待ち構えている。就職だ。今の学生は卒研が関門だなんて思っていないんだろうね。就職試験のために大学の4年間があるようなものだと。俺の時はオイルショックの不況真っただ中。結構就職はきつかった。はず・・・いや、あんまり卒研に夢中になり過ぎて、ちゃんと就職活動をしていなかったのよ。俺の時は世の中の規約は厳しくて就職活動は4年の夏以降、試験は秋だ。でも俺は秋になってもな~んにもやらなかった。情報収集さえやっていなかった。すると研究室の同期たちが次々と内定を取って来た。「おまえ、何も考えてないのか?」「うん、遅いかな。。。」てな事で遅まきながら就職を考え始めた。当時はもちろんネットはないし就活雑誌もない。頼るのはまず大学の学生課。掲示板に色んな会社の募集要項が貼りだしてある(今はそんな事やってないんだろうね)。ここで再び俺は俺自身に問いただした。「お前は何をやりたいんだ?」機械いじりは好きだ。「私を作ったものー16:人としての基礎は開成で、技師としての基礎は大学で」でも書いたが、車の簡単な修理調整は全部自分でやっていた。でもそれを仕事にしようとは思わなかった。ならば何がしたい。家電メーカー?違うな。重機?ちょっと惹かれるがこれでもない。素材屋?断じて違う。じゃあ何をしたいんだ?今やっている研究はドンピシャだった。つまり「何を作るか」ではなく「なぜ動くか」を見つけたいのだ。それはメーカーのエンジニアの仕事ではなく、科学者・研究者の仕事だ。これはちょっと狭き門だぞ。道の一つは大学院に進んで大学の研究者を目指す事。それってここでか?全く考えていなかった。何の準備もしてこなかった。ちょっとないかな。するとメーカーや研究機関で研究員を目指すか。上に挙げたメーカーでも基礎研究的な事はやられている。そこに潜り込めるか?どうやって?松下・東芝・日立・IHI・新日鉄 etc. その中で俺程度のキャリアが技術のトップである研究部門に配属されるか?這い上がってそこに行き着けるか?俺の選択は、敢えて中小メーカーを目指す。もっと言えば企業としては大きくはないが、その分野でトップを取れる企業を狙う。そう言う会社なら俺程度のブランドでも研究開発部門に行き着く事は十分可能だろう。(結構いやらしい学生だ)候補の一つはベアリングメーカー。これは鉄板だ。今の研究テーマとも直結するし、担当教授との関係も深い。でも、安易すぎないか。。。 正直あまり気が進まず、他の企業を探した。再び大学の学生課掲示板に戻って、募集要項に目を通す。するとある防災機器メーカーに目が留まった。社員数1,000名、上場一部、研究開発部門は東京、募集は10名。全く知らない会社だがパンフレットにあった社是が気に入った。何より「人を守る」「社会を守る」という大義が感じられる。試しに覗いて見ようかな。本当に「試し」のつもりだった。それでも応募用紙を埋めて提出すると、1週間後に本社に来いと連絡が来た。さして大きくも新しくもない本社ビルを訪ねると、応募者が30名程集まっている。説明会はこの日だけではないので、全体としては相当数が応募している事になる。あらま、この程度の会社でもこうなのね。やっぱ就職難だったのね。(気が付くのが遅すぎる。。。)開催時間になり席に着くと、いきなりプリントが配られた。へっ!入社試験じゃん。会社説明会じゃなかったの?知らないのは俺だけか?皆、普通に試験用紙に向かってる。ちょっと戸惑いながらも試験に臨む。内容は大した事はない一般常識。その後で文系理系に分けた専門試験があったが、これも基礎的なもので問題はない。問題はその後の面接だった。最初に文系理系に分けて専門面接があり、俺は技術部門の中堅社員と思われる3人から面接を受けた。内容はJISの機械部品の規格内容だった。