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読みは「きりしまみねじんじゃ」。日向三代の神々とその妻神を祀る古社。宮崎県式内社四社の一つ。御祭神は正勝吾勝々速日天忍穂耳々命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)、萬幡豊秋津師比売命(ヨロヅバタアキツシヒメノミコト)、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇々芸命(アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト) 、木花之佐久夜毗賣(コノハナサクヤビメ)、天津日高日子穂々手見命(アマツヒコヒコホホデミノミコト)、豊玉毗賣(トヨタマビメ)、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)、玉依毗賣(タマヨリビメ)、猿田毗古神(サルタビコノカミ)。邇々芸命の祖先や子孫、関わりの深い神を祀り、また霧島六社権現を合祀する。家内安全、子孫繁栄、縁結び、子宝、子育ての御利益があると言われている。創建の年代は不明。社記によると、古くは高千穂峰と火常峰の間に位置する脊門尾(瀬多尾とも)に鎮座していたという。続日本後記には837年(承和4年)の条に「霧島岑神」として記載があり、日本三大実録では858年(天安2年)に従四位下に叙されている。延喜式神名帳には「霧嶋神社」として記載があり式内社に列している。天慶・天暦の時代に性空上人が参籠の折に山麓四方に夷守神社他四社を創建し、霧島岑神社と合わせて霧島六社権現と称した。鎮座地が瀬多尾であることに因み、別当寺を「瀬戸尾寺」と称した。その後は霧島六社権現の中心として広く信仰を集める。1112年(天永3年)以降に度重なる火山噴火により社殿の焼失や遷座を繰り返しており、1716年(享保元年)に新燃岳が噴火して社殿を焼失した後は夷守岳中腹に遷座して社殿を再建し、明治時代初頭まで鎮座していた。1868年(明治元年)に社名を「霧島岑神社」に改称し、1870年(明治3年)に瀬戸尾寺が廃寺。1873年(明治6年)に県社に列した。1874年(明治7年)に霧島六社権現の夷守神社を合祀し、現在地の夷守神社跡に遷座し現在に至る。1月に歳旦祭と元始祭、2月に節分祭・お焚き上祭と紀元祭、3月に祈念祭、5月に馬頭観音祭、6月に夏越祭(大祓式)、7月に七夕祭、9月に重陽祭、11月18日に例大祭、12月に大注連縄打ちと大祓・除夜祭が行われている。一の鳥居。霧島岑神社の標。仁王像。参道入り口に立つ、一対の半裸形の金剛力士像。この地が夷守大権現だった頃に奉納されたもので、火山の鎮魂、災害復興、五穀豊穣を祈願して奉納された。全体的に丸みを帯びていてどこか可愛らしく、ユーモラスな形状となっている。かつての神仏習合を今に伝える建造物の一つ。お熱の神サァ。みやざきの巨樹百選に選定されている。参道入り口にあるイチイガシの巨樹。樹高38m、幹周590cm、樹齢400年。根元が祠になっており、子供が熱を出した時にここへお参りし病気平癒を祈願したと伝えられている。手水舎。手水舎に作られていた花手水。参道。二の鳥居。もう一つの手水舎。水鉢に苔が生している。三国名勝図会に描かれた、江戸時代の霧島岑神社。拝殿。木造の切妻造。中には市指定文化財に指定されている雲龍巻柱がある。1862年(文久2年)に社殿が再建された時に造られた、細部まで細かく彫られた立派な一対の龍の彫刻で、向かって右側が水の神である弥都波能売神(ミズハメノカミ)、左側が雨、雷、雲、水を司る五帝龍神となっている。本殿。流造の銅板葺。拝殿と共にシンプルな造り。社務所、授与所。大山祇神社。御祭神は大山津見神(オオヤマツミノカミ)。山の神、農林業の神として信仰されている。本殿右側に鎮座。豊受神社。御祭神は豊受大神(トヨウケノオオカミ)。食、穀物の神として信仰されている。本殿左側に鎮座。大山祇神社の隣にある末社。社名不明。馬頭神社。馬頭観音を祀る。細野畜産振興会が建立に携わっている。5月に馬頭観音祭が行われ、畜産業の安全、繁栄、家内安全を祈願する。繭神社。蚕の御霊を祀る。三角形の小さな社殿が特徴的。細野地域の繭生産農家が建立した。豊磐窓神社。御祭神は豊磐窓命(トヨイワマドノミコト)。天孫降臨の際に邇々芸命に仕えた神の一柱を祀る。参道左側に鎮座。櫛磐窓神社。御祭神は櫛磐窓命(クシイワマドノミコト)。天孫降臨の際に邇々芸命に仕えた神の一柱を祀る。参道右側に鎮座。古石塔。夷守神社の別当寺だった宝光院跡に立つ石塔。1500年(明応9年)に奉納されたもの。かつての神仏習合を今に伝える建造物の一つ。境内の杉樹林。杉に包まれた境内は静かで、空気も綺麗だった。良縁のみち。縁結びの御利益にあやかって作られた小径で、夏は風鈴、それ以外の季節はハーバリウムが飾られている。SNS映えするフォトスポット。勝利の杉。北駐車場の手前に立つ杉の巨樹。幹の中心からそのまま垂直に枝分かれしており、どの方向から見てもV(Victory)の字に見えることから必勝、合格の御利益があると言われている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2026.06.30
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都農神社の奥宮である瀧神社の裏を流れ落ちている滝。落差は12m。階段状の黒い岩肌をさらさらと静かに流れ落ちるのが特徴。水量は少なめで、時季によっては水が流れ落ちていないこともある。瀧神社の御祭神は高龗神(タカオカミノカミ)。水を掌る神で、農耕、耳病平癒の神様としても信仰されている。古くから雨乞い、日乞いの神として信仰が篤く、秋月藩主も雨乞いの為に度々代参したと伝えられている。1926年(大正15年)に都農神社の末社に指定された。春彼岸の中日に春祭、秋彼岸の中日に秋祭が行われている。滝の周辺は不動公園として整備されており、春には桜やシャクナゲが咲き、町内有数の花見スポットとなっている。瀧神社一の鳥居。ここから石段を上って社殿まで。ちなみに石段は1956年(昭和31年)に氏子より寄進されたもの。二の鳥居。社殿。拝殿と本殿、どちらも木造の切妻造。最古の記録だと1392年(明徳3年)に社殿が再建されたとある。現在の社殿は1958年(昭和33年)に新築され、拝殿は1995年(平成7年)に改築されたもの。瀧神社社殿のすぐ背後を、不動滝が流れ落ちている。滝の全体像。大きな黒い岩肌を、静かに水が流れ落ちていっている。夏季であっても水量が少ない滝のようだが、この日は昼間に大雨が降って水量が増え、普段は見られない優美な姿を見せているようだった。周辺には住宅地や公園、ワイナリーがある場所に、これだけ立派で造形が見事な滝があるのには一目見て驚いた。不動明王像。ずっと滝を見守っている。落ち口から下まで滝が流れ落ちていく様子。黒い岩肌には苔が生していて、その岩肌に水がぶつかり何条にも分かれて優美に落ちていく様には心が洗われる。ずっと見ていられそうだった。滝壺。川辺に下りて見た滝。滝の正面左手にある仏像を祀った小さなお堂。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2026.06.28
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初代天皇である神武天皇が即位前に祈念をして御祭神が祀られたと伝えられる神社。日向国一宮。宮崎県式内社四社の一つ。御祭神は大己貴命(オオナムチノミコト、大国主命)。病気平癒、縁結び、子孫繁栄、商売繁盛の神として信仰されている。他にも境内には撫でると様々な福が得られるという撫で大国、病気平癒の御利益があるという撫でうさぎ、願いを込めて納めると願いが成就するという神の石神事など様々なパワースポットがある。社伝によると神武天皇が御即位の6年前に東征の折、この地に立ち寄り国土平安、海上平穏、武運長久を祈念し、御祭神を祀ったことに始まるという。927年(延長5年)の延喜式神名帳では「都農神社」として記載があり、式内社に列している。当時は壮大な社殿と広大な境内を持つ日向国(現宮崎県)第一の大社であったと言われているが、1578年(天正6年)の島津・大友の争乱の際に兵火により社殿、宝物、古文書等全てを焼失し衰退。それから長らくの間は再興がされず祠があるのみだった。1692年(元禄5年)に高鍋藩主の秋月種政が再興し、以後は高鍋藩主から崇敬され社殿や鳥居の造営が行われた。1859年(安政6年)に篤志家の社殿の寄進がされた。1871年(明治4年)の近代社格制度により国幣小社に列し、1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社となった。社殿の老朽化に伴い2002年(平成14年)に御造営奉賛会が設立され、2007年(平成19年)に現在の社殿が竣工し現在に至る。