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2008年01月15日
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カテゴリ: 読書
 ここ数年のアメリカについて考える際の自分なりのキーワードと言えば、さしあたり狭い意味での「暴力」で、それはクックの一連の小説や、一昨年大評判になった『あなたに不利な証拠として』(これが何であんなに大評判になったのかは結局わからなかった。悪い小説ではないんだけど)、昨日読み終わったばかりのグレッグ・ルッカ『わが手に雨を』などを読みながらいつも思い浮かべていたことでした。もちろん犯罪小説が暴力と結びつくのは当然なのですが、何というか上述したような小説は、話の中心にある犯罪のみならず、話の隅々にまで暴力が浸透していて、登場人物の多くがその遍在する暴力に蝕まれているようなのです。そして『フリーキー・グリーンアイ』のような全く毛色の違う児童文学などにも、その暴力の気配は常に漂っている。


 だから「暴力」をキーワードとすること自体は決して間違っているとは思っていません。ただ、現在のアメリカが全体として抱えている矛盾をつかまえるための言葉として、もしかすると「暴力」というのは少し表面的なのかもしれないと、『ニッケル・アンド・ダイムド』によって日本でも有名になったバーバラ・エーレンライクの新作、『捨てられるホワイトカラー』を読みながら考えていました。


 「暴力」というつかまえかたが表面的だというのは、そこで終ってしまうと、「暴力」を生みだすものが何であるのかという視点がさしあたり必要無くなってしまうからです。言い方を返れば、暴力というのはもっと大きな矛盾の1つの現われに過ぎないのではないかと。そういえばマイケル・ムーアは『ボウリング・フォー・コロンバイン』で銃社会の原因を「恐怖」に求めていましたし、去年やはりそこそこ話題になったジョック・ヤングの『排除型社会』(イギリス人の書いたものですが、アメリカの例が非常に多く出てくる)では、犯罪の原因を「剥奪感」に求めていました。




 そうした「恐怖」や「剥奪感」などをまとめる言葉として、もし「不安」という大雑把な言葉をあえて使うのであれば、その「不安」が銃社会を生みだし、増加する犯罪を生みだすとも言えるでしょう。銃規制への反論として言われる「家族を守る権利」とやらも、その「不安」に対するマッチョな応答と言えなくもありません。ジョック・ヤングの議論はその「不安」が犯罪や暴力に結びつくメカニズムを説明したものとして読むこともできます。ただ、エーレンライクの本に出てくる「不安」に満ち満ちた失業者たちは、別に積極的な銃の推進派でもなければ、犯罪予備軍でもありません。むしろその「不安」は外に出ることなく、彼らの内側に溜まり、そして内側から彼らを蝕んで行く。そしてエーレンライクはそれがどこから来るものなのかを、はっきりとではありませんが、決して企業文化に収斂させることなく描き出しているように思うのです。

 正直に言うと、アメリカのミステリを殆ど読んでいない僕は、これからもアメリカの犯罪小説を読み続け、そこに暴力の気配を感じ取り続けるでしょう。もちろん犯罪小説に限る必要もないし、『性と暴力のアメリカ』なんて本も読みたい本のランキング上位に位置しています。でも、上述したようなことを考え、そして「不安」という言葉で大雑把に捉えたものを、もっと構造的に、そして歴史的に捉えた上で、犯罪や暴力を見て行かないと、単純化になってしまうだろうなあとも思うのです。犯罪や暴力が「不安」の象徴の1つであることは確かですが、「不安」を犯罪や暴力に還元してはいけない。


 アメリカでは大統領選挙の予備選挙が始まりましたが、あの国をあげてのお祭り騒ぎも、「不安」と向き合うというよりは、「不安」から目をそらすための大イベントのように思えてなりません。そしてさらに言えば、例えばアメリカのショー文化なども・・・いや、あまり言い過ぎるとまた別の単純化になってしまいそうなので、ひとまずここら辺にしておきます。





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最終更新日  2008年01月15日 13時59分42秒
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