躰道∞(無限) 

2005年08月25日
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 このような時間に平日に文字を叩くことは久しぶりで、でも、ただ、昨日の昼から書こうと思ってはいた。

「医療事業者のひとりごと」というテーマを見てつくづく思ったことを書きたくなった。私の母の親、つまり祖母。島のおばあさん、だ。昨年までの牡鹿郡牡鹿町、今年からは石巻市牡鹿町の「あじ島」一つのあじ島にも顔と後頭部のように名前が分かれていて、『あじ』と、『長渡(ふたわたし)』とがある。

 私のおばあさん、島のおばあさんが住んでいるのが長渡。そこへ数年前に病院ができた。五年は前になるだろうか。もっと前かな。
 地盤調査から始まって建設資材を運んで、というような病院ではなく、もともとは小学校だった校舎をほとんどそのまま利用した形だ。おそらく、教室を仕切って何分割かし、病室にしていき、空調関係のパイプを配管、医療器具(といってもCTやなんやら手術室もある)の設備を整え、すぐ脇には給食センターがあってそこで食事を準備しているという。

 その病院に島のおばあさんが入院した。脱水症状と疲れ、睡眠不足がその理由だった。原因だった。
 八十歳を超え、今回の入院で注射を経験したのは初めてだという。もちろん点滴投与も。


 いろんなことが、この人の中にはある。
 私が小学校二年のときだ。おじいさんが死んだ。ガンだった。島のおじいさん、だから島のおばあさんの旦那さんだ。おじいさんは長渡のシンボル的おじいさんだったと思う。思うのではなく、それは本当で、「まっこおんつぁん」といと学生は震え上がり、……、と頑固じいさんだったのだった。島に客が来れば案内役をやったり、祭りがあれば黄門様の位置。というのが渡しの幼いころの記憶とめくったアルバム、そして島の住民の話。
 幼いころに島に行くと見るテレビは「まんが日本昔話」「八時だよ全員集合」。夜は決まっておばあさんの昔話。

 昔話。おばあさんがする昔話は「ももたろう」かなんかで、自分のことではない。
 現代ではきけない昔話を私はしっている。ももたろうの冒険よりも、もっともっと現代に近い話で、言ってしまえば、おばあさんの過去だ。聞いているうちに、鬼が島へ向かうことよりも苦労があるだろう、と考えた。

 大正12年に誕生したと記憶している。七歳か八歳になって他人の家に貰われたらしい。話に私の記憶の曖昧さが語尾に現れるのは勘弁いただきたい。そこでは、お手伝いさんのような、おしんのような生活があったということだ。テレビでみる「おしん」もすごいが、おばあさんの今を見ると、幼いころのことがあるからこそなんだ、と思ってしまう。
 結婚して長男が産まれ次男が産まれ、次に私の母である長女が三番目として産まれる。その下に三人が産まれる。六人兄弟。
 末っ子だけが高校を卒業し、上の五人はみな中学を卒業して仕事についた。
 あれはたしか、私が中学二年のころだったと思う。唯一高校を卒業した末っ子の、私にとって見ればおじさんに突然、脳へ障害が襲った。関東で会社勤めをしていたおじさんは「兄ちゃん」みたいな存在だった。その兄ちゃんが倒れ、運ばれ、手術するにも医者の判断も簡単ではなかったらしい。おばあさんは妹のいる埼玉へ通い、泊まり、をくり返した。そのころの歳は70歳を越えたころだったと思う。入院退院を繰り返し、60か、50%の成功確立しかなかった手術が成功し、体と精神に障害は残ったものの命は助かった。兄ちゃん本人はどういった思いで生活しているのか分からないが、事実として現在は島でおばあさんと二人暮らしをしているということだ。




 昨日、島へいって仏壇の前にたったとき、スーッと力が抜けた、いや、みなぎった?そうじゃぁない。

 姉(さっこさん)は話をきいてすぐに島へ向かった。看護師として努めている彼女には心の葛藤がいくつかあったときいた。ただ、そこで、よく考えてほしいのは、本当におばさんが望むものは何かということだ。さっこがすぐに駆けつけてくれたのはおばあさんにとって何より嬉しいことだし、自慢であったと思う。
 ただ、その中で、おばあさんの性格を考えてほしい。島の病院の名前は「網小医院」栃木県の医師が善意のみで赤字黒字の欲を一切持たずに心一つで開業してくださっている病院だ。本当に赤字だという話だ。たまたま自分のおばあさんがこの島に住んでいるからこれほどまでに感謝したのだろう。こんなワードで打った文字では本当のことを言い表せない。看護師の方々の対応一つ一つをみても顔を見たこともない責任者の……。
 本当に。

「オマエを必要としている人がいるならその人を救ってやってくれ」というんじゃないかな。
 真意はわからないが、孫の成長を願うのがばあさん、じいさんではないか。
 躰道には「社会還元」という言葉があって、ある人に感謝をした。すぐにその感謝をお返しとしてその人に返すのではなく、まったくの他人へ返してやる。という考え方がある。『金は天下のまわりもの』とおなじようなもので、良くしてもらった感謝が次々にリレーをして、巡っていく。バトンを渡していく。何十年もたってバトンが帰ってきて、よくみると見覚えがあるバトンだ。バトンといっても本当の円柱のあれではない。感謝の心をバトンに喩えたんだ。そのバトンとは例えば話だったりする。誰かも知らない赤の他人が、おばあさんに言ったとしよう。「あのとき、あーゆう人に助けてもらってね。よくしてもらってね」それを聞いていて、自分の孫の特徴と似ている。深く聞いてみると名前まで、同じだ。
 苦労を重ねてきたおばあさんに感謝を返すとき。
 一生懸命、人のためにやっていけば、それも一つの恩返しにつながると思う。

 自分の人生も大事だが、おばあさんのように他人へしてくれる、そういう人がいるからこそ娯楽を味わえる時間がある。

 おばあさんの娯楽とはなんだろう。それは誰かの成長を見ることだろうと思う。



 島の人口は350人前後だということその住民は保険や税金以外に毎月何百円か納めているとのことだ。それは何に納めているかというと、「お医者さんにででいかないでくれ」という気持ちをこめてなのだそうだ。

 私が幼いころ(一歳か二歳)入院したとき。そのお医者さんに対しおじいさんとおばあさんは、何度もアワビやウニを持っていって「助けてくれ、助けてくれ」と懇願したのだという。二十五年もたって、ようやくその話の意味を分かりかけてきた気がする。






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最終更新日  2005年08月25日 11時22分42秒
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