1月と8月以外は毎月1日に月次祭が行われる。1月に歳旦祭と原始祭、2月に紀元祭と祈念祭、3月に都農祖霊社春季祖霊祭、6月に夏越大祓式、8月に夏祭御発輿祭と夏祭御還幸祭、9月に都農祖霊社秋季祖霊祭、10月に神嘗奉祝祭・新殻感謝祭、11月に新嘗祭と明治祭、12月に例大祭、その他毎月様々な小祭が行われている。8月の夏祭は神功皇后が三韓征伐の折に御祭神を御船に招請されたことに因む祭事で、神輿が町中を巡幸する。12月の例大祭(冬祭)は氏子繁栄と家内安全を祈念する祭事で、夜通しで神楽が奉納される。西大鳥居。ふれあい通りの入り口にある立派な大鳥居。一之宮食堂。駐車場にあるうどん店。うどんやそばだけでなくカレーややきそばもいただける。うどんの上にカレーとカツが載ったカツカレーうどんが名物。南鳥居。社号碑。国幣の文字が刻まれている。手水舎。神門。拝殿。入母屋造の銅板葺で、正面に千鳥破風を持つ。背面に本殿と繋がる切妻造の幣殿が設けられている。2007年(平成19年)に再建されたもの。本殿。一間社流造の銅板葺。拝殿と同じく2007年(平成19年)に再建されたもの。1859年(安政6年)に寄進された旧本殿を踏襲した造形となっている。本殿のねずみの彫刻。ねずみは大己貴命と関わりの深い動物の一つ。大己貴命が須佐之男命(スサノオノミコト)の元で修行中に火攻めにされ、足元にねずみが現れてそこを踏みつけたところ、穴が空いて難を逃れたという。素盞嗚神社。御祭神は素盞嗚命(スサノオノミコト)。日本書紀だと大己貴命の父神にあたり、武運必勝、悪疫退散の御利益がある。本殿の左側に鎮座している。手摩乳・足摩乳神社。御祭神は手摩乳命(テナヅチノミコト)、足摩乳命(アシナヅチノミコト)。子育て、手足健康の御利益がある。本殿の右側に鎮座している。熊野神社。御祭神は早玉男命(ハヤタマオノミコト)、事解男命(コトサカオノミコト)、菊理比売命(ククリヒメノミコト)。再生、若返りの御利益がある。2月21日に例祭が行われている。稲荷神社。御祭神は宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)。五穀表情、商売繁盛、殖産振興の御利益がある。旧暦2月に春祭、旧暦9月に秋祭が行われている。愛宕神社。御祭神は火産霊神(ホムスビノカミ)。防火、防災の御利益がある。旧暦1月に例祭が行われている。神楽殿、神輿庫。社務所。お札所が併設しており、授与品には様々な種類の御札、御守り、御朱印帳、腕輪、土鈴がある。車祓所。祓所。あぶら石。かつて都農川の対岸に置かれていた石で、この石に油を注いで火を灯して都農神社の遥拝所にしていたという。現在は神社の境内にあり、長年の人々の願いがこもった石であることから目標達成、心願成就の霊石として信仰されている。神の石神事。願いを込めて納めるとその願いが成就すると言われている石。太鼓橋の前に石があるので賽銭を入れて1つ取り、本殿の前で参拝した後、社殿裏の納所へと持っていく。大絵馬。撫で大国。木槌を持った大国さまの像で、撫でると様々な福をもたらしてくれると言われている。撫でうさぎ。うさぎは大己貴命と関わりの深い動物の一つ。有名な因幡の白兎。撫でると病気平癒の御利益があると言われている。御神象。夫婦楠から生まれ出たと伝えられる天然の象の木像。不思議なことに、後になって身体の一部分にハートの模様が浮き出てきたという。撫でることで恋愛成就、夫婦円満、除災招福の御利益があると言われている。夫婦楠。町指定天然記念物に指定されている。都農神社の御神木で、ここから前述の御神象が生まれた。竹柏亭。授与所として使われていた建物を移設し、現在は茶室として利用している。西神苑。1869年(明治2年)に造園。池に浮かぶ島は心の文字をかたどっている。一の宮公園。境内にある公園で東神苑とも呼ばれている。周辺は木に囲まれ、池のほとりにはベンチが設けられ参拝後に一息つけるようになっている。東鳥居。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2026.06.27
