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アカデミー賞の結果が出た。噂のアバターは賞では不調だ。
オレは字幕版で2月の20日にナイターで観た。
日記に書かなかったのは、そのころフライフィッシングに憑かれていたからである。
オレの感想は、3Dでなくても面白かった。
むしろ、3D用のメガネが合わなくてずり落ちるため、観劇中はずっとメガネを抑えていたのじゃ。
アバターとは、衛星パンドラ・・・これがまた意味深な名前・・・に棲む巨人型有尾人種「ナヴィ」と地球人「スカイ・ピープル」との人造ハイブリッド種のことだそうだ。
パソコンの世界では、自分の分身となるキャラクターのことをいい、実はオレも違うBlogでアバターを一応持っているのだ。
ストーリーはここにはあえて書かないけど、オレが受けたイメージは・・・
・・・コンピュータの創った世界で人間が活躍する「マトリックス」のようだった。
ただ違うのは、アバターの世界では、現実の世界に同時に人間とアバターが存在すること。
その意味では、人間が創られたデジタルの世界で生きるマトリックスの方が現実味がありそうか・・・
人間とナヴィのDNAで造ったアバターにはなぜ自我が存在しないのか?なぜ人形なのか?
脳が存在し、生命体として活動する以上、アバターの自我が顕在あるいは潜在的にでも存在しないのがおかしく思えるが、どう?
物語の最後で主人公の男性パイロットがアバターになって甦るシーンがある。つまりアバターではなく、ナヴィとして甦ったということになるのかな。
とすれば・・・毎回、自分のDNAでアバターをつくり、甦れば、脳を含めた肉体は常に新しいはずだから、輪廻が可能ならば、永遠の存在になれるということになる。
自我だけが、次々と新しい肉体に宿るということに・・・
なんだか、自分のクローン人間を造って、老いた自分のために肉体を移植し、または脳を移植し、長寿を得るということを連想してしまう。
でも、その場合、クローン人間には、すでに自我があるはずで、その自我を無視して、自分のものとすることは許されないことだろう。どちらも人間として認められる権利を得られないとおかしくなる。
臓器移植や身体の一部を移植することが許されているが、それはあくまで提供者の意思の確認があり、また、臓器や身体の一部には自我がないということが前提になる。
肉体と自我・・・命とは・・・生きている人間の永遠のテーマである。
最近、夢中になったヒカルの碁でも少し関連があった。
藤原佐為は碁盤に取り憑き、秀作に取り憑き、現在のヒカルに取り憑いた。
そして、最後はヒカルの中に生きようとし、塔谷アキラやヒカル自身が、サイが自分の中にいるということを感じている。
肉体はなくなっても、モノや人に憑くことで輪廻を繰り返していくストーリーだ。
少し長くなって、くどくなってきたので、この辺で・・・
映画やアニメがけっこう好きなTackeyでした。
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