そんなもん憶えていないので「分かりません」と回答した。すると3人の内の一人が質問していた隣の人に「おい、こいつ機械科だよな」と聞いている。そう言う事を受験生の前で言うか?実は後になってこの人とは浅からぬ関係が生まれるのだが、この時は知る由もない。最後に役員面接だ。相手は4人。ここでは大学の事を聞かれるか、研究の事を聞かれるかと手ぐすね引いていたのだが、質問は「開成って難しいんでしょ」「校内では競争が激しいんだよね」「開成から二期校じゃあ落ちこぼれなのかな」開成の事ばかり聞く。しかもこっちを不愉快にさせるような内容ばかりだ。わざとやっているなと感じた俺は、極力穏やかに返答していた(つもり)。なんか騙し討ちにあったような入社試験を終え、結果を待った。すると「合格」。嬉しいんだか嬉しくないんだか。。。 そりゃあ落ちるよりは嬉しいわな。ここは素直に喜んでおこう。しかしよく考えると喜んでばかりはいられないぞ。当時は自己都合では入社辞退はしてはならないと言うのが暗黙の掟だった。一応教授の推薦状も持って応募しているから、あまり無礼な真似はできないと言う事だろう。しかも当時は今以上にいわゆる終身雇用制の色が濃かった時代だ。俺の一生はこれで決まっちゃうのか?研究室の中だけで比べても俺は一番遅い内定だったし、受かった会社は一番資本金が小さかった。まあそれが狙いではあったのだが、やっぱりちゃんと準備して調べていくべきだったとは思ったね。それでもこの会社が気に入って受けたのだから、ここで頑張ってみようかと考え直した。この決断が吉と出るか凶と出るか、社会人になってからのお楽しみだぁ。(こんなに爽やかな新社会人ではない。。。)いよいよ第二部「社会人編-1:新人研修は新たな戦場だ」に続く
2026年08月17日
コメント(0)

「私を作ったものー18:凹んで弾んで転がっていけ」から続くできた!まかりなりにも自分なりのころがり摩擦の発生原理を導き、理論式も立てた。それを担当教授に見せると、首をひねっていた。突飛すぎる?そうかな。でも今さら結論は変えられない。卒業論文も書かねばならない。ここはもう強行突破だ。俺の時代、まだパソコンなどない。コンピュータはあったがパンチングテープに機械語を入力して計算する代物だ。手計算の方が早い。なのでもちろんワープロもない。卒論も手書きだ。実験担当だった卒業研究の相棒は、ここではワープロ担当になった。つまり代筆屋だ。(おまえ、ちゃんと卒業できたのは俺のおかげだからな。感謝しろよ)で、卒論も書き上げて提出し、後は研究発表を待つばかり。やっと、やっとゆっくりできる。発表のための資料作り等はあるが、そんなものは楽勝だ。その間に俺は車で旅に出たり、映画を見たり寄席に行ったり。初めてJAZZ Barに行ったのもこの時だ。(新宿の名店タローだった)さあ研究発表だ。テーマ担当は2人だが、当然のように俺が発表する。準備した模造紙のポスターは8枚。目の前には機械工学科の全教授。中央に俺の担当教授。発表に15分、教授からの質疑が10分。発表はスイスイと進み、俺のぶち上げた理論の説明も終え、質疑に入った。数人の教授が首をひねっている。あぁやっぱりか。ある教授が小声で俺の担当教授と話しているのが聞こえてくる。「こんな式が成立するのか?」「一応矛盾はないようです」俺に聞けよ。説明するから。教授連は事を荒立たせたくないらしく、無難な質問に終始して発表会は終わった。俺としてはむしろ議論したい所だったけどね。そうすると担当教授が微妙な立場に立たされるので、あれで良かったのだろう。その後の会社員人生でも俺のスタンスは変わらなかった。異端者なのだ。会議の場でも学会でも町内会でさえ一人だけ違う意見をぶち上げた。