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「駐在員編-10:遂に憧れのビッグバイクが!」から続く遂に憧れの HONDA VF-1000R を手に入れたのは、帰国の2か月前。そ~っと乗りながら次第にビッグバイクにも慣れてきた。こわごわと開いていたスロットルも、もうブワンと回せる。しかし凄いわ、このバイク。その気になればどんな速度からでもホイールスピンできる。それでいて俊敏で素軽い。まだまだ手の内に入れたと言えるレベルではないが、ロングツーリングにも不安はない。ならばそろそろあの計画を実行に移そう。それは「アメリカ大陸横断ツーリング」!実は前任者の後輩が帰国前、1週間の休暇を取ってここ Huntington Beach からフロリダの Key West までレンタカーで走っている。走行距離3000mile、帰りは飛行機だった。だったら俺は New York に行く!バイクで!ルートはほぼRoute 66 だ。ChicagoからLAを目指したJazzの Route 66 を逆に行く。Now you go through Saint LooeyJoplin, MissouriAnd Oklahoma City is mighty prettyGallup, New MexicoFlagstaff, ArizonaDon't forget WinonaKingman, Barstow, SanbermandinoWon't you get hip to this timely tipWhen you make that California tripGet your kick on Route sixty six ♪今は旧Route 66に代わって Interstate-40が主のルートで、Oklahoma Cityから北でなく東に向かえばNew Yorkだ。走行距離は2800mile。想像しただけでワクワクするね。往復はきついので(何より休暇が取れん・・・)、帰りはやはり飛行機にしたい。でも My Bikeで行きたい。じゃあどうする?帰りは誰かに任せよう。ちょっとアメリカ人は信用できないけど、日本人なら大丈夫。で、アメリカの日本人コミュニティ雑誌と、日本のバイク雑誌に広告を出した。「俺のバイクでNew YorkからLAまで走ってくれませんか。」1000ccのバイクを駆って毎日1000kmを5日間走り続ける。もちろんNew Yorkまでの渡航費用も必要だ。もちろんバイクはただで貸してあげるつもりだが、ちょっと無理かなぁ。。。ところが希望者が現れた。日本から。しかも若い女性だ。願ったり叶ったりで文通で詳細を詰め、〇月〇日にNew Yorkで逢いましょうとなったのが帰国の1か月前。携帯電話なんてない時代だから、お互いの写真を送りあい空港で落ち合う。空振りしたら全てオジャンだ。しか~し、敵は我が内にいた。帰国後の仕事や引継ぎ等を現地スタッフと話し、1週間の休暇の了承も得て日本本社に連絡した。すると、、、「今すぐ帰って来い。こっちが困っている。」えぇぇぇぇぇぇ。前任者はしっかり休みを取って帰国したじゃん。あいつなんか1週間休暇の後の帰国便でハワイに途中下車までしている(実は飛行機代は変わらない)。なんで俺だけ今すぐなんだよ。「あいつとお前は違う。早く!」全部オジャン。相手の女の子には丁重にお詫びの手紙を送った。すると彼女の方もいろいろ障害があって、どうしようかと考えあぐねていたらしい。ちょっとご縁が薄かったかな。そんなゴタゴタの後、帰国したのだが、悔しいから持っていた帰国便のオープンチケットをビジネスからエコノミーに変更して、浮いた費用をあれこれに回してやった。だって金を全部使い果たしていて、成田から自宅までの電車代が足りないんだもん。。。その原因はこのバイクを日本に持って帰りたかったから。船便で送る算段をして、最後の日に船に載せた。これで有り金全部なくなりました!「駐在員編-12:マシンガン撃ちまくり」フリップアップレバー ペア/11色 ホンダ VF1000R VF1000 R/R2 SC16 1984-1986 Flip Up Levers Pair / 11 colors HONDA VF1000R VF 1000 R / R2 SC16 1984-1986 【並行輸入品】価格:71,500円(税込、送料無料) (2026/9/16時点)楽天で購入
2026年09月20日
