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新聞で。ハワイは年に7センチずつ日本に近づいていて8千年後に日本にくっつくんだそう。100年後の心配はするけど8千年後の心配はしなくていいって感じがするよな。遠すぎるし、何が起こってるか想像つかないし。8千年後の人は環境を台無しにしたってでも何もしなかった、って8千年前の人に怒りを覚える可能性もあるけど。何年先まで心配して、今を生きたらいいと思う?東京経度 : 35.6894緯度 : 139.6917からウクライナまでの物理的な距離。自分より半径何キロを自分事としてして生きたらいいと思う?100年後の日本と今の戦場どっちが遠い感じがするだろう。100年後の日本と隣のお家の今とどっちが遠い感じがする?自分に問うてみる。
2024.04.10
ハンガーの束がカラフルで目にうるさかった。かといって貧乏性なので使えるものを捨てる気にもならず。とりあえずそのまま使っていた。洗濯機上のハンガーポールに。これで1年。先日、心が、ふとそちらに向いたのでハンガーの位置を腰の高さに収納できるようにDIYした。4ミリのアルミ棒(400円くらい)をホームセンターで買う。4ミリは道具なしの人力で90度は曲げられない。曲げる用の道具は高いから買わない。ネットの先人の知恵を借りながら夫と二人がかりで非常に不器用に曲げる。できた。洗濯の作業へのハードルが爆発的に下がった。いい。思っていたよりもすごい効果。作業中、手を肩より上に上げる数のないすばらしさ。私は小さな事が気になるという強さ。夫は小さな事は気にならないという強さ。事象によっては真逆になる。どっちも強さで大喧嘩も勃発するけど仕方ない。違う強さを持つ人が近くにいるというのは心強い。最近は色々便利になって「手伝って」って言う事がうんと少なくなった社会。手伝ってって言わなくていい便利と人とのつながりが消されていく不便と。いつも何か、表裏。
2024.03.05
としをとって新聞を読んだり元家族が病んだり私はうっすら哀しい。かわいい息子がいて昨日イチゴの苗を人生で初めて植えたってのに今日もおいしいごはんを食べられたってのになんだか哀しい。ホルモンか。前はもっと世の中にどかんと作用する何かがあるはずだって世の中にはかしこい人が一杯いるから皆で力を合わせれば、なんて。戦争なんてやらかした人間は正の力だってつかえるんだって。なんだか漠然と楽観的に何かを信じていられたのに年をとって私自身はうんとパワーアップしたのに周りの世界がよく見えて来て何もできない事がはっきりしていく感じ。母は若い時からの被害性妄想が悪化して集団ストーカーは止まないらしいし兄も脳の構造が似ているのか、年々、母に寄ってきて、父母に謝れ、謝れとやっている。兄、48歳。誰も信じられなくなった二人は「資本・金」だけに愛着を持って目の前の人間に目を向けない。本当の奥底では何かを見ているんだろうと信じていたけどもうそれもあやふやになってくる。裏金問題の記事は税金払ってる方はしらなきゃいけない事でも心底うんざりする。近所ではだれが望んでるのかよくわからない巨額の公共工事が続く。遠い国では戦争が続く。あんなに反省しても繰り返される。戦争はいやだ、二度とごめんだ、って権力者はちゃんと権力で伝えてくれよ。なんの為の力なんだよ。岸田さんは冗談みたいに新聞に叩かれている。冗談の人だ。愚か者の指の下には核のボタンがあって。日本の下にはグレートな断層がある。ショック・ドクトリン?どうでもいいものに目がくらんだ人が支配できる世界。肝心のアートが共有されていない。金儲け主義で作られるドラマはやる気をそぐだけ。この世界にこのまま息子をおいていくんか、と思う。置いていったらいかん、と思う。死ぬまであがかないと、と思う。1億6000万年の恐竜の歴史をおもう。たったの薄っぺらい人間の歴史と比較する。素晴らしい毎日の隣でホルモンか。
2024.02.21
幸せって「ザ・幸せ」ばかりイメージされるけれど。例えばやれ家族やれ恋人やれうまいもんやれお花見そうじゃなくってそれだけじゃなくってああ、これって最高な事だったって後からやっと気が付く事も結構ある。気づくのは結構なお仕事。だからきがつかかないまま通りすぎている事もたくさんあるのだと思う。だからそれを見つける職業の人が必要昔むかし、清少納言が「いとおかし」と連発してああ、そうだそうだ、そりゃそうだ、って気づかせてくれたのはだからすごく、素晴らしい事。(余談だけどおばあの脚本家が「がんになった時、物語なんてどうでもよかった。死にそうな時に芸術なんてどうでもいいの」だの最近はそこそこ有名な若者俳優が「僕らの仕事って命にかかわる事じゃないですか、それでも~」みたいな事を言っているの聞くとはらわた煮えくりかえる。一般人が言うのはいい。でも職業にしてる人がそんな風に軽んじていると、マントルのごとく怒りがわく。そんな風に考えているのなら、今すぐその仕事をやめてくれ、とできぬならせめてそれを恥じて、死ぬまで隠し通してくれ、演じ通してくれ、と頼み込みたくなる。創造物がなきゃ、人間はすぐ死ぬだろうな、と私は思ってる)そして私も今日、ああ、そうだった、と気が付いたのは今まで感じていたのに気づいてなかった至極私的幸せ。小1のムスコの頭を刈るのは結構面倒だ。でもその後の何が楽しみって出来上がった頭を見るよりその髪型について息子の評価を確認する時よりもっとすごい楽しみって風呂で髪を洗ってドライヤーで乾かす時。指を通る髪が昨日よりずっと早く終わるぜ髪がいつもうより断然早く乾くぜえ♪という時。髪を切り終わるとそれを楽しみに、めんどうな撮っ散らかった髪の片づけもできるのである。うおー!
2024.01.04
どっか、別のとこにブログを書いていたんだけど、それも放置しすぎてなくなっていたのでこちらに時々書くことしようか、と。そしてなぜか大量アクセスがある日があって、そんな日は何が起こっているのかな。それにしても楽天ブログはいつまでもなくならない。すごいなもっと日々、色々思っている事を垂れ流してこればよかったな。皆さん、そうされるよう。さて、あの日、プーティン氏がやりおった時私の心にハンドルがあるとすれば、タイヤがあるとすればものすごくぐりんと回った。タイヤはドリフトして煙を上げてすり減った。世界のたった一人の心の動きが世界を終わらせる事ができる事を改めて実感した。それまではどこかで思っていた。平和を望む人が大多数だから。賢い人もいっぱいいるから変な世界の滅亡の仕方はしないだろう、と。なぜこれまで楽観的でいられたらろう、ととても不思議だ。わがままを通す為に歴史は簡単に操作され、利用される。怒られたとこで、大人風の態度でいなして終わってる。言ってる事は「いやだいやだいお前のもんは俺のもの!」なのに。そして私達はそういう世界って分かっていても生き方を変えられない。戦争のニュースで心に霧がかかったままでもどうしてみんなその話をしないでいられる、と思いながらも「いいプロジェクター欲しいな」なんて一方で思ってる。私の心は最高にしなってる。ミシミシしちゃってる。こんなにしなってたんじゃ、いつばりっと言ってもおかしくない。もっと柔らかでいなきゃ。心を一つに丸めておかなっきゃ、脳みそを丸めておかなきゃ。そんな時はめのまえの景色に集中すること。昨日の新聞、鷲田さんが間違えると「人生自体が『ミッション・インポッシブル』になる」と表現されていて。日頃思っていたことをちゃんと言い換えてもらった。昨日までの私の足りない表現力だと「人間偏差値75でやっと『普通』っぽく生きられる」だったけど。M:Iの方がしっくりきますよ。いや、もう、おぎゃーってこの世界に生まれた時点で全員が『ミッション・インポッシブル』に参加しちゃってんだと思う。♪で、で、でで、で、で、でで♪今小学生のムスコを初めて家に連れて帰るとき、窓の外の不思議そうに見つめるおじいちゃんのような目。それを見ながら、産後のホルモンのせいもあって泣けた。あの時はそう、まさに、いきなり『ミッション・インポッシブル』に放り込んでごめんよ、だった。ホルモンと正気の狭間だね。
2023.11.06
実際使ってとてもよかったものだけ紹介しようと思います。もうかれこれ5年くらいたつでしょうか「ホット脚入れヒーター」机で勉強しようにも足元さむけりゃ集中できません。ということでこちら。値段ははりますが買ってみました。洗濯機でまるあらいしても何の問題もなく5年目突入。さすが日本製。値段だけの価値は十分あります。足元が安心って大事です。めちゃくちゃ重宝しています。色は三色から選べたりして。ダニ退治、室温センサー、丸洗いOK!【送料無料】【なかぎし】 日本製 ホット脚入れヒーター NA-21SHZ(DB) 下半身をすっぽり包んでポカポカ暖か ホットヒーター 【沖縄・北海道は除く】 【smtb-tk】ダニ退治、室温センサー、丸洗いOK!【送料無料】【なかぎし】 日本製 ホット脚入れヒーター NA-21SHZ(FP) 下半身をすっぽり包んでポカポカ暖か ホットヒーター 【沖縄・北海道は除く】 【smtb-tk】ダニ退治、室温センサー、丸洗いOK!【送料無料】【なかぎし】 日本製 ホット脚入れヒーター NA-21SHZ(BE) 下半身をすっぽり包んでポカポカ暖か ホットヒーター 【沖縄・北海道は除く】 【smtb-tk】
2014.02.22
毎日今日この瞬間こそ人生のどん底であればよいと願った人生の最低であればよいと願った下がっても下がってももっと下が笑いながらやってきた息もしたくなかった立ってるのもやっとだった目を開けているだけで時間だけは前に進むのが不思議だった太陽が昇るのが不思議だった月がきれいなのが不思議だったあなたの笑顔がただ苦しかったかつてのきれいな記憶こそが悩みの種そのものだった苦悩のない人生はクソだそれが分かってもなお開き直る事もしきれなかったでもそれも終わりそうだ。出口を抜けるというのに何の感動もないなぜなら目前に見える進むべき道はそれが暗闇なのか光なのかも分からないからだでも私は前へすすむ。逃げるように前にすすむ。進め。進め。進め。すすめ。
2012.10.23
近所に有名なラーメン屋がある。昼、ラーメン屋の行列にならぶ。後ろの男が津田寛治じゃないが、津田寛治の声でしゃべり続ける。「…だからありがたいって感謝することで、自分も相手にとって…」「本当にここのラーメンは週に3日食べるね」「100人には紹介したね」「俺のもうかなー、飲む?」 「いえ、今日この後約束があるんで」かわいい女子が応える。このむさいアラフォーの、説教くさいことをしゃべる続ける男に、なぜこの美人が?と思っていたが、やはり。お付き合いはないらしい。ごめん、少し気分がいい。「いやあ。最近俺、会う人いい人ばっかだな」「で、結局自分に帰ってくるっていうか」私は黙ってきいていたが斬新だった。ずっとポジティプなのにずっとうっとおしいのだ。やっとラーメンにありついても運の悪いことに男が隣に。しかもやたらとなれなれしく店員に話しかけるが予想通りの反応の薄さ。そしてその会話の中に、ふとあの言葉が出てくる。ねずみ商売の会社。ああ、そうか。この感じはあそこと通ずるのか。別にその社を軽蔑しておらん。何せうちの親父がウン十年やっている商売もその気がある。あと、悪意はないが、私の友人の中でもっともアホなやつが「やってみよっかな」と言ったくらいである。とにかく、この細面ひげボーボーの津田寛治声の男とこの奇妙な感覚とあの社に対するイメージがぴったりと重なる。世間ではネガなモデルが旬だがポジとかネガっつうのは人の形を決めるのに思われてるより後の方なんじゃね?ラーメンはうまかった。うれしくないけどこいつとラーメンの趣味は同じ。これは認めよう。裏ばっかりいく天邪鬼にもなりたかない。身に起きた事だけその瞬間を感じて生きていけばいい。
2012.10.21
満たされた人はつまんないな。満たされた人がやさしくたって。満たされた人が成功したって。今いち迫るものがないよな。これは完全に趣味の問題なんだけど。
2012.10.10
ちの親はいまだに熱い授業をしてくれる。今回の授業は「グロテスクとは」グロテスクは殺人現場とか売春街にあるんじゃないよ。両親のとなり良心のとなりだからクソグロテスクなんですよ。学びました、師匠。
2012.09.09
たとえあなたをたくさん傷つけたとしてもあなたを好きだと気づけばよかったいつかあなたを大嫌いになったとしてもあなたと一緒にいればよかったその別れが死ぬほどの痛みになるとわかっていてもそれでもあなたとの一瞬を生きればそれでよかったのにその一瞬の閃きこそが一生分の一大事だったのに」
2012.08.19
とってもドライで男前な私の女友達はフェイスブックで夫とつながっていない。「プライベートでまで旦那とつながりたくない」と言った。なんて的確なんだ。そういう彼女は旦那とべたべたでないが真に信頼があるかんじ。「夫婦でイイネ!とか信じられん」と彼女。ま、そうだよね。そういう私も旦那とはつながっていない。なんか恥ずかしいというか、違和感というか。彼女が言わんとしたことがよくわかったのは家族っつうのは「プライベート」のもっと内側のものなんだ、と。逆にね。その領域、新発見だ。
2012.07.28
中学生が自殺した件でいじめたとされる生徒の情報が晒されまくってますが晒されまくってることに若干快感を覚える自分に驚くがあかんあかん、晒されてるのは中学生や、と抗ってはいるものの……。よく、言いますね、いじめられるほうにも訳があるとかなんとか。いつか課外授業ようこそせんぱいでもいじめをテーマに授業したら生徒のほとんどがいじめられる、いじめる、、見てみぬふりの経験を持っておりそれで心をいためていていた、という事がわかった、となっていた。その中でいじめている方も苦しい、のような隠れテーマもあった。まあ、いじめてるほうもくるしいのは、まあ、何か苦しいからいじめるんでしょうが、いじめられてるほうと同じ土俵で話す事じゃないんだよね、それ。もし、いじめられてるほうに訳があるなどと主張したいなら聞く時はこうだ。「いじめを苦に自殺した」のがいじめてるやつといじめらてるやつの割合が半々の時だ。いじめて苦しくて死んだ人はいますか?
2012.07.07
わたくしという人間についていえば世の中にはありあまる大問題があるというのに目の前に蚊一匹が現れただけで心の円グラフが98%蚊で埋め尽くされるようなそういう性質だいつか何気なく信じ込まされた理想は小さく小さく意思を持って折りたたまれ折り目ははげ開いて一生懸命のばしたところでとうに元にもどることなどできなくなっているけれどわたくしという人間は今、たぶん、やっとわたくしという人間がこれほどのものだったのかとすこしずつ気づきかけているところだ自分と言う人間は遠くからみえるのではとブルジュ・ファリファかスカイツリーかと思っていたところへ目前の顕微鏡を見たらああ、この中でしたか、とプレパラートの位置をやっと調整してるくらいのそれくらいのそう、それくらいのそれは見事な勘違いだった
2012.06.29
己の世界の淵から下をのぞきこめば君はその瞬間幸福だし上を見上げれば君はその瞬間不幸なのだろう本当は上も下もないのかもしれないとうっすら望んでいるのにゆるがないあまりにもゆるがない絶対的な価値観に僕らはほとほと疲れきるうらやましいねたましい僕のがましだかわいそうに誰かにいってやりたいあなたは思っているよりずっと幸せであなたは思っているよりずっと不幸なんです、と。そこには何もないのに本当はなんにもないのにただ眼前の、この瞬間が、あるだけだけなのに見上げたり覗き込んだりする浪費から逃れたい逃れたいもうそんなことはしなくていいのだと穏やかに私に教えてくれるのは道の石ころで誰かの落書きで風にゆれる6月の道草なのだそして私がおろかにも狂い続けても教え続けてくれるのだ何度も何度も教えてくれているのだ
2012.06.26
あらゆる創作物は心の「分泌液」でなければならぬと思う。出してるんじゃなく出ちゃってるのである。たとえば芝居も演出も文章も絵画も音楽も
2012.06.21
既成の概念や自信を汚されるのは勘弁してほしいが奪われるのは好きだ奪ってくれるものに興奮する励ましてくれる人には感謝する。でも与えているつもりの人には注意する。大して痛みを伴っていないなら与えているものもその程度のものだ与えるとき失って痛いのなら与えているものはそれ相当のものだ私はあこがれる私は絶賛する
2012.06.05
意識はドンと安定感のある四角でもなく三角でもなくたぶん球のような形なのだと思うボールの形だから行ったりきたりするいつも意識がある場所というのがお皿三つが乗るくらいのおぼんのような場所でしかないと思う。でも心そのものの大きさは宇宙ほどでそれは無限なんだと思う。そしてその中を不安定なおぼんがふわふわと浮いていてその上を意識のボールがいったりきたりしている心の宇宙には上も下もなく私が今いるこの世界の物理学に支配されておらずたとえば重力など無論ないのにボールはいつもあたかも重力があるかのように振舞っておぼんの上をいったりきたりしているのだと思うボールはいつも本当は自由にもかかわらず演じて、精密に、自らを縛っている本当はどこまでも自由なのだとしっていながらなぜかなぜ人はもっとももどれない幸福な瞬間を覚えているのにそれからずっと遠ざかったまま生きてゆけるのだろう脳が壊れて快楽を求め続けるように進化?退化?変化したのになぜ二度ない幸福な瞬間を抱えて生きてゆけるのだろう記憶を残したままに息ができるのだろうもどれない幸福な瞬間はもどれないという痛みでむしろ深い傷そのもに変わってしまっていくのに幸福であればあるほど傷は深くなっていくのにそれがどんなに幸福な瞬間だと新たに認識すればするほどそれは新たにえぐれた傷になるというのに幸福な瞬間を知らない人のほうが今この瞬間は幸福である率が高いなんてそこにとどまりたくても時間の流れに押し出されていくとどまりたくてもそれを許されず身体を押されて追い出される時々傷を負うことを分かっていてボールを自由にさせるときがある幸福な記憶にもういちど浸しに行くのだある人はゲームの中やインターネットの中音楽の中や映画の中なのかも、ギャンブルやセックスかもしれない意識のボールはスカスカで頼りないティッシュペーパーのような繊維でできている普段のおぼんの上に適度な水分があって潤っているボールであればいいでももし今、このおぼんの上が乾燥しきっていたら?かろうじてそこに存在している乾燥しきったボールだったら?幸福な汁に浸ると自分が動けなくなるまで意思もなくその汁を吸い込むのだろうスカスカな繊維が隅々まで水浸しになって溶けてしまいそうになるまでずっとそして現実にもどろうとするときその汁を乾燥させねば動くことができず仕方なく乾燥させるその時のその苦痛の名前は「強烈な切なさ」というのだと思うなぜ人は生きてゆけるのかなぜ。たぶん人はとても強力な、自らを麻痺させる薬を持っているからだと思うその薬の名は「しばらくは死なず」「いつかは成功し」「大切な人はあまり失わず」「水浸しになるほどの幸福にいつ浸れるかもしれないから」なのだと思う。つまり、たぶん、こういうことだ生きる力=麻痺する力でも私はこんな品のないものでなく無になる力がほしい。重力のあるふりなんてしたくないしおぼんんもいらない。無になることは自らを潤す力を持つことだと思うから
2012.05.31
満月も過ぎた昨日。しかも14時すぎ。ファミレスで仕事してました。映像の脚本ね、R15のね。振ってる腰が映ってなきゃいいよ、ってね。色々ネタを考えているとき。前の高校生カップルが怪しい雰囲気ではあったけどね。ほら、4人席で隣あって座るバージョンね。そして二人と4Mくらい離れて向き合って座ってる私。私の前には配偶者が向かい合って座っている。これは私がいい年こいた女だからありえた状況だったんでしょうけどね。太ももに手とか置いてたんですけどね。さわさわしてたんですけどね、これ、はどこまでいくかしら、という雰囲気だったけどねついに女子高生の足が男子高生の足に乗せられてね。見えないようにという気を使ってはいるが、モロばれだよね。だんだんもりあがって乳もみ。私からははっきり見えるのね、カーディガンの隙間を手が通過。ボタンの隙間をまさぐってんのがね、そうね、1時間くらいかけてついに指入れてたんだよな……。髪をなでながらね。男が「いたい? 痛い?」と聞いているらしく男が耳元でささやくたびに女がそのたびに首を振る。時々、このおばさん、気づいてないよね、という感じでチラチラみてくるんだけどね。もうなんつうの。この世界。カップルの両隣にはお客さんもいるわけでね。男の子は韓流で、ちょっとチャラさもあり、女子高生は肉感、健康的でごく普通。私のような、こんな状況に陥ることがあるのか。私がおっさんだったらあそこまで大胆に行わないであろうし前に旦那が座ってたから微妙に見えすぎる事もないだろうと侵攻したんだわな。もう満月も過ぎたってのにねえ。しかしよくよく考えるとすごく不思議だな、と。お客さんは結構いたのに指いれたり、乳さわったりしてる長い間、そこを人を通る事がほとんどなかった。お客さんも。店員も。まるであのワイセツ行為に世界全体が協力しているようだった。私は私でそのネタをあるシーンに書き付けた。……人にはそれそうおうの事件がおこるとまじで本当に思うのです。
2012.05.08
仕事でね、隠れボスが出てきたよね。想定外だねよね。よっしゃ納品やあ!となった後にボス出てきて全部壊されたよね。これまでも何度もやられたけどね。ゼロどころじゃなかった。わての仕事を積み木ブロックとしよう。100を完成とするとね。0→95→30→100でマイナス20になったよね、さっきね。もうバイーンとね。でも気がついたことあったよね。私もマイナスにしたかったんだっけ、ゼロのときって。私も最初ここに作って、言われておきながらここには無理じゃね?っておもってたのに新人だしな、と黙っていた。我慢して100までつんじゃったのがよくなかったわ、と。そらぐらぐらだわ。家でいうとね、ここ液状化するよね、って言いながらそこに家たてちゃった、みたいな事だよね。だからゼロだからってなめてはいけない。本当のゼロって探すの結構難しいよ。発注されたときってつい浮かれちゃうから気をつけんとな。
2012.04.27
名古屋の小学校1年生の時から一緒だった連中と新宿で会った。といっても小6までとか中3までとかは一緒だった人達で。一人マメな友人カメラマンがいて、つなげてくれた。男二人。女三人。東京にいるのは私と男カメラマンのみ。まず行ったら、「おぼえてなーい」と言われる。えへへ。その子は小2の時に転向してきた子でまあ、たぶん小2を数ヶ月ともに過ごしたはずの子。千葉から来て、千葉へ戻ったらしい。私は彼女に関するいくつか覚えていた。よかった。彼女はシャネルのスカーフを巻いてカルチェのリングをして一児の母で、主婦でそこは西武新宿駅なのにJR新宿駅までタクシーに乗ろうか思案していた。もう一人は数ヶ月前にあったニューヨーカーで、今度マルセイユでイギリス人と結婚しきあげるの、という人でヒーティックが売れてるよって、ヒートテックの事いって、皮パンはいてたよね、黒の。そんな二人にノーメーク、言えばビニルの「ズタ袋」を持った私、33歳。何より先にかわいそうな目で見られる。えへへ。ごめんね、気使わせて。そこへ男子登場。先のシャネル、「覚えテナーイ」と再び。バカだったから、と連発してる彼女だが、あ、そうだ、彼女勉強苦手だったっけ、とほんのり思い出す。そして覚えてないことをそんなに明るく言うこの人は善人だな、と思う。その男子はものすごい赤ら顔、つうか酒やけ風でずんぐりむっくりで毛が濃く、一気に女子のテンションが下がるを感じる。しかし、彼は医者である。その後、新聞社カメラマンの友人も加わり、会が始まる。その中でもっとも印象深かった話。当然昔話をするのだが、その中でなぜ、あの子とあの子がもてたのか、という話になる。私とカメラマンで「ボインだからに決まっている」と盛り上がる。女の子達は「えーそんなの見テナーイ」となる。私はハタとなった。その子はアホだから覚えてないのか私が女が好きだから覚えているのか。そんな軽いショック症状の中。ボインの話で盛り上がっていると医者が言う。「でも、その時俺はベキリンソンが好きだったけどね」空気が凍る。おい、医者よ。何せ、ノーメークかわいそうなズタ袋女を不細工なおっさんが好きだったと言っているのだ盛り下がらないわけがない。ボインの話の中で「でも」から始まることでわかるように私は小学6年生で130センチしかなかったような、胸って何?というような状態だった。(今は平均身長)私はもちろんその事を知っていた。直接言われたこともあったし彼の母がうちの母に「うちの子がベンソンちゃんを好きで好きでねえ」と言ったらしい事もあった。でもって「小6のとき、覚えたての英語使って一度ILIKEYOUってメッセージに書いたんだけど後にLOVEって言葉がある事を知ってすごくショックだった。そう書けなったことが」という。更に盛り下がるよね。「なんで好きだったかって理由なんかなくて、見てるだけでいいって言うか」ニューヨーカー、テンション下がりきった声で言うよね「ストーカー…」で、なんとなくトークを切り抜けていってバレンタインの話で花が咲いてニューヨーカーが「私のチョコへたくそって超バカにされてサー」なんてあはは、なんてやっていたら医者が「俺はベキリンソンにもらえなかったことを覚えているけどね」……再び一同豪雪地帯だよね。そんな医者も二児のパパかつ、今度双子が生まれるって言うし、家族連れでアメリカの病院へ留学もするっていうし、えらいと思う。帰りの電車、出張で東京に来てた彼となぜか電車がしばらく一緒で。しんみり少し話しをした。家に帰ってきて私が考えたこと。ありがとうっていえなかったなって。人生で一番後悔することってこれだって、気がついた。勇気を出さなかったことや頑張らなかったことだまされたことたいしたことない。悲しいのは「偽った」こと。愛は小さなときから存在すると私は知っているからあえて躊躇なく使わせてもらうと彼は人生の前半で、たぶん、一番私を愛してくれた人である。私は愛した人達の事ばかり考えていて愛した人たちからの影響ばかり見つめていたんだけどそれはとても横柄で傲慢なことだな。小学生ながら彼がずっと私を見ていたことを知っていた。彼が私を理由もなく認めてくれて小学校卒業してからも電話をくれたりして私は彼を誠実な人だろうと思っていたし、好きだったんだと思うけどただ、彼のいかにも男女っぽい「つきあいたい」という気持ちにはまったく応える気にはならなかっただけだ。ただそれだけの事だった。私は彼に対して常に鼻くそほじってるような態度だった。余計な気を持たせるのは悪だと思っていたしそれでいんだと思ってた。深く話したこともない人間をそこまで愛する事ができるのかなんてまったく信じられないと思ってたし。ほら、よくあるじゃないの。私の何を知ってるんだよって、さ。若気のなんとかで。私、間違えてたな。鼻くそほじってる態度は悪だった。私は誠実に想いを説明するべきだったしそしてあんなにいつも好きだ好きだといってくれたことは私の情緒をどんなに安心させてくれてたんろうってやっと気がついた。家族がクソだった時代。学校で友達だけが救いだった時代。あなたがいたから私はたぶん、ずっと安心して生きていられたと思う。未来を楽観することさえ、助けてくれただろう。「相応」な態度が取れなかったことその時その瞬間に故意に誤答を返し続けたことこれは現行の痛みで、傷そのものだ。偽ったことはこの世で一番後悔すべき事で嫌悪されるべきことで、疑いのない悪だ。自分をふくむ世界のすべてを裏切る行為だ。大げさに聞こえる?ほんじゃあ、君はまだ気がついていないのだ。あんときまでの私のようにね。ごめんなさい。私を認めてくれてありがとうね。いつも見ていてくれてありがとうね。あなたが好きでいてくれて怖いことは何もなかったし自分勝手なことも何一つしなかった。ただ、好きだと伝え続けてくれた。どんなにそれがすばらしいことだったかどんなにそれが貴重なことだったのかおろかな私は20年もたってやっと気がついた。ありがとうって。目を見て言うわ。そして詫びるわ。次に会えたならね。今の幸せな君には迷惑かもしれないけど私は今、長らくの証明を経て、やっと君に正答を返すことができる。
2012.03.25
昨日はなんとなくいろんな人に連絡してみたくなる日だった。妊娠中の友人やら家族サービス中であろう兄やら二つ駅が隣の大学時代の友人やらごうかんみすい起こして起訴された元後輩やら一酸化炭素中毒で死んだ古い友人やら……このうち二つは変なのだから特筆の必要があるだろう。ごうかんみすい野郎は、私の後輩だった。いつかの日記にも出てくるだろう。ずっと前、会社を辞める日、荷物を車で運んでくれた、そいつだ。色々書くと大変だから書かないけど皆、私より仲のよかった人たちが、もういいよ、あいつは、って言うけどそれは仲良かったからってのもあるだろうが、未だ気になって仕方がない。だって聞いてみたいじゃない。あいつに3年はやめるなよ、って言ったんだよ。自分がやめるとき、えらそうに。不器用で、出世も遅くて、おわらない徹夜を5年以上やってやっとディレクターになりかけてたのに。お前、なんであんなことしたの?なんでずっと好きだった子に変装して怖い思いさせたの?メアドはなくなってないようだが、返信はこない。起訴された人間てどうなってんだろうなあ。そもそも牢屋にいるのか、外にいるのか。携帯はなぜ生きているのか。基本的なことが何もわからない。でも、お前がメアドを変えてないことはわかったし。誰かがお前の携帯の料金をなんとかしていることもわかった。もう一人。2年前の正月間近、原宿の片隅、火事で死んだ。その名も今泉。変態の友達。仲直りしたばっかで、でももうかれこれ13年も友達だった。今でも思うけど、あんたを理解してた人間のランキングで俺相当上位だぜ。センチメンタルな俺の知らないあんたの友人があんたの学生写真みたいのwebにのっけて手島葵のyoutube貼ってて笑った。だって、ジャマイカ人になりたかった金髪ちゃんねー好きのヒッピーもどきだったのに。友達、やさしいな。もう、つながらないはずの電話なのに、昨日は呼び出し音が聞こえてびっくりこいた。すぐにやべって切ったけど。なぜかすぐにコールバック。液晶に「今泉」callingなんか、やっぱ、生きてんじゃね?って思って。死んだの新聞で知っただけだから。でも、出たらやっぱり全然違う人でおばさんかおじさんか分からないような声だった。「もしもし?」「……あ、すいません、あの、間違えました」と俺。「あ……ごめんね」そう言って電話は切られた。ごめんね、か。今泉が言ってくれたのかもな、って電話切った後、胸がドキドキした。今泉死んでごめんねって言ってくれた?電話出れなくてごめんね、ってこと?なんてな。この先死んだ人の番号、知らずに使うことになる人が増えるんだろうなってどんなかしらない誰かの番号もらった人がまたもやセンチメンタルな友人が死んだやつをコールするのを受け取ったりするんだろうか。俺もやっぱり今泉を理解してなかったか。♪センチメンタルコーーリング♪byイヨちゃーん
2012.03.05
私なりの人生評価定規。一つはいかに死んだら泣く人間が作れるか、だと思うている。いかに泣かれるかではない。一般的には死んで泣かれる方がエラそうだが。死んだ本人が満足したかどうかはわからぬ。もし、死んでなかれる事を大事だと、世の中のためだと生きようとする人がいるなら求められてなんぼだと、そう思う人がいるならそれまじっすか、と問いたい。簡単な方に流れていやしませんか、と。よく悪いことを「人のせい」にしてるというけれどいいことを「人のせい」にとはいわんが。そういう人たくさんいるよ。自分の求めるものを面倒くさいから考えずに「人のせい」にして答えを出す。あんまり好きじゃない。
2012.03.04
ふとねぼんやりだけど確かに思うことあって。さんまってすげえな。と思いました。あのヒトがいじる人たちって世間じゃ完全アウトだろうって思うんですよもうすぐ小学生だっけ?とかダイヤモンドユカイとか話聞いてない女優とかとんでもギャル達とかたぶん、絶対友達になりたくない人々ね。でもさんまさんね笑いながら彼らとかかわるよね。かかわり方をね。おもしろがりかたをね。どこまで言っていいかをね。政府がくそまじめにいじめをなくそうなんてやってもつうてもいじめたいもんはいじめたいでしょう。でもいじめという事象に対して一番でかい大きな声が出ているのは、現実の結果、彼な気がする。しかも、それとは絶対わからない遣り方で。日本全国のおちゃの間の飯食ってパーフェクトにリラックスしたひとたちのふところにそっとどっかと。
2012.03.01
父は将棋がうまい。私はこまの動かし方を確認しないといけないレベルだがたぶん、兄が長年本を読み、定石を覚えたところで30年たってもまだ、父の方が強いとこを見るとたぶんつよい方だ。そんな父が私にも布石をうつ。さっき電話があった。「おい、今、西の空に見える二つの星はなんていうんだ」星好きの私に聞く。私は調子にのってバカだからついでにベテルギウスやシリウスなんかもおしえてやる。そして電話をきってやっと気づく。いつものことなのに。そろそろ金のなくなる頃だ。明日かあさってには金の話の電話が来るだろう。気づくけどでももう前ほどは気をもんだりしない。私がほしいものは困らない程度にわかっているから。あんたの布石、しっかと受け取ったぜ。こんな年になって父の話しばかりするとは思わなかった。
2012.02.20
12日にブログの足跡機能がなくなってしまった。何気に2004年からやってるこのブログ。なんでこんな長く一定のペースでやってきたかそれは私にとってちょうどよい状態が保てたから一つ。本当の事がかける。 私の顔とこのブログがつながるヒトは二人。(一人は私が昔の会社にいたとき夜中に盗み見られた一人はもう、それこそ2004年くらいに知ったけど、もう見ている事はないだろう)顔がワレてると本当の事なんかかける訳ない。絶対ない。本当の事しか書きたくないから配偶者も知らぬ。親しい友人も知らぬ。 一つ。利害関係のない、全然知らない人が見に来てくれる事が確認できること。 ある意味で一つ目と矛盾かもしれんが。 誰かが見てくれてるというのは大事です。足跡で見れるほとんどはなんらかの機能で訪問跡をつけてるのとか中国からの巡回してるようなやつとかなんだけどそのなかにぽつりぽつりとあるんですよ。****(もちろんここは実際も星だけど).dionとかなんちゃら携帯から、とか。ああ、どっかのだれかががたまにのぞいてくれている、と。私の宇宙の片隅からの発信をみにきてくれている、と。で、それがあるからずっとここで書いてこれたんですなあ、あらためて。ありがとう。 で、以前と近い状態を維持できるなら、と、ためしに引越ししてみました。h ttp://bekirinson.blog.fc2.com/都合悪かったらまた戻ってくるかもしれませんが。そして思い立った時、ちょうどここの記事が600だったんだよね。なんかきりいいかな、と。これはちなみに601個目。それでは。ついてきてくれる方はまた近々。
2012.01.14
自分は33のメスで。結婚もしていて。「普通」は子供作るわけですがまあ、色々な事情があり、作ってません。彼の親からはさまざまなプレッシャーを受けます。「小児科が近い新築物件があったのよ。予約したから見にきなさい」とか。でも彼の母は本当に主婦としてすばらしい人なのです。彼が私と出会う前、スロットにはまって200万円の借金をこさえましたが全財産使って返してやりました。しかも彼をせめるでなく、「家族なんだから早く言いなさい」って。 対してうちの父親は年末、再び私から金を持っていきました。私の口座は700円ちょいの残高になりました。年の瀬29日に持っていくってすごい。母親はちょくちょく日記に書いてきましたがトンデモです。そんなうちの両親は子供に関してうるさくありません。 母親と最近話したところ、「作らなくていいのよ、なきゃないで」と言いました。33歳の娘にこういうってのはなかなかないと思いました。父も母も、子供を持って、うまくできなくて、本当に大変だったんだと思います。本当に本当に大変だったから子供をつくらなくていい、と言ってくれるんだと思いました。私は本当にうれしい。私も子として大変だったし、今も大変だし。生んでくれてありがとうとか生まれてくれてありがとうとかマジで言えない親子がいてでもそれが異常だなんて、その人たち以外の誰にも決め付ける力なんてない。 私は生きているけど生きているというだけでその「肯定」を意味できるのかといえばまったくそんなことはなく私の生を肯定するために今まだやってる途中なのだと思います。孤児ハッチの母の生を肯定するために。中学生までおっぱい吸ってた父の生を肯定するために。 その前に次世代作って次世代に託す場合もあると思いますが私はそれをやりたくないなと思います。重いですから。私が引き受けます。そんで、次世代にあんたなんでもええよってそういえる状態だったら子供つくってええ、と勝手に自分で思い込んでいる。
2012.01.08
最近打ち合わせしてる人人差し指第一関節ないんだよなあ。なんで指ないんですか、って私聞いちゃうんだろうなあちょっとでも隙があったら。だって昨日見た夢、何かの打ち合わせの夢だったんだけどあ、あなたも指なかったんですか、って夢だったもんな。 最初の会社でも足の長さが違う人がいたけど入社してすぐ聞いちゃったもんね。そしたら「小児マヒだよ」ってさらりと教えてくれた。 その人、しもだかげきの格好してて暴力振るいまくるディレクター(テレビね)だったから10年そこで働いている別の暴力振るう同僚たちも知らなかったみたいでお前すげえな、と驚かれた。だって愛があるから聞きたいのよ。愛があるから聞くことなんて怖くないのよ。もし、いやな気分にしたのだとしたら真正面から謝るわ。
2012.01.04
何かと細々と色々とやってきましたがほとんど同じ場所にいた人間がだいたい3年たって一方は来季の月9書く。そして俺はピンク書く。あまりにも自分らしくて踊りだしそうだ。ウォッホー自分の居場所ってのがねしっくり来るとね例えそれが公衆便所であろうが薄汚れたラブホテルであろうが関係ないわけですよ。月9やる友人に「すげーすげー」と言ってたら「全然うらやましいと思ってないでしょ」と言われた。自分はできないけど、やれる人にはやってほしいよ。活躍できる人にやってほしい。そもそも俺は美しいところが似合わない人間なのだ。ものすごく。そっちに仕様合せようって無理してみがくと、余計汚れる、という。ものすごい化粧して、たぶん、ジョーカーみたいになる、という。 つい数ヶ月前赤坂の高層ビルの大手の会社でマックスの辱めを受けたけどおととい、新宿から歩いて20分ていういかにも都会の片隅の埃くさいピンク映画つくってる会社の事務所の打ち合わせでベランダの愛された植物たちを見て俺マックスしっくりきてる自分と会う。俺、今マックスしっくりきてる。月9の彼女がいてくれるから、よけい今宇宙の声が聞こえる。お前は間違ってねえよって。
2011.12.23
電車で満員電車に乗る際、チョンと触れた金髪女子(おそらく二十歳くらい)に「いってーなー」といわれました。キターと思って 「ごめんなさい」とものすごく丁寧にうやうやしく謝りました。面白かったのはその隣にいた同じようなカッコウのギャルが「きっつー」とその友人の態度を笑った事です。ほお、こんな女の子にも社会とつなぐような友人がおるんだな、関心だな、と思いました。 で、私は33歳ですから。若いかわいい子に「いってーなー」といわれても怖くないけどなんか腹の虫はうずくんですよ。そういう時は首をぐるぐる目の前で回してやるんです。うやうやしく謝っといたあとにあー肩こった、みたいな雰囲気で首をこれでもかと回すんです。なんかムカつきますよ。こういう人。私もまあきわめて小さい人間です。しかしね、思うのはね。満員電車で人に迷惑かけずにたってる人達。ヒーローだよね、って。100人中98人がヒーローだとねなかなかほめてもらえないんだけどね。ただ割り合いの問題だよ、ほめてもらえないのは。だからね、そんなものに惑わされずにみんなもっと認めればいいよね よくがんばってる。まじでよくがんばってる。 ただ、子供を飢えさせないためのお母さんも当たり前って思われてるけど まじでがんばってるよ。だから少なくとも、このWEBの世界の何兆分の1かわからないしかも決してポピュラーでない言語だけどこの片隅で、ここから叫んでやるぜ。 よくやってる!よくやってる!よくやったああ!