全体として会議が正しい方向に進んでいると分かっていながら、敢えて反対意見をぶつけるのだ。嫌な奴だろ?もちろん邪魔をしようとしているのではなく、敢えて他の方向からの検討を促した。大抵は議論の末に主流派の意見に収斂していくのだが、無風では終わらせたくないのだ。やっぱ嫌な奴だわ。そんな奴なので上の受けは良くなかった。卒業論文は無事審査を通り(当たり前だ。ここで落ちる奴はほぼいない)俺は卒業する事ができた。卒業式?行ってないな。俺、何してたっけ?「私を作ったものー20:就職活動なんてやってないし」に続く
2026年08月16日
コメント(0)

「私を作ったものー17:挫折した腑抜けの大学生活とは?」から続く大学の総決算は4年だ。文系はゼミに参加し卒業論文を仕上げる。理系は研究室で卒業研究を行い研究論文を仕上げる。どちらも大変だがやりがいがある。俺は楽しかったね。最高に楽しかった。俺の選んだ研究室は「機械基礎」。機械的な動作の根源を研究する学問だ。その中で俺に与えられた課題は「ころがり摩擦」。すべり摩擦の発生する原理は分かりやすいですよね。ミクロに見れば物体表面の微小な突起群が擦れて変形・破壊する時のストレスが摩擦力となって感知される。鏡面のようなもっと滑らかな物体なら分子間引力が発生し摩擦力が感知される。ころがり摩擦は?玉が転がる時にも摩擦は発生する。それは何によるもの?ぱっとは思い浮かばないでしょ。経験的にはころがり摩擦を小さくする方法は思いつく。でもその原理は?・タイヤの空気圧を高くすると燃費は良くなる。タイヤのころがり摩擦が小さくなったからだ。 なぜ?・タイヤの径を大きくすると良く走る。 なぜ?この「なぜ?」については当時まだ未解明な部分が多く、世界的にも「トライボロジー」(表面工学)という言葉が生まれたばかりだった。指導教授は鉄球が転がる時の抵抗力を様々に条件を変えて測定するよう俺に指示しその通りに実験を進めていたのだが、俺はどうしても「なぜ?」に引っ掛かる。仮説はいくつかあるのだが、そのいずれもまだ最終解に行き着いていないのだ。ここが研究の醍醐味だ。中学受験、大学受験と違い正解は不明なのだ。面白いったらない。ころがり摩擦の発生する原理の一つは塑性変形。例えば金属の平板の上を鉄球が転がるとしよう。想定しているのはボールベアリングだ。なので鉄球には相応の荷重が掛かっている。これが平板の上を最初に転がる時、平板も鉄球もわずかに変形しながら転がっていく。鉄球が転がった平板の跡には線が残るはずだ。そこが塑性変形したから。鉄球の重みにより平板が凹んだのだ。当然、その時には塑性変形させるエネルギーが必要となる。これが最初に感知されるころがり摩擦だ。しかし何回か同じ所を鉄球が往復していくと、塑性変形による溝は平衡に達しそれ以上深くはならなくなる。それでもころがり摩擦は感知される。それは何?当時既に発表されていた学説では、平板と鉄球が荷重により弾性変形し、その際のエネルギーロスが転がり摩擦力として現れると言うもの。ではエネルギーロスとは何?このように物事の核心に迫っていくのがたまらなく快感だった。卒業研究は学生二人が組になって一つの課題に取り組んでいたので、実験は相棒に任せて俺は「なぜ?」に突っ込んでいった。担当教授では物足らなくて他の研究室をあちこち訪ねて「なぜ?」の答えを探した。何回も徹夜もした。研究室の床に段ボールを敷いて(元祖段ボールベッド!)体に新聞紙を掛けて眠る。夜は冬になると空調も止められちゃうので、寒いったらない。昭和だろ~。こうして社畜への基礎は固められていったのだった。「私を作ったものー19:捻くれ者の矜持」に続く
2026年08月15日
コメント(0)

「私を作ったものー16:人としての基礎は開成で、技師としての基礎は大学で」から続くマジメで前向きな大学生に戻ってからは、大学生活も充実していた。授業にも身が入ったし、学生生活もエンジョイしていた。バイトも好調だ。バイトは家庭教師しかしなかった。だって時給が抜群に良かったもん。ここでは開成のブランド力が効いたのだ。おかげで大学に入学してからは親の世話にはならなかった。大学の授業料も教科書や参考書代も遊ぶ金も、全部自分で出した。と言っても国立大の授業料は月3000円だったけど。本は全部古本だ。神田の古本屋には通い詰めたよ。特に明倫館にはお世話になりました。バイトのない日は友達とだべって過ごすか、映画か。名画座にはよく通った。池袋文芸座、飯田橋佳作座・ギンレイホール。浅草東宝名物オールナイトも楽しかったな。クレージー6本立て、若大将シリーズ5本立て、ゴジラ5本立てetc. 若大将の時なんか観客全員で歌っちゃうんだぜ。応援上映会(Sing Alongって言い方の方がカッコいいな)の走りは間違いなく浅草東宝だった。あとバイトの金の行先はオーディオとレコードだね。オーディオセットは結構無理して良いのを漁った。スピーカーはデカければデカいほど、アンプは出力が高ければ高いほど良いとされていた時代だ。当時はオーディオブームで各家電メーカーが競ってオーディオブランドを持っていた。パナソニックがテクニクス、三菱がダイヤトーン、東芝がAurex、JVCがケンウッド etc. 1社でセットを揃えるより、複数メーカーの良い品物でセットを組む方がおしゃれだった。俺はアンプがLUXMAN、スピーカーがダイヤトーン、プレーヤーがテクニクス、チュナーがソニー、テープデッキがマランツだった。み~んな消えちゃったよ。最近テクニクスが復活したのが嬉しいけどね。JAZZのレコードも買いあさった。ほぼ全て中古だったけど。お茶の水のディスクユニオンにはよく通った。客が棚からレコードをパッパッパッと1枚ずつ引き上げて探す技を競っていたね。浮ついた方の青春とは無縁だったなぁ。ウチの大学の機械工学科には女子学生は0。もちろん教授連中にも0。技官にも0。当たり前か。なので俺は中高大と10年間、女子と机を並べた事がない。あ、浪人生時代は女子がいたね。あれが俺にとっては一番華やかな時代だったのかもね。「私を作ったものー18:凹んで弾んで転がっていけ」に続く【公式店】テクニクス ダイレクトドライブターンテーブルシステム 選べる2色 SL-1200GME-S アナログプレーヤー Technics 送料無料価格:605,444円(税込、送料無料) (2026/8/10時点)楽天で購入
2026年08月14日
コメント(0)

「私を作ったものー15:俺は何をしたいんだ?」から続く1年の一般教養で法律の講義を取った事が大学生活を見直す切っ掛けになり、何とか大学生活へのモチベーションを取り戻す事ができた。そんなカッコ付けなくても、普通にさぼらずに大学に行くようになっただけなんだけどね。元々科学技術は好きなんだ。ちゃんと向き合えば、俺だってちゃんとできる子だ。次第に機械工学そのものの楽しさも分かってきて、授業に向き合う姿勢も変わった。機械工学とは・何でこの物は動いているか?・この物を形作るのは何なのか?という2点に集約される学問だ。その「なぜ」を突き詰めれば科学になるし、「どうやって」を突き詰めれば工学になる。俺はどうやら「なぜ」にこだわりたい人間のようだ。機械製図やデザインも楽しいのだが、俺には「何でそうなるの?」の方が興味があった。それはその後の社会人としての人生にも通じるものだった。「どうやって」にももちろん興味はあった。特に自動車。機械工学科の学生の半分は自動車メーカーに行きたい奴らだ。