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このページのおすすめ新着にあるはずのkikoちゃんさんの11日付けの日記ー「王子様日記」の王子様。その王子様がカナダに着く前はどんな暮らしだったのかをお話ししましょう。携帯からの時数制限のため、4日分に分けて載せてみます。今日の日記から4日前まで順にさかのぼってくださいね。コメントはこのページへお願いします。
2004年09月12日
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今年の冬、仕事に使おうと百貨店に外国製の構造玩具を買いに行ったとき、同じ売り場でふと目にとまったのが手のひらサイズの王子様の人形だった。にっこり笑ってるんだけど全く気取らず、すましもせず、でも王子様らしい品格のある、どこか世離れしたその表情があまりにも可愛らしくてしばらく見つめ合った後、つい手にとって買ってしまったのだった。それからずっと僕の机の上で僕の仕事をニコニコしながら見つめてくれていた。
2004年09月11日
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一度だけ外に連れ出したことがある。京都の街に久しぶりに雪が積もった夜。前から作りたかった「ミニかまくら」を深夜の車の通らない道路で作った。高さ20cmぐらいの小さなかまくら。最初雪の塊を作ったときそれがウサギに見えたのでかまくらに耳をつけた。道ばたに朱い実がいくつか落ちていたから二つ拾って目もつけた。そして、中に空洞を作りその中に小さなろうそくの火を灯したのだった。しんとした積雪の夜中の道路の真ん中に、ウサギ型の小さなかまくら全体がぼお~っと光って浮かび上がった。そこだけ別空間のようだった。
2004年09月10日
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それだけでも充分美しかった。でも、何か足りないと思った。やっぱり、かまくらにはそばに人がいて欲しい。思いついたのはあの王子様だった。暖かい部屋から寒い通りに連れ出してもやっぱりあの笑顔だった。かまくらの横にちょんと座らせたら炎の光に照らされて普段よりもっとニコッとしているように見えた。一つの絵画のような世界が完成した。でも、ろうそくの炎は意外と熱くどんどん雪の天井を溶かしていく…。あああああ、この光景、なんとか残しておきたい…。慌ててまた部屋に戻ってデジカメをとってきた。
2004年09月09日
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そして、かまくらの崩壊寸前、あの瞬間をメモリに閉じこめることができたのだった。その後はずっと部屋の机の上に座っていた。一晩だったとはいえ小さな僕の夢の世界に花を添え、穏やかに穏やかに僕の仕事を見守ってくれていた王子様。そんな思い出のある王子様が、あの時の写真と共に海を渡った。こんどはどんな夢に花を添えてくれるかな?どんな仕事を見守り続けていってくれるんだろう。小さいとはいえあの写真の夢のともしびとあの写真に添えた言葉が彼女の未来を照らし出しますように…。
2004年09月08日
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鍵盤楽器は両手の十本指を使って低音域から高音域まで、メロディーだけでなく、ベースからオブリガードまで全部自分の指から紡ぎ出せる可能性(あくまで可能性…というのが辛い^^)のあることが嬉しい。 好きな曲に出会うと、自分のものにしたくなって曲の難易度にお構いなしに練習を始めてしまう。そして、ひどいときは何ヶ月も何年もかかってやっと一通り弾けるようになる。自分の指を使って自分が司る音長や強さで鳴るようになると始めてその曲が分かったような気になる。好きな曲はそこからが楽しい。 メロディーを聞くだけで泣けてしまう曲たちは何度も何度も弾くうちに、どうしてその部分が自分にある感情を抱かせるのかが分かってきたりして、ますます曲とのつきあいが深まっていく。ある音の並びや重なりが「そういう意味だったんだ!」ってわかると次弾くときにはまた自分の表現が変わってさらに、その曲が分かっていく… 。僕と鍵盤楽器とのつきあい方はこんな感じ。僕にとっての曲との「会話」はこんなふうに進むのです。 一人部屋にいると昼間に気分がいいとき誰もいないから安心してつい大きい声で歌ってしまったりする^^。でも欲を言えば病室にキーボードも持ち込みたいところ。鍵盤楽器には元気さえあれば何時間でも時を忘れられる何かがある。うん。
2004年08月15日
