躰道∞(無限) 

2006年04月04日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
 よく小学校の国語の時間でこういう質問がある。ある随筆や小説の授業中、「作者の言いたいこと、つたえたいことはなに?」こう先生が質問をする。正解をもらうのはイチローの打率より低いだろう。私は思う。言いたいことを伝えられない作者に責任がある。と。
 生徒に考えさせるために、わざわざ分かりづらい物語等を選んでいるのだろうか。だとすればおもしろくもないものを読ませられる生徒は進んで本を読みたいとは思わない。文部省の悩みである【活字離れ】はおもしろくもなんともない、分かりづらいことを押しつけているから、どんどんそうなっていくのであると思う。

 音楽はどうだろうか、先日道場の子供が吹奏楽のコンクールかなんかの演奏をCDにしたものをかりた。小学生の部だったが、どうあれ、風景はみえた。音楽素人、方向音痴の私が風景を感じたということは国語の時間で言う「筆者の言いたいこと」を当てたのと同じ意味のような気がする。
 音を楽しむ。屁をして笑うこともあれば、生まれてはじめてピアノに触れるとき。こういう瞬間が音楽なんだと思う。あとは思い出。『思い出』と言ったのはあのときの苦しい思いを忘れてCDになった自分のソロパートを聞いたとき。涙がじわっとわきでてくることだろう。
 躰道の鍛錬も同じなのだと思う。我々の道場が団体出場を目標とし精一杯頑張っている。その兆しも大いに……。稽古をしている連中は大変かもしれない。しかし、大会というものはどうだろう。特別な思いをして出場するものだ。音楽で自分の楽器を持ち、自分のできること、すべきことをする。楽器に魂が込められているか。どうだ。たましいというのは技術を磨き演奏するのがまちどうしくてしかたがない。常に貪欲になる気持ちになったとき自分の心の中から浮遊してくるものではないかと思う。

 一つの技、展開競技なら五技の一種。もしくは主役。その役目を全うし、武道として演技し終える。するとどうだろう、勝ち負けよりもっとちがうものがみえてくるのではないだろうか。

 音を楽しむ。     音楽

 国の語り。      国語

 部の道。       武道



 武道家の瞬間と余韻。 武芸

 ありつづけるものとは人が欲し、人に影響するものである。ありつづけながら人に目をそらされつづけるも一生。どんな形であれ人体の動きに影響があった事実には変わりはない。

 この文章は誰かのために書いたのではないから誰かに礼を求めるものではない。

 ユニコーンというかつて奥田民生らが所属したバンドで大迷惑というのがある。その大迷惑のビデオがオーケストラバージョンになっていた。自分も何かの機会あって催し物をしたときは、黒い服を着ていただき、どこかの吹奏楽部にオーケストラになっていただきたい。そのときのリクエスト曲は『スタンド・バイ・ミー』『マーチ(電気GROOVE)』『ダイヤモンド』『花(オレンジレンジのと石嶺聡子が歌ったもの』。

 あのときのあの年代のあの思い出。だからこう想う今のあの年代への想い。同じ名前のあの年代のあの想い。略して念代。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年04月05日 00時54分04秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

天空の鯨5623

天空の鯨5623

カレンダー


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: