全9件 (9件中 1-9件目)
1
文殊菩薩と慧光童子の梵字の痣授かり早25年! 真言密教僧殊慧は密教法術で所有病を治す。 他宗の者でも「救い」を求めれば慈悲を施すのが仏の勤め。 我に勝る法術者無し!
2009.11.29
大宇宙を有漏(煩悩を有する)の邪念によって垢し、大宇宙の摂理を無明(物事の真実を知らない)の邪念によって紊し、万象を咼る仏法を羅我(心の清浄を悪へと駆り立てる)の邪念によって踏み躙った人類は大宇宙の中の有情(生きとし生けるもの)無情(物質などの器)から疎まれ、毒と見なされた。 大日如来を旁った八岱尊の普賢菩薩、文殊菩薩、観自在菩薩、弥勒菩薩、宝幢菩薩、開敷華王、無量寿菩薩、天鼓雷音菩薩は一四六三尊を人に宿らせ半佛人(半分人で半分仏)とし大浄化を行う。 2016年。 仏の鉄槌が下される。
2009.11.27
神仏「魔」となれば霹にて擲ち悉多躯を無にし、鬼立肌蹴れば汞にて擲ち其の自慢の角叩き折り、人圓(生)陰(死)関らず魔となれば焔によって焼き尽くす。差別(しゃべつ)無く相応な罰にて滅し因縁に左右される五蘊(色(形)・受(情け)・想(思い)・行(行い)・識(考え))持たず、六情(喜・怒・哀・楽・愛・悪)持たず、七情(怒・喜・思・憂・悲・恐・驚)持たず大宇宙を垢す者、大宇宙の摂理を紊す者、仏法を踏み躙る者全て魔とす。 是れ真なる仏道也。 神仏牙剥けば更なる大きな仏となりて掌にて叩き潰し、鬼牙を剥けば弐百尺の棍棒にて腸が出るまで擲ち据え、人圓(生)陰(死)関らず魔となり牙を剥けば業火より熱い焔にて一片の消炭すら残らぬ焔にて焼き尽くす。 是れ我の仏の誓い也。
2009.11.22
イエス、仏陀(ビバシ王、シキ、ビシャブ、クルカンダ王、クルカンダ王、カサパ、釈迦)、ヤハウェ(文殊菩薩除く)、アッラーなる未熟な悟りを得た聖人は人の旁りし法を破壊せず、五毒(性欲・物欲・名声欲・自尊心・競争心)を野放しにしておったので『神仏滅殺の儀』により地獄へ叩き堕とし修業をさせておる。 創価学会の池田大作も他化自在天魔だったので滅し、文殊菩薩の旁った絶対暗黒へ叩き落したわ。 次は幸福の科学の大川隆法、きょう子、子供。 統一協会の文一族全員を絶対暗黒へ堕とす。 さて真言密教僧殊慧の怖さは滅して焼いて滅して焼いてを永久に繰り返し地獄が楽園に思えるほどの罰を与え続ける故に四魔(煩悩魔・陰魔・死魔・他化自在天魔)も震え上がるほとなり、不貞なトラックバック者を一撃で滅する。 莫伽なトラックバックする者よ! 死ね!
2009.11.20
衆生金に圜礙りて貧しき衆生を旁り。 衆生名に圜礙りて無癡曝け出し。 衆生権に圜礙りて傲慢極まりなく。 生き生き生き生きて生の肇まり冥く。 咋い咋い咋い咋いて慾の諌め無く。 弑し弑し弑し弑して省みに乏しく。 大宇宙を垢す芥毒也。 八岱尊たる普賢菩薩、文殊菩薩、観自在菩薩、弥勒菩薩、宝幢菩薩、開敷華王、無量寿菩薩、天鼓雷音菩薩是れ赦さず。 霄を搗ち割りて霈で擲ち。 霤の音霹より大きく。 豸を搗ち割りて辰揮で擲ち。 篩えは驫きより早く。 其れにても改心せねば圀の一つ二つ衆生事汨に沈めん。
2009.11.16
法術を使う開祖1300年の真言宗では葬儀の際にも独特な方法を行う。 一般的な仏教に無い破地獄曼荼羅である。 破地獄曼荼羅とは、葬式の際に亡者の罪障消滅のため光明真言破地獄曼荼羅を書き捧げることであり、その罪障は余り他言されていないが僧侶が被ることとなる。 ここで言う僧侶とは一般的仏教派で言う僧正のことであり、真言宗では阿闍梨(あじゃり)と呼ぶ。 阿闍梨は真言宗の特に厳しく脱落者が絶えない修業を終えて免状が貰え、戸籍上僧籍となった者である。 我、真言宗では魔障にも慈悲を与え其の犯したる罪障を僧侶が背負う。 