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先ずは近場の桜をソメイヨシノは未だだけど、満開の 「春めき桜」 と見頃をちょっと過ぎた 「河津桜」 私のひざの上から動かない、従兄の家のちびたん このところ、ここで米村先生の手術待ち患者さんの話を書いていますが、これを読んだ過去に米村先生の手術を受けた患者さんからメールが届きました。手術時は59歳(女性)だったけど、今は60代になっている腹膜偽粘液腫の患者さんです。2010年の10月に、米村先生の手術を受けました。この頃、娘さんからメールが届いてましてね、あれやこれやと、やり取りをしてました。患者さんご本人から初めてのメールが届いたのは、まだついこの間のことです。同じ病気のゆかりさん(40代・女性)が、ある病院でたまたま出合った同じ病気の患者さんから、「米村先生のハードな手術なんて受けて、大丈夫だったの」 と驚かれたという話は以前書いています。「大丈夫なの」 も何も、目の前に元気でピンピンしている実物(失礼)がいるんですから、認めないわけにはいかないでしょうけども。風評ってヤツでしょうかねぇ。。。針小棒大ってヤツでしょうかねぇ。。米村先生のもとには、病状がかなり進んだ患者さんが多数訪れることから、必ずしも、全ての患者さんの経過が良い訳ではありませんが、現実に、米村先生の腹膜切除術を受けても、米村先生の術中温熱療法を受けても、年単位でお元気にしている患者さんは増えています。結構実在するんですよ。良い症例しか書かない、もしくは、たった一つの成功症例を過大に書くのが普通なのが医療の世界って感じが拭えないですけども、ここでは残念な症例もちゃんと書いています。ある意味 「誠意」 は持っているつもり。そもそも、治療の評価をするのは患者さん自身ですからね。話は戻って、この2010年10月に手術を受けた、腹膜偽粘液腫の患者さんは、今、本当にお元気でして、手術前からの趣味のテニスも楽しんでいますし、この春は、ご主人の定年退職を記念しての海外旅行の計画まであるんです。元気になって、気持ちにゆとりが生まれた今、手術後の退院を体調不安から3日延ばして貰ったことが申し訳なかったと言われます。 手術を待っている患者さんが沢山いるってことは 良く考えればわかることなのに、 退院許可が下りた時に、どうにも未だ体が不安で 無理を言って退院を延ばして頂いたんです 自分のことしか考えられなかった自分が、恥ずかしいですし 申し訳ない思いですって言われるんです。当時は致し方ないです。そういうものでしょうからね。今はそんな気持ちになれるだけ、お元気になられた証拠ですし、何より、見知らぬ患者さんを思いやるお気持ちが嬉しいじゃないですか。今から、次の5月の外来日で米村先生にお会いできるのを楽しみにされています。米村先生の笑顔が早く見たいんですって。とっても癒されるし、元気を貰えるからって言ってました。こればかりは、どの医者にもある素質じゃないですねぇ。もう、米村先生ったら患者さんからモテモテ
2012年03月30日
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昨日は横浜へ行って来ました良い天気だったこともあってか、平日だと言うのに人が多かったです。学生が春休みに入ったからかな。25年ぶりのマリンタワーと、氷川丸見学、それと赤レンガ倉庫へと、神奈川県民とは思えない、実にベタな観光をして来ちゃいました横浜の風景と、氷川丸内部、氷川丸外観、赤レンガ倉庫帰りは渋滞にはまり、帰宅は夜9時半頃。それからPCに向かい、米村先生に2通ほどメールを送信し。。。1通はいつものセカンドの依頼で、もう1通は訃報。。。希望を求める人と、闘病を終えた人・・・常に私の中はこんな風です。良い話ばかりを書かないが私のポリシーなんで、今日はこの訃報を。患者さんは50代後半の女性で、胃癌・腹膜播種です。2011年7月に手術を受けるも、腹膜播種、大腸転移、肝臓にも転移の疑いという状態でした。それから抗癌剤治療を受けていました。その後、米村先生の元へ来られ、手術となったのが2011年11月。この時、癌の出来る限りの切除を試みるも、癌を全て取り切ることが出来ませんでした。多くの方の場合同様、術後2週間程度で退院。退院して、飛行機に乗って家に帰ったのですが・・・帰ってから傷口が開いてしまったようで、それまでお世話になっていた地元の大学病院に緊急に入院となったのです。こういったケースは、私は初めてでした。米村先生ご自身も首を傾げていて、もしかしたら飛行機に乗ったことで気圧が影響したのでは?との見解。真偽の程はわかりません。退院直後に飛行機に乗って帰る患者さんは沢山いますし、これまでそういうコトは起きてないんです。緊急入院となったこと、また開腹して縫い直すか、ドレナージ処置を行うかどうかの選択を迫られたことから私にメールが届いたのでした。お腹の中で傷口が化膿してしまったようで、高熱が出ました。それが昨年の12月でして、年末から年明けにかけて頻繁に娘さんとメールや電話。米村先生との連携と。。。一時はかなりドタバタしてました。米村先生ご自身は、 そのうち、塞がるんじゃないかなぁと言ってました。これは身内の知子さんと症状が似ています。知子さんの場合は、毎日、パジャマが絞れるくらいの汗をかきましたが、自然治癒となり元気になりました。結局、この患者さんも経過観察しているうちに落ち着いたようです。落ち着いてきたものの、家で過ごすには不安・・・という状態が長引いて、こうなると、大学病院では 「提携病院へ移ってください」 となり、提携病院に転院したという連絡が届いて以来、報告も途絶えていました。「どうしているのだろう」 とずっと気になりながらも、こういう場合は落ち着いていることが多いからと楽観していたのです。懸念事項は患者さんの病状もさることながら、当の患者さんが もう金輪際、抗癌剤治療は受けないと断言していたことでした。癌は未だ残っていますし、腹膜播種の場合は癌が取りきれたとしても、術後の抗癌剤治療は必須ですからね。それが、訃報となって近況が届いたのです。癌と一言で言っても、悪性度によって経過はまちまちで、経過が読みとれないことも多いのが現実とは言え、必ず、元気になってくれると信じていました。本当に残念でなりません。
2012年03月28日
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先日の日記では、今の医療事情がどんだけシビアかを、ちょいとばかり書きました。本当に今の病院は大変で、特に公立病院はキュウキュウしてますよん。税収入がこんだけ減っているんですから、しゃ~ないと言えばそれまですけども。言い方悪いけど、その昔は公立病院は赤字出そうが関係なかった訳です。もともと、利益を追求する必要のない施設ですからね、設ける必要なし、赤字そんなの当たり前。赤字が出れば、税金で補填するだけのこと、困ることはない。潰れることはないしぃ・・・の状態。そ・れ・が・・・ですよ、今じゃ有名国立病院が次から次へと「独立行政法人化」 されていき、「利益」 ってヤツも考えなきゃいけない時代に突入。先日の新聞記事によれば、国立がんセンターなんて、独立行政法人化してから経営に必死になって、ようやく黒字に転じたとか。癌患者が全国から殺到する病院ですよ、それだけ「お客さん」がやってきても、ずっと赤字だったんですよ。 米村先生くらいのもんだよ、何もカネのこと考えんと 好き勝手やっている医者はとこれは、うちの博士談。確かに、好き勝手医者ですけども、それでも不況の波は米村先生にも押し寄せてきて、しわ寄せが少しずつやってきて、出来なくなった、やり辛くなった治療もあるんですよねぇ。。。今はこーゆー世の中でっせ余談が長くなりました。昨夜、虫垂癌・腹膜播種の患者さん(40代・女性)のご主人から、「術後の抗癌剤治療を卒業しました」 とのご報告が届きました。2009年1月に虫垂癌が判明、この時腹膜播種でした。米村先生の手術を受けたのは2009年4月。手術の前と、後こそトラブル続きでしたが、術後3年を迎えるにあたり、抗癌剤治療(TS-1)を卒業の運びとなりました。過去にも何度かこの患者さん、カズコさんの話は書いています。米村先生の手術の2週間くらい前だったかな、突然の腹痛で地元病院に運ばれ、腸閉塞と診断されましてね。緊急手術を提案され、「どうしたら良いんでしょう」ってご主人から私に電話がありました。確か、日曜日でしたねぇ。。。この時、米村先生と緊急に連絡を取ると そこでは手術せんでおいて欲しい、 今、切られると癒着が起こって、本来の腹膜切除がやり辛くなるとの指示。地元の医師からは 「2週間待っても、大丈夫なんですか」と言われたご主人は、 「こちらが聞きたい(T T)」 って言ってましたっけ。予定通り、米村先生の手術は行われるも、手術の後遺症で自己導尿が必要になってしまったカズコさんは、しばらくご機嫌ナナメ。ご自分の病状を十分に知らされていなかったこともあって、「なんでこんな遠くの病院で手術しなきゃいけないのよ、なんで、こんな不自由な後遺症にならなきゃいけないのよ」と、ご主人に当たることもしばしば。本当のことを言えないご主人は、ただただ、カズコさんのご機嫌を取る日々でしたねぇ術後退院してからしばらくして、尿管に穴が空いていることが判明して、再度、尿管を縫う手術を米村先生が施行。この頃から、遠くから沢山の患者さんが米村先生の元へ来ていることを知り、その理由も知り、少しずつ、ご自分の置かれていた窮地を知ることとなり、ご機嫌ナナメが治っていきます。そして、元気になっていくと 今じゃ、私、家では全く病人扱いされず、 誰も優しくしてくれないんですよと嬉しい愚痴がこぼれるようになります。ホント、今じゃ元気だし、体重も戻りすぎて減らさなきゃくらいな勢いだし、家の仕事も、ご主人との二人三脚の仕事も同時にこなしてます。つい先日まで、缶酎ハイでTS-1を飲んでいた人でねぇ。。。米村先生が、お酒は飲んでも良いって言ったから・・・だそうです。この3年の間には、たまたま同じ時期に入院していて、仲良くなった大腸癌のチハルさん(30代・女性)との永遠の別れもありました。現実を目の当たりにして、辛い時期もあったと思います。それでも、今、カズコさんは元気満タンで術後3年を向かえました。抗癌剤治療も卒業し、今後は半年に1度の外来となりました。おめでとうございます
2012年03月25日
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少し前の新聞記事だけど、2010年度の健康保険の赤字額はナント 3900億円だそうな。これは前年度比、650億円増の額だとか。2011年は震災があった年なので、例年より健康保険収入は激減し、支出は激増していると思われ・・・更に赤字額は膨大に膨らんだと予想されます。今の日本は赤字大国で、毎年、借金の利子だけで40兆円も支払わねばならない。この額は一般会計予算に匹敵する額であり、どんだけ貧乏国家やねんが現状です。こんな現実の中、ステージ4の癌患者の医療費にそんなに払えるかの風が吹いてます。子供や、若い世代、つまりこれから税金を支払ってくれる世代、状態の国民ならばともかく、先が厳しいような人間にカネは使えない、そんな余裕なんぞないわ。そんなコトしてたら、日本は完全に倒産してしまう。元気で若い人達が、クビくくらないかん状況に既に追い込まれているけども、それに拍車をかけてまうわ。・・・という風が今の世の中には吹いてます。これは実話なんですけども。。。前に書いたかしらん?手術を控えていた米村先生の患者さんが、地元で突然の大量吐血。救急車で地元の 「癌拠点病院」 に搬送。そこで、輸血が行われるかと思いきや、ステージ4の癌患者に輸血なんて処置しても、保険が下りない公算が高いゆえ、輸血はせず応急処置のみ。保険が下りなければ、病院の負担となり、赤字とあいなる。家族が輸血して下さいと頼んでも、この公立病院から 「うちの病院には、お金がないからできません」 と言われたそうな。家族は怒って、民間の救急車を手配して遠路はるばる、ざっと500Kmくらいの距離かな。。。患者を米村先生の病院に運び込んだのです。そこで輸血を行い、状態の改善をみながら手術となったようです。ステージ4の癌患者に輸血が保険で認められるか否かは、どこでも同じです。病院が赤字を抱えられる経営状態にあるか、そんな余裕なんぞあるか、こちらがクビくくるようになるわの経営状態にあるか・・・この違いは大きい。今の公立病院は、昔と違って税収入が激減していることから、どこもかしこも厳しい世の中です。保険が下りないならば、自腹切るからお願いしますと言いたいとこだけど、混合診療は認められないから、これもできない。せめて、混合診療が認められたのならば、作れる時間もあるはずなんだけど。。国民皆保険制度がないアメリカでは、たとえば、盲腸で手術しても、患者は3日で退院するのだとか。退院後は、病院近くのホテルに滞在して、ドレーンを付けたままそこから病院に通うのだとか。その方が安く済むから。全額実費となると患者側も、病気や怪我同様に、支出が痛過ぎるから。米村先生の話では、アメリカ人は、日本では300万~400万もあれば胃癌の手術が受けられるから、安いと言うそうな。胃癌の手術が、日本では全額実費でも安いと言うらしい。国民皆保険制度は良い制度だけれど、ドラッグストアで買える薬で治まるような、ちょっとしたキズや病気でも、病院に行った方が安いから行くって人も多く、これはこれで問題かなぁ。健康保険料支払っているから、権利ではあるけれども。。。結局、公立病院がどうの、医療制度がどうのと文句を言っても、一番悪いのは不況なんです。カネさえ潤沢にあればどこの病院だって、医者だって命は救いたいはずです。トドノツマリ、原因は政治にあるってことかな。。。
2012年03月22日
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この間の患者さんの近況が届きました。あの突然、腸閉塞を起こした70代の女性患者さんです。一人っ子の娘さんは、小3を頭に4歳までの3人のお子さんがいて、尚且つ、半身不随でちょっと認知が入った実の父親も同居していて、今度は、ストマになったばかりで、食事もままならない、術後の痛みも取り切れていない母親を抱えてしまいました。患者さんの状態を言えば、確かに 「退院」 の許容範囲なんです。ですが、ご家庭の事情があるでしょう。だから米村先生には どこか療養できる病院を探してあげてくれませんかと言っておいたんです。できれば、「腹膜切除した患者の事などわからない、執刀病院に早く行ってくれ」 と追い出された市民病院以外の病院を探して下さいと。 わかりました、明日、医療連携に頼んでおきますわと先生。前の病院は市民病院。言わば、市の税金で成り立っている病院です。市民を診るのは言わば当たり前、当然の義務と言って 「道理」 を押し通して 「権利」 を主張して受け入れてくれたとしても、結局、患者さんは居辛いです。だから、他の病院を。。。とお願いしておいたんです。それなのに、「在宅で面倒をみることにしました」 との報告があったので、 先生、頼んでおいたじゃないですか 娘さんがしっかりしとるから・・・って、もうぉと思っていたんですが、米村先生が悪い訳じゃなかったんです。娘さんから届いた近況によれば、患者さんは娘に負担をかけるからと、入院先を探して欲しいと言ったそうなんです。ですが娘さんが、 「病院から病院で、また、病院では可哀想です 大変だろうけど、やれるだけ自宅で面倒をみようと思ったんです」と娘さんが言わば強引に家に連れて帰ったのだそうです。実際に連れ帰ってみると確かに大変のようですが、子供の離乳食を作っていた頃を思い出しながら食事を作り、それを 「美味しい」 って母が平らげてくれると嬉しいと。病院にいた頃より、ずっと食べてくれるのだそうです。腸閉塞を起こした時は、食べることが出来なかった。術後、病院では、やっと少しだけ食べれるようになった。それが、今、娘さんが作る離乳食もどきを美味しいって食べれるようになりました。急な入院で、転院で、手術だったものだから、約1ヶ月、患者さんはお風呂に入れずにいたようです。1ヶ月ぶりのお風呂では、骨と皮になった痩せた母親の体を洗ったこと。垢が沢山でたことが書かれてました。それと、春休みに予定していた旅行をキャンセルしたこと、4歳の娘が楽しみにしていた週末のプリキュァショーを見に行けなかったこと、それでも、子供たちは時折、患者さんの部屋に入って行っては、「ばぁば」 と仲良く過ごしていること・・・・そんなことが書かれていました。「親孝行できる時間は、もう長くはないでしょうから、精一杯、親孝行します 家で過ごすって、やっぱり良いです」と書かれてました。そんな娘に、そして、遊びに行けなくなった孫たちを思い、「不憫だ、申し訳ない・・」 と患者さんは涙するようですが、そこにも確かに 「幸せ」 があるように思います。
2012年03月21日
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昨日書いた米村先生との会話を、まんまうちの博士に言うたらば 先生をあまりいじめてやるな それが先生の人間臭くて良いトコなんだからと米村先生をかばう。(いじめるなって言われても、アタシのシュミですから)これまた何年か前の話。大腸癌の再発で、米村先生の元にきた50代の男性患者さんがいましてね。確か、米村先生先生が手術したんじゃなかったかな。元気になりましたよん。その後も、米村先生の元で治療を続けるも、いつしか腸閉塞を繰り返すようになり、先日の患者さんのように、緊急オペとなりました。米村先生の中には、「バイパス手術」 という言葉は存在しないのですが、バイパス手術しか方法がないほど癌は広がってしまってましてねぇ。。。パイパス手術後の入院でも、治療は続けましたが、さすがに 「もう治療無理」状態に。言葉は冷たいけども、もうやれる事ないし、急性期病院にいる必要もないし・・・になったんですが・・・それでも患者さんも、ずっと付き添う奥さんも、治療は出来なくても良い、それはもう仕方ない・・・でも、米村先生の側に置いてくださいと切望。 「それ、困る、ベッド空けて貰わないと 手術待っている患者さんに支障が出てる」が医療現場の実情で、出来れば、緩和ケアを要する病院なりホスピスなり、療養型の病院に転院して欲しいところ。だ・け・ど・・・・これが言えないのが、米村先生でねぇ。 ええよと、米村先生が言ってくれたと、嬉しそうなメールが患者さんの奥さんから届いたことがありました。 それは良かったですねと返したけれど、内心は(米村先生、無理しちゃってぇ、ホントは困るだろうに。。。)と思いましたわ。まっ、これが米村先生の良いところかな。良いところではあるけれど、「手術待っている患者さんはど~なんねん」 って問題は現存している。だけど、これ言うとさすがに米村先生が可哀想だと思って、言わなんだ。先生ですか しゃ~ないですわとポツリ。。。。
2012年03月20日
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結局。。。あの患者さんは自宅療養という形で退院されました。受け皿探しが上手くいかなかったのか、はたまた、患者さんの希望なのか・・・ちょっとわかりませんが、娘さんから退院の報告と、今後の不安が書かれていたメールが届きました。生き延びることは出来たものの、初めてのストマの管理、補助的な栄養点滴、痛みの緩和等々・・・課題は山積みです。娘さんにすれば、3人の小さな子供の世話、半身不随の父親の世話、これに加えて未知の状態の母親を抱え・・・それでも、手術待ち患者さんからは、矢のような催促が米村先生の元にも届いているので、「退院」して貰いました。 仕方ないです。。。とこれは、娘さんの言葉。この患者さんの場合は、ご家庭の独自の事情が重なってしまったパターンですが、どんな状況であれ、ご病人を抱えるのは大変なもの。ある、虫垂癌の患者さんのご家族からも、 術後、追い出された感はありましたが、 手術待ち患者さんが沢山いるので、贅沢は言えません うちの場合は、地元の病院が快く受け入れてくれて、 体調回復の為の、継続入院中も居心地が良かったです なんていうメールも届いてます。最先端とか、最新とか、ガイドライン以外の治療を望むとどこも、こんな風なんですよね。全国から患者さんが殺到してしまって、誰かが出て行かないと、誰かの治療が行えない。。。誰かが泣くと、誰かが笑う・・・のが現実で、これはもうジレンマそのものです。こういった現象は、チョーゆーめー癌専門病院では日常茶飯。だから初診から患者さんを振り分けます。網目にひっかかった患者さんだけ治療します。網目にひっかかった患者さんでも、病状が進行すれば、また振り分けられ追い出されます。これをやらないと、助かる命も救えなくなるから・・・が「モットー」です。こんな 「振り分け」 だけはやりたくないというのが、米村先生と私の共通した思いなんですが。。。何年か前の米村先生との会話です。 ○○県の公立病院から来た患者さんがおるんやけど、 手術受けるなら、帰ってくるなって言われたんやて もう帰る場所がないから、最後まで面倒みてくれって、 僕に泣きつくんですわ ひっどい話やわ、病人を診ないなんて それでも医者か それで先生、何て答えたんですか 可哀想やからね、ええよって言いました「帰ってくるな」とまでは言われなくても、一旦、命を預けたんですから、その医師の元で最期まで診て貰いたいというのが、人情ってもの。病人が病院から追い出されるって現実は、私の父もそうでしたからねぇ、患者さんの気持ちはよくわかります。「急性期病院」 と 「療養型病院」 の違いは健康な時には理解できますが、急性期の病気がいつしか療養型に変わるもので、初めから療養型の病気や怪我なんてありません。それが自分や、愛する家族に起こるなんて思ってやしません。 でもねぇ先生、そんな患者さんは1人や2人じゃないでしょう そんな皆さんを最期まで面倒診れるんですかと言ってみたら、米村先生、ちょっとムッとしたようで 診ますよ 僕が最期まで責任を持って診ますとビシッと言われる。。。ならば、言わせて貰っちゃいますケドもぉ 先生のお気持ちも理想も、十分わかっているつもりですが そういった患者さんでベッドが埋まってしまうと 現実問題として、先生は、手術出来なくなるんですよ、 それでも良いんですかと言うと、米村先生、すぐさまトーンダウン そうなんよねぇ。。。 それは困るんよねぇ。。。 と一気にしょげ返ってしまった。米村先生が施行している手術は、米村先生でなければ出来ないから他で・・って訳にはいかない。 ど~したらええんやろねぇ・・・こういうピュアな面を、未だに持っている方なんですよねぇ、米村先生というお人は。アタシだってこんな鬼みたいなコト、言いたくはないけれど、理想と現実は違うってこと、もう嫌ってほど思い知ってますからねぇ。。。誰かが泣いて、誰かが笑うなんてねぇ・・・皆が揃って笑うってこと出来ないんだろか。誰もが、満足できる医療体制って出来ないんだろか。見放されたとか、追い出されたとか感じなくて済む医療体制って出来ないんだろか。。。
2012年03月19日
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先日の続きです。言うならば、「手術の為のベッド物語」 ってとこ。この患者さん、緊急入院した自宅近くの病院での冷たい扱いから開放され、米村先生の病院へ来て、直ぐに手術となった時までは、大変、前向きでした。また頑張って、元気になろういや、元気にならなければみたいな思いがあったのではないでしょうか。ところが術後は、繰り返す発熱と、食事が思うように摂れない現状と、人工肛門になったショックもあいまって 死にたい・・・とまで口にするほど、気落ちしてしまいました。今の状態で退院して家に帰ったところで、娘さんに負担をかけるだけだと、十分承知されています。現実問題として、退院して、この状態で家で療養することになった場合、娘さんには小3を筆頭に4歳までの3人のお子さんがいます。脳梗塞を患い、半身不随、少しばかり認知症が出てきている高齢の父親がいます。娘さんには兄弟がいません、一人っ子です。苦労を分け合う人がいないのです。そんな娘の苦労を知っているから、この患者さんは お前にばかり、迷惑かけてごめんねと頭を下げます。今の家庭は、こんな緊急事態発生で、幼いお子さんも情緒不安定となり、泣いて泣いて幼稚園に行きたがりません。幼稚園に送りに行っても、母親の側を離れようとせず大泣きです。幼稚園の先生が 「○○ちゃんも頑張らないと」 って励ましても、「あたし、いっぱいがんばってるもん」 と泣くばかり。。。せめてもう少し、元気になってから、回復してからの退院なら、自宅でも大丈夫って思えるのでしょうけども、今の状態では、もう家族皆が一杯一杯。それでも、「手術待ち患者さんの為に、母を退院させなければ」 と思って娘さんは右往左往。この娘さんね、こんなことを言ってましたよ。。 うちの母よりも若い患者さんが沢山いるでしょう そんな患者さんに申し訳ない思いです ごめんなさい 年齢は関係ないですけどね。何歳であろうとも、大切な人に変わりはないですから。実際、私に届く 「手術まだでしょうか」 のメールには30代の患者さんもいますが、70代の患者さんまで年齢はまちまちです。こんな現状を米村先生に伝えました。それでも、手術待ち患者さん、急を要する手術待ち患者さんの為に、ベッドは確保せねばならない立場です。どうしても退院して貰わねばならない 「現状」に変わりはなく、今、受け皿探しに米村先生も動いておられます。片方の耳には、こんな現状が入ってきて、もう片方の耳には、どんな思いで手術を待っているか、今か今かと連絡を待っているかの思いが入ってきます。どちらもたった一つしかない 「命」 がかかってます。重さは同じ。これが今の医療事情ってヤツなんです。私も 「あぁ中間管理職、胃が痛い」・・・って感じでしょか。一番大切な、患者さんの気持ちが存在してない現実に、私は悲しみを感じてます。この入院中の患者さんの意志が、どこにもない。針のむしろの病院から、やっと安らげる病院に来たと思ったら、体がちっとも元気にならないばかりでなく、ここからも、「退院」 を急かされる。患者さんにしてみれば、事情はどうあれ、同じ 「追い出し」 と感じておられるのではないでしょうか。ここにも、自分の居場所は無かったのだと傷ついておられるのではないでしょうか。そんな患者さんの心を思うと、胸が痛むのです。
2012年03月18日
