やっぱり日々の思う事

2012.05.31
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意識はドンと安定感のある四角でもなく

たぶん球のような形なのだと思う
ボールの形
だから行ったりきたりする

いつも意識がある場所というのが
お皿三つが乗るくらいの
おぼんのような場所でしかないと思う。
でも心そのものの大きさは宇宙ほどでそれは無限なんだと思う。

その上を意識のボールがいったりきたりしている

心の宇宙には上も下もなく
私が今いるこの世界の物理学に支配されておらず
たとえば重力など無論ないのに
ボールはいつもあたかも重力があるかのように振舞って
おぼんの上をいったりきたりしているのだと思う

ボールはいつも本当は自由にもかかわらず
演じて、精密に、自らを縛っている
本当はどこまでも自由なのだとしっていながら
なぜか

なぜ人はもっとももどれない幸福な瞬間を覚えているのに

脳が壊れて快楽を求め続けるように進化?退化?変化したのに
なぜ二度ない幸福な瞬間を抱えて生きてゆけるのだろう
記憶を残したままに息ができるのだろう

もどれない幸福な瞬間は
もどれないという痛みで

幸福であればあるほど
傷は深くなっていくのに
それがどんなに幸福な瞬間だと新たに認識すればするほど
それは新たにえぐれた傷になるというのに
幸福な瞬間を知らない人のほうが
今この瞬間は幸福である率が高いなんて

そこにとどまりたくても時間の流れに押し出されていく
とどまりたくてもそれを許されず身体を押されて
追い出される

時々傷を負うことを分かっていて
ボールを自由にさせるときがある
幸福な記憶にもういちど浸しに行くのだ

ある人はゲームの中やインターネットの中
音楽の中や映画の中なのかも、ギャンブルやセックスかもしれない

意識のボールはスカスカで頼りない
ティッシュペーパーのような繊維でできている
普段のおぼんの上に適度な水分があって潤っているボールであればいい
でももし今、このおぼんの上が乾燥しきっていたら?
かろうじてそこに存在している乾燥しきったボールだったら?

幸福な汁に浸ると自分が動けなくなるまで意思もなくその汁を吸い込むのだろう
スカスカな繊維が隅々まで水浸しになって溶けてしまいそうになるまでずっと

そして現実にもどろうとするとき
その汁を乾燥させねば動くことができず
仕方なく乾燥させる
その時のその苦痛の名前は「強烈な切なさ」というのだと思う

なぜ人は生きてゆけるのか
なぜ。
たぶん人はとても強力な、自らを麻痺させる薬を持っているからだと思う
その薬の名は
「しばらくは死なず」
「いつかは成功し」
「大切な人はあまり失わず」
「水浸しになるほどの幸福にいつ浸れるかもしれないから」
なのだと思う。

つまり、たぶん、こういうことだ

生きる力=麻痺する力

でも私はこんな品のないものでなく
無になる力がほしい。
重力のあるふりなんてしたくないし
おぼんんもいらない。

無になることは自らを潤す力を持つことだと思うから





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最終更新日  2012.05.31 15:29:28


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