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少年の名はジルベール 竹宮恵子 小学館 「ファラオの墓」「地球(テラ)へ...」などのヒット作マンガを世に送り出した人気漫画家の自伝エッセイ。 彼女の作品を語るには、「風と木の詩」と外すことは出来ない。少女マンガがまだタブーにがんじがらめだった1970年代に、少年愛を描いてセンセーショナルを巻き起こした。2016年の今でこそ、BLはマンガの一つのジャンルになっているし、LGBTQという言葉が新聞紙上に掲載されている時代だ。 このエッセイには、日本を代表する漫画家の竹宮恵子氏が、当時タブーとされていた少年愛を扱った「風と木の詩」の少女マンガ雑誌への掲載をいかに勝ち取ったかを丹念に綴っている。 まだヨーロッパ旅行などメジャーではなかった40年前に、漫画家仲間たちと訪れたパリなどのヨーロッパの都市。 それはひとえに19世紀パリを舞台にした「風と木の詩」の取材旅行でもあった。背景を正確に描き、完璧な作品にするための凄まじい情熱。作品を生み出す漫画家の執念を垣間見たような気がする。そのような努力をして、作品を生み出す人は、読者に何かを手渡そうとする。文化だな、と思う。 漫画家として走り出した彼女にずっと伴走してきたマネージャーでもある増山法恵さん。二人が映画や文学、美術、音楽などを吸収し語り合う姿は、なんとなく同じ年齢の頃の自分を思い出して懐かしい。若い頃は、豊かな文化を吸収することに忙しいものなのだ。そしてそれを噛み砕き、自分のものにしていくプロセス。今思い出してもワクワクする。 文化・芸術は、その存在意義を数値化することが出来ない。いやむしろ数値化するということの対極にあるのが文化・芸術なのだ。数値化できないところに、その奥深さ、豊かさがある。人間にとって必要不可欠なミネラルとでも言おうか。 竹宮恵子氏がマンガで表現しようとした、多様な人間性の存在意義と文化の豊かさ。時代の最先端を走るゆえの軋轢だったのだなと、40年後の世界で思う。 竹宮恵子氏のBBCインタビュー記事が、「少年の名はジルベール」の内容とリンクしていたので、以下にご紹介します。 ⬇︎ 「国連が批判する日本の漫画の性表現 「風と木の詩」が扉を開けた」 http://googleweblight.com/?lite_url=http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-35742160&f=1&s=1&source=wax
2016/03/30
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他人のふたご アナイス・ボルディエ/サマンサ・ファターマン 太田出版ロンドンでファッションの勉強をしているフランス人アナイスは、ある日友人から奇妙な連絡を受けた。彼女とそっくりのアメリカ人女優がyou tubeの動画にいたというのだ。その動画を見たアナイスは驚愕した。なにからなにまで自分にそっくりの女性がそこにいたからだ。これは韓国 釜山で同じ日に生まれたアナイスとサマンサが、不思議な縁によって再会をした物語である。フランスで育ったアナイスとアメリカで成長したサマンサ。姿はそっくりだが、性格はどうなのだろう。人は遺伝子によって性格を決定づけられるのか、それとも環境か。さまざまな関心を惹くノンフィクションだ。アナイスは自分が産みの母親に捨てられたという考えが捨てられず、韓国に行ったときにとてもナーバスになる。かたやサマンサは自己肯定意識が高く、そんなことは考えない。二人のやり取りがとてもかわいらしく、力強く、心地よい。もし私も世界のどこかに生き別れになったふたごの姉妹がいたら?彼女たちのようにしっかりと前を向いて歩いていけるだろうか。もちろん彼女たちは最初とても混乱した。ほんとうに自分と同じ顔なのか、相手は自分と血のつながったふたごなのか。そうして混乱を超えて、手を取り合って前を向く。そうできるのは彼女たちの強さもだが、なにより彼女たちを今まで愛し育んできた、フランスとアメリカの家族の愛情の賜物ではないだろうか。波乱に満ちたストーリーに引き付けられ、夢中で読み終えた後は、心の中に温かな光が灯っていた。
2016/03/29
