躰道∞(無限) 

2006年01月19日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
 五本づつ基本の技を繰り返し鍛錬した。ただ何回も同じ動きを繰り返すのではなく、今日は回数を時代に置き換えて考え鍛錬してみた。
 普段の稽古なら五本の技のあいだに注意点を述べてみたりするのだが、今日はこのように言ってみた。「卍蹴りを一本目打つときは0歳~五歳までの感覚で何も考えずに蹴ってみろ」これは産まれてすぐから人真似をできるようになるころの時代。
 「二本目はそれから10歳までのつもりで」これは個人差がはっきりみえてきて同時に集団行動を意識しはじめるころだ。
 「三本目は、そこから15歳までの思春期を想像した蹴りをくりだしてみろ」このころが一番消極的になりがちか、打ち込む何かがあれば集中力が増す年代。同時に酒、煙草、異性、万引き等を覚え始める年代で親や教師の考えに反発する年代。
 「四本目は十六から二十歳までのイメージで」これまでの三回の反復はガムシャラで基導線をまるで無視したものだった。着眼、軸足、蹴りの目標はバラバラで勢いや表現だけが先行していた。表現というより周囲をみないで自分の世界だけしか見えていないということでもあるかもしれない。それで、四本目は二十歳になり新たな決意、つまり何らかの道筋の前に立った自分、線にそって目標を意識して技をくりだしてみろという意味で学生に指示した。線の美しさは現れてきたものの上半身にぎこちなさが悲しいことに比例して増えている。
 「五本目は将来の目標にむかい、『思いきって』技をくりだしてみろ」と言った。そうしたら線の先に向かった素晴らしい力が体軸の変化とともに見ることができた

 三本目は産まれてから思春期、反抗期までの集大成。五本目はそこに理性や、ゆとりに加え子供心をまじえて、二十歳をすぎ、これからを考える意味のなかからスケールや器といったものを取り除いた考えができればよいと思った。想像進化し、なにが社会還元になるかを考えると、こちらを立てればあちらが立たぬ、を意識し何もできなくなる。常にどちらかを選択するか、自分が全然別のものを考えだし周囲に選択ではなく、自分の考えをきっかけや踏み台にして分野を広めていく人間が増えていけばパソコンから逸脱した世界がみえるかも。 
 歴史は繰り返されるが当てはまるなら、いつが区切りで繰り替えされるのだろうか。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年01月20日 00時39分37秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

天空の鯨5623

天空の鯨5623

カレンダー


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: