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「あなたほどかっこいい日本の男は始めてよ。」ニュージーランドの南島の更に南、フィヨルドで有名なクイーンズタウンのパブで、カナダから旅行にきていたセラという大柄な女性からそう言われた。この言葉、額にいれて東村山の実家のお祖父さんの写真の横にでも飾っておきたいと思えるほどだった。1985年の年越しは、普段は2千人の町が大晦日には3万人になるといわれているこの美しい町で過ごすことにした。バッパーに荷物を降ろすと、そのまま町にでてまずパブに入った。狭いカウンターでビールを注文すると、栗毛の髪を肩まで垂らしてビールを飲んでいる女性と目が合った。「どこから来たの?」話かけてきたのは彼女からだった。もう、だいぶビールが回っているようで、ややろれつも回っていないし、からだが前後に揺れる。背が180センチはあろうかと思えるほどの大きな美人だ。ショートパンツに、申し訳程度に着ている薄手のTシャツは上下に揺れる。夕方から飲み始めてしばらく一緒にいたが、その内セラは同じカナダ人と思われる人たちと一緒にどこかに行ってしまった。「ごめんなさいね。昨夜は酔ってからんだりして。」「私ね、カナダのカルグリーで好きな人に振られて、もうカナダには居たくなくて旅に出たの。」翌日、しらふのセラが神妙にそう言い出した。どうやら彼女は、失恋の痛手を背負った感傷旅行に来ていたようだった。それで、浴びるほど酒を飲んでいたのだろうか。「昨日のことはほとんど覚えていないの。気持ち悪くなって年を越す前に宿に帰ったし。私、何か変なこと言わなかった?」「可也酔っていたけど、変なことなんって言ってないよ。大丈夫だよ。ところでセラ、今までどんな日本の男と知り合ってきたの?」好奇心が抑えられなく聞いてしまった。「タコ、あなたが始めて話した日本人の男性よ。」どうやら、酔っていながらのきつい冗談だったようだ。どうりでおかしいと思った。東村山の額の話はご破算になった。パブで酔った女性なんかと話したらろくなことはない。「今、世界旅行に出ているの。オーストラリア、日本にも行くわ。そのときは連絡するね、タコ。」屈託のない笑顔だった。世界中のパブを同じように酔って飲みまわるのだろう。とんだ当て馬だ。私の笑顔は、ちょっとひきつった苦笑いになってしまった。無理して二つクリックお願いいたします!
2008年12月29日
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私は自慢じゃないが割と気が短い。メルボルンではスタッフに、「瞬間湯沸かし器」と言われて久しい。更には機械物に弱い。弱いものは探せばもっと沢山あるが特に機械物。持参したラップトップの調子が悪く、だましだまし使っていたら、本当にだまされたのか全く動かなくなった。OSが作動しなくなった。そこでハードディスクを取り出して、その情報だけはリカバリーしようと試みた。なんせ、PCを開けたことなんかないのでいろいろあるネジに苦労。しかも、小さい。ネジ山がつぶれてどうしようもないので力づくでこじ開けたらあっちこっちが破損。なんだか、快感も伴ってバリバリやりだした。ハードディスクだけをうまく取り出せばいいと思った。しかし、それもままならない。初めてのことを、まったくアドバイスも受けないでやるのは自殺行為と理解。とんでもない結果になった。というわけで、やっとの思いで買ったラップトップ1台、完全に破壊した。今回の帰国で新しいのをもう1台購入していた。そうでないと仕事にならなかった。前のより10倍くらい機能がよく、価格は半値に近い。長生きしないとならない。「私が稼いで、あなたが使う」オランダ系の連れ合いの口癖だ。今回のことの顛末及びその詳細についてはなるべく話さないようにと策を練っているところだ。
2009年11月19日
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拭いようのないコンプレックスが詰襟を着ているような高校生だった。前年度からスタートした都立学校群制度で、隣の立川高校と一緒に72群となった国立高校に入学した。は昭和43年のことだった。見るからに三多摩の田舎者としか見えないような学友が多かったが、これが右を向いても左を向いても秀才揃い。中学時代英語は好きな科目だったが、まだ習ってもいない分詞構文なんてのをすらすらと説明して、教育実習の女子大生を喜ばせるなんてのは朝飯前の学生がいる。塾なんか一度も行ったことのない私は、周りで何が起こっているのかも分からない。もう完全に劣等生。「タコ君は、英語の発音なんか私より上手でビックリするんですが、テストをやるとこれがまったくダメで。」担任の石黒先生に、父母面接のときに母がそう言われたと肩を落としていた。そりゃそうだよ、何せ初恋が9歳の時のアメリカ人、何て言える雰囲気もなく学校はテストができてなんぼの世界、私は英語に対する興味を一気に失ってしまった。但し、英語を話す金髪の方々への興味は募る一方ではあったのだが。「今、何て言ったの?」オランダ系の連れ合いにたまに話す英語の発音が悪いと言われて久しい。今は、テストもダメ、発音もダメの領域に突入してしまっているようだ。金髪ゲットしてしまったもんで、気が緩んでいるのでは、何て言われてしまいそうな勢い。ということで、今日本人に人気のフィリピン留学、中高年英語+ゴルフ、とかの集中コースもあるようで。何せ安いしマンツーマンだという。そう言えば、手前味噌になるