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いろいろあって準備されたまま放置されていたが昨年12月に後楽園ドームシティーで催されていた天野尚「ネイチャーアクアリウム展」の報告ブログを残しておこう。天野尚氏はプロの競輪選手として活動しながら水草栽培や自然の写真撮影に取り組み、1980年代になって故郷の新潟に「アクアデザイン・アマノ」を創業している。以後、特製大判カメラによる風景写真やネイチャーアクアリウムと称する天然物だけを素材にした巨大水槽の制作に情熱を傾けている。(この展覧会ではフラッシュをたかなければ写真は自由だと入り口で告げられる)天野さんの理念は一つの水槽の中に一つの独立したバイオトープを作り上げることだ。CO2は悪者ではなく水草や植物にとってなくてはならないものであり、空気中の酸素の原料でもある。酸素は微生物や動物や魚に必須であり、それらがCO2から合成されているのでCO2もまた大切な自然の必須要素でる。魚の糞が微生物を養い、微生物がプランクトンを養い、プランクトンが魚を養う。これらは原子や分子的に見れば仏教の輪廻思想そのものである。こう考えてみるとCO2が今大きな環境問題となっているが、そのの排出増加だけが問題視されるが実は熱帯雨林などの消失によるCO2の消費削減も大きな問題で、「ネイチャーアクアリウム」はそれを訴える表現手段だとしている。水上には植物を水中には水草を配し、魚を泳がし「巨大な水槽=小さな生き物世界」を表現している。シダが繁り流木の間に魚が泳ぐ、自然を切り取ったような幻想の世界を作るのがネイチャーアクアリウムなのだそうだ。本当のところは分からないが白砂の上の小エビたちの人生(漁生)は豊かな気がする。広い壁面全体をカバーするアクアリウムを前にすると、なんだかジャングルクルーズをしているような気分なってくる。
2018.01.18
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東京駅見学会(5)・駅内部終戦直後の修復では手が届かなかったであろう駅舎裏側も今回は簡易復元されまた駅舎全体が免震構造になっているとのこと。この柱も単なる装飾ではなく 免震・耐震構造のための装置と思われる。丸 の内駅舎と線路・乗降ホームの部はあ今まで一体のものとしか認識していなかったが今回の様に詳しく見てみると明らかに分離されておりその間には上の写真で 見るように灯りとり屋根が懸けられており、床には溝が設けられている。下の写真は駅舎背面の中央部であるが右上部の透明窓から右は線路である。この中央部はこぶのように通路側にはみ出しているここは丁度皇族が利用する貴賓室の裏側に位置している。何の説明もされないが私の勝手な推測ではここは貴賓室と乗降ホームを結ぶ地下秘密回廊の入口であろう。いったん外に出て現在は「会議室」のマークが有る部屋に通された。機品質として中央に皇室だけが使う「松の間」、賓客が使う「竹の間」そして侍従など重臣が使う「梅の間」があり、現在「梅の間」は会議室としてやや使用範囲を広げている。ここまではガイドもされるし写真も自由であった、残念ながらこの日は雨で皇居までは望めなかったが中央口の埴栽が目前と言うことは軍配形の扉の右の部屋である。ついで案内されたのは駅長室、ここは撮影禁止、実際の執務の場かどうかは疑問であるが執務机には資料も広がり、パソコンなども点いてい て今の今まで駅長が座っていた雰囲気は感じた。そしてまさにここが日本の鉄道の原点で駅長は丁度そのスポットで執務していると言うことだ。残念ながら原点 標のようなものは見当たらなかったが事故・災害・事件発生の場合ここがJRの指令点となる。撮影禁止なのも事故予防の観点からだろう。も う一つガイドさんの話で驚いたのは開業当時乗り口は南ドームだけにあり、折口は北ドームだけに会ったと言うことである。通勤客も朝の出口と夕方の乗り口は 三百十メートルも離れていたの云う話。今は申し訳程度の中央口が有るが当時中央口は賓客のみであり、総理大臣と言えども南口から入って乗車したそうだ。そ の証拠に南口には床に下の六角形が刻まれており、大正10(1921)年この場所で当時の総理大臣原敬が暗殺されたと記されている。新幹線中央口の南寄り には浜口雄幸・総理大が昭和5(1930)年暗殺された場所に標石が刻まれている。考えてみれば日本の歴史に大きなうねりと実績を残した二人の大首相が東 京駅で亡くなっている。今でもこの駅のセキュリティー維持は大変なことだろう。
2013.06.18
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我が家のベランダの手すりに琉球アサガオ、ヒルガオ、ヨルガオを植えてある。暑い盛りにはヒルガオがピンク色の小さな花弁を多く咲かせていたが秋の彼岸を過ぎるとそれは全く見られなくなった。代って6月頃に咲いて夏の間すっかり途絶えていた琉球朝顔とヨルガオが昨日再び咲き始めた。 琉球朝顔アサガオは早朝開花し昼前にはしぼんでしまうが、琉球朝顔は大輪の花を一日中開いている。したがってアサガオの名は理屈に合わないが、花の色や大きさがヒルガオよりはアサガオに似ているので琉球朝顔の名が付いたのであろう。ただ植物としてはヒルガオ科サツマイモ属だそうだ。種ではなく挿し木で増やすところはサツマイモに似ている。アサガオが単年生なのに対して琉球朝顔は多年草で、この木も昨年植えたものである。琉球朝顔の隣の鉢から出た蔓には大きな白い花が咲いている。長い花柄と大きなサイズが特徴的である。こちらはヨルガオで原産地の熱帯では多年草であるが日本では春撒きの単年草として扱われる。これもアサガオと同じくヒルガオ科の植物である。他によく聞く「・・顔」に「ユウガオ」があり、ヨルガオと間違われることもあるが、こちらは全く別の「ウリ科の野菜」でこの果実を薄くそいで乾燥したものが干瓢である。 (Wikipediaより拝借) (Weather News社ホームページより拝借)ユウガオはヒョウタンから分化した植物だそうで、そういえばヒョウタンの幼果は漬物として食べると聞いているし、ユウガオの実も漬物にすればおいしいことだろう。ヒョウタン、ユウガオ、ヘチマは同族であるが前2者は白花に対してヘチマは黄花である。源氏物語で若き光源氏の恋人で麗人の名も「夕顔」であったことを思い出す。この人の印象は若くぴちぴちとしたピンク色で、皺くちゃの干物干瓢では艶消しである。
2018.10.20
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昨日は珍しく弱弱しいながらも太陽が覗いていた。前夜のテレビ天気予報で今月に入って16日間で晴れの時間が3時間だったと報じていた。気象の歴史は地球の暦と共にあるので明治以降の気象観測の歴史など取るに足らないものであるがアナウンサーは「観測史上初めて」を連発している。そんな訳で昨今はあまりちゃんとした散歩もできていなかったが昨日は傘を持たずに視野を広げていつもの散歩道を歩いてみた。水分はたっぷりであるが梅雨寒で植物の成長は止まったままである。そうなると光合成をしない菌類の成長が著しい。桜の古木の株本に目玉焼きのようなのが落ちて居るのかと思ったが、よくみると茸であった。地表に近いので手を差し伸べてカメラを構え、裏側を撮影すると多くのキノコにある線状ひだは無く白い粉を撒いたサルノコシカケのような裏側である。しかし紫色のしっかりした足があるのでサルノコシカケではない。私は市販されている食用キノコ以外にはあまり知識がなく、思い切って「目玉焼きのような茸」でグーグル画像検索してみるとなんとヒットがあった。名前は同定されていないがCATさんのブログ白い日記に下のキノコの写真が載っている。これはキノコであるがまぎれもなく半熟目玉焼きに見える。私の目玉焼きはまさしくこの形形が好きでで、黄身が固まる前に崩して醤油を垂らしている。50年以上も昔初めてアメリカに渡った時、"sunny side up""の言葉を知らなくて、我慢して”scrabble egg please"を連発したことを思い出す。そういえば去年まで近くの桜の株に本当にサルが座れる大きさのサルノコシカケが有ったことを思い出し探してみたが今はなくなっていた。その代わり各所に次々と新しい株が育っていた。以下の写真はすべてサルノコシカケの成長過程である。小人の帽子ハマグリ貝アコヤ貝ヤドカリ貝牡蠣殻キントン雲ガマガエルサルノコシカケと言っても扇型で座り心地のいいものは少ないようである。
2019.07.18
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気が付くと2月も今日が最後の日である。ようやくコロナ第三波も下火になったが、一日当た約2500人もの感染者を出した時はどうなることかと思い、ただただ我慢の月であった。自然の移ろい以外何も新鮮なインプットもなく私の今月分メモリー容量は何の変動もない。矢張り今回も自然の移ろいでお茶を濁すことにする。今週辺り散歩道の梅もほぼ満開をむかえている。下の写真を載せる時白黒どちらを先にしようかと考えてやはり紅白の梅という慣用句から紅を先にした。紅白、白黒の慣用的順序は何からくるのだろうか。もうすぐ雛祭りがやってくる、女の子がいる家庭ではお雛様の飾りつけをしていることだろう。ilust.comの画像を見るとみな赤いお餅を上に飾っている、画像検索をかけても逆は皆無である。最近ではひな祭りにも上のような紅白の重ね餅を飾るようであるが本来ひな祭りは「桃の節句」の行事で桃色・緑・白の三色の菱形の餅を重ねて飾るのが古来のしきたりである。雪(白)を冠る大地に春が来て草木(緑)が芽生え、やがて桃(ピンク)の花が咲き節句のひな祭りが始まることを象徴している。したがって下から白緑ピンクの順だろうが色彩効果を考えてだろう白を挟んで飾っている。普通紅餅には食用色素を使い、緑はヨモギを練り込んで着色する。そして白餅には本来ヒシの実を練り込むのだそうだ。紅餅にはクチナシを練り込むとのことであるが、クチナシは黄色の色素でピンクにはならず、食用色素を混ぜる。昔は紅色色素として何を使っていたのだろうか。それとも黄色、緑、白の三色だったのだろうか。これらの混合物はそれぞれ意味があって、クチナシは解毒作用、ヒシの実は血圧降下、ヨモギは造血作用を有しているそうだ。子供のころなぜ春の節句にだけ菱形の餅を作るのか不思議だったが、ヒシの実から菱形になったと言う説がある。私が子供のころ桃の節句は旧歴で祝っていた、太陽暦では3月下旬から4月初めで、菜の花、蓮華に囲まれて春うらうらと良い季節であった。取っ手のついた小さな鮮やかな木箱に三色の引き出しがありそこに御馳走を詰めて蓮華畑、桜の咲く川の土手、小高い丘のなどで遊山(ゆさん)と称して野外ピクニックを楽しんだ思い出がある散歩道に戻ると沿道にある何本かの早咲き桜が満開であった。一般に早咲き桜は、春を知らせるというよりは春を押し付けに来たみたいで可愛げがない。フキノトウはもはや開花寸前で春告げ草の新鮮さは露もなく哀れな姿であった。
2021.02.28
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諏訪大社本宮白樺湖からの帰りホテルのシャトルバスで茅野駅に運んでもらったがブッキングした汽車にはまだ少し時間が有ったのでタクシーを使って諏訪大社に参観することにした。諏訪大社は勿論全国に2万社以上ある諏訪神社の総本社である。一口に諏訪神社と言ってもその社は4社ある。本宮(ほんみや)と前宮の上(かみ)2社は茅野駅からが便利で、春宮、秋宮の下2社は下諏訪駅からが便利である。時間の関係もあって今回は上社本宮の参拝である。交通が不便でバス便も週末しか動いていない、そこででタクシーに待ってもらっていた関係でゆっくりと言うわけにもゆかず、忙しない参観では有ったが脚が進んだ順に記録することにする。北参道から入って東参道の方へ回り込むと大きな神楽殿が目立つ、ここには直径1.8mの大太鼓が据えられている。一枚皮で張った太鼓としては異例の日本一の大きさとか。東参道から入ると直ぐに正殿に通じる布橋が見える、ここには朝廷からの勅使など特別な時だけ使われる勅使門もある。特別な用途の時絨毯の様に布を曳いたのが布橋の語源だとか。入り口に特異な神社紋が見えるがこれは梶の木紋で大地に下ろす根の数が上社では4本、下社では5本だそうだ。布橋を渡り切ると唐門を備えた勅願殿、門の正面に位置しており堂々としているのでこれを本殿と勘違いするほどである。神社本殿らしき垂れ幕の下がる社が左側に見える。だがこれは幣拝殿と言うものでご神体の鎮座する本殿ではないらしい。と言うよりも寺院の本堂の様に儀式の執り行われる場所が神の居場所にもなる諏訪造りと称するものそうだ。賽銭を投じ二礼二拍一礼して良く見ると正面の神殿は幕にかいた絵であった。何だか騙されたような気分であるが現在修復中なのだそうだ。でもこのだまし絵中々良く出来ていた。布橋から拝めるように小さな祠が祀られており、これは大国主を祀ったもの。諏訪大社は大国主の次男建御名方(たけみなかた)神とその妃神・八坂刀売(やさかとめ)神を主祭神とし、兄の八重事代主(やえことしろぬし)神を合祀するもの。大国主も息子たちの隣に隠居所を建ててもらったと言うことだろう。出雲の国を天照大紳に割譲したと言う国譲り物語の際腕ずくで倒された次男神がここ山岳地帯に逃れて信濃の地に開いた新しい国が諏訪である。今風に歴史認識すれば国家間の島統治権やパレスチナ人とユダヤ人の抗争にも通じる話であるが「国譲り」と平和裏に解決したかのようにまとめた日本書紀の作者に感謝するのみである。おかげで国内で争うこともなく終わっている。建御名方神にしても直接出雲から来た説や阿波の国を経て移って来たとか諸説があるが元々日本書紀はいろんな民話をまとめて日本の国体を作り上げたおとぎ話であるから諸説入れ乱れて語られる方がいいと思う。残念なのは我々世代は戦前に神話を歴史として刷り込まれたために異説に出会うたびに少なからぬ当惑を覚えることである。
2014.07.27
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ホテル・葛城北の丸 今回孫娘のピアノ演奏会へ行ってきたが、ボーナスを手にした直後で息子にも幾分 余裕が有ったのか宿泊は”葛城・北の丸”に招待してくれた。この宿が有名になったのは日韓ワールドカップの時”侍ジャパン”がここを根城にして活躍した時である。ここは往時の平地城をモデルにしてヤマハが設営した擬似城郭ホテルである。さしずめヨーロッパの”古城ホテル”の日本バージョンであろうか。下の写真のように濠に囲まれた大手門を入ると一本の大楠を中心に訓練・儀式広場を挟んで本丸・二の丸を摸した造りである。 車からから下りて大手門にかかると昔の灯台のような常夜灯が有り、葛の葉の紋章が描かれた提灯が下がっているが番兵が居るわけでも無く難なく入城できる。 門から場内を眺めると大楠の向こうに北の丸が見える。実は孫達の7・5・3の時と今年の正月にここでわが一族の食事会をしたことがあるが宿泊するのは今回が初めてである。。 葛城・北の丸とは称しているが実際にここに城が有ったわけではなく葛の茂るこの丘に雪国から古材を集めて江戸時代以前の平地城風の建物群を再現しているのだ。当然家紋は葛の葉3枚となる。 同じ3枚の植物の葉を配してもこの様に下向きにすると優しさがにじみ出る、上向きにすると一寸猛々しくなり安息の場所には相応しくなくなる。 ツツジ園、プール・池を配した芝生広場の周りに幾つかの棟(殿)が散らばっているが、各棟は渡り廊下で繋がっている。廊下と言い本殿と言い昔の造りであるから天井などは張られておらず、”ちょうな” で削った不規則な形の梁が露出している。 渡り廊下の外には南天、梅、百日紅などを配した小さな庭園もあるが、昔の殿様は奥へ渡るのも結構寒い思いをしたのだろうと偲ばれる。 さすがに宿泊棟には天井が張られていて部屋の中の設えは一流のシティーホテルのそれで廊下も暖房されている。そう云う意味では現代の客は昔の殿様以上の扱いである。 ただここはあくまで「殿中である」編み足袋・スリッパは与えられるものの靴は玄関で脱ぎ置いている。部屋の前は庇・藤棚下の板張りから直接芝生庭園に続いている。 さすがに棚には葛では荒荒らしすぎるのか藤棚になっている。 勿論部屋には立派なバスルームがあるがやはり寒い渡り廊下を通って大風呂に行く人が多かった。 2階から見ると立派な甍の続きで城郭を思わせる造りである。 