2011.12.17
ここんとこ特に思い込む人生長すぎるよなあ。地球に人大杉……(古……)だし全力で生きていたらはっきり行って33歳誕生日(過ぎました)なんて白骨化してて当然なんですよ。全力で生きたなんて、おこがましくていえないけどバカみたいに平均寿命ちょい手前(なんとなく六十台後半)を見据えて生きるぞ、と思って力セーブしてきてなおこの先の道の遠さにわあああとなるわけです。卵作ったら死ぬサケのようにセックスしたら食われカマキリ(雄)のように だれか「決定!」してください。マリア様、仏陀様、親鸞様
2011.12.05
朝、父から電話。1時間に及ぶ さまざまな話の末なぜか話しは団地妻かえろい映像の話へ。父「義母を垣間見て興奮するとかなあ、そういうな、、やってしまったら楽しくないんだ。そこまでの工程を楽しんで、、昨日は白菜を食った。ゴマだれは2日でなくなる。290円だ」私「今朝はハンガーがやたらに青く見えるんだよ。借金は大丈夫か」……私と父は言葉を交わしている。声を交わしている。休みの朝、少しの間、あなたの声を聞いて私の声を聞かせよう。くだらん団地妻の話しをしても、妻の愚痴をこぼしても。金の具合や、昨日の晩御飯をたずねても 本当の本当に交わしているのはまったく別の会話なんだ。「お父さん、がんばって生きてるぞ。そっちはどうだ」「私も元気で生きてるよ」「そうか、ではよかった。安心だ」「そうだね、私も安心した」「負けずに共に生きような」「うん、負けずに共に生きよう。またしばらく」
2011.11.25
生まれてから今までで一番素敵な夢を見た。 私は自衛隊のトラックみたいなでかいやつの荷台にのって、荒野を行く。空を見上げると、暗い。もくもくと真っ黒な入道雲が幾重にも重なる。が、雲が割れる。そしてそのむこうに動物の顔が見えた。きりん。200Mはあるだろうか。顔だけで50Mだろうか。真っ黒い雲が割れた間の きりんの顔だけにオレンジの夕日が当たってしかも無効がわにはもう一匹同じサイズのがいるようだ。ああ、なんてきれいなんだろうって。 動くトラックの上で一刻も逃すまいと私は隣にいる相棒に必死に叫んだのだ。
2011.11.24
希望が生まれるという事は同時に同等の絶望も生まれているという事だチリで地下に閉じ込められた人々の話が印象的だった。地上とつながるまで(絶望)はみんな団結(希望)していた。だが、地上とつながると(希望)電話の時間が長いでケンカ(絶望)がはじまった。生が生まれる時死が生まれてるなのに人間はバカで面倒くさがりやだからいいほうばっかり見てる。便利さを手に入れた時同等に生まれた絶望はなんだったでしょう。原発を作った時同等に生まれた絶望はなんだったでしょう。でも大丈夫。かつてないほどの絶望すればいい。絶望したとき同等の希望が生まれるのだもの。痛い怖い消えてしまいたいそれがもう、今はただ、希望へ向かう方法なのそれともとおの昔にティッピングポントは超えてもう、そんな法則も役に立たないのかもなどちらにしても僕らの前にある未来は底なしの暗闇なのだごめんねごめんな誰かに謝りたいよ
2011.11.10
夜、兄から連絡。2ヶ月前父から200万借りたいと連絡がきた毎月父から返ってくるはずの15万円が今月から滞っている。父に連絡しようか考えた。そしたら父親から連絡があった。これまでもいろいろはなしたけど、もっと、散々いろいろ話した。私はだいぶ助けられた。父は父の価値観で隠し事をしてるけどたぶん、私や兄からすればその隠し事こそ私や兄を助ける秘め事なのだろう。こないだあったとき私たちに詐欺まがいの借金をする理由はわかった。一言で言えば追い詰められている。だったら追い詰められているといえばいい。ただ、父親だからいえないのだ。ひとつもらしたこんな話がある。仕事以外で始めて、うんじゅうねんぶりに東京にきたそうだ。2年前。ある貸金業者に連絡したらヤミ金じゃないからたずねて来いという誘いを鵜呑みにして秋葉原まで往復2万かけてやってきて監禁されたという。トイチ。かりなきゃ出してくれない。で、借りてしまった。次の日、のせて、返した。父さん、私東京にいたのに、ごめんね、って思った。父の追い詰められ度ってのが、よりリアルに伝わった。だし、それは氷山の一角なのも伝わった。もっとすげー事してる、と。そして昨夜、さらなる秘密があることがわかった。というわけで2月から毎月100万円返している。今710万かえしたからもう大丈夫だ。言うとお前は卒倒するだろう。お前には抱えきれない。お父さんは自殺しようかと考えた。なんでこんな事がおきるのか、と、今生きているのが不思議だ、という。何したの、お父さん。ヤミ金やヤクザなんてそんなのもう、ぜんぜん怖くないという。何したの、お父さん。父さんの孤独なたびはいま、まだ続く。父さんは59になった。私は33になる。1時間半も話した。そして、父さんは切り際こう言ったのだ。『また「くっつぬいで抱っこして」やってやるから』それは30年前の話。兄はスイミングプールに通っていた。私と父は迎えに来て、駐車場で待っていた。私は3歳。靴をぬいで抱っこされるのが好きだった。たぶん、身体も大きくなって、抱っこされるにはぎりぎりだったろう。父は『くっつぬいで抱っこして』という私のせりふを歌にして一緒に歌うことで抱っこすることから逃げていた。私もああ、ごまかされてる、とわかって仕方なく『くっつぬいで抱っこして』を踊りながら歌っていた。あの時の私と父。たぶん、あれを幸せというのだ。そして娘に借金しようが、説教されようが、父にとって、私は「くつぬいでだっこして」とせがむ、その時の存在そのままなのだと、改めて思った。電話でそれを言われて、言葉に詰まった。「30年前の話」とつっこんだが完全に脳みそのある部分に父は素手で触ったのだ。おろかな父も、父をおろかだと思う私も似たものだ。たぶん、まったく同じものだ。こうして昨日に続いて期せず父母連作ができてしまった。だから父さん、私が守ってあげよう。仕方ないもの。
2011.10.23
忘れずにおこうと思ったポップ体験をひとつ。あるひ珍しく母から小荷物。いろいろ、ごめん、いらないものが入ってる。LLサイズのどてらとか。言いましたよ、私。いらないって。電話でいらないと言ってももらってやってよ、半泣きでお願いされてで、送ってくる。この「捨てる」がはやっている時代にごめん、もう、迷惑だよね。はっきりいってずるいよね。いらないもんあげて、自分はやってやった、って気持ちゲットだもんね。相手の事、ぜんぜん考えてないよね。(そのどてら、難民キャンプに送ったからいいけどね)でもまあ、食べものも入ってたし、電話しましたよ、荷物ついた時間に。ありがとね、って。そしたらホーム入ってるおばちゃんの所にいたわけですよ。「あ、○○ちゃん? 今ちょっとおばちゃんに変わるからお礼言ってね」と出たらすぐ代わられたわけですよ。で、まあよくわからないけど「ありがとう」っつったんですよ。で、言ってて思い出した。そうか。あれだ。100万もらったっつってた。私をダシにして。母さん。無論、一円たりとも私のところへきませんが。幸いおばちゃんは数億円の資産があるようですが。もらってない金のお礼言わされるってこんなポップな体験ないよね。ポップすぎるよね。荷物送ったところからいろいろ計算つながってたら彼女天才だな、とつくづく思うよね。この人の血、私半分ひいてるんだけどね。
2011.10.22
幸せだったって失って気づくとかってよく言うけどね。そうなんだけどね。こんな言葉、もうずっとあってね、きっと言葉が生まれた直後からあったろうね。だからね、いい加減もっと失ってない状態でみんな気づけと思うね。そのくらい賢いんだからさ、と。幸せだけじゃなくて価値とか幸運とかそういうものね。知ってるのにね、見てないからねみんな贅沢、豪遊してるのにそれに気づいてないっていっぱいあるんでない、といつも思う。最近、すごいものもらった。最近出入りはじめた会社の人でねものすごい研究者なんだと思うけどね私がいろんな意味で書く人間だと知ってね(つってもまだまだだし、恥ずかしくて言いたくないけど面接で本当の事言って入らないと居心地悪いし、と、その時面接してくれた人が言っちゃったんですね)ものすごく興味もって話しかけてきてね2分くらいしゃべりました。太宰治うんぬんとか難しい話されました。すれ違いざま暗闇で。で、私その時言ったんですよ「じゃ、今度読んでやってくださいよ」とか気軽に。そしたら話終わるし。暗闇だったし。上司待たせてたし。で、数日後にね、仕事してたら「あの、ストーリーセラーってしってますか」と来ました。「あ、すいません、しりません」といいました。「あなたみたいな人の話です」といわれました。あんまりピュアーな感じなので前に座ってた主婦も笑いをこらえてました。で、数日して会社行ったらリボンがかかってる絵の表紙のホンがおいてあるわけですよ。そんでも持ってその帯に「恋愛部門第一位」とかでかでかとかいてあるんですよ。会社入ったばっかの私の席、何もないのにその「恋愛部門第一位」がボーンですよ。なんじゃこりゃー!しかもそのホンの内容が……。一言で言えばその研究者と私の出会いとそっくりなわけですよ。最初の2分、しゃべった感じがね。で、そのとき私が発した「じゃ、今度読んでくださいよ」っていうのが本の中で意味するところが、はっきりって愛の告白、つまり私はあの暗闇の中、2分間の中で彼に愛の告白に近いことをしゃべったことになっとるのでないか。私既婚者ってことでボーンと指輪してますけどね。直後に彼が単に真に変な人だとわかるまではものすごく意識しちゃって2,3日気が気でない、後ろ通るだけでムヒョーみたいなドラマの中にいるような緊張感とおもしろさでしたよ。あ、別に彼が恋愛対象としてどう、とかは問題外です。(以前書いたと思いますが、私は半分以上同姓の方がいい、壊れ者です)でも人の心との奇妙なまじりあいなわけですよ。これってすごい、価値のあることじゃないですか。私はあんな不思議な時間をくれた彼に本当に感謝します。あのカッコつきの時間は結局誰かにあげられるものではない。金はらったって努力したって手に入れられない価値あるもんは確かにあってでもそういうのみんな見てないだけでカッコつきにしてあげるだけで結構おもしろいことたくさんあるんでないの、と私は思うけどね。世界は時々、本当に素敵なんだけどね。たとえ一方で自律神経失調してて、日常生活ままならなくてそんな状態が1年半も続いてて地震でさらに悪化して生きていくだけで本当に大変だとしてもだよ。彼に最近エロいの作ってます、とはとてもいえぬが。言ったがおもしろいか へへ。
2011.10.21
地震がさあ、あってね。2万の人が死んでね。たぶん、その何倍、10万人くらいの人が立ち直れないくらい泣いていてね。でね、あほだけどね、気がついたのです。私の目の前にいる人間が生きている、私の隣にいる人間、たった一人が生きていることが大事だという現実。私にとって2万の人の命より、自分勝手に1の命の方がでかいのです。2万対1。だからといって1はノーベル賞ったって、とってません。考えなしに借金したり、多くの人にとっての「1」でもありません。そして多くの人にとっての「1」がいなくなったというのに。こんなことを見せ付けられたら本当になんだか、苦しくなってしまいます。人間はおかしい。馬鹿。狂ってる。みんな知ってた?で、そんなこんなで心の基底がグンラグンラゆれているときそんなときに限ってエロい仕事がきた。エロい仕事は始めてだ。エロい事を考える仕事だ。なんでこんなことをするのか?別にエロに抵抗はない。たとえば世界はキリスト教のせいかエロに対してみんな八百長状態だ。(八百長に対する俺の意見は以前のブログで書いた)どちらかといわれればエロ万歳派だ。だが、この時期に?エロい事を考えなくてはいけない日々がはじまった。2万人死んでるのに。多くの人が未だに生活も…………うわあああ!と爆発。なんだ、俺。何者だこのわたくし。とバランスがくずれ、2日たったらもうひとつの仕事を探し始めた。エロとわたくしと震災のバランスをとるために。そうだ、カッチカチの仕事がいい!エロつくんなきゃだから週3日くらいで!で、得たアルバイト職。上司は東大です。あちこちで聞こえてくるのは放射能の話とかエネルギーの話。「あれ、ヨーロッパから帰ってきたんですか」「何言ってるの、ずっと日本にいたって、京都にいたの。国際会議でてたから」みたいな会話ありーの6センチくらいの報告書を捲る日々です。来週は環境省との会議にお手伝いに行きます。(議事録作るのね)そこには時の人、原子力保安員の人もオブザーバーでいらっしゃる。ちなみにそこには別のアルバイトの方もいるのですが私の右隣の人は日本で2年しか過ごした事がなくて「お弁当、最近作るのつい、lazyになっちゃって」ていう大学院生でええ、目の前の方は主婦ですよ、17時に子供を迎えてに帰っちゃう、でも1級建築士の……。休憩中はみんな新聞繰ってます。いいのか私、ここにいいのか、という感じもしたのですが、私のまったく関係ない履歴書(関係ない大学、関係ない職歴、使えない英語力)なぜか雇ってくれた東大上司はきっとこれが決め手だったのでしょう。あ、血液型一緒だね、誕生日が一緒だね、あ、干支も一緒だね。午年11月29日生まれ。まるっと12年違い。なんかここにいてもいいのか、私とも思いましたが、いっか血液型と干支と誕生日が一緒だし。そう、狂ってるこの人間、わたくしあるときは必死で赤ちゃんプレイを検索しそしてまたあるときはスーツ着て環境省に出向くのだ狂いながらもやっとバランス取れてる日々
2011.10.16
えらぶっても結局何者でもないじゃないかと自分に生きている理由が何かあるのかと怒っているのかもしれないだとしたらあんたはまだ生まれてないかもしれないひとつ光はあるその人間一人で何者でなくても出会った誰かとくっついてはじめて何者かになれた人がいたのだということ出会った何かとぶつかってはじめて何者かになれた人がいたのだということ人でも犬でも原子爆弾でも善人か悪人か美しいか醜いのかそれは誰もしらねえ自分で探せあんた一人でヤケクソでも仕方ないのかもしれないその様子じゃあんたは生まれてないのだから仕方ないのかもしれない自分が生まれるのを死なずに待ってみるのもまあ、いんじゃないかと、そう思うけどねそれとももう生まれてるのに目をつぶってるだけなのかてめえ一人で生まれた人間はどこにもいないのかあーあ
2011.09.22
この瞬間体験したことが悲しかったり嬉しかったりそれは思い出や記憶と呼ばれて頭の中に残るこれはあんまりうれしすぎることやあんまりかなしすぎることについて思うことだけれどおそらく喜びの記憶は飴玉のようあんまりなめ続けると小さくなるし味がわからなくなる。おそらく悲しい記憶はまずくて味の長持ちするガムのようかんで味わってやらなければその味はなくなってくれないしかみつくしてやっとゴミになるでもって頭んなかうまくいかないことがいっぱいで飴玉は味わう前に溶けちゃうし封もきるのもこわいガムがあるでも封を切らないでいられるっていうのが人間のすごいとこかな、とも思う。飴玉はとけちゃうから前に進めるのかな、とも思う。
2011.09.08
19日、路線バスの事故。ホームページで確認したら18時56分前輪に巻き込まれ、意識不明の重体あれ、この交差点、この日。その交差点にある100円ショップで買い物してた。とレシートを確認する。18時39分私が買い物した、その17分後に大事故。私はこの店を出て100Mくらいの八百屋で野菜を買ってる。店を出たらおそらく19時だったろう。後でここのレシートも確認してみよう。少し雨が降っていて何の悪い予感もなくその日は久しぶりに凄く涼しくてさわやかに帰ってきた。すぐ隣で大事故が起こっていたのに。事故が起こったばかりで救急車や警察も来ない頃で逆に気づかなかったろう。つくづく鈍すぎる第6感に驚く。大変なことが起こる時はきっと何かあるんじゃないかって期待とは全然ちがって。
2011.08.23
人間てさ30秒で終わるような事もやりたくないもんはやりたくないんだよね「請求書の書き直しのプリントアウト」とかね。これやるのに3日かかった。やったら30秒だったよね。ヤ、知ってるんだけどね。
2011.08.22
風俗嬢の気持ちがわかるほど仕事で屈辱的な『チェンジ』をくらう。これはねえ、もう、なんともいえない、はずかしく悔しく情けなくかつポップな体験だ。
2011.08.03
今脚色モンをやっている。私は原作者がおもしろがってるもんをさらにおもしろくってのが大事でそれが上手にできるかできないかって問題で苦しみたいでしょう。がかねだすメディアの種類によってはそうもいかないってんで原作者がおもしろがってるところでないとこ、奇抜なモチーフがあるからってんでそこを使ってそれを使えるよう作り直そうってなる。別のテーマだし、別の作品ですよ、これ。原作者だったらいやだな、これ。既になくなってる原作者に申し訳もなくなんだか夕方お墓が近くにあるってんであるいて探しにいった。墓石5万くらいある霊園。約1時間。日が落ちる直前、見つけた。「あった!」と言った瞬間お墓にたった瞬間担当プロデューサーから携帯に電話が。一緒に歩いていた配偶者も驚く。「違いはいいことだよ」とP。お墓の前で少し話す。なんか不思議な日でした。
2011.07.29
おそらく幼稚園くらいの子供が書いたのか。七夕の短冊。改行もふくめて再現します↓-----------------------------おばあちゃんがみつかりますように 3DSがほしい -----------------------------最後に女の子の名前。報道には決してのりません。
2011.07.28
7月半ば、色々あって南三陸町で一泊しました。ボランティアに参加させてもらえるっつんで。ハエ、ハエ、ハエ。多くの方かなくなったここで考えるべき様々な事があるのに、ハエの多さに唖然とする。ハエのことばかり考えて帰ってくる。2chでハエに困るという被災者をモンスター被災者と呼ぶやつがいた。では、説明しよう。私もカンボジアとかアフリカの難民キャンプやら行ったからハエがぶんぶんたかってるのはあまり驚かないつもりだった。飯を食べるときに、ぶんぶんいる、これはあまり驚かなかった。でも、おかしい事、これは他の国でもなかったこと。寝てるところに来るということ。瓦礫の中に残った民宿にとまらせてもらった。夜、ハエのぶんぶんで眠れない。10分ほどしか眠れなかった。明るくなってきて、唖然とする。10畳くらいの部屋。夜はみえなかったが、部屋には200匹くらいはいた。7センチくらいのゴキブリが2匹死んでる…。一度眠れなくてトイレにも行ったが、当然、私の身体の下にもハエがつぶされている。一緒の部屋にいた寝ている二人の男にはこれでもかとハエがとまっている…。ただでさえ自分の皮膚が弱いのもあるがこの光景に悪寒。4時に海を歩く。瓦礫の海を歩く。情けなくて情けなくて。被災地は生だ。ナマだ。僕はナマだ。行った事を今後無駄にしない。それしか出来る事はない。なにもない。
2011.07.19
食ってく為に色々してますが。結婚式で働いたりもします。今は多いと月1回くらい。で、今回初めての事がありました。新郎の両親が仲が悪いので、絶対に一緒にインタビューを撮らないで下さい、とお達しが。離婚してないのに。不思議だ。で、実際見てみる。普通だ。テーブルは違えど、3メートルくらいの近さに座っている。近づいても病気にならない程度の関係なら発注元からレストラン、レストランからプランナーの会社ブランナーの会社からビデオの製作会社、ビデオの製作会社からイチ、日雇い労働者までその不仲を徹底的に周知する必要があったのか。で、親戚だけじゃない、その多く周りが皆に気を使わせてさ。ここで、私は八百長を思い出した。相撲の八百長ね。八百長、やっていいよ、と。相撲の八百長って別によかったのに。いけないのは裁判とかやって「八百長やってないもん!」とかって訴えて勝っちゃってお金取っちゃうからいけないんだよな…。世間だけじゃなくて、相撲協会だってどうかしちゃったからこんな事が大事になるんであって。皆の幸せの八百長って確かにあるじゃないか。皆知ってるよ、ちゃんと知ってるけど、ここは知っててみんなでこのひと時の演出を共有しようぜ、っていうのが大人の楽しみというか。グレーのさじ加減をうひょーとか言いながら綱渡りして後でああだったこうだったって絶妙な事感じる。で、自分、がんばろーぜと気合を入れる。八百長を皆に担いでもらったほうは若干の気ハズカシさと罪悪感をはおりながら風にふかれて、またまっさらな気持ちでがんばろーぜ、って気合を入れる。八百長は多分、舞台だけじゃなくて舞台降りた時までずっと何かを残し続ける見る側も覚悟を要する高度な芝居みたいなもんじゃないか、そう思うたのでした。
2011.06.13
前回の記事に続きができました。昨日の事です。「昨夜、別の事件で捕まえた男が、作成いただいた似顔絵にそっくりでしたので一度写真を見てもらいたいのですが」おお、こんなに早く。二つ返事で了解。刑事が登場写真を見せる前にドラマなどやドキュメンタリーでよく見る場面「まだ、犯人ときまってません。偏見を持たないで見てくださいね」と念押しされた。で、見た。全身写真とバストショット。うーん。と少し間をおいた。わざと。だって「こっこっこの人です!」と興奮しようものなら興奮してるからアテにならない、と思われたらいやだったからです。つうか、私が作った(正確に言えば私がおんな刑事に書いてもらった……。なんかそういうのも悔しいな。私、画はうまいのです。人の顔の画は。だから印象がはっきりしてた目はこんな風です、と実際に書いてみせて女刑事が模写してたしの)で、そう、その似顔絵まんまやんけ、でした。「偏見を持たないで」なんて、このスキンヘッドの刑事もよく言ったわ、と思いました。だって似顔絵まんまだもの。「うーん。この人です。間違いなく。私はこの部分を見て似顔絵を作りましたから」で、ちょっと気が利かない感じどおりマニュアルどおりなのかどこらで捕まったとかさえ、教えてくれませんでした。「近くです、市内ですけどね」とか言っちゃって隠す意味を教えてくれ、逆に。あー。携帯とかに証拠が残ってたとしたら私の被害も誰か別の人にまた見られるんだろうなー。いやだいやだ。今後の事もまた連絡するかもしれないし、しないかもしれない見たいな事を言われました。被害に会った人に、なぜ、言ってはいけないんだろう。私としては続き、no.3が書きたい。その男がどんな人物なのか知りたい。何歳で、どんな職業なのか。どんな人生で、何を考えたのか。no.3に続く事を願って。
2011.05.28
あーあ。もう。人生って~疲れる~昨夜。自宅フロで。とうさつされてた。特に女性の為に、これから学んだ事を書こう。ウチは2階。アパートの行き止まりで廊下を通る人間は旦那しかおらず3年住んで何もなかったので網戸一枚と油断してたのもあったが。とは言うものの一応女なので窓の真下の湯船に入っている時だけあけており湯船から出たら窓を閉めてからだ洗うなりしていたのだが昨日、頭上に気配を感じて見上げたら。窓から30センチくらい腕が伸びてて私の真上に携帯が、カメラのレンズが向けられている。3分前に帰ってきた旦那がイタズラしてるかと思って鉄格子に張り付いている顔よく見たら知らん男。至近距離。80センチくらいで顔を見た。慣れてるんだろう。私がカメラを見て、男の顔を認識するまでけっこうあったのに、携帯を動かす事はなかった。太い二重の目が焼きついた。旦那の名前を呼ぶと、男は音もなく去っていった。旦那を3階くらい呼ぶと「どした」と旦那が来る。覗きがいた、と言うと飛び出していったが男はいなかった。胃が痛くて手が震える。110番するか迷ったが、もう年だし、旦那もいるし、勇気がでた。大学生のときもおそろい目にあったけど怖くて何もしなかった。こういう時、110番できたり、被害届だす、と判断できるのはぎりぎりでも心に余裕がある人間の方だ。一つ私の心に余裕があったのはこういう事だ。一体いつから撮影していたんだろうと思ってはいた。気がつけば頭上にいたんだから最大で2分くらいはいたかもしれない。私はずっと歯を磨いていて音に鈍感になってた。しかし、救いは頭の真上からだったので大して裸らしいもんは映ってないだろう、と勝手に思っている。うちのアパートの湯船はとても小さく、体操座りでしか入れないし。本当に怖い想いをした子の方は110番も被害届も出せない子が多いんだろうと思った。指紋とかとってる横で被害届けを出しますか、と聞かれた。つまり、被害届を出さなかったら、たとえ見つかっても注意や警告で終わるし、似顔絵なんかも作成しない。30過ぎて覗きで被害届かあ、とも少し思ったが、旦那というよりどころもあったし、被害届を出した方が、後々の、他の人に、とか考えるとよい事と思い、12時半を回っていたが警察署に向かった。女性の刑事二人で助かった。結果、まだ半日もたっていないが、今の段階ではやってよかった。なぜなら心が少し落ち着いた。状況を説明して似顔絵を作ったりしてるうちにすごく作業めいてきて被害者というより「スタッフ」みたいな気持ちになるのだ。客観的になって俯瞰で自分を見れる。カウンセリング見たいな役割になったのかもな。ちなみに、似顔絵を作る事で25~35歳の男性という文字情報だけより、圧倒的に職質の時の参考になる、と言われたが、改めて、重要さに気がついた。そらそうだわな。私が被害届を出さなかったらその似顔絵は作られなかった。さらにちなみに私が通報したより30分前に近所でも民家の浴室の覗きがあったというからびっくりする。その捜査をしてる時に私の通報があったのだ。その被害者は顔を見なかったという。そりゃ普通は見ない。私も旦那のイタズラだと信じてるからガン見したまでだ。もし、110番しなかったら、被害届を作らなかったら今も胃が痛いまんまだったと思う。こんな事はあっちゃいけないが本当につらい目にあった時こそ他の人の為にだけでなく自分の為に被害届を出して欲しい。1時間くらいだ。無論、暴行などの激しい被害を受けた人は本当に重い作業だと思う。迷うくらいの余裕がある人はやった方がいい、と言っておく。こういう時、迷ったときはやりたくないのが普通だから。後、今回やってよかったな、と思ったのはもう一つ。とっさに男の名前を読んだ事である。(無論、私の場合、旦那)キャーでもわあでもなく。男の名前を呼ぶ事で家に男がいるぞろ警告できる。もし一人暮らしの女性が自宅で危ない目にあったらジョナサンでもたけしでもお父さん、でもいいから男の呼称を家にいるかのように呼んでみよう。眠れないかと思ったが、思った以上に早く眠る事ができた。で、地震の夢を見た。(地震後、3日に一回くらいは見ている)だから事件のパンチはまだこれ以降時間差で来るかもしれないけど(撮影されてんだから、どっかで晒されねえか、という不安の膨張とか今日、普通にフロに入れるか、とか)そんときはそんときでまた何か書くと思われます。
2011.05.20
すこしふるい話になるが、都知事選が終わった後、サンジャポをみた。ファミリーである東国原氏の大差をつけられての敗戦直後インタビュー。車に乗り込みながら「東京がわかりました」なんだろう。このものすごい後味の悪さは。ああ、この人に投票しなくて正解だった、となんだか感情的に思うた。まけて何か言うときは自分がわかった、の方でないと、何が何でも損である。
2011.05.06
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