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今朝4時半頃でしたでしょうか。。。地震で目が覚めました。いきなり、ガタガタガタガタって来ましたねぇ。何の被害も無かったものの、ここ連日、大きめな地震があって知る 「気の緩み」 ですで、昨日の続きを。。腸閉塞を起こした際に行う処置というのは、1.絶飲食、もしくは絶食で様子をみる2.イレウス管を入れる3.人工肛門を早急に造設するってとこです。この患者さんの場合、栄養点滴を受けながら「1」の処置となりました。何せこの時、米村先生が日本にいない。帰国されるまで待つしかなく、私もドタバタと先生の帰国後に連絡を取ったりしてました。常に満床の米村ベッドですが、緊急事態ということで、米村先生の病院へ緊急入院の運びとなりました。この間、1週間弱というとこでした。患者さんも娘さんも居心地がチョー悪い病院から出られるし、何より、米村先生の元へ行けるからと大喜び。そして、検査データを見た米村先生 こりゃ、切らないとあかんなぁと判断、翌日、緊急手術の運び。当然、以前から予定が組まれた手術がありましたので、予定患者さんの次、翌日2番目の手術になったのでした。・・・って言っても、常に手術予定ビッシリで患者さんの調整はもちろん、スタッフの調整もあって、翌日手術できるかどうかは、前夜、ぎりぎりまで決定事項にはならなかったんです。何とか手術へとこぎつけたものの、開腹してみると、予想以上に癌が広がっていました。1月の定期外来、定期検査の結果は問題なしで、余裕でパスしてました。次回の外来はまだ先で、日常生活も何の変化なし、1人前の食事を普通に摂っていたんです。1週間の便秘を隠していたくらいです。普通、腸閉塞というと、吐き気やお腹の張り、激痛とも言える腹痛が起こります。この患者さんの場合、吐き気なし、お腹の張りはわからないけど、激痛とは言えない腹痛と1週間の便秘。再発の兆しは検査上は全くなかったのに、いきなりの再発でした。2時間の予定の手術が、4時間を越えた頃、あまりの不安から娘さんからケータイへメールがあって、それから何度と無くメールをやり取り。尿管にまで癌が浸潤していたこと、人工肛門になったこと等々・・・の報告があり、開いてみたら大手術になったことを知りました。 癌は全て切除したとの言葉に、この日は涙で安堵した娘さんでした。ですが術前、地元病院に緊急入院した際には、絶飲食。高カロリー輸液ではなく、ブドウ糖の点滴と電解質の点滴だけの栄養不良状態。尚且つ、70代という年齢からの体力もあっての今回の大手術となり、回復は順調とは言えません。発熱を繰り返したり・・・ようやく座ったり、食事が少しばかり摂れるようになった頃、こちらでも退院の指示が出ます。そう・・・沢山の手術待ち患者さんの為に、ベッドを空けて貰わねばならないのです。「指示」 というより、「懇願」 と言った方が正しい感じです。続く
2012年03月16日
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昨日は、伊豆の河津桜を見に行って来ました正に満開未だ寒い日が続いてますけど、春は確実にやって来てますねメール対応は毎日、やってますけども、常にお待たせ状態で申し訳ないです。米村先生の手術待ち患者さんが、どえりゃ~多いって話を先日書きました。ベッドの数には当然のことながら制限があって、今週なんて7例の手術予定だそうですが、それでも、待ち患者さんが溢れ返ってます。こんな現状を、現在入院中の患者さんサイドも重々ご承知で、なかなか退院できない患者さんのご家族からは、「手術を待っている患者さん、ごめんなさい」 というメールも届いてます。そんな患者さんの、あるある 現実を。。。たまたま米村先生が海外の学会に出向かれている時に、突然、腸閉塞を起こしました。スキルス胃癌の患者さん(70代・女性)で、1年ちょっと前に手術を受けました。腹膜播種で抗癌剤治療を地元で、しばらく受けていたのですが、手術を決意された患者さんです。これは、私の勝手な妄想ですが・・・この患者さんのご主人が過去に脳梗塞を患い、半身不随となってしまったのです。そんな中で妻である自分が、スキルス胃癌、それも腹膜播種という進行した状態で癌が判明。子供に迷惑はかけられない、夫の世話は自分がしなければと思ったのではないでしょうか。夫の面倒をみるために、娘に迷惑をかけない為に、自分は長く生きなければならないと思ったのではないかなぁ。。。だから、手術を受ける気になったのではないかなぁ。。。その思い叶って、術後しばらくは病人丸出しの状態で、家で寝込んだものの、いつしか元気になりました。突然の腸閉塞を起こすまで、ついこの間まで自転車に乗り4歳の孫を幼稚園に迎えに行ったほどです。この患者さん、ご自身の病気を機に娘家族と暮らすようになりましてね。夫の世話だけでなく、孫の世話もして、家の中では立派な 「戦力」 になるほど、術後、元気になったのです。地元の病院を蹴って、米村先生の元へ来た身、なのに、突然の腸閉塞で元の病院に緊急入院となってしまいました。 「腹膜を切除した人のお腹の中のことなどわからない 応急処置だけはするから、早く、執刀病院に行ってください、ここを出て行ってください」との扱いを受けます。まるでよそ者、邪魔者扱いで、居心地が悪い悪い。。自分から出て行った病院だから、この病院に未練などないけれど、この扱いはないでしょ・・・と怒ったり、泣いたりでした。続く
2012年03月15日
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東北大震災のあの日から丁度1年。今日はテレビでも震災関連の特番が沢山組まれてます。1年前、ここ神奈川県もかなりの揺れでした。うちは、何時間か停電したくらいで、何とも無かったし、周りを見渡しても別に問題も無かったけど、後々入った情報によれば、市内には、液状化現象を起こした場所もあったり、テニスコートにヒビが入ったり、断水した地域があったりで、ここもプチ「被災地」だったことがわかりました。 マスコミでは取り上げられないこんな、プチ被災地は沢山あるんでしょう。あの日から、うちの博士もある意味、戦争状態に突入し、ここでは書かなかったし、今も書けないけど、どんだけ辛い日が続いたことか。。。あの頃のことを思うと、って言うか、博士の心情を思うと今も泣けてきますわ昔の言葉だけど、「男は家を出ると7人の敵がいる」 っていうのがあるけど、うちの博士の場合、100人くらい敵がいるんじゃなかろか(米村先生の場合は、50人くらいじゃないかしらん)強い味方もいるから、やっていける(ing)んだろうけども。能天気にブログなんてやってる場合じゃなかろーって日が結構多かったなぁ。今もそうだけど、本当に辛い中におられる方々からのメール対応が遅れまくりで、申し訳ない限りでして。。。結局、能天気やるっきゃないかところで、先日まで書いていた、スキルス胃癌の患者さんは現在、地元で入院治療を開始されたばかりなんですが・・・この病院、そりゃないよさんのお母さんが通院治療している病院だったんです。(2011年11月5日のブログ参照)今年に入ってから、ずっとご無沙汰していることに気付き、これも何かの知らせでしょうか、何だか気になって、ご本人にメールを送ってみました。ご記憶でしょうかねぇ。。。2009年6月息子さん(30代)をスキルス胃癌で亡くされた方で、それ以降もずっとお付き合いが続いています。現在は、ご自身が膵臓癌で戦っておられます。一度は開腹するも、腹膜播種が認められ、そのまま閉腹の僅か2時間の手術を受けました。その後、抗癌剤治療を通院で受けていて、その結果が良かったことから、再手術となってました。