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日本最初の夫婦神である伊邪那岐尊と伊邪那美尊を祀る神社と、伊邪那岐尊が黄泉の国から戻った時に穢れた身を清めたと伝わる池。江田神社は宮崎県式内社四社の一つ。御祭神は伊邪那岐尊(イザナギノミコト)、伊邪那美尊(イザナミノミコト)。日本列島を造り、八百万の神を御生みになられた日本最初の夫婦神で、安産、縁結び、厄除の御利益がある。日本神話において伊邪那岐尊が黄泉の国から命からがら帰還し、川で穢れた身を清めたという伝えがある。身を清めた地は古事記や日本書紀で阿波岐原・檍原と記述があり、それが当地だと伝えられている。創建の年月は不明だが927年(延長5年)の延喜式神名神名帳に記載があり、式内社に列している。970年(天禄元年)までには神階が最高位の正一位まで昇階し、古くは荘厳な社殿を持つ日向国(現宮崎県)を代表する神社だった。1662年(寛文2年)の外所地震によって社宝や社殿を喪失し、以降は産土神として奉斎される。1873年(明治6年)の近代社格制度により県社に列し、1907年(明治40年)に神饌幣帛料供進指定を受け現在に至る。1月1日に歳旦祭、2月に祈念祭、6月に大祓祭・茅の輪くぐり、11月22日に例大祭、11月23日に新嘗祭が行われている。御池は神社の北東にある池で「みそぎ池」とも呼ばれている。日本神話において伊邪那岐尊が黄泉の国から帰還し、衣服や装飾を外して穢れた身を清めた池と伝えられ、その際に天照大御神(アマテラスオオミカミ)、月読命(ツクヨミノミコト)、須佐之男命(スサノオノミコト)が誕生されたと言われている。池には睡蓮が浮かんでおり、4月から10月にかけて花を咲かせている。一の鳥居。みそぎの碑。伊邪那岐尊と禊により生まれた三貴子を表した碑。背後が伊邪那岐尊、柱の中が天照大御神、左が須佐之男命、右が月読命をそれぞれ表している。社務所、授与所。二の鳥居。参道。一の鳥居から社殿まで真っすぐに伸びている。木々に包まれ、静寂な雰囲気が漂っている。手水舎。拝殿。入母屋造の銅板葺。1935年(昭和10年)に新築されたもの。拝殿の彫刻。本殿。三間社流造。1887年(明治20年)に再建されたもの。江田神社改築記念碑。クスノキ。参道の途中にある二股に分かれたクスノキ。注連縄が掛けられているが…御神木だろうか?根元のところにコブがあり、ここに触るとパワーを得られると言われている。コブの部分はあまりに沢山の人が触るので光沢を帯びている。オガタマノキ。日本神話の天岩戸において、天鈿女命(アメノウズメノミコト)が実の付いたオガタマノキの枝を持って踊ったと伝えられ、それが神鈴の由来となったと言われている。阿波岐原森林公園市民の森。江田神社が鎮座している森林公園。神社が鎮座しているところから15分ほど歩き、御池へ。「御池(みそぎ池)」神産みにおいて伊邪那美尊は火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)を生んだ時に火傷で命を落とし、妻の死を嘆き悲しんだ伊邪那岐尊は伊邪那美尊に会いにいくため黄泉の国へ赴く。だがそこで見たのは、恐ろしい姿に変わり果てた妻の姿だった。伊邪那岐尊は妻と追手に追われながらも命からがら黄泉の国から帰還し、阿波岐原の清流で身を清めたという。その場所こそがこの御池と伝えられている。伊邪那岐尊が身を清めた…すなわち禊をした場所であることから「みそぎ池」とも呼ばれている。伊邪那岐尊が衣服や装飾を外すとそこから様々な神が生まれ、禊をすると綿津見三神、住吉三神が生まれ、そして最後に左目から天照大御神、右目から月読命、鼻から須佐之男命が誕生されたという。皇祖神である天照大御神誕生の地で、皇室の原点にあたる場所とも言える。古くは川の入り江だったそうだが、現在は見ての通り池となっていて底から水が湧いている。訪れた時は7月。睡蓮が黄色い花を咲かせていた。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2026.06.26
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撮影地:福岡県直方市 『福智山ろく花公園』↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2026.06.23
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撮影地:福岡県直方市 『福地神社』↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2026.06.21