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「立志編ー2:与えられた新たなミッション」から続く旅に出ようと思う。目的地は朧気にしか分からない。高い山だという事だけは分かっている。でもそれはどんな山?富士山のような高くきれいな山なのか、キリマンジャロにょうなジャングルの向こうの山なのか、ヒマラヤの山々のような荒々しい岩山なのか。。。 地図がない処か、目的地さえ定められておらず、とにかく高みを目指せと言われたのだ。ならば真っ先にやるべき事は、目的地を定める事だ。どんな山に登るべきなのかを見極める事だ。それには自分の経験だけでは足りない。周囲の考えを聞こう。営業の話も、工場の話も、顧客の話も、役所の話も、海外の話も。。。 一人で突っ走って来た俺がこんな気持ちになるのは初めてだ。皆、好き勝手な事を言う。しかしそれを一つにまとめてどんな形にするかは俺次第。並行して山に登るための基礎体力、登るための道具を揃えなければならない。つまり技術力、基礎知識だ。これにはずっとお世話になっている大学の教授に助言を求めた。どんな知識が必要か、何を勉強しなければならないか。俺はそれまでも理論的な裏を取りながら開発を進めてきた自負があり、その折々でその教授にも助言を求め共同で研究してきた。しかし0からの研究を行うためにはより基礎からの知識が必要になる事を改めて知らされた。やっぱそうだよね。そして1冊の参考書を紹介された。日本にはない種類のこの世界のいわば原典。もちろん英語、厚さ3㎝、約500pの技術書だ。これを全部、頭に叩き込まねばならない。ちょっと読み進めると、これを理解し習得するためには物理学、電磁気学、微分積分学を学び直さねばならない事も分かってきた。うわぁ、大変な世界に足を突っ込んだぞ。もちろん大学で一度は学んだ筈の事だが、必要とされる理解の深さが違う。相当性根を入れて勉強しなければ、先へは進めない。ここから2年以上、俺は試験機にも測定器にも手も触れず、ひたすら本に向き合う事になるのだった。
2026年09月25日
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Habitat Utilization of Largemouth Bass around a Set Net (Mitsunaga et.al., Fisheries Engineering, Vol.41 No.3 2005)より今回紹介するのは、前回「関西空港護岸域のスズキの移動と回遊」でスズキを追跡した方法で、琵琶湖のバスの行動を追跡した論文だ。心して聞かれよ。 近畿大学のMitsunagaらはオオクチバスの時空間的位置をバイオテレメトリーによりモニタリングし、定置網に対する行動を明らかにした。サンプルのオオクチバスは4尾(全長34~37cm 表1)を用い、腹腔内にコード化超音波発信機(Coded-V85C, VEMCO社製)を埋め込んで再放流した。発信機は直径8㎜、長さ20mm、重さ2g、電池寿命54日。「関西空港護岸域のスズキの移動と回遊」でも説明したが、水中では電波は伝わらない。なので電波による通信は不可能であり、この場合テレメトリー手段として超音波発信機が伝われるのだ。図1に示した琵琶湖南部の下坂本沖の定置網に3台の受信機(VR2, VEMCO社)を設置した。受信機は図1に楕円形で示した受信範囲内にいる発信機のコードを解読し、時刻と個体番号を記憶する。受信範囲は半径約250m。図1に示された楕円の最も岸よりがReceiver-1、沖よりがReceiver-3となる。同時に流速と水温も記録した。サンプル魚4尾は2002年12月3日に図1のReceiver-2付近で放流された。2002年12月3日より50日間行った測定における、Fish ID 105の測定結果を図2に示す。図中の黒い線の時刻に当該サンプル魚が、各々の受信機の受信範囲内にいたことを表している。これを具体的に見ていくと①試験開始の12月3日に3つの受信機で黒線が認められるのは、全ての受信機の受信範囲すなわちReceiver-2の中心部付近にサンプル魚がいた事を示している。②12月4日には沖にあるReceiver-3の黒線が途切れている事から、サンプル魚は岸方向に移動した事が分かる。③12月11日には全てのReceiverから通信記録がなくなった事から、サンプル魚は定置網から遠ざかった事が分かる。 同様にFish ID 106の測定結果を図3に示す。このように見ていく事で、サンプル魚の行動を読み取る事ができる。その結果を私の考察を交えて記す。