躰道∞(無限) 

2006年04月03日
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 やる気と吸収力。大きなものがあるな、と思った。合宿に集まった学生は北里三陸と東北福祉のメンバーだった。稽古は真剣さがひしひしとつたわってきたが、そのあとの会議、意見交換会のときに学生の口からポツポツとでたことが少々気になった。それは「まんねり」という言葉だ。

 マンネリとは字引で「マンネリズムの略である。一定の技法や反復慣用し、固定した型にはまって独創性と新鮮さを失うようになる傾向」とある。
 伝統の稽古法にマンネリと言ってしまうのはどうだろうか。そういう思いは個人の自由だ。だからダメともイイとも私は言わない。

 私が学院大で定点鍛錬の基本技を繰り返しながら、学生にこういったことがある。「一の号令で、一歳児から五歳までの感覚でやってみろ。二の号令で六歳から十歳。三の号令で十五歳前後の思春期のときの感覚。四の号令でそれ以降の二十歳をすぎたあたりの感覚。そして、五の号令でこれまでの集大成、つまり自分自身ありのままでおこなってみろ」

 思考、判断、方法、結果、反省とあるが、現時点というのは到達点にいる人間でない限り【反省】をしていると思う。つまり、自分に嫌悪感を抱いたりしていると思う。そこで止まってしまう人間も少なからずいるが、少なくとも躰道の修練に努めている人間は【反省】から【思考】に移行しているのではないかと思う。だから、一本、一本の技を繰り出しながら、一つ目はヤンチャに無意識にもしくはモノマネで行い、二本目はわがままを制御しないと和(輪)の中に入れない年齢、ということはルールなど決まりを守る(基本技で言えばドウコウゴカイを意識する)三の号令は、もっと自分だけの世界、自分ならでは、自己主張や好き好みを優先的に技にあらわす。四本目は二十歳前後となり自分が進むべき方向性を探し始めるころ、技の意義を知って、その効果はいかほどかを意識する。五本目にその集大成、これは、自分の現時点での技が何歳かしることができる。つまり技を繰り出す人間の精神年齢が解る。

 誰かの真似か、独自の世界観をもつか、反発をするのか、方向性をみいだしているのか。それとも極めているのだろうか。
 マンネリの中には何も意識をしていないということが陰にあって反復稽古をしているのではないだろうか。そう思う。

 一本を取れる技。これを毎日のようにだせれば、それはマンネリではなく満足を通過するのではなかろうか。あくまで、通過で、そのあとは通過したあとに見て知ればよいと思う。私は満足もなにもしていない。ようやくドウコウゴカイを意識し始めたところだから。基本技の反復稽古だけで時間がよう足りん。





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最終更新日  2006年04月03日 23時54分12秒 コメント(2) | コメントを書く


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