自由人の舘

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たけし8535

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2006/10/02
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 その日、空はうっすらと曇っていて、道路が少し濡れていた。僕が目を覚ます前にわずかに雨が降っていたようだった。
 僕はいつもどおりに当てもなく車を走らせ、途中でローソンに入って野菜のサンドイッチとブラックの缶コーヒーを買った。車の中でそれを食べ終えて、コーヒーを飲み、タバコを10本ほど吸ってもその日は葬式が見つからなかった。CDは回転し続けるのに飽きたようであったし、僕のお腹だって空いてきた。やれやれ、こんな日もある。
 僕は半ばあきらめて、今夜の食事に誰を誘って何を食べようか考え始めていた。僕は無性に中華料理が食べたかった。高級な油で高級な食材を炒めた、とびきり値が張ってとびきりうまいやつがいい。誘うのは、最近ひょんなことから仲が良くなった秘書課の女の子にしよう。彼女は、とびきり美人というわけではなかったが、若く、背が高くてスリムで胸は小さかった。僕は彼女の唇が、中華料理の油で濡れるのを見てみたかった。中華を食べた後は、おしゃれなバーへ行き、マタドールを飲む。彼女はきっと酔っ払って(酔っ払ってなくても酔っ払ったふりをするだろう)僕と寝たがるだろうし、僕だって彼女を抱いてみたくなるはずだ。ふむ、悪くない。
 そんなことを考えていた矢先、一瞬頭の上のほうで、右折しろ、という声が聞こえた気がした。残念ながらとびきり高級な中華料理は、また今度の機会になりそうだった。
 その葬式は見るからに暗いものだった。いや僕には、実際に見なくてもそれが暗いものであるのはわかった。勘違いしてほしくないのは、“暗い”葬式が必ずしも“悲しい”葬式であるとは限らない、ということだ。(逆に“悲しい”葬式はほとんど必ず“暗い”ものであるが。)この場合はそれに当たるものであった。車の中から一瞬見ただけでも、家は木造の古い平屋で、庭は荒れ果てていることがわかった。
車を降りる前に、僕は一息ついて気持ちを落ち着かせた。どう考えても今日はこのまま車を停めずに引き返し、秘書課の女の子と寝るべきだった。でももちろん僕にはそうすることができなかった。僕には、誰かの死を見取る責任があった。それはおそらくは僕の勘違いだろうが、少なくとも僕にはそう感じられた。
 いつもどおり、香典を納めて記帳をしようとした僕は、その日うまく適当な名前を思い浮かべることができず、本名を書いてしまった。僕は偽名を書くことにひどい違和感と罪悪感のようなものを感じた。その理由はすぐにわかった。
 僕の後ろに並んでいたのはどうやら刑事らしかった。僕にはそれがすぐにわかった。僕は仕事で何度か刑事と一緒になったことがあるが、彼らはみな決まって同じ容姿をしているように、僕には感じられた。何日も洗っていないスーツにはタバコの臭いが染み込み、寝不足とストレスが肌に出て、彼らは実際の年齢よりひどく“老い”を感じさせる人種だった。僕にとっては最も葬式で(葬式でなくても)会いたくない人たちだ。故人の家族にとってだってそうだろう。
 彼らは二人組だったが(大抵彼らは二人組で行動する)、二人とも猫背で、いかにも不健康そうに顔が焼けていた。僕の目には二人の顔までが同じであるように映った。もしかしたら双子の刑事なのかもしれないな、と僕は思った。それならドラマのように捜査の方針でぶつかり合うことだってないし、好みだって同じはずだから、張り込み途中で片方が買い物に行ったときに、もう片方が袋の中身を空けた後で、「アンパンは粒あんだろうが!!」なんて怒られる心配もない。やれやれ。

 妻らしき人物はそれより少し若く、そばにいる三人の子供たちはとびきり幼かった。妻子は泣き崩れることもなく、ただそこにいた。そう、ただそこにいる、といった感じであった。よく見ると妻の顔にはあざらしき痕があり、子供たちはみな妙に痩せていた。親族らしき人たちがひそひそと耳元で何かを囁きあっていた。何となく刑事がやってくる意味がわかった。暗くていやな葬式だ。
 僕は焼香を済ますと外に出てタバコを吸った。僕のそばで近所の住人らしき中年の女二人が話をしていた。二人は当たり前のように黒装束を身にまとっていたが、その佇まいや仕草からは「慈しみ」のようなものではなく、明らかな「好奇心」が見て取れた。
 二人の話によると故人は僕の思ったとおり、粗野で乱暴で大酒飲みだった。ギャンブルの話は出てはこなかったが、もしやっていなかったのだとしたら、それは単に金がなかったからだろうな、と僕は思った。
 「きっと奥さんがやったのよ。」
 まるまると太った方の女が言う。こんな女には絶対に高級な料理なんて食べさせたくない。
 「しっ、声が大きいわよ。」
 痩せた方の女が人差し指を立てて唇につける。そして僕の方をちらりと見る。僕はもちろん、何も聞こえなかったふりをする。僕の聴覚が異常に発達していることなんてここでは誰も知らない。
 「転んで階段から落ちるなんて都合が良すぎると思わない?」
 「でもひどく酔ってたらしいしね・・・。もう誰にもわからないわ。」
 「きっと刑事が私たちの家にも来ていろいろと聞くのよ。『夫婦仲はどうでした?』とか、『旦那さんはきちんと仕事をしてましたか?』とか。きっとベテラン刑事とハンサムな若い刑事のコンビよ。」
少し間が空いて今度は痩せた方が話し出す。きっと今の間で痩せた女は『ベテラン刑事とハンサムな若い刑事のコンビ』なるものを想像していたのだろう。僕も挑戦しようとしたが、どう頑張ってみてもそれはうまくはいかなかった。

 「それで奥さんが逮捕されたら気の毒ねぇ。子供たちはどうするのかしら。」

 聞いていて僕はひどく気分が悪くなった。二人の中年をギロリ、と睨みつけたが効果はなかった。気がつくと空はどんよりと曇り始めていて、今にも雨が降り出しそうであった。
車に戻って僕は携帯電話の電源を付け、秘書課の女の子に電話をしてみた。七回目のコール音で彼女は電話に出た。彼女はテレビを見ながらストレッチをしていた。僕は、今から4時間後にとびきり高くてとびきりうまい中華料理を食べに行こう、と彼女に言った。
 「いいわ、行きましょう。」少し考えて彼女は答えた。
 「昔の宮廷に出てくるようなやつがいいわ。皇帝が食べそうな。とびきりおいしくて、とびきり健康的で、それでいてとびきり高カロリーなやつ。」







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Last updated  2006/10/07 05:31:39 AM
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