(1)バスは昼間に定置網から遠ざかり通信が途絶えた後、夜間に再び定置網に接近する。夜を定置網付近で過ごしたバスは、朝に岸に近付いていき、夕方に岸方向から再び定置網に戻ってくる傾向があると考えられる。(2)受信回数が激減したことが4回あった(12月10日,1月4日,9日,27日)。この直前には北東の風が強く吹き、南西の流れが強くなり、水温が低下していた。受信信号が消える前にはReceiver-3(沖の受信機)から受信できなくなり、信号が復活する時にもReceiver-3が最後に復活した。これはバスが岸方向に移動し受信圏外に去ったことを示すと考えられる。北東の季節風が強く水温が急激に下がった時、バスは岸方向に回避しているようだ。(3)Fish ID 106の動きに注目すると、Receiver-2(中央の受信機)を中心に動いている。これはバスが岸と平行に移動している事を示唆している。(4)4尾のうち1尾は岸方向に遠ざかり戻ってこなかった。1尾は沖方向に遠ざかり戻ってこなかった。サンプル魚4尾は全てこの定置網付近で捕獲したものだが、そこに居つくバスもいれば、どこかに回遊していくバスもいる。これは「29.関西空港護岸域のスズキの移動と回遊」で紹介したスズキの行動パターンに似ている。 真冬の実験であったが、水温10℃以下の中でもバスは活発に移動していた。そこで見せたバスの行動パターンは、釣りの上で大いに参考になるものだった。ラドウェザー LAD WEATHER タイドグラフマスター ブランド 腕時計 デジタルウォッチ 満潮 干潮 ムーングラフ ムーンデータ 月齢表示 サーフィン 海釣り 夜釣り 100m防水 時計 スポーツ フィッシング バス釣り価格:2,680円(税込、送料別) (2026/6/2時点)楽天で購入<#琵琶湖 #バス #行動 #ブラックバス #バイオテレメトリー #定置網 #VEMCO #エリ>
2026年06月02日
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「駐在員編-8:バイク事故!そして人の温かさを知る」から続く翌日、一番のグレイハウンドでLA DownTownに行き、バスを乗り継いで我がHuntington Beach に戻って来た。ボロボロにすり切れた革ジャンと、傷だらけのヘルメットを手に。冬の恰好でよかった。夏のTシャツ姿だったら、俺の右手は使い物にならなかったかも。いや、メットがなければ俺は確実に死んでいただろう。当時のアメリカはヘルメットの着用義務なんかなかったから、実際に近場に行くときにはメットなんてしてなかったし。 それでも肩に痛みがあるし、ちょっと擦り傷も負った。で、一応病院に行くと肩はただの打撲で問題はなし。しかし医者は傷を診て〇〇は受けたかと聞いてきた。医療用語なんて全部分かる訳がないので、病院に行くときには辞書は必帯だ。何のことかと辞書を手渡すと、そこには「tetanus」。破傷風の事だ。子供の頃に予防接種を受けた筈だが確証は無いと答えると、なら一応ワクチンを打っておこうと言われて注射をブスリ。これで安心。さて連休明けのオフィスに出ると、バイクを取りに行く算段をしなければならない。目を付けたのはこのフィリピーノ2人。(後ろの二人な。前は俺だから、間違えんといて)毎日ポンコツトラックでオフィスに来ていたので、次の週末にSan Luis Obispoまでバイクを取りに行くことを一人$100でOKさせた。プラス飯代おごり。みんな気の良い奴らだったな。今頃どうしてるんだろ。結局、サンフランシスコ行きが実現したのは、それから3か月後。車でヨセミテ~サンフランシスコと回った時だった。バイクでシスコまでは行けなかったけど、それ以上の思い出ができた旅だった。アメリカ大好きだ。滞在した1年半で嫌な思いってした記憶がない。ヤバイ所にも結構行ったのだが、あまり怖い思いもしていないし。せいぜいピストルをちらつかされた時くらいだな。(十分ヤバイだろ・・・)「駐在員編-10:遂に憧れのビッグバイクが!」に続く
2026年09月18日
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「駐在員編-9:アメリカ大好き!みんなありがとう」から続くせっかくバイクネタを引っ張ったんだから、時系列からは外れるが例の夢がどうなったのかをお話ししよう。その夢とは「カリフォルニアと言えばビッグバイクでしょ」ビッグバイクと言えばもちろんハーレー・ダビッドソンだ。これで砂漠を突っ切ってラスベガスまで行くのだ!と言う計画だったのだが、仕事が忙しいのと YAMAHAの400で結構満足しちゃって、どこにでもこれで行っていたのよ。サンフランシスコまで行く途中でこけて断念した話は「駐在員編-8:バイク事故!そして人の温かさを知る」で記したが、その他にもラスベガスやメキシコのティファナなどまでツーリングした。エドワード空軍基地にも行ったな。スペースシャトルが地球へ帰ってくるのを見るつもりで。あそこは広大な砂漠の道を行くと、突然ゲートが現れる。で、当然「何しに来たんだ?」と聞かれるので、「スぺースシャトルを見に来た」と告げると「今回はここじゃない」。。。へっ、違うの?別の空軍基地?まぁそんな事もあるさ。てな感じでYAMAHA SECA400は大活躍で、なかなかビッグバイクに乗り換える気が起きなかった。それでも帰国予定が近づくと、やはりビッグバイクが欲しくなる。で、手頃な中古を探していると、やはりハーレーは高いのよ。で、目を付けたのが当時話題にもなっていた HONDA VF-1000R。めちゃレーシーなビッグバイクだ。400と同様、店に行って「これちょうだい」と言って YAMAHAの下取りもお願いした。2年落ちで下取りと差し引き$4000くらいだったな。(当時のレートは250円/$くらい)1年も400に乗っていれば、いっぱしのライダーのつもりなのよ。で、バイク屋からの帰り道、自分のアパートメントまでのフリーウェーでスロットルをちょいとふかすと、、、いとも簡単にホィールスピンした。やべっ、まだ俺には簡単には乗りこなせないわ。400とは全く別物だという事を肝に銘じて、しばらくは安全運転に徹するのだった。「駐在員編-11:アメリカ大陸横断計画」に続く
2026年09月19日
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「駐在員編-11:アメリカ大陸横断計画」から続くアメリカでの生活はとにかく楽しかった。旅行もしまくった。このブログでも既にいくつも紹介した。「デスバレーで吹雪に会い遭難しかけた」旅や、「カナダ漂流記」の旅。その他にもヨセミテからサンフランシスコへ、リノでスキー、メキシコのティファナにも何回か、サンディエゴは隣町だからしょっちゅうだし、ラスベガスは月1ペースで通った。仕事ではシカゴ、ボストン、アトランタ、ワシントンetc.音楽も聴きまくった。「Jazz好きならNew Yorkに行け!」で紹介したLAのJazz Club、そしてあこがれのNew York。New Yorkに関しては「カナダ漂流記のオマケ」で記したように、思い入れは深かったのだが簡単には行けなかった。その代わりに仕事で何度も訪れたChicagoでJazz Clubをはしごしたり、AtlantaのJazz Barに突入したり。仕事で知り合ったChicagoの人間に連れて行ってもらったJazz Clubでは、「Jazzの発祥はNew Orleansじゃない。あそこはDixie だがModern Jazz はChicagoだ」と言っていた。いやいやNew Yorkでしょと反論したが、彼は引かなかったよ。Chicagoには1年半の間に7~8回行ったので、もうお馴染みだ。ある時は土日を挟んだ出張だったので、休日にレンタカーでドライブした。イリノイ州の州都であるスプリングフィールドという街まで片道200ml。古き良き街という感じだったのだが、びっくりしたのはその帰り道。既に日も暮れてフリーウェーを走っていたのだが、ウィンドウに何かが当たる。それも淡く光る何かが。気になってPAで車を停めて驚いた。それは無数のホタルだったのだ。そこまで既に30分、距離にして50km近くは走っていて、ずっとその光の粒(すなわちホタル)が途切れないのだ。車から降りて光の靄のように飛び交う無数のホタルを見た時には、衝撃で動けなかった。こんな所があるんだ。。。次の日曜には相棒のローレンを誘ってChicagoのシューティングレンジへ。そこでは当時、USでここだけと言うマシンガンを撃たせてくれるのだ。ビルの地下のそのレンジではお馴染みのコルトのオートマチックピストルを試射してから、ダーティハリーの愛機 S&W M29の44マグナム弾を撃った。これは凄かったね。でもこいつに狙われてもたぶん大丈夫。だって当たらないもん。あれを操れるのはクリント・イーストウッドだけだよ。そしてメインイベント、マシンガンの登場だ。試射したのはイスラエル製のUZIという銃。これがまた凄い。フルオートマティックにセットすると1分間に1000発を発射する。撃っている感覚は放水ノズルだね。最強にした消防ノズルを支えている感じ。で発射された銃弾(直径9㎜)はもはや光線銃だよ。弾の軌跡も打たれた標的もレーザーガンで撃たれたようだ。これに狙われたら絶対に逃げられない。(このマシンガンがUZIだ!)今のアメリカはシューティングレンジの中だけじゃなく、普通にそこら辺の人間が重機関銃を持っているヤバい国になってしまった。まともな人間は隠れるしかないよ。「駐在員編-13:さらばアメリカ、自由と放埓の日々よ」に続く