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18日…京都の観光に大切な人が訪れてくれた。つい二日前にはすごく辛い思いをさせてしまったから、絶対来ないと思ってたのにまた訪れてくれた。自分の大事に思っている人が自分の故郷を尋ねてくれることは嬉しいことだ。 病室の僕の携帯電話に、朝一番、行きたい観光地をいっぱい並べ上げて「これだけ一日で全部回りたい!」ってメールが来た。普通なら2日ぐらいはかけて回りたいところだと思った。それを半日で回りたいという。一応京都の地図は頭に入ってるから任せて!って思ったけど、まさかと思うくらい行きたいところがあちこち飛んでいるので慌てて「とりあえず行きたいところの優先順位をつけて!」って頼んだ。その間に、バス路線図が手に入ったのでそれを睨みながら一日のコースを考えてみた。半日でこれだけ回るとしたら…。一つ二つは諦めてもらってコースを考えてみた。そしてまたメールで返事。何度かのやりとりのあと、最初に降りる駅を教えてあげてその日の彼女の「濃縮観光」が始まった。 ベッドに寝ころんだまま、病院では御法度の携帯を枕の下に隠しマナーモードに。本を読んだりしながらブルブルと震えが来るのを待つ。途中うとうとしたりしながら頭に振動を感じると携帯を取り出し、メールを読んで地図を見ながら次の行程を考える。せっかく考えておいた道順じゃないところへ行く彼女に、「おいおい、そっち行ったらあとが大変やぞ!」って思ったり、バス路線考え直したり…そんなことを何度も繰り返すのが楽しかった。 自分は一度行ったことのある場所だけどあの人はどんな風に見てるんだろう?同じ光景を見たんだろうか?自分が食べたことのないものを食べていることにうらやましさ感じたり、思いっきり記憶をたどってこれはぜったい彼女が喜ぶ!って思う店を紹介したり。体は病院にいながら気持は京都市内を西から東へ観光地を巡る。夕方にはほぼ全部回りきって市内中心部へ…。朝から何も食べてないっていう彼女に記憶を振り絞って(笑)おいしいお店を紹介してあげて病院からのナビは終了。 たぶん。これが彼女にしてあげられる最後のことだったのかも知れない。具体的にいろいろ教えてあげたり役に立てることはもうないかもしれないな。 つい2日前、「(あなたに何かあると)ひょっとしたらもう会えないから」って会いに来てくれた彼女と会わなかった。。。すごく辛かった分、今日見た光景、触れあった人…ずっとずっと心の中に残しておいて欲しいな。一日に交換したメール、数十通! 一緒に手をにぎって歩くでもなく、同じ食事を味わうこともできなかったけど僕の気持はめいっぱい彼女に寄り添っていたつもり。精いっぱいのことできて幸せだった。 その日の夜、僕の案内について「ありがとう」ってメールしてきてくれてた。でも次の日、どうしても聞きたくてまた聞いた。「きのう君の役に立てたのかなぁ?」。「病気になってからいつもあなたには泣かされていたけど昨日はとってもありがとうって言いたかった」。 素直に、うれしかった。それと、その言葉に続けて、なお体を気遣ってくれる彼女にまた涙こぼれた。すごく嬉しかった。でもほんとはね……。
2004年07月18日
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発熱したりするとどうしても昼間寝てしまうことが多くなって、夜中に目が冴えているということがよくあるのです。人と話したりメール見たり刺激が無くても涙が出てくるのはこの時間帯で、一人でいろいろ考え事をしているとポロポロと出てきたりジワーッっとでてきたりします。それは悲しい涙のこともあれば嬉しい涙のこともあるんですよ。この間kikoちゃんが涙にはストレスを流す力があるって教えてくれました。しかも、涙にストレス物質を流した分、体内では抗癌作用が働くとか。涙ってますます自然なものだと思えてきた。
2004年07月10日
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入院中のメールは普段の数倍嬉しい^^。病院では携帯電話の利用は当然制限されるけれど個室では規制は結構緩い。で、自分が利用する医療機器に影響を及ぼす場合は命に関わるので自主規制(?)するけれどそうでないときは大目に見てもらえてる。副作用がきついとただ一日「生存しているだけ」状態の時がある。そういうとき枕の下に電源入れたままこっそり携帯を忍ばせておく。もちろんマナーモード。そして「その時」をじっと待つ。頭がブルブルっと震えたら即座に手を枕の下に突っ込んで看護婦さんにナイショで読めるしかけなんだ^^
2004年06月26日