俺はその希望は持っていなかったが、自動車いじりは好きだった。当時の自動車はまさに「機械」だったから、かなりの部分を自分でいじくれたのだ。それもオイルやフィルタ等のサプライ品の交換のレベルではなく、エンジン点火時期調整やタペット調整、サスペンションのショックやダンパ交換、タイミングベルトやバルブタイミングの調整、etc. 全部自分でやっていた。今のサスペンションはほとんどがマクファーソン・ストラットと言ってダンパーがコイルスプリングの内側に内蔵されている。これだと特殊な器具でコイルを圧縮しないとダンパーを交換できない。車のサスペンションはまずダンパーがヘタってフニャフニャになるので、こいつを交換したい。でも特殊器具のない素人は交換できないので、ダンパー交換を自分でやりたくてストラット式でない車を買っていた。ダブル・ウィッシュボーンやマルチリンク式の車だ。なので20代の頃の車はニッサン ブルーバード→イスズ ジェミニだった。今はほとんどが電気仕掛けで、機械科学生とは言え手を出せないだろう。あの頃は楽しかったな。(日産の名作エンジン L20だ。色々といじくりまわした)そんなこんなで道を踏み外すことなく(比較的)まじめな学生生活を送っていたのだ。「私を作ったものー17:挫折した腑抜けの大学生活とは?」に続くトミカリミテッドヴィンテージ NEO 1/64 LV-N386a 日産 セドリック スタンダード(白)1978年式 【339793】 (ミニカー)価格:4,510円(税込、送料無料) (2026/8/10時点)楽天で購入
2026年08月13日
コメント(0)

「私を作ったものー14:腑抜け共よ、悲しみの愛を見せろ!」から続く「法科に来るか?」一般教養の法律の教授から誘われ本気で考えもした1年の終わり。逆にそれが刺激となって自分の大学生活、自分の将来を真剣に考えた。「俺は何をしたいんだ?」「何をしに大学に入ったんだ?」遠い未来の事は朧気ながら思い描いていた。それは目標と言うより、憧れだな。「科学で世の中を動かす。世界に名を遺す。」奇しくも彼の命日に己が生を受けたと知った時から、俺のアイドルであり続けたアインシュタインのように。。。そんな事はガキの夢物語である事は、開成の6年間、受験戦争の2年間で身に染みて分かった。上には上がいる。世の中を動かす事は彼らに任せよう。しかしどうせこれから長い年月、働かなきゃならないのだ。どうせ働くなら好きな事をして働きたい。俺は何が好きなんだ?そんな事は大学の学科を決める時に考えたんじゃないのか。そうだよな。何だったっけ。。。機械工学!そうだった。糸川博士の教えを請いたくて東工大の機械工学に決めたのだ。その夢は破れたが、機械工学という学びの場には立てた。だったらもう一度、そこで真剣に学んでみろ。正直、たとえ糸川博士の講義が受けられたにせよ、その先の人生・仕事の事など全くイメージしていなかった。若気の至りってヤツだ。でもいい。夢がリセットされた今となっては、ここから何を目指すのかがより重要になる。それはもう少し後でもいいか。夢は朧げなまま、大学生活は進んでいった。「私を作ったものー16:人としての基礎は開成で、技師としての基礎は大学で」に続く「木製ケース付き 手作り 真鍮製望遠鏡」 単眼望遠鏡 記念日の贈り物 航海用スパイグラスの贈り物 クリスマスの贈り物 ヴィンテージ風 レトロ インテリア マリン 船 船長 海賊 王冠価格:8,800円(税込、送料別) (2026/8/10時点)楽天で購入
2026年08月12日
コメント(0)

