数年ぶりだったりの方々ですが
月日を経たという違和感はまったくなくて
いつも「 そこに自分の居場所があった・ある 」という感覚になります。
集合場所に向かうときに
ちょっとドキドキしている自分を発見。
まるで恋人に会いにいくような・・
(といってもこの感覚は既に実感を伴えない?!)
仕事の都合で時間には遅れてしまったのですが
偶然、お店の入っているビルのエレベーターの前で
何人かの方とお会いしたら、もう涙があふれてくる。
飲むほどに、話すほどに自然と抱き合ってまた涙が・・
(男性、女性はまったく関係ないですが、念のために女性です・・複数)
ゲシュタルトセラピーを学んでいた時のカウンセラー仲間で
そのワークや終わってからの飲み会を通して、
ともに、よく笑い・よく泣き・よく学び。
その頃の私は、 常に息子のことでそれこそ自分の存在価値を見出せずに
もがいていて、心がいつも悲鳴をあげていました。
そして、それぞれに彼女達も心の痛い何かを持っていました 。
何と表現したらいいのかが悩ましいところなのですが
「カウンセラーだから」とか「ゲシュタルトを学んでいる人同士」とか
そういう役割を超えたところのつながりがあって
それが人の気持ちを揺り動かす 、を再確認できた時間という感覚かもしれません。
カウンセリングのときでも
(私はカウンセラーだから、習ったとおりに「鏡」にならなくちゃならない)
(カウンセラーとしてあるまじき対応の仕方はしてはいけない)
(こういうケースにはこう接する)
などと、カウンセラーである「自分」に気がいっている時って
カウンセリングそのものも、クライエントさんにも
何らかの変化が起こってこない。
カウンセラーはカウンセラーなのですが
それよりも、まず 「一人の人間として」そのクライエントさんに
「好意的な興味・関心」や「その人の存在そのものを大切にしたい」
という気持ちで、向かい合っていくことが出来たときに
何かが変わる 。そんな気がしています。
昨日お会いできた方々も、そういった「ハート」を持ったメンバーばかり。
その心からの関わり合いを「自分の心地よい居場所」と感じて
あふれる涙になったのだと思います。