そのことで一般的仏教と違い死者が『逢魔が刻』に彷徨い障りをなすことは無い。 一般的仏教の経は抑えるだけである。 真言宗は他宗と違い、因縁に左右される五蘊(色(形)・受(情け)・想(思い)・行(行い)・識(考え))を棄て、六情(喜・怒・哀・楽・愛・悪)を棄て、七情(怒・喜・思・憂・悲・恐・驚)を棄て一切の有漏(煩悩を有する)に摧かれぬ荼吉悉那(心身堅固)を持つ。 退魔専門の真言密教僧殊慧もまた荼吉悉那にて『退魔』を受けた場合は魔障、悪鬼、魍魎の罪を背負い己の本尊にて浄潔する。 退魔の儀は長いときであれば3日睡眠摂らず、厠にも行かず護摩焚きや退魔の行を誦み続ける。 金に圜礙(こだわり)持たず。 有漏に呆ける意を持たず。 自尊に奢る漫を持たず。 如何なるものにも靡かず。
2009.11.13
有漏(煩悩を有する)たる欲は衆生尽きず、理屈でしか無い知識(奸知)によって藉口すもの也。 衆生は所有有情(生きとし生けるもの)に傲慢無癡にて無情(物質などの器)と化し猗の血を漑ぎ囃騒ぐ鬼畜。 故に「悟り」を冀める衆生総て人の旁りし法から出ず『銭金』を斬り捨てる知恵持たず。 誠に哀れな畜生よの。 衆生の先に豸(ち)非ず。 衆生の先に華咲かず。 衆生の先に嬰産まず。 衆生己の毒に朽ちて髑霈に擲たれ叢も生えぬ。
2009.11.12
文殊菩薩と慧光童子の悉曇授かる真言密教僧殊慧が真言宗に新たな法を授ける。 七勤(奉仕勤・仏聞勤・曼見勤・虚心勤・潔節勤・無飾勤・捨三勤)を心に剞み、奢ることなかれ。 勤一、 精進を惜しまず苦業の道を歩む菩薩たる僧侶は食を冀める貧俗に己最後の糧でも差し出すべし。 有情(生きとし生けるもの)無情(物質などの器)に差を敷かず獣や虫にも分け与えるべし。 此れを奉仕勤と言う。 勤二、精進を惜しまず苦業の道を歩む菩薩たる僧侶は休まむことなく御勤めをし、駆け込む貧俗の五蘊(色・受・想・行・識)から出ずる區憖でも聞くべし。 此れを仏聞勤と言う。 勤三、精進を惜しまず苦業の道を歩む菩薩たる僧侶は寝ることを慾とし、絶え間無く烱眼にて俗世を見るべし。 此れを曼見勤と言う。 勤四、精進を惜しまず苦業の道を歩む菩薩たる僧侶は嫉みを持たず、己の切磋とす。 此れを虚心勤と言う。 勤五、精進を惜しまず苦業の道を歩む菩薩たる僧侶は五毒(性欲・物欲・名声欲・自尊欲・競争欲)を棄て仏道を歩むべし。 此れを潔節勤と言う。 勤六、精進を惜しまず苦業の道を歩む菩薩たる僧侶は六触身(眼触・耳触・鼻触・舌触・身触・意触)と呼ぶ外界との接触を避け、阿字(純粋で自心に備わっている佛心)を意密とすべし。 此れを無飾勤と言う。 勤七、精進を惜しまず苦業の道を歩む菩薩たる僧侶は沙弥五戒(不殺生戒・不偸盗戒・不妄語戒・不邪婬戒・不飲酒戒)を守り仏を汚さず天命の成すべきことを三真(心・魂・身)を賭して行うべし。 此れを捨三勤と言う。
2009.11.05
三宝(仏・法・僧)とは菩薩(努力精進を惜しまず修業の道を行く僧)としての生き方である。 仏宝は慈悲にて、圓(生)陰(死)関わらず慈悲をかけることである。 慈悲とは、諸法無我(全ての事物に永久不変の本質を有していない真理)を知りて差別(しゃべつ)無く仏に代わって施しをすることであり無欲にて虚心也。 法宝は倹(無駄、贅沢を省く)である。 倹即ち『冀める』こと無く、『耽る』こと無く己の中の欲を捨てることである。 僧宝は能(物事を成し遂げる力)である。 能即ち三摩地(悟りの境地)へ至るまで根本四苦(生・老・病・死の煩悩)に謀られること無く艱難な道も進む気概也。 仏の道は遥かなれど一歩一歩進めば己の中の観自在菩薩は導く。 三宝の意味を知れば愚かな争いも起きまい。
2009.11.02
全9件 (9件中 1-9件目)
1