「私を作ったものー13:19にして挫折の意味を知る」から続く敗北者の大学生活が始まった。開かれた広大なキャンパスを胸躍らせて颯爽と闊歩する俺!は何処にもいない。敗北者は当たり前に敗北者なのだ。腑抜けなのだ。だいたい二期校などと言う存在には、そこを第1志望にして入って来た者などほとんどいないのだ。ほとんどが敗北者なのだ。そのどんよりとした空気は入学初日にキャンパスに足を踏み入れた瞬間に感じた。なんだこの活気のなさ、停滞感は。。。大学紛争華やかなりし頃の東大早大のようなギトギトと下品な立看板が並び、ヘルメット姿の学生がビラ配りをしているでもなく、若大将シリーズの京南大学のようにきらびやかな女学生たちがサークル活動の勧誘に飛び回っている訳でもない。だ~れも待っていないキャンパスを新入生がそれぞれのオリエンテーリング教室に向かって黙々と歩を進めていく。なんか話が違う。。。分かっているのよ。この停滞感はこの大学のせいではなく、自分の中身の問題なのだと。でもね、嘘でもいいから「新入生大歓迎!」的なムードを作って欲しかったのよ。なにこの大学。二期校ってどこもこうなの?ちなみにサトエリ主演の「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」知ってます?俺は大好き。サトエリとしてはキューティーハニーよりこっちよ。そのキューティーハニーも庵野映画としてはベストの1本だけどね。エヴァやシンゴジラの10倍いい。そんなんだから大学の入学式にも出ていない。親?まさか。来ないよ。そう言う時代でもなかった。講義が始まってもイマイチ乗る気がしない。1年だから一般教養の講義ばかりなので、余計受ける気がしなかった。大学はJRの駅から学バスで15分ほど。歩くには遠いがバスに乗るのもかったるい。自転車が手頃だ。じゃあ行くか。自宅から大学までは約30km。これを月曜の朝に大型ダンプばかりが飛び交う国道のバイパスを2時間近く走っていき、月曜から金曜までは駅に自転車を置いて大学との間を往復する。そして金曜の夕方にまた30kmを走り帰るのだ。けっこうスパルタンでしょ。大学4年間で太腿は60㎝を超えたよ。その間、死にかけたことが2回ほどあったけどね。講義の方は工学部に入学したくせに文系科目ばかり取っていた。敗北感の裏返しなんだろうね。特に法律の講義が気に入ってしまって、課題のレポートなんて皆が10pくらいで済ませているのに、俺は100pも書いていった。法律ってとてもメカニカルでしょ。きっちりとした仕組みの上で理論的に組み上げられた方が勝つ。担当の教授からは「法科に来るか?」と誘われて、俺は本気で転部を考えたりしていた。若い内は迷い彷徨うのもいいさ。「私を作ったものー15:俺は何をしたいんだ?」に続く
2026年08月11日
コメント(0)

「私を作ったものー12:人生に無駄な事はあるんだな、と知る」から続く我が自叙伝(的な?)の受験シリーズももう3回目だ。それだけ人生においては濃い2年間だったのだろう。さあ、勝負の大学入試2ラウンド目だ。大目標は我がアイドル糸川博士の待つ東工大。それ以外ははっきり言ってどうでも良いので、今回も受験校はたった4校。早慶と東工大と国立二期校。早慶は練習台、二期校が滑り止め。上智はどうしたかって?1年間、学籍は置いた。たまに(最初は週2くらい)通ってもいた。いい大学だよ。キャンパスはきれい、場所(四谷だ)も良い、女子大生はかわいい、レベルも高い、アグネスは見つからない。。。 あとは自分に合うかどうか。これが問題だ。何しろバンカラな明治の遺物のような開成から行ったのだ。しかも自分自身が下町のタバコ屋の倅だ。合わない。やっぱり合わない。それが証拠に開成から上智に進んだ学生はほとんどいない。皆合わないと思っているんだよ。なので秋になる頃には自然消滅的に行かなくなっていった。そうこうしていると、あっという間に2月3月になった。さあ本番だ。早慶はどうでも良い。いよいよ本命の東工大の試験だ。ん?なんかいいぞ。数学・物理・化学・国語、どれも良い感じで解答できている。英語がちょっと心もとないが、地理で挽回できた。これはイケるぞ。いやイケたな。相当の自信を持って開成の学友と答え合わせ。すると「今年の数学は楽勝だったな」「物理も易しかった」「化学も楽勝だ」あれっ、みんなそう思ってるの?なに?試験の程度が落ちただけ?で、結果は。。。 不合格!あれでもだめかぁ。それでも人生は続く。喪失感極大で二期校を受けた。するとこっちは去年に引き続き合格した。結局俺のレベルはここか。神はここに行けと言っているのか。入学しましたよ。去年合格しながら入学を辞退した二期校に。同級生に補欠合格を譲ってまで辞退した同じ大学に。ちなみにこの同級生とは入学した学部学科も同じ。なのでキャンパスのあちこちで遭遇する。会いたくもないのに。おまけにどこかのサークルに入部しようと最初にドアを叩いたヨット部の部室にそいつがいやがんの。「おぉ〇〇。入部するの?おいでおいで。」誰が入るか!なんでお前を先輩と呼ばなきゃならんのよ。という事で俺の浪人生活はものの見事に無駄に終わったのだった。その挫折感はハンパなかったね。「私を作ったものー14:腑抜け共よ、悲しみの愛を見せろ!」に続くおもしろtシャツ みかん箱 挫折を経験した事がない者は、何も新しい事に挑戦したことが無いということだ。 【ギフト プレゼント 面白いtシャツ メンズ 半袖 文字Tシャツ 漢字 雑貨 名言 パロディ おもしろ 全20色 サイズ S M L XL XXL】価格:2,180円(税込、送料別) (2026/8/8時点)楽天で購入アインシュタインの言葉だぞ。著作権、大丈夫なヤツか?
2026年08月10日
コメント(0)

「私を作ったものー11:人生に無駄な事など無い。と言いたい」から続くわが浪人生活はどうだったか?開成を卒業してからの1年間の浪人はきつかった。現役の去年でさえ目標目的を見失いそうになった時期があった。ましてや全部が自由な浪人生活では、相当に意思を強固に持たないとルートを外れる。昨年度の東工大不合格の時は、失敗感や悔しさはあったが挫折感と言うべきものは感じなかった。よっしゃ来年やったるわい、という感じだ。しかし浪人は自由過ぎる。もちろん予備校は行っていたが、開成時代から6年の時は学校に行ったり行かなかったりという生活だったから予備校なんてまして、だ。しかももう18だ。世の中的には何でも許されるのだ。パチンコも打てる(開成の時から打っていたけど)、居酒屋にも行ける(行ってたけど)、馬券も買える(中学の時から買ってたけど)、ピンク映画も見える(見てたけど)、ソープランドも行ける(これは行ってないし浪人でも行かなかった。金がないから)。え、二十歳じゃないとダメ?どれのこと?それでも高校時代は遠慮気味に行っていた所に、浪人時代は大手を振って遊びに行った。そりゃあ勉強に力は入らないよね。周りの浪人生を見ていると、ほぼ全員がそうだね。予備校に行き始めて夏休みくらいまでは遊び惚けている。俺の人生であの時程、時間を無駄使いした事はない。しかも周り全員がその状態だから、模試を受けても偏差値が下がらない。これは驚くべき事だ。絶対にアホになっている筈なのに、浪人生全部がアホ化しているから偏差値は維持されるのだ。ところが夏休みに入る頃から「これではいかん」と気付く奴が出てくる。そう言う奴らがまず勉強を始める。するとそいつらと一緒に受けた模試の成績がガクンと落ちるのだ。その落ち方がハンパないレベル。あらっ。さすがの俺でも気付くのだ。