話題も情景もガラッと変わるが部屋から食事処へ渡るにはどうしても2階ホールを通らなければならない。ここではがらりと21世紀にスリップする。前にも記したがここはトルシエ率いる”侍ジャパン” が籠城した場所である。森に囲まれたサッカーグランドを持ち、城郭には外部から入りこむことが出来ないこの場所は秘密作戦の訓練場には最適であった。軍団はここに籠城して秘密作戦を立てて秘密裏に特訓をしていたのだ。 今はさらにPGAのメジャー大会も開催される付属のゴルフ場を有しているのでこの通路ホールにはサッカーのワールドカップやゴルフのメジャー大会の記念グッズが展示されている。中田選手やトルシエ監督の必勝連判状が飾られている。 侍たちの懐かしいユニフォームや公式ボールなどもある。 それと並んで変わったランプシェードが展示されていた。地元の作家だろうが土器の形はまちまちで古代から未来に通じるようなデザインが並んでいた。それぞれ私には手が届かない結構な額の値札も添えられていた。
2011.12.22
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タラヨウ(多羅葉) 散歩の途中我家から数分のところにある寺に立ち寄った、先日ふとしたことからこの寺の植栽マップを手に入れたからである。目に留まったのがタラヨウの木、「ハガキの木」とか「郵便局の木」とも言われるとあったので興味がわいた。木はすぐに見つかったが何の変哲もない目立たない照葉樹である。Webで調べると雌雄異株とあるが花を認めることはできなかった。昔インドで葉っぱに経文を書いた多羅樹になぞらえてタラヨウ(多羅葉)と呼ばれるが、わが国でも戦国時代戦場でこの葉に枯れた小枝で符号を書いて情報伝達に使ったとか、僧たちが経文を刻んだと言う伝来もあるらしい。下の写真のように照葉樹なので東北北海道にはないが関東以南の寺社に多く植えられているそうだ。また「葉書(ハガキ)」の語源とも言われている。そんな訳でタラヨウは別名「ハガキの木」とも呼ばれ、JPでは正式に「郵便局の木」としており、東京中央郵便局の入口にはこの木が植えられているらしい。先日「キッテ」という新しいJPの局社を見学したがその事実を知らなかったので見逃してしまった。今度東京駅周辺に行った時確認することにしよう。今回は葉の裏側にシャープペンシルの芯を出さずに金属の先端で字を描いて経時変化を観察してみた。初めは何も認められないが直ぐに字が現われた。 葉の表 葉の裏・描字前 描字10秒後2,3秒後から黒い字が現われ始め10秒ではもう墨で描いたような黒さ。 20秒後 1分後 2分後葉っぱの裏側はやや白っぽく極微の粉を敷いたような感じがする状態であるが数秒の内に黒い字が浮かんでくる。 ボールペン・丸印今度は赤いボールペンで丸を描いてみると左が1分後、右が直後の状態。 赤丸印・5分後赤ボールペン字は描字直後は勿論赤いがすぐ黒赤色に変化する。ここでは赤インクの下の層が黒変するのでやや赤い色調を帯びた黒に変わってくる。 24時間後 48時間後 4日後4日後には枯れ葉の様子が色濃くなり、葉の表面も緑からだんだんと葉緑素が失われ枯れ葉色が現われてくる。 4日後・葉表発色のメカニズムには興味があるが、白っぽい表皮が圧力で壊れ内層の組織から葉液が浸み出てき、空気に触れて酸化され黒変するのだろ。黒い色素の生成は考えられないので何種類かの色素が出来てその混ぜ合わせが黒なのであろう。黒色インクには2種類あって顔料系と染料系が有る、前者は固体顔料の微粉末(墨)なのでタラヨウの場合問題外とすると何種類かの色素を混ぜて黒い色を出す染料系が参考になる。そこでWebで調べてもこれは厳重な企業秘密と見えてそれらしきページが見つからない。結局高価なプリンター用黒色インクの謎も不明のままである。サインペンをスポットしてクロマトグラフで色素分離をする実験はWebで良く見かける実験である。誤って湿った紙にサインペンをつけて周辺が紫っぽくなることは多くの人が経験したことだろう。
2014.05.16
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先日近所を散歩していて幼稚園の庭に徹底的に枝打ちされたプラタナスの木を見つけ青空との美しい対比にスマホ写真を撮った。あとで見ると柱頭に装飾があり円柱の中部に少し膨らみがあるギリシャ建築のエンタシスによく似ていると思えた。ギリシャの神殿建築にみられる柱の飾りとしてドーリア、イオニア、コリントの3っの様式がある。ドーリア式が最もシンプルで皿を重ねたような形でイオニア式は渦巻模様を配したやや装飾的なもの、そしてコリント式はアーカンサスの葉をふんだんにあしらった装飾的な彫刻を乗せている。ローマ時代にはイオニア、コリント両様式を合わせ持ったコンポジット式(混合式とかローマ式とも言われる)というのも有るが、幼稚園のプラタナスはコンポジット様式か。アーカンサスは日本語では「葉アザミ」でギリシャ語で棘があることを意味する。葉アザミはギリシャの国花でもあるがwebで見る限り我々がよく見るノアザミとはちょっと違ってむしろ「ハナトラノオ」に似ている。いずれにしても切れ込みの深い葉っぱでコリント式の飾りは形と言い複雑な模様と言い我が国の火炎土器に似ている気がする。アテネのアクロポリスにはドーリア式のパルテノン神殿とイオニア式のエレクティオンがある。 パルテノン神殿 エレクティオンまたあの大英博物館本館はは見事な破風飾りを持ったイオニア様式と言える。 大英博物館のファサードとイオニア式柱頭パルテノンの屋根部分は破壊されており、破風飾りはElgin伯に持ち去られて"Elgin Marble"として大英博物館に収容されている。私が最初の訪れたとき(1967)には床に何げなく並べられていたが再訪した時(1984)には立派な展示室に収められていた。1970年代ギリシャの返還要求にたいしてBritish Museumでこそこの文化遺産は完全な形で保存されてきたし、これからもそうだとして返還を拒否したのでこうする必要があったのだろう。話を元に戻すと、何と言ってもコリント式が一番装飾的でローマのパンテオンが代表的である。パンテオンとコリント式柱頭我が国の建築物も明治大正期の洋館は装飾的であったが近年の再開発に際して保存機運が高まり、新しい建物の一部に旧館の面影を残す工夫がなされている。そのおかげで丸の内界隈には現在でもギリシャ式エンタシスが見られるところがある。丸の内界隈の建築を紹介しているブログ ”i’sTravel Diary"の写真を拝借して東京駅周辺にある3様のエンタシスを備えた建築を紹介する。日本工業倶楽部のドーリア式ファサード農林中央金庫とイオニア式柱頭飾り明治生命館とコリント式柱頭飾り少々大げさかもしれないが一本のプラタナスから思いついて調べた結果を記録した。余談であるが日産の高級車シーマのエンブレムもアーカンサスだそうだ。
2019.03.21
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最近東京の郊外にある最寄りの私鉄駅にも黒いミニバンのタクシーが出現している。なぜかそのほとんどが東京オリンピックのロゴマークをつけて走っている。タクシーと言えばトヨタ車であればクラウンやコンフォートという大・中型を連想する。したがって新しいバン型の車は安価なので個人タクシーが使い始めたのであろうと思っていたが、先日お茶の水の病院に行った時に乗ったのは大手タクシー会社だがまさしくこの車種であった。注意してみると都心では半分とまではいかないがかなりの割合で黒色のこの車種であった。ドライバーに聞いてみると最近発売されたタクシー専用の車種ということである。一見あのロンドンタクシーに形が似ており、それを意識したデザインであることは一目瞭然である。なるほど車種名は"JPN-Taxi(ジャパンタクシー)"と言うトヨタ車。大手タクシー会社は今急ピッチで車両をこの車種に入れ替えているようである。そしてどの社も東京オリンピックのロゴマークを付けているのはなぜだろうか。横姿だけでなく前姿もロンドンタクシーに似ている。タクシー会社のホームページを探してみると従来のセダン車に比べて低床背高でその天井までドアが開くので背の高い人や西洋人でも楽に乗り降りができる。そしてもう一つの特徴はおそらくタクシーでは初めてと思われるスライド式ドアである。