2026年09月21日
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「駐在員編-12:マシンガン撃ちまくり」から続くいよいよアメリカ駐在員生活が終わる。1年半、つかの間のアメリカ暮らし。英語はさすがに上達した。最近はアメリカ人との会話を頭の中でいちいち日本語に置き換えずにしゃべっているし、夢も英語で見ている。英語で考え英語を話しているのだ。もうアメリカ人じゃんね。始めの頃の苦労が嘘のようだ。特に俺は機械系の技術者だ。ここで設計もしたが、何しろ図面の単位はin、そして2進法を持ちいるのだ。つまり長さは12・13/64 in とかを平気で使う。13/64inだぁ?なんだそれ、って思うでしょ。日本人なら。でもこれも機械加工の現場を見て納得した。アメリカの加工機(旋盤とかフライス盤とか)はinで刻んである事はもちろんだが、バーニア部分が1/128刻みなのだ。バーニアって分かります?ノギス等に刻んである1mm以下の長さを読むための微細目盛りのこと。加工職人はこれで寸法を設定する。なので日本式に0.203inと図面に示すと、職人は電卓片手にこれを〇/128inに直さねばならない。これは非合理的なので図面の段階から1/128in単位で表す必要があるのだ。日本から来た設計者にとっては大変だ。mmをinに直し、さらに小数点以下の数値は1/128に直す。図面を見ながら打ち合わせできればまだまし。仕事は進んでくると、電話で詳細を詰めなければならない。「部品Bのセクション12の段付き部分を、1/64in小さくして8・11/64inに変更してくれ」PCのCAD画面も見られずにお互いの図面とにらめっこしながら、英語で電話する苦労、分かります?そんなこんなもアメリカ暮らしを続ける内に慣れて来て、仕事もプライベートも順調に運ぶようになってきた。英語上達の秘訣?一番効果が上がる方法を教えましょうか。「現地人と恋愛をする」これに尽きる。あ、相思相愛じゃなくてもいいよ。要は本気でコミュニケートしたいと思える人を探して、その人に一生懸命話しかける。その人に分かってもらえるように話す。そりゃあ仕事の付き合いのおっさんと話すより、かわいい女の子に話し掛ける方が断然、一生懸命になるよね。思いが通じなければ、どうすれば良いか考えて色んな話題を投げかけるでしょ。自然とボキャブラリーも増えるし、ボディランゲージも上達する。これが効くのだ。俺の最良の(そして最愛の)先生はブリジーダちゃん。カリフォルニア生まれのメキシコ娘だから、英語はネイティブ。そして可愛い、そしてそしてナイスバディ!日本に帰って何年かしてペネロペ・クルスが現れた時、ブリジーダちゃんがデビューしたのかと思ったよ。そっくりだ。ま、最愛って言っても完全一方通行だったけどね。彼女もそれを承知で俺に話を合わせてくれてた。おかげで英会話はメキメキ上達だ。そんなブリジーダちゃんとも今週でお別れ。最後に会社で盛大にフェアウェル・パーティを催してくれた。会社と言うか工場だ。俺はオフィスの白人連中より工場のフィリピーノやメキシカンとの方がウマが合う。彼らも歓迎してくれた。最後も飲めない酒を飲み交わして、工場のおばちゃん達からキッスの嵐だよ。(若い娘もいた筈だけど、なぜかおばちゃんばっかだったな。。。)今頃は皆、爺さん婆さんだ。元気かな、会いたいな。そして最後の仕事、荷造りを済ませてアメリカにさようなら。渡米してきた時の10倍くらいに増えた荷物で輸送費が大変な事になっていたが、どうせ会社持ちだ。帰ってから総務に文句言われたけどね。210cmのスキー板、ゴルフのフルセット、テニスラケット、天体望遠鏡、オーディオセット、そして我がVF-1000R。。。 しょーがないじゃん。色々やってたんだもん。アメリカに来る時にはあんなに軽々と飛んできたのに、帰る時には寂しくてたまらなかった。さらば、我が自由と放埓の日々よ!「立志編ー1:帰国して真っ先に感じた事」に続く
2026年09月22日
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