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2008年01月08日
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テーマ: お勧めの本(8118)
カテゴリ: 読書


 別にこの程度のことでジェイムソンなんてものものしいものを引用する必要もないのですが、たまたま読んでいる最中に眼にとまってしまいました。以前に感想を書いた『真説ラスプーチン』を読んで以来、20世紀初頭のロシアという場所が何とも気になって仕方がなくなっています。思えば、19世紀ロシア文学の豊かな遺産を受け継いだり、変形させたり、ぶっ壊したりするロシア・アヴァンギャルドやロシア・フォルマリストがうごめき、エイゼンシュテインとスタニスラフスキーが活躍する時代というのは確かに魅力的に決まっていて、そこにロシア革命という無茶苦茶なエネルギーが加わればもう言うことなしなのです。

 昨年出版された佐藤亜紀の『ミノタウロス』を読んでみようと思ったのも、実のところ、それが20世紀初頭のロシアを舞台にしていると知ったからでした。時代はおそらく1900年から1920年くらい(小説中には正確な年号は一切出てきません)。舞台は、小説の時代ではロシア帝国とソヴィエト連邦に属する現在のウクライナ。都市の描写は殆どなく、出て来るのは農村ばかりで、アヴァンギャルドともフォルマリストともさしあたりは無縁な土地。政治的な動きは、もちろん農村とは密接な関係を持っているわけですが、『ミノタウロス』はそれとも慎重な距離を取ります。描かれるのは「壮大なる歴史とは断固として無関係」と言い切る一人の若い悪党の、諦念と粗暴さと愚かしさと知性がごちゃ混ぜになった短い一生。

 もちろん「断固として無関係」というのは主人公の主観であって、物語後半からはロシア革命後の内戦に思いっきり巻き込まれるのですから、「歴史」とは無関係ではないのですが、赤軍にも白軍にもつかずに、ただただ乱暴狼藉と殺戮を繰り返す主人公たちは、少なくとも英雄的な「壮大なる歴史」とは無関係なのでしょう。実際、『ミノタウロス』を何よりも魅力的なものにしているのは、ひたすらに反英雄的な無意味さです。成り上がり地主のお坊ちゃんとして生まれた主人公は、物語が進めば進むほど、「どこで誰が死んでも誰も知らないし気にもしないのらくろの国」で、どんどんどんどん、匿名の存在になっていきます(実際、主人公が名前で呼ばれることは、小説中1回しかない筈です)。「たぶんもう、誰が誰であるのかなどどうでもいいことなのだろう。ほんの暫くは残っていた記憶も、感情も、すぐに消え去ってしまうだろう」というのは小説の終わり近くでの主人公の独白。

 ただし、『ミノタウロス』が魅力的であると同時に小説として優れているのは、そうした無意味さで世界を塗りつぶしてしまわないことです。上に政治と慎重に距離を取ると書きました。それは作者の姿勢でもあり主人公の姿勢でもあるのですが、何かと距離を取るというのは、その何かの存在を認めて、その存在と自分との関係を自覚するということです。だから主人公は、例えば自分が行き交うに農民たちが、一見無意味と見える生活を頑なに守る確かな存在であることを認め、それとの比較で、自分たちの徹底的な無意味さを自覚するのです。上にロシアのエネルギーと書きましたが、実のところそのエネルギーというのは、様々な場所の様々な集団がそれぞれに持っているエネルギーの重ね合わせの筈。そして『ミノタウロス』は、場所はそれほど動かずとも、その中の複数のエネルギーを描くことで、重層的なものになり、そのおかげで(少なくとも僕の中では)『真説ラスプーチン』ともつながることになったのでした。

 加えて、暴力に満ち満ちたこの小説が露悪的になっていないのも、おそらくこの「距離」に対する自覚のためでしょう。無意味な暴力への没頭を描けばそれだけで「何か」を書いたと勘違いする小説家は多いですが、『ミノタウロス』では、主人公も作者も、中心的な暴力を常に他との「距離」において相対化するために、そうした悪趣味さを免れています。ついでに、文章のスピード感と描写の簡潔さも、この小説が悪趣味な暴力への開き直りに陥るのを救っているような気がします。佐藤亜紀の小説はデビュー作の『バルタザールの遍歴』しか読んだことはなく、『バルタザール』については、その仰々しい文体と物語の空疎さ(もちろん意図的なものなのですが)をどうしても楽しめず、ファンタジー大賞受賞時の審査員のコメントにも全くうなずけなかったのですが、少なくとも『ミノタウロス』はそうはなっていない。仰々しさというか、想像力を過剰なまでにふくらませるような比喩は残っていますが、あくまで警句のような短い文章をリズム感よくつなぎ合わせることに徹することで、しつこさが一切無くなっています。暴力に淫することもない。『バルタザール』と『ミノタウロス』の間の小説も読んでみなくてはいけませんね。

 20世紀初頭ロシアについては、岩波現代文庫のサヴィンコフなぞも現在パラパラ読んでいるところなのですが、そうなると、彼がロープシンという筆名で書いた『蒼ざめた馬』も読みたくなってきます。依然古本屋で買って読まないうちに人に貸して返ってこないまま(そしておそらく二度と戻ってこない)だなあ。エレンブルグの『わが回想』やパステルナークの『ドクトル・ジバコ』も読み返したい。うーん、ロシア熱はまだまだ続きそうです。そうそう、『ミノタウロス』を読んでいる最中に、ふと思いついて、リチャード・ブローティガンが大好きだったという、バーベリの『騎兵隊』(これは長田弘さんが『20世紀書店』で勧めていたのを見て以前買っておいた)を読み始めてみたのですが、案の定雰囲気がとてもよく似てる。これについてはまた回を改めて何か書いてみたいと思います。




ミノタウロス





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最終更新日  2008年01月08日 14時57分03秒 コメントを書く
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