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坂の途中の家 角田光代 朝日新聞出版 2歳の娘のいる専業主婦の理沙子は、乳児殺害事件の補欠裁判員になる。孤立した子育てから、自分の子どもを殺した被告の母親 水穂。裁判に参加するうち、水穂と自分を重ねてしまう理沙子。夫の陽一郎は理解のある態度だが、本当にそうなのか。優しさで包んだ言葉が、実は自分の考える力を失わせる悪魔の言葉なのだと気づく理沙子。その場を丸く収めるために自分の意見を押し殺し、相手に合わせていくうち、自ら考えるという行為すら忘れてしまう。しかも恐ろしいのは、それが愛という名の下に行われているということなのだ。理沙子は自分の頭で考え、補欠裁判員の任務を終える。それは、母親や夫から、愛情という名前で包んだ束縛を受けていた自分の解放でもあった。水穂の幻影との決別。理沙子が自分の足で立ち上がることを示唆するラストシーンは印象的。私も水穂と自分を重ね、またそういう理沙子と自分も重ねた。今年一番の本に、早々に出会ってしまったようだ。
2016/03/24
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うそつき、うそつき 清水杜氏彦 早川書房 第五回アガサ・クリスティ賞受賞作。 近未来のある国では、嘘発見器として機能する首輪が国民の首にはめられていた。普段は青いが、嘘をつくと首輪のランプが赤く点る。そもそも嘘とは何ぞや。近未来の嘘発見器が嘘の判定基準としたのは「自身に対し、疚しさを感じているかどうか」だった。主人公は首輪を除去することを生業としている18才のフラノ。彼に除去法を教えた師匠とは何者か。児童養護施設で育ったフラノの父親とは誰なのか。人権が無視された近未来の社会の中に、果たして真実はあるのか。切なく胸が痛い小説。
2016/03/16
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パオズになったおひなさま 佐和みずえ くもん出版 2015年読書感想文課題図書。確か新聞で課題図書として紹介されていたのを見た記憶がある。 最近、第二次世界大戦時の満州に関する小説やノンフィクションに縁がある。新聞の書評欄や広告で気になった本が、だいたいそういう内容なのだ。中脇初枝の「世界の果てのこどもたち」しかり「五色の虹」しかり。 そしてこの「パオズになったおひなさま」も第二次世界大戦時の大連が舞台である。枡屋という大豆や小麦粉などを売る店の末娘よしえと、中国人リンの友情物語。小学生向けなので、あまり悲惨な描写はないが、戦争が平和な日常を壊していくということがよく分かる。今まさにヘイトスピーチなどの差別意識の放置により、70年前に逆戻りしつつあるが、過去何があったかを大人も子どもも記憶に留めなくてはいけないと思う。いがみ合うより、対話を重ねて、お互いを理解しようとする努力を忘れてはいけない。
2016/03/10
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あなたという国 ドリアン助川 新潮社 ニューヨークで語学学校に通いながら、ロックバンドを組んでいる拓人。幼い頃父親を亡くし、成人後には母も亡くしていた。いつの頃からか、自分の存在する世界のあやふやさを感じていた。そこから逃げるためにニューヨークに来たと自覚する。語学学校のクラスメイト、韓国人のジンとユナ。日本と韓国の関係のように危ういが、反発しながらも惹かれあう。 アメリカ震撼させた9.11の同時多発テロ事件。ニューヨークに住む拓人は否応もなく、国家間の軋轢に飲み込まれていく。 ただ前半の拓人の胸の内の感情に共感できず、ネチネチとネガティヴな男だなあとイライラする。彼が感じる、人とは違う孤独感などは、下手をすれば自己愛だと思われやすい。 孤独な男に優しい女が理解を示し、あなたを守ってあげるという。男性作家の都合の良い妄想?最近読んだ(読みかけた)3人の男性作家の小説は、たまたまなのか、どれも男性にとって都合の良い女性が登場する内容で辟易した。 この小説の主人公拓人も、どうしてあの状況で事故現場に行ってしまうのか理解できない。ユナの身を案じているのは分かるが、結局みんなに迷惑をかけている。あのような状況で、テロに遭っていない拓人が、医師の手を煩わせたり、薬や輸血を使うのはよくない。もう少し冷静な判断ができなかったのか?