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○雑炊セット餃子(8個)、雑炊、小鉢、漬物餃子。焼き餃子、揚げ餃子、水餃子の3種類から選べるようになっている。雑炊。特製、鶏玉、梅から選べるようになっている。今回は特製を選んだ。中に餃子が入っていてびっくり!高鍋町の飲食店が立ち並ぶスポットにある、50年以上の歴史を持つ餃子専門店。1967年(昭和47年)創業。餃子は宮崎県の名物の一つ。高鍋町にも専門店がいくつかある。今回いただいたセットは餃子と雑炊のセットメニュー。餃子と雑炊はどちらも3種から選べるようになっている。焼き餃子は焼き面がパリッとしていて蒸し面はもっちり、一つ一つが大きい。皮は手練りで作ったもので、餡は厳選した食材を選び6時間寝かせて味を熟成させ、鉄鍋を使い自家製のラードで焼き上げたこだわりの逸品。この馬渡でしか味わえない餃子となっている。弁当のテイクアウトができ、冷凍餃子・生餃子の販売もされている。ネット通販もあり。店の大きな看板。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2026.06.20
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南方神社の境内にあるクスノキの巨樹。国指定天然記念物に指定され、みやざき巨樹百選に選定されている。樹高42m、幹周1150cm、推定樹齢1000年。根回りが大きく安定した体勢を取っているのが特徴的。地上6mの場所から幹が二股に分かれており、そこから更に多岐にわたって太い枝を伸ばし、広い枝張りを見せている。樹勢も盛ん。同じ西都市のクスノキの巨樹である妻のクスと共に、国指定天然記念物に指定されている。クスノキのある南方神社では毎年11月に南方神楽が行われており、昼から夜中にかけて笛や太鼓と共に多種多様な舞が奉納される。南方神社。御祭神は素戔嗚命(スサノオノミコト)、手名槌命(テナヅチノミコト)、足名槌命(アシナヅチノミコト)、奇稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)、大己貴命(オオナヅチノミコト)、大山祇命(オオヤマツミノミコト)、豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)。創建の年代は不明だが、鎌倉時代には既に鎮座していることが判明している。社殿の正面左に上穂北のクスがある。毎年11月になると社殿の前に神屋が設けられ、クスノキが見守る中で南方神楽が奉納される。クスノキの全体像。幹の太さに反して根回りが大きく、更に太い枝が広い範囲に伸び、絶妙なバランス感覚で自立している。推定樹齢1000年以上の巨樹だがそれを感じさせないほどに樹勢が良く、損傷も見られない。根の部分。根がしっかりと張られていて、まるでワシの足が地面を掴んでいるかのよう。幹。綺麗な緑色に染まっている。途中から二股に分かれていて、そこから更に多岐にわたって枝分かれしていき広い枝張りを見せている。広い枝張り。太陽に照らされ、細い枝の先までびっしりと付いた緑の葉は光り輝いていた。うなぎの入船。近くにあるうなぎ料理店。訪れた時はちょうど土用の丑の日で、遠くからでも炭火で焼いた蒲焼きの良い香りが立ち込め、店はうな丼を買いに来たお客さんでいっぱいだった。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2026.06.17
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都萬神社の境内にあるクスノキの巨樹。国指定天然記念物に指定されており、みやざき巨樹百選に選定されている。樹高18m、幹周986cm、推定樹齢1200年。かつては樹高40m以上を誇る県内有数のクスノキの巨樹だったが、昭和と平成に1回ずつ台風や火災などの自然災害によって大きくダメージを受け、幹に半分近く空洞ができており柱で支えられた状態で立っている。それでも樹勢は盛んで、枝に多くの葉を付けている。都萬神社にはクスノキの一部で作られた木洞があり、夢叶う、幸せ招く、願いが叶う木洞として信仰されている。都萬神社の社殿がある方から見たクスノキの全体像。境内のクスノキ群の中でも一際存在感を放っていて、すぐにこれが妻のクスだと分かる。ここから見ると普通の巨木に見えるが…反対側から見た妻のクスの全体像。見ての通り、幹が大きなスプーンでえぐられたかのように、巨大な空洞ができている。根元から幹の半分近くを失っている状態だが、柱に支えられながら力強く立っているのが見て取れる。根元の部分。樹皮が剥がれている部分はまるで青ざめたようになっていて、大きく裂けた部分と合わせてまるで木が叫びを上げた表情をしているかのように見える。根元に転がっている幹の一部。とうに腐ってしまっていて生命力を失っている。下から見上げたクスノキ。幹が大きくえぐれてもなお小枝にはびっしりと新しい緑の葉を付けており、生命力の強さを感じさせる。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2026.06.16
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読みは「つまじんじゃ」。瓊々杵命の妻神である木花開耶姫命を祀る古社。宮崎県式内社四社の一つ。社名は「都万神社」「妻万神社」とも記され、後者の表記から「さいまんさま」「おせんさま」と呼ばれ親しまれている。御祭神は木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)。天孫こと瓊々杵命(ニニギノミコト)の妻神にあたり、「都萬」という社名も妻からきていると伝えられている。瓊々杵命と木花開耶姫命がこの地で婚礼儀式を行ったという伝えや木花開耶姫命が子宝に恵まれたことなどから、縁結び、安産、子育ての神として信仰されている。創建の年代は不明。続日本後紀には837年(承和4年)の条に記述があり、また日本三代実録には858年(天安2年)に神階昇格の記載があることから、少なくとも平安時代初期に鎮座していることが判明している。延喜式神名帳には日向国児湯郡に都農神社と共に記載されており、式内社に列している。建久年間に伊東氏が奉賽に務め、1603年(慶長8年)に島津以久が日向佐土原藩初代藩主となり、伊東氏に引き続いて崇敬された。1873年(明治6年)の近代社格制度により県社に列し、1907年(明治40年)には神饌幣帛料供進指定を受け現在に至る。1月1日に歳旦祭、6月30日に大祓、7月7日に更衣祭、11月19日に例大祭、旧11月2日に鎮火祭、12月31日に大祓と除夜祭が行われている。7月7日に行われる更衣祭は約500年前から続く特殊神事。瓊々杵命と木花開耶姫命がこの地で婚礼儀式を行ったという伝えに由来する祭りで、神事の前日には神職のみならず氏子や崇敬者も高鍋町まで浜下りして禊をし、当日は御神像に白衣の御衣装を着付け、白粉と口紅で化粧を施し、角隠しの帽子を被せ花嫁姿になるまでの様子を再現するものとなっている。銅製鳥居。東参道入り口にある。ここから社殿まで一直線に参道が伸びている。太鼓橋。石鳥居。拝殿の前に建っている。社殿は石段を上った、少し高い場所に鎮座している。狛犬。石造の造形が見事な年季の入った狛犬で、尻上がりの体勢を取っている。手水舎。拝殿。入母屋造の銅板葺。1968年(昭和43年)に造営されたもの。本殿。市指定文化財に指定されている。三間社流造で丹塗。社務所。千年楠の洞洞木。後述の妻のクスの一部で作られた木洞。入り口の前で一礼し、心の中で願い事をしながら木洞をくぐり抜け、その後もう一度一礼すると願いが叶うと言われている。日本清酒発祥の地。日本書紀によると、御祭神である木花開耶姫命が占いによって田を開き、そこで収穫された米で酒と飯を作り、天照大御神(アマテラスオオミカミ)にお供えになり自身も召し上がったと伝えられている。米で清酒を作ったという日本最古の伝承であり、神社の近くには酒元という地名もある。大山祇神社。御祭神は大山祇命(オオヤマツミノミコト)。木花開耶姫命の父神にあたり、火鎮の御利益がある。伊東氏の寄進によって建立されたものだと言われている。現在の社殿は2018年(平成30年)に建て替えられたもの。霧島神社、四所神社。八坂神社。御祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)。約130年前に地元有志によって商売繁盛や町内発展を願って創建された。衹園神社とも記される。創建後は町内の消防に携わる互親組によって衹園祭(現西都夏まつり)が行わるようになり、現在も続いている。稲荷神社。御祭神は宇迦之御魂命(ウカノミタマノミコト)。朱塗りの小さな祠に祀られている。祓所。おしもり塚。生産河。境内に湧き出ている湧水。水に浸かっている大きな石に触ると子宝に恵まれると言われている。参集殿。日下部塚跡。西都祖霊神社。南参道の鳥居。相撲場。妻萬公園。神社の隣にある広々とした公園。妻のクス。国指定重要文化財に指定され、みやざき巨樹百選に選定されている。都萬神社の境内にあるクスノキの巨樹。詳しくは妻のクスを参照。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2026.06.14
