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テーマ: ニュース(97024)
カテゴリ: スポーツ関連
前回の日記「被害者遺族の立つ場所」では、被害者遺族の側に立って書いたが、今回は私自身の正直な気持ちを書きたいと思う。

まず最初に私の立つ位置は、 どんな凶悪犯であっても「死刑」という形で、命を抹殺することでは何も解決できない ということ。

罪を犯した人が、どのような経緯で、そのような人間になってしまったのかを、どんなに時間がかかっても解明し、自分の犯した罪に気付いて残りの人生を贖罪の意識で生きられるように導いていくための支援体制が必要だと思う。
それと同時に、被害者側の人達のケアも必要不可欠だ。


光市の事件に関して言えば、被害者夫の立場と気持ちは尊重されるべきだと思うし、傍から見た人がうかつな意見を言えないと感じる。
「犯人を憎い、殺してやりたい」という言葉は、誰もが言っても良い言葉ではない。
被害者に何の関わりもない人間が、「こんな凶悪犯は抹殺すべき」と声高に叫ぶような状況は良くないと思う。

マスコミは、人々の報復感情をいたずらに刺激しすぎる。このような報道姿勢に非常に疑問を感じる。
児童殺害の畠山容疑者に関しても、これでもかと言わんばかりにプライバシーをあばきたてる。

言論の自由を盾に取った卑劣な行為ではないだろうか?

こんなマスコミならもう要らない!
マスコミがこういう姿勢を改めなければ、いつか 言論の自由を制限すべきと言う声 が力をつけてしまい、 本当に必要な言論が統制されてしまう時代が来ないとも限らない。



人間の感情は計算ずくでは測れないものがある。そこを考慮した上で、対処して欲しい。」


先日の日記に私がこのように書いた、誤解を受けやすい言葉だったので、注釈を付け加えたい。
上記の意図は、被害者の報復感情を考慮した判決を望むという意味ではない。

「死刑」という判決以外を受け入れられない被害者夫の気持ちを、社会は深刻に受け留めるべきだ。そして国が犯罪被害者のこうした報復感情に対する何らかのケアを行なう制度を整備して欲しいという願いを込めている。

つまり、犯人に下される刑罰が被害者の癒しであるような状況こそがおかしいのである。
そういう形でしか、被害者が報われないようなありようを変えていく必要があると思う。
刑罰だけが被害者の癒しであるという状況がなくならない限り、裁判による冷静な審判を常に持続することは難しくなっていくのではないだろうか?
近いうちに始まる裁判員制度で一般市民が審判に加わることになれば、より感情に支配された判決が下される可能性が高くなるのだ。

実際、アメリカの陪審員制の中では、事実よりも印象のほうが裁判の行方に与える影響が大きいという話を聞く。

市民感覚も大切かもしれないが、感情とか印象などという曖昧な要素に左右されやすい判決では困る。

被害者夫の本村さんが、 犯人の死を願う気持ちを抱えて生きなければならないことの苦しみを 、私たちは理解しなければならないと思う。
本村さんの心はあまりにも苦しすぎて、犯人を抹殺しなければ心が納まることがない、という状況にいると思う。
誤解を恐れずにいえば、娘を失った悲しさのあまり、娘の同級生の男の子を殺してしまった畠山鈴香さんの心と限りなく近いのではないだろうか?


悲しみを抱えた人を追い詰めない社会、悲しみや苦しみに遭っても癒しの場を得られる社会・・・・ 、これからの時代は、そういう社会を創っていかなければならないと思う。
それは、いったい誰が、どんなふうに創るのか?
まずは私たち一人ひとりが、人の心の痛みを察することができる人間になっていくことではないだろうか。
もし、苦しんでいる人がいたとして、その苦しみに誰かが気付いてあげられれば、その人はほんの少しだけでも救われるかもしれない。

それは、もしかしたら犯罪を未然に防ぐ防波堤にもなり得るのではないだろうか?

それと、何よりも国は、犯罪者と被害者双方の心をケアする仕組みを1日も早く整備するべきだと思う。
犯罪抑止力としては、刑罰を重くするよりはるかに効果があると思う。


凶悪犯罪者は死刑、、、ですべてを片付けてしまうような社会は、人間そのものを簡単に片付けてしまう社会に他ならない。

人間をガン細胞のように、切って捨ててオシマイ、という訳にはいかない。

命あるものは、その命の限りこの世で生きて学ぶべき使命を与えられて、この世に生を受けたのだと思うから。

もし、罪を犯したとしたら、その人は死んでお詫びをするのではなく、生きて苦しみ、その苦しみの中から償いの道を探すべきなのだ。

宅間死刑囚が処刑されたと知ったとき、私は言いようのない空しさを感じた。
これで、亡くなった被害者は喜ぶのだろうか?
それこそ、犬死にではないか?
もし、宅間死刑囚が生きて、長い時間の果てに自らの罪に気付き、心からの謝罪を行なえるようになったとしたら、その時こそ亡き被害者の魂も救われるのではないか、と私は思う。


だから、山口母子殺害事件の犯人の元少年に対しても、生きて苦しみの中から、本当の贖罪の気持ちを見出して欲しいし、そのための時間が与えられることを、私は願う。
あくまで、第三者の立場からではあるが・・・・。







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Last updated  2006.06.23 22:35:54
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