こりゃあ勉強しないとアカンかな。。。で、やっとパチンコとピンク映画館を卒業して、睡眠時間3時間の生活に戻っていく。何のことはない現役時代より受験戦争に突入するのがむしろ2,3か月遅いのだ。それでも去年の蓄積があるのだろう、秋を過ぎ冬になる頃には成績も戻ってきて、第1志望の東工大の合格確率もまあまあの線に到達してきた。いける!今年は行ける!アドレナリン全開の状態で入試シーズンに突入するのであった。「私を作ったものー13:19にして挫折の意味を知る」に続く【おまけCL付】新品 格闘技世界一 ~四角いジャングル~モハメッド・アリVSアントニオ猪木 / アントニオ猪木、ベニー・ユキーデ (DVD) RAX-101N価格:939円(税込、送料無料) (2026/8/7時点)楽天で購入
2026年08月09日
コメント(0)

「私を作ったものー10:受験とは孤独との闘い」から続くさあ勝負だ。長き受験戦争の行きつく先は天国か、はなまた地獄か。。。この際だ、はっきり言おう。俺の目標は東京工業大学だった。目的は、糸川博士の教えを受けるため。日本のロケット工学の権威、糸川英雄博士は東京大学で教鞭を取っていたが、1967年に東大を退官し組織工学研究所というシンクタンクを設立した。この研究所と東工大が密接な関係があり、糸川博士と繋がりのある講座が東工大に多く存在した。俺のアイドルの一人はアインシュタインであり、もう一人の日本代表が糸川博士だったのだ。 なので東工大以外は眼中になく、一応国立二期校を1つ、あとは早慶上智を受けただけと言う舐めた受験スケジュールを立てた。はっきり言って東工大以外は練習、合格しても入る気はなかったのだ。結構図太い神経を持ち合わせていると思っていた俺なのだが、練習と思っていた早慶の入試で以外にも大緊張。ストレスで腹を壊した。受験当日もピーピーだ。試験中に3,4回もトイレに駆け込む事になってしまった。そんななので早慶は不合格。上智は受かった。そして勝負の東工大。早慶で体調がどん底だったのがむしろ幸いしたか、体調もメンタルも頭も絶好調。これは受かったな。そう思ったよ。試験後に友達と答え合わせをしても、かなりいい線を行っていた。自信満々で合格発表を待った。結果は。。。不合格だった。マジかぁ。あと3点くらい足りなかったのか?そう思っていた。その後、落胆した状態で滑り止めと思っていた国立二期校を受け、合格した。さてどうする。あと3点のために浪人して再トライするか。おとなしく二期校か上智に入学するか。この時の上智は実は大人気だった。偏差値も前年度から爆上がりしていた。なぜか?アグネス・チャンが在籍していたから。アホでしょ。いい迷惑だよね。でもその時のアグネスは社会現象だったよ、マジで。でも別に俺はアグネスファンでもないし、やっぱり浪人しようかと思っていたら親父が、「一応上智に入学手続きをしておけ。通ってみると気に入るかも知れないぞ。」と言ってくれた。二期校に行けと言うのかと思ったら、まさかの上智推しだった。しかし親父には浪人の意思を伝え、そちらの金をお願いした。親父はそれでもいいから上智を手続きしろと言う。なので浪人の俺は、並行して上智に1年籍を置いたのだった。もう一つ言うと、実は合格した二期校に開成の同級生が補欠合格して、俺が正規で受かった事を開成の担任から聞いたらしく、補欠合格後に電話を寄こした。「俺も合格したからヨロシクな」「あ、俺は入学辞退したんだ」「・・・・」まあそう言う反応になるよね。そして俺は受験戦争第2幕に突入するのだった。「私を作ったものー12:人生に無駄な事はあるんだな、と知る」に続く
2026年08月08日
コメント(0)
全197件 (197件中 1-50件目)
![]()