外国人客はびっくりすることだろう。この背高、低床、スライド式ドアの特典を生かして、助手席を倒してスペースを確保すると車いすで座ったまま乗車できる。タクシー専用車種なので固定具やスロープ板が床下に装備されており、ドライバーの作業は増えるが障碍者には優しい構造である。運転席は各種操作パネルが前面に配置され、シフトレバーは運転席よりかなり飛び出しているので小型飛行機の操縦席のような気がした。障碍者のいる家庭などでも便利だと思うがタクシー仕様なのでLPガス、ハイブリッド車のためやや高価(350万円前後)なのがネックである。2017年10月末からタクシー専用車として販売開始されているが、まだ発売開始1年半しかたたないのい都心ではかなりの普及ぶりである。この調子だと数年もたたないうちに日本のタクシーはこれになりそうである。私はもう20年近くロンドンを訪れていないが、あのロンドンタクシーには好感を持っている。客室は背が高くて広い足元、そして角張った箱型客室に荷物も持ち込んでいた。1967年に初めてロンドンタクシーに乗ったときは内装にも木材が使われていて座席も本革製でだった気がする。とにかく私の印象では黒い箱が走っていると言う感じであった。当時人が乗る車と言えばアメリカでは馬鹿でかいワゴン車もあったが日本ではセダンしかなかった。流線形のセダンに比べてロンドンタクシーは文字通り走る箱であった。ところが1960年代のロンドンタクシーの画像を見ると下のもので私の印象に反して結構モダンなデザインであったことがわかる。ロンドンタクシーを作っていたLTC (London Taxi Company) もこれからは電気自動車に切り替えるということで最近社名をLEVC (London Electric Viecle Company)と改名したそうである。(トヨタの宣伝をするつもりは毛頭ないが結果的にその感が否めないのは残念である。日本のことである他のメーカーも近い将来追随することであろう)
2019.05.11
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暖かい師走の春日、行き過ぎた紅葉の残像を求めて公園に出かけた帰り道、並木の葉はすっかり落ちてしまい道路には落ち葉が積もっている。足元を見るとすっかり裸のイチョウの木の下には黄葉が舞っていrた。よく見るとみんな大きな割れ目の入った葉っぱである。 私のイメージする銀杏葉は扇型なのでこれは新しい発見で、帰宅後早速調査してみた。私も以前から扇(スカート)型とズボン(袴)型くらいは認識していたが、今回撮影した上の写真は余りにも裂け目が多く深い、しいて言えば熊手形だ。よく言われるのは割れ目のない方は雌木で割れ目のあるのは雄木と言う説だが、それは間違いでいまだ確固たる原因は分からないそうだ。散歩の帰路別の場所にまだほとんど葉の落ちていない銀杏を見つけた。よく見てみるとスマホ写真でピント外れだが明らかに一本の木にも左上の葉のようにモンシロチョウ形やその下のズボン形、そして中央部に見える扇形と混在している。ネット上では新しく剪定した枝からは掌形が、古い幹からは扇形が生えるという説もある。結論としてはまだはっきりとした定説はないようだ。どこかの高校生物部に頑張って種明かしをしてもらいたいものだ、文部大臣賞かその内容次第ではイグノーベル賞かも知れない?銀杏マークで思い起こすのは東大のシンボルである、そこで調べてみるとこちらははっきりズボン形である。もう一つは下の東京都の緑のシンボルマークである。東京の都木が銀杏なのでこれはイチョウの葉と思っている人が多いが、TokyoのTをデザイン化したものでイチョウの葉ではないそうだ。確かにイチョウなら筋を入れるか割れ目を入れるかしたであろうと思われる。ちなみに東京の正式の紋章は船の舵のような黒い模様だそうだ。これら二つのマークは水道のマンホールなどいたるところで目にするマークである。纏まりのない日記になってしまった、《気まぐれ日記》なので良いこととしよう。
2018.12.22
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