2016/03/09
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世界の果てのこどもたち 中脇初枝 講談社 第二次世界大戦中、中国満州(東北部)で出会った日本人の珠子と茉莉、朝鮮人の美子。彼女たちは小学校低学年で幼く、戦争の何たるかを知らなかった。一緒に遊びに行ったお寺で、急に降った大雨のために寺の前の橋が渡れなくなり、一夜を過ごし、美子が残した一個のおにぎりを3人で分けて食べた記憶。美子が分け、一番大きいのを小さい茉莉に。次に大きいのを珠子に。最後に一番小さいのを自分が食べて、ニコニコ笑っていた。その記憶が3人を生かしてくれた。中国で取り残された珠子も、横浜の空襲で孤児になった茉莉も、戦後も日本に留まり、在日朝鮮人として苦労を重ねた美子も。 戦争は何と愚かで醜いものか。幼い茉莉の握られた掌から、一本一本無理矢理指を剥がして、一個のキャラメルを奪っていったおばさん。そんな人間に自分がならないという保証はないのだ。従軍していった男たちも、銃後を守った女たちも、誰かを不幸にするためではなく、誰かを幸せにするために行動したのだ。そこに正義を見つけて。その行動を起こした結果、不幸になった人たちがいる。 戦後、くず鉄を集め、売って生計を立てていた美子の母が、もうこの仕事を辞めると言う。「この商売で集めた鉄くずが、大砲や鉄砲になって、今、同じ民族の、あたしたちの兄弟を殺しているんだよ」反対する夫にこう叫ぶのだ。「あたしは朝鮮の字も日本の字も書けない。おとうさんは四つも字が書ける。すごい。それなのに、こんな簡単なことがなんでわからない」 人に優しくされた記憶が自分を生かし、また別の人に優しさを分けることができる。その連鎖で世界が覆われたらいいなと切実に思う。
2016/03/07
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被差別の食卓 上原善広 新潮社 以前読んだ「被差別のグルメ」の前編に当たる。 世界各国の被差別民たちのソウルフードを取材している。アメリカではアメリカ黒人のソウルフード「フライドチキン」やモツ煮込みを、ブラジルでは奴隷たちの食べていた「フェジョアーダ」を、ブルガリアやイラクではロマのハリネズミ料理を食する。ネパールでは不可触民サルキの牛肉料理を、自分たちの持っていったスキヤキと共に食べる。最後は日本の被差別地域で食べられている献立が登場する。 驚いたのは、イラクの被差別民たちに、サダム・フセイン人気があったこと。アメリカや日本の報道では、彼は国民を虐げた悪人のイメージだが、イラクの被差別民にとって、自分たちを保護し、住居を提供してくれた恩人なのだ。たとえそれが兵隊確保のためだとしても、差別から生活を守ってくれたということになる。 この本にも思い込みの危うさを教えてもらった。そして知ることのなかった、世界各国の被差別民たちの存在とその食生活。先ずは、自分が何も知らないのだという自覚、そして謙虚に他国の歴史を学ぶ姿勢が大切なのだ。
2016/03/06
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サンタのおばさん 文 東野圭吾 画 杉田比呂美 小説家 東野圭吾が書く童話。しかもサンタのおばさんについて。 サンタの会議で、欠員サンタの代わりにやって来たのは、中年女性だった。驚く他のサンタたち。しかし会長サンタがみんなに問いかける。 「なぜサンタクロースは男性だと決めてかかるのかね」 博学のオランダ・サンタが言う。 「聖ニコラスが男性だったからです」 しかし聖ニコラス=サンタクロースではないと反論される。 日本サンタが言う。 「サンタクロースは父性の象徴だと思うのですが」 日本では父親の地位が失墜しており、そんな中で男性ではなく、女性のサンタクロースが現れたら、子どもたちは父親のありがたみを感じなくなる、サンタクロースは父親たちの最後の砦だと訴える。 カナダ・サンタは、サンタが父性の象徴とは限らない、肝心なのは子どもを愛する心だと反論する。それぞれの意見を主張するサンタたちの言い争いが始まり......。 思い込みが偏見を助長していたということが、よくわかるお話。サンタクロースは白人男性だと決まっていた?その根拠は? 東野圭吾氏がこういうジェンダー問題を取り上げた作品を書いていたとは知らなかった。 サンタクロースのおばさんが、スカートをはき、化粧をするところでは、「?」と思ったが、他の部分きちんとジェンダー問題を捉えていると感じた。
2016/03/06
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とおいほしでも 文 内田麟太郎 絵 岡山伸也 「ほしにもふたごってあるんだよ」という父親の言葉で始まる絵本。 幼い息子にふたごの星について語る父親。起きていることもそっくりで、ニホンオオカミもカッパもサクラマスも絶滅してしまっている。何度も何度も戦争があって、大勢の人が殺された。 「そして、とうとうあいつがばくはつし、ほうしゃのうがとびちった」 牛も豚も猫も犬もトカゲも雀も死んでいった。人間の大人のせいで。 人類の愚かさが胸に迫る。遠くのふたごの星は無事でいて欲しいが、父親は言う。 「何もかもそっくりに起きているはずだ」と。 しかし諦めはしない。ドングリの実を埋め、未来に希望を持つ。遠い星でも同じようにしているだろう。 希望を失わず。
2016/03/05
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