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たとえ大きな病気でも、何かに感染したり、無理をして臓器に異常をきたしたり、大きな外傷を負ったりしたのなら自分の責任も納得できる。二度と繰り返すことが無いよう反省もしながら治療に当たれる。でもこの病気の責任は一体自分のどこにあるというのだ?。何万人に一人という確率だけで自分に降りかかってきた病気。「どうしてそれが自分で無ければならないの?」っていつも不運を思い知る。恨む。自分が一体どんな悪いことをしたというのか?どうして自分だけがこんな重荷を背負わされなければならないのか!…運命を呪って涙が浮かんでくる時がある。自然の穏やかな情景見るときによく自問してしまう。穏やかであれば穏やかであるほど深いため息をついてしまう。このあいだの御所も気持ちいいだけの場所じゃなかった。そして、この病気のせいで自分の思いを曲げなければならなかったときや、曲げなければならないとき、やっぱりこらえられない涙が溢れてしまうこともある。 副作用で気持までへろへろにさせられるほど強力な化学療法を徹底的に行っても体内のどこかに潜んでいるかもしれない異常細胞。。。そいつがまた動き出したら「ふりだし」に戻ってしまう恐怖に怯えながらの生活。一旦動きを始めれば一気に命を奪われることだってある。入院中に階段を転がり落ちるように亡くなっていった人、無事退院されたと思ったら1年もしないうちにもうこの世にはいなかった人もいた。 いつもいつも悲観してる訳じゃない。ほとんどの時間は前向きに自分の人生考えているし、バカなこと言ったりいろんな夢見たり人のこと考えたり世話したり自分なりにクリエイティブな仕事をしたりしているんだけれど、こいつを体内に飼わされている以上いつもすべてのことに、いつ来てもおかしくないエンディングを意識していないといけない辛さ…。 少し、普段の気持を吐露してみました。重たい気にさせちゃいましたね?ごめんなさい。何とでもコメントしてくださいね。 でも、今回の入院で違うのはいっぱい人の温かさ感じること。入院する前彼女がいっぱい動いてくれた。今度もhpただ作っただけだったのにあっという間に人の輪ができた。発熱やしんどさでただベッドに転がっている姿だけ見れば前回と何も変わらないけれど、いろんな人の温かい心感じながら目を閉じると体のず~っとず~っと奥の方から力が湧いてくるような気がするのです。
2004年06月24日
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(ホントは24日の日記!)2,3日したら抗ガン剤の影響で免疫力が低下するので部屋の出入りが制限される筈です。しばらく監禁状態(?)になるわけです^^。あるいは「独房入り」といってもいいかもしれません(笑)。なので少しふらふらしながらだけどネット繋げにきました。知らない間にあちこちで事態が進展していて驚きました。あれから3日しかたってないのにさらに100人以上訪れてくださった勘定デスよね。それに10人近い書き込み…。kikoちゃんが呼びかけてくれて、それに答えてくれる人がいて、またそれにお礼を言いにその方のサイトへ訪れたり、これをきっかけにリンクしてくださったり…。やっぱり「涙」でした^^。ネット社会の暗部ばかり報道されているようですが、僕自身はこんな体験初めてでネットだからこそ見つけられた人の輪の暖かさに改めて感動しています。
2004年06月23日
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僕は恥ずかしいことにこの歳になってもすごく涙もろくて、こみ上げてきてしまうと人前でも出てくる涙をこらえることができません。点滴の薬と相性が合わないと何もかもやる気が失せてしまってただベッドの上でほとんど横になったまま一日過ごすことがあります。今回はまだ我慢できるので部屋から外へ出てネットへつないでみました。自分のページを見てびっくり。アクセス80!書き込みまで。談話コーナーにはまだ人がいるのに溢れてくる涙を押さえられませんでした。みなさんありがとう。kikoちゃんありがとう!!
2004年06月21日
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何度か劇薬の抗ガン剤の点滴経験して、体の中で薬が異常細胞を攻撃している感覚を実感できる気になってきました(笑)。怪我をしたときに塗られるイソジンが傷口にすごく沁みるように、打撲のじんじんする痛みにしばらくは耐えないと腫れが引かないように、抗ガン剤の副作用があることが快感に感じられるこの頃です(少しウソです^^)。でも気持ち悪ければ気持ち悪いほど効いている感じがするのです。変でしょ?
2004年06月17日
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2日間の外泊を終えて病院へ戻りました。院外は万緑の季節。僕の住む京都市のど真ん中にある京都御所は溢れるばかりの緑。数十ヘクタールはある京都御苑の公園に平日は人も見える範囲に数人しか見えません。こんな景色を独占していいのかなぁと罪悪感さえ感じてしまいそうです。6月の燦々と照る太陽の光があちこちに木漏れ日と影を映し出しています。でも、その夏至近い高さから降り注ぐ熱線をぜんぶ吹き流していくようにすがすがしい風が吹いていました。何もせずにそのこぼれそうな緑と光と風に身を任せてしばらくたたずんでいた僕でした。でも、外泊の2日間は「あっ」という間に過ぎてしまいました。また、缶詰の毎日が始まります。
2004年06月14日
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