ナント、私が久しぶりのメールを送った日は、お母さん、術後6日目の病室にいたんです。 腫瘍は取れましたとの返信を見てビックリ今回は8時間もの手術だったそうで、さすがにぐったりのご様子。膵臓って、私、1度だけ見たことがあります。ヒゲさんの手術の時。お正月に出てくる大きな数の子みたいな大きさと形で、胃のような筋肉と違い、豆腐みたいに柔らかい臓器なんですよねぇ。これまた当然ですが、胃袋と違って中が空洞って訳じゃなく、ぎっしり細胞が詰まってます。神経のネットワークと呼ばれるほど、神経が集中している臓器で、尚且つ、酵素を分泌する臓器だから、術後、切ったことで酵素がもれ出てしまうと、蛋白質(人間の体は蛋白質でできてます)を溶かしてしまうんです。だから、胃癌の手術よりも辛い痛みが伴うようです。(・・って経験ないから、ただの耳年間ですけども)その分、麻薬系の鎮痛剤で痛みは緩和するしかなく、その影響で起こる、せん妄に悩まされていました。でも、これって、麻薬系の鎮痛剤のいたずらですからね。キズの回復に伴い、鎮痛剤ともおさらばできれば、完全なくなりますよ。手術前は、余命短いと覚悟して、人生の幕を下ろすまでの計画立てて、遺言状まで書いて、自分が死んだら知らせて欲しいリストまで準備していたお母さんです。それが、諦めていた手術にこぎつけたのは良いけれど、今はちょっと気味。こう言うては失礼なんですけど、術前は意気揚々、術後は、意気消沈って、年配の患者さんに実によく見られる傾向です。「思っていたのと違う」 ってギャップに飲まれちゃうみたいです。らしくないですよ~どんな時でもわが道をゆくお母さんに戻ってください。桜前線を全国追いかけるぞ~くらいの気概を持ってください。心身ともに元気なる日を待ってます
2012年03月11日
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やっとこさ本題です。ごくごく普通の健康な生活を送ってきたこの患者さん家族は、ある日突然、ステージ4の癌告知受け、超特急で治療法を探りました。数日後に開始される、抗癌剤治療の前に目処を立てなくてはとかなり焦ったようです。そして、この患者さん家族は、通えそうな場所で自由診療で行っている癌治療のクリニックを見つけました。これってねぇ、くしくも2月25日のブログに書いた、「癌は小さくなれば良いってもんじゃない」 の治療法でねぇ。。。私的にはですよ、「やめときんしゃい」 って言いたいところ。治療開始までにもう時間がない、先ずは相談に行くべしと、このクリニックに行ったらしい。そこで話を聞くうちに、その気になったようで、血液採取に応じてきたそうな。患者さんご本人は 「抗癌剤治療だけじゃ心配」 「抗癌剤治療の副作用が不安」 という気持ちから、この自由診療を受けたいと願っているようです。家族も、その方向でいました。駆け込んだ病院の主治医に、この治療を受けたいと相談したところ、この医師も、「薦めない」 との返事だったそうです。(あたしと同じ)そもそもですよ、この治療法はうちの父がスキルス胃癌闘病していた頃、もう10年も前に国立がんセンターの医師が、まっこう否定しておりました。あの頃は、否定する科学的根拠が定まらず、「仕組みはわからないけど、悪化する患者が何人も出ている」 というようなアバウトなものでしたけどね。それが今では、先日のように科学的な解明になってきたんです。それでもですよ、それは駄目、せめてエビデンスが確立している抗癌剤治療にしなさい、手術にしなさいって断言しききれないのは、何を選択しても、危険なリスクがあるからです。抗癌剤治療には副作用があるし、重篤な副作用での死亡例があるし、手術には合併症のリスクがあるし、執刀医の技量にもよるけれど、手術で癌を広めてしまう可能性もある。こういった現実があるから、これは駄目、あれは良し、って言い切れない。患者さんがどうしてもやりたいって言うなら、それは患者さんの権利なので止めやしません。これまでも、ナントカ療法をしています、なんちゃら療法をしています、って話は届いてます。どう思いますか?と聞かれれば、「薦めません」 って答えますが、聞かれない場合は、「ああそうなんですか」 でスルーしてます。米村先生も同じで、全てを否定するものではないけれど、 そんなの効かない、駄目だ、止めた方が良いと言ったところで 患者さんは隠れてやるから、言っても意味ないと達観してますけども。特に健康食品系は、隠れて摂取する患者さんが多いようでねぇ。今回、私が 「それってどーよ」 って思ったのは、患者さん本人はもちろん、ご家族の病気の認識度が、全くと言って良いほど無いにも関わらず、自由診療って言うのはいい加減やなぁ、良いことばかり言って、治療を請け負っちゃうんですねぇ。。。そういえば、以前見たテレビでテナント会社のオーナーが言ってました。今時、単なる小売業だと数ヶ月赤字が出ただけで、直ぐ撤退しちゃうそうです。空き店舗が直ぐに出来てしまうんだそうな。ところが、開業医の場合は、莫大な資金をかけて開業するから、赤字が出てもなかなか撤退しない。テナント会社のオーナーにすれば、開業医は良いお客さんなんだそうな。こういうこともあるのかしらんって、へそ曲がりひろりんは思ってしまったのでした。あたしゃ、混合診療が認められていない現在、究極で尚且つ、最善の医療は 「自由診療」 だと思っていますが、そりゃ駄目っしょってもうわかっているのに、まだ存在する治療法もあってねぇ。。。何もやらないよりは、少なくても患者さんの心は救われるから、これも良いんだろうか?でも、高過ぎますよねぇ。。。あっ、この患者さん、現実を見つめに米村先生に相談に来られます。さて、何をどう選択されるかな。
2012年03月08日
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米村豊先生の手術待ち状態の患者さん方、大変、ご心配とご不安のことと思います。予定が遅れている点、誠に申し訳ありませんm(_ _)m直接、メールで対応している方々からは、 「米村先生も、病院も大変なんですね。事情がわかっただけでも、安心しました。」という内容のメールが届いております。米村先生のもとに集まる患者さん方は、殆どがステージ4の方々。そんな中で、ご理解と思いやりをありがとうございます当の米村先生は、「働き過ぎ」 と誰もがお体を心配する程、超ハード過密スケジュールで動いておられます。で、先日の続き。ん~、他に考えれる背中の痛みというとぉ・・腎臓か膵臓か・・・ 便や尿は出てましたか 便は毎日じゃないけど、2~3日に1回は出てました あっ、でも尿は出てないって言ってました(はぁ~ん、大体読めてきた) では、主治医は尿管にステントを入れるとか言ってませんでしたか はい、そうです、尿に管を入れるとか言ってましたとなると恐らく、尿管狭窄により尿が逆流して腎臓に戻ってしまうことで起きる、水腎症を起こしたんじゃなかろか 熱は出てませんでしたか あっ、はいそうです、熱が出てました(ビンゴ)この場合、子宮、卵巣にも転移がある可能性があります。そこまでいかなくても、尿管が外側からの癌により狭窄するので、画像診断や洗浄細胞診がなくても 「腹膜播種」 と位置付けられます。 腹膜ナントカって言ってましたそれで、このブログがヒットしたのか。。。納得。と、状態を把握するまで結構時間がかかりましたそもそも、患者さん本人はもちろん、一番近い立場のご主人がまるで状態がわかっていなかったので、そりゃ、説明なんて出来ないわ。。。これ、しゃーないんですけどね。ここまでの流れなんですけども、突然、背中が痛いと言って病院に駆け込んだ。その病院での検査で、上記のことが判明。で、手術不能で、抗癌剤治療しかないと言われた。この患者さんの場合、尿管さえ確保できれば排尿ができるので、鎮痛剤を処方されて、一旦帰されたそうです。オキシコンチンや、オプソで、嘘みたいに痛みから解放されたこの患者さん。帰ってから、今後の治療に関して家族会議となり、ネット検索しまくったようです。そこで、見つけたのが、某自由診療のクリニックと、私のブログだったという訳です。さぁて、これからが本題ですよん
2012年03月07日
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なかなか本題に入れず、このシリーズちょっとかかります。昨夜、米村先生にしてみました。新たなセカンドの依頼と、昨日書いた手術日程確認があったので。 先生~、○○さんと、××さんと、△△さんから 手術日程の問い合わせが来てますケド このところ、急を要する手術が続けざまに入ってしまってぇ まだ、日程が組めんのですわ私も把握している緊急オペ1件と、その他にも3件、予定外のオペが入った模様。よって、ベッドの回転が止まっている様子。 事情はわかりますけど、2月下旬とか3月上旬に手術 なんて言われた患者さんは、毎日、連絡を待っているんですから そうなんよねぇ。。。 悪いコトしてるんよねぇ。。 でも、もっともっと悪い状態の患者さんが沢山おるんですわ 割り込ませると可哀想やから、したくは無いんやけどぉ、 どうにも待ったなしの患者さんがおってねぇ。。。 と申し訳なさそうに、又、言うとられました。で、本題に戻ります。先日の続きとなります。翌朝、患者さんのご主人から電話がありました。話しているうちに、入院していることがわかったので なんで入院しているんですかと聞くと えっ 癌だから。。。と答えるご主人。(はぁ。。。それじゃ答えになってまへんがな) 今は、癌の治療も通院が基本なんで、 入院するには訳があると思うんですが そうなんですか・・・ 全然知らないもので・・・(こりゃ、説明を聞くよりこちらから質問していった方が早いな) あの、どういう経過だったんでしょう話を聞くと、この電話の10日くらい前に、突然、「痛い」と言って体調不良を訴えたという。病院に駆け込んで、そのまま検査して、スキルス胃癌が判明したと言う。あっ、ここで胃癌からスキルス胃癌と若干詳細化されました どこが痛いって言ってました? お腹ですか? いえ、えっと・・・背中からわき腹にかけて痛いって言いました 普通は、腸閉塞でお腹が痛いって言うコトが多いんですが、 それ以外の痛みって言うと、骨転移が考えられます 主治医の先生は、腸閉塞とか骨転移なんて話は されませんでしたか いえ、それは言いませんでした(ん~、となると・・・)ひろりんの問診は続く
2012年03月06日
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このところ、ちょくちょく届くメールの内容が、手術日程に関するもの。現在、米村先生の手術待ち患者さんが溢れかえってますな。。。50人を越えていると、先生が言うてました。で、現在、2月下旬手術予定の患者さんが、3月中旬以降にずれこんでおります。手術連絡をお待ちの患者さん方、いま少しお待ちくださいませ。何せ、先生に問い合わせましても 今、ベッドが一杯で、どうにもならんのですと申し訳なさそうに言われるだけでして。。。手術の順番は変えずに対応しておられますし、決して、忘れてなんかいませんから、この点はご心配なくつい先日の話です。「ステージ4の胃癌、手術不能、転移ありと言われました、助けてください」というメールが届きました。かなり慌ててますな。一先ず、落ち着いて頂く為に、「もう少し、詳しい内容を教えてください」 と返しました。何せ、これだけじゃアバウト過ぎますからねぇだってステージ4なら、転移があるからステージ4なわけで、どこに転移があるのかわからない。すると、「確かにそうですね、これじゃ何が何だかわかりませんよね。当事者に一番近い、患者の旦那に連絡させます。」と返ってきました。患者さんは30代の女性で、メールを送ってきたのは、お兄さんだったんです。で、夜10時半ころ、この時、私はお風呂タイム。そしたら、夜12時頃、ケータイにメール。患者さんのご主人からでしたけど、本人、わかることを精一杯書いて送って来たようなんですが、これがまた、あのアバウト説明に輪をかけただけの内容でねぇ。。。こりゃ、患者さんのご主人も相当テンっぱってますな。的確な返事をしようにも、これじゃさっぱりなんでぇ。。。もう、夜も遅いしぃ、明日にしまょ。。。でこの件、持ち越したのでした。こういう場合、ちょっと意地悪のようですが、時間を空けることで落ち着いて頂くのがベストだと過去の経験から学んでおりますんでね。一杯一杯考えて、落ち着いて頂きましょ~、的な考えでございます。こういうドタバタ劇は、私にとっては日常茶飯事、何時ものことでございます。
2012年03月05日
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今日はひな祭り我が家のお雛様です・・・ってこれ、先日書いた患者さんのお土産。2009年6月・腹水満タンの状態で癌が判明治療より看取りを考えるべしもって数ヶ月って言われた70代後半の女性患者さんです。2010年2月・米村先生が手術して、その後、2011年5月・肝臓に再発するも、2011年9月に再手術の患者さんですが・・・はぁ、私より元気ですわ肝心の5年生存日記の続きです。2009年1月~2010年1月までのメールが見つからず・・・なんですがこの間、FOLFOX ではなく、TS-1 に切り替えて、2009年10月まで服用をしていたようです。FOLFOX の次に TS-1 、合わせて2年抗癌剤治療を行ったので、2009年10月をもって抗癌剤治療卒業となったようです。この間、腹膜の手術の提案はなされていましたが、肺の方が先とばかりに、肺に転移した癌の経過をずっと見てました。約3年、肺に転移した癌の経過を見ていましたが、全く変化なし。そこで、肺を切除して、それから腹膜の切除といきましょか~ってノリになり、肺の手術に踏み切ったのが、2010年5月でした。大腸癌判明時から、疑いで見つかっていた肺の影です。消えないことから、肺転移と位置付けられていました。で肺の手術が胸腔鏡で行われましたが、切除した癌細胞を病理で調べると、大腸癌の肺転移ではなく、初期の肺癌と判明。丸3年、おとなしくしていた肺癌なのでした。普通は、3cm程度には成長してしまうものだとか・・・それが、抑えられていたのは、くしくも、大腸癌の抗癌剤治療のおかげだったかもです。肺癌の退治が終わり、体調が回復したら、次は腹膜と、米村先生は考えていましたが、今度はもう片方の肺に影が。。。小さいし、またこちらを先に切りましょってコトになりまして、2度目の肺の手術が先月行われました。ステージ1の肺癌がもう再発、変だなぁ・・・とは思いましたけど、肺癌の再発だと思っていたんですよねぇ。。。ところが、今度は正真正銘、大腸癌・肺転移でした。さぁて、大腸癌の手術から5年目、これから大腸癌の治療の再開です
2012年03月03日
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連日の大腸癌・腹膜播種患者さんの5年生存日記をちょっと中断して、夕べのエピソードを。ちょいとばかり笑えます。。。米村豊先生、天然日記とでも言いましょうか。昨夜、来週に米村先生のセカンドオピニオンを希望する某患者さんの予約をお願いしようと、電話を入れました。 来週のセカンドお願い分をメールしておきましたその昔の川柳で、「メールしたよと、電話をし・・・」みたいな句があったけど、これやらないと、ホント不安なんですよねぇ ふぅん、未だ見てないんですわ ちょっと待って下さい、今、見ますたまたまPCの前に居たらしい。 あれ未だ来てないなぁ えっだって、昼間送りましたよ私もPCの前に居たので、送信トレーを確認するとちゃんと送信済みトレーに載っている。 ん~、やっぱり来てません たぶん、明日、来るんじゃないかなぁ (はぁ~) 先生、郵便じゃないんだから、んな訳ないでしょ えっとぉ、たぶん、もう容量が一杯なんだと思います この前もメールがごっそり消えてしまってぇ そういう時は、古いメールから消えるから今日のメールは消えませんよ ん~、ちょっとメールを消してみますわ えっと、でりーと、でりーと、あっ違ったこれかとPCと格闘しているらしい。 送受信っと おお、来た来た・・・でも、まだ来ないなぁ せんせ~、私、伝書鳩でも飼いましょか くっくくく・・ 一度、再起動かけてみます、それで上手くいくと思います 今、画面が真っ黒になりました(・・・って、んな事まで実況中継せんでええがな、あたしゃ、ネットのサポセンかいなそもそも、コレずっと待ってないかんのかいな) これ、おっそいんです・・・やっと起きた えっとぉ、送受信っと おお~ きたきた、これですね、○○さんね、わかりましたやっておきます米村先生宛てのメールって、添付資料が多いからPCの容量が一杯になってしまうらしい。だから、こういう事が多々あるらしい。少しばかり、海外の学会に行っておられたから、メール溜まりまくりしていた事も今回の原因なんだけど。し・か・し・・・メール受信するのに18分かかったんですけどぉ。。。やっぱ、伝書鳩だな
2012年03月02日
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先日の続きです。治療開始早々、先ず、この患者さんの奥さんが驚いたのは、「治療費」 でした。入院しての点滴治療でしたが、1回の支払い額、69000円これを月に2回ですから、毎月約14万円の出費です。癌治療を始めると、どなたもこの額にビビります。風邪や怪我で病院に通院した経験は、どなたにもあると思いますが、支払額なんて普通5千円でお釣りがきます。この患者さんの場合、入院治療とは言え、1度の治療で69000円もの請求が来るなんて思いもしませんよね。抗癌剤治療はどれもこれも高額です。それでも、69000円であっても、FOLFOXに使用しているオキザリプラチンが保険適用になるまでの苦労話は、過去に書いていますが、ある大腸癌の患者さんが(故人)それこそ命をかけて運動して勝ち得たという代物。これでも、当時、自由診療で受けていた方から見れば、安いんですよねぇ。。。現在は、殆どの病院が包括診療制度で癌治療を行っているので、ポンプを貸し出して在宅で行っていたり、外来で時間をかけて受けていたりします。で、話は戻って。。。6回投与の予定でしたが、4回投与後、血小板が正常値の半分近くまで落ちてしまい、中断となりました。4回投与後に検査を受けると、「変化なし」との診断。 こう聞くと、「なんだ、苦労しても変わらないのか」と思われるかもしれませんが、癌というのは、「進行」 が何より怖い病気なんです。ぶっちゃければぁ、進行さえしなければ良い病気なんです。だから、治療は効果ありと判定されました。「効果が出ている治療を止める必要はない」 というのが主治医の判断で、血小板の回復をまって続行という判定が下りました。当時、患者さん、これを聞いてがっくり副作用があまりにも辛くて、治療が中断になって、内心喜んでいたんですねぇ。治療内容がこれで変わるかもしれない、楽になるかもしれない・・・と期待もしてました。「米村先生は何と言われるだろう」そんな疑問もあり、6回施行の予定が4回で中断となった事もあり、予定より早いけど2度目の米村先生受診をしたのが、年が明けて2009年1月でした。この時の米村先生の見解は、主治医と同じでした。 このままあと、4回続けてみてくださいこの言葉に、いよいよがっくりの患者さん、何とかこの治療法を避けて通る方法はないものか・・・と思ったのでしょうか このまま、何も治療しないとどうなりますか?こう質問しました。これには、同席した奥さん、ビックリしたと言います。この質問に対して、米村先生にしては珍しくシビアな返答をします。 余命7ヶ月です米村先生という医師は、患者さんご本人にシビアな話をする人ではありません。常々、「余命なんて言って何の意味がある、患者さんを意気消沈させて、がっかりさせるだけで何の意味もない」 と言われます。そんなお人が、まぁ、良く言ったというか言えたというか・・・今度は、私がビックリですこれを聞いた患者さん、腹が決まったのでしょうか。その後、どんな会話があったのかこれは知りませんが、奥さんからのご報告には 元気を無くしていた主人が、米村先生と再会してまた、元気を頂きました 行って良かったです 不思議な先生ですよね、米村先生はとありましてねぇ。。。これまた、私、ビックリでした繰り返しますが、2009年1月のことです。「治療しなければ、余命7ヶ月」 からもう3年経ってますねぇ現在進行形ですよんまだ続きあります
2012年03月01日
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