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本庄川の上流に懸かり、ダム湖に水が流れ落ちる珍しい滝。「ままこ滝」もしくは「観音滝」とも呼ばれる。落差は不定。最も高くて約20m。小野湖に水が流れ落ちているのでその水位によって落差が変わる、全国的に見ても珍しい滝となっている。約30万年前の加久藤カルデラの火山活動によって形成された加久藤溶結凝灰岩を、本庄川の水流によって形成された滝で、滝幅が広く水量が豊富。小野湖に架かるすきむらんど大つり橋から見れる。かつては落差41m、幅18m、滝壺の深さ22mという勇壮な滝だったが、1958年(昭和33年)に滝の下流に綾南ダムができたことで小野湖が出現し湖面が上昇したため、落差がおよそ半分になってしまった。昔、滝の近くに若い木こりの夫婦と一人娘が住んでおり、木こりの妻が若くして亡くなった後に残された夫は継母を迎えたという。しかし継母は一人娘を憎み続け、ある日須木の滝から娘を突き落とそうと企み、娘と滝の上に来て寄り添う娘を突き落としたが、継母も一緒に落ちてしまい共に死んでしまったという。それから人々は滝を「ままこ滝」と呼ぶようになり、また滝の近くに2人の供養の為に観音像を祀ったことから「観音滝」とも呼ぶようになったという。滝の周辺にはレジャー施設のすきむらんどがあり、サイクリング、カヤック、SUP等のアクティビティが楽しめるようになっている他、サウナ付きの温泉施設もあり。すきむらんど大つり橋。小野湖に架かる、すきむらんどのシンボルである吊橋。長さ155m、幅員1.5m、高さ30.5m。橋の形式は単径間斜張橋。この橋の上から須木の滝が見れるようになっている。綾町にある綾の照葉大吊橋ができるまで、歩道橋として日本一の長さだった。通行料が必要な有料橋で、通行料は1人200円。入り口に料金箱があるのでそこに入れる。橋の上。ちょうど中間地点には展望スペースがあり、小野湖や須木の滝が眺められる。小野湖。1958年(昭和33年)に綾南ダムが完成したことによって形成された湖(人工湖)。ダム湖の面積は1.28㎢で、集水面積は87.0㎢。広大な湖で、夏から秋にかけてここでカヤックやSUPが楽しめるようになっている。訪れた時はボートを出して釣りを楽しんでいる人もいた。須木の滝。加久藤火砕流によってできたゴツゴツとした広い岩盤に滝が懸かっている。訪れた時は3月でいつもより水量は少なく、また小野湖が満水となっており落差も低いようだった。湖面には流水が叩きつけられ、広い湖に轟音が響いていた。遠景となるが、すきむらんど大つり橋の上からその全貌を見れる。よく見ると滝の左側にも展望台がありそこからも見れるようになっているようだが…土砂崩れによって行けなくなっていた。残念。水が流れ落ちていく様子。水量が少なめで落差が低めのこの日の姿は、遠景ながらどこか優美さを感じられた。対岸のすきむらんど大つり橋の渡り口。小屋があるが…昔はここで通行料を払っていたのだろうか?黒木清次文学碑。須木村(現小林市)出身の詩人・小説家である黒木清次氏の文学碑。黒木氏の没後、同氏の詩集「朝の鶴」が彫られたこの碑が建立され、毎年文学碑祭が行われている。すきむらんど。小野湖周辺に広がる、「遊ぶ。食べる。ととのう。」をコンセプトとしたレジャー施設。サイクリング、カヤック、SUP等のアクティビティが楽しめるようになっていて、バンガローや宿泊研修施設もあり(いずれも予約制)。昔は公園や旅館もあったようで、当時と比べると少し寂れてしまっているようだ…かじかの湯。すきむらんどにある温泉施設。内湯のみで温泉の泉質は単純温泉。フィンランド式サウナ(サウナ石に水をかけて蒸気を起こすタイプ)があり、サウナ後の外気浴のための森林テラスも用意されている。須木の大自然を楽しんだ後、自然派のサウナで"ととのう"ことができるようになっている。入浴料は中学生以上500円、小学生250円。須木のブランド米である須木米を使ったおにぎりがいただける食事処「おこめ処 お結びや」と須木の地酒や食材が販売されている土産店が併設している。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2026.06.10
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