ピーコの気まま日記

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2006年03月22日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
兄は不整脈だった。

一級障害者になるらしい。

見た目は普通の人と全く変わらないが、
やはり無理は禁物で、
仕事の量は減らさざるを得なかった。

そのうち、私も重要な戦力となっていた。
今まで以上に工場に行くようになった。

タウンエースに乗り、外注先をまわった。

得意先に納品にも行った。

今思えば、無我夢中だったように思う。
会社を潰してはいけない。
子どもたちを育てなければいけない。
その思いで必死だったのだろう。

しかし、どんなに私ががんばったところで
兄の代わりはできない。
夫もそろそろ会社の限界を感じていた。
倒産する前に、なんとかしなければ...

結局、出した結論が、
夫が会社を離れるということだった。


とりあえず、どこでもいいからと
見つけた就職先にはすんなりと入れた。

しかし...
今まで得意先にしか、
頭を下げたことのない夫は、

耐えられなかったようだった。

はじめの数ヶ月は、
夫も必死だったのだろう、
愚痴のひとつも言わなかった。

給料は話にならないくらいの額だったが、
この年で就職できただけでも
ありがたく思わないといけないね、
と言いながらがんばっていた。

そろそろ半年になろうかという頃、
夕食時に「もうあかん~がまんできんわ~」
と、言い出すようになっていた。

私は黙って聞いていたが、
夫が口に出すのはよっぽどのことなんだ、
そこまでがまんすることないわ!と思い、
「いいやん!やめたら?なんとかなるって~」
と、言ってしまった。

家族のためにがまんしていたのかと思うと
私はいたたまれなくなった。

なんとかなる~とは言ってみたものの、
なんのメドもなかった。

夫は次を見つけてからにするから~と言った。
少しは気が楽になったのだろう、
翌日からはなぜかイキイキしていた。

次の就職先もすぐに決まった。
退職の日、
夫は社長やまわりの人にはお礼を言ったそうだが、
その上司には、
イチベツの目をむけてきたそうな...(よし!)

新しい会社は、
前の会社より居心地もよく、
給料もいく分よかった。

自分たちの会社と同じ縫製会社であったが、
得意先がちがっていた。
大手商社がほとんどだったのだ。

夫は精力的に仕事をこなした。
毎日、夫の話す言葉から、
がんばっている様子が読み取れた。


ある日、
得意先のひとつである○○から、
中国で生産管理を任せられる人を探しているが、
どうか?とたずねられた(...そうだ)。

夫としては、
いつまで持つかわからない今の会社に
再び、限界を感じていた。

いつまでもここにはいられない!
と思っていた(...らしい)。

いい会社だったが、
実は廃業を示唆するようなことを
こっそり社長に言われていたらしい。

2番目の会社は
就職7ヶ月目にして廃業となり、
夫の1年余のサラリーマン生活も終わった。


が、すぐに中国行きの話も決まり、
とりあえずは、
正社員でないものの
待遇はほぼ同じ扱いということで
ハレて入社となった。

最初は、出張という形でだった。
1ヶ月の間に約1~2週間、行き、
慣れてきたら、1ヶ月くらい行って~となった。
その後は3ヶ月とか~と言われたらしい。


はじめての着任地は「寧波」だった。
初めて上海に降り立ったときのことを
夫は今でもはっきり覚えていると言う。
(その頃はまだ虹橋空港だった)

右も左も中国語も全くわからない...

○○小姐という人が
「○○先生」と書かれたプラカードを
持って迎えに来ていますから
見つけてついて行って下さい、
とだけ言われたそうだ。

あの時のこれからだ!という希望と
えらいこっちゃーという不安が
入り混じった気持ちは忘れられないと言う。


上海から飛行機で約1時間足らず、
案内の女性に連れられて寧波に到着し、
工場に着いた夫は、
そのスケールのデカさに驚いた。

工場を一通り案内してもらって
これからのことを話し、
(通訳がいるので心配はなかったらしい)
歓迎の夕食となってまた驚いた。

料理の量が半端じゃない!
食べきれるのか?と
マジで心配したそうだ。

その頃の夫は、
中国では出されたものを全部食べてしまうと、
足りないのだ!と思われて、
次から次へと勧められるということなど
知るはずがなかった。

もう食べきれない~と言って
ようやく解放された?らしいが、
そこの総経理は、
どの日本人も少食だ~と言ったそうだ(笑)


毎朝、ホテルに8時きっかりに
工場から差し回しのベンツが
お迎えに来た。

8時から夕方5時まで仕事をして、
その後は遊ぶところもなかったので
ず~とホテルで過ごしていたらしいが、
慣れないうちは、
食後すぐ寝てしまって
朝まで目が覚めないことも
しばしばだったらしい。(笑)


夫は帰国のたびに、
中国でのおもしろい話をしてくれた。
(ブログのはじめの方でいろいろ書いてます)

寧波での生活の様子や
食べ物やトイレの話、
中国人の生活、ものの考え方など、
私は初めて聞く、
生の中国に興味深々だった。


順調に見えたそんな仕事も
何年か経った頃、
また転機が訪れようとしていた。


 続く~









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最終更新日  2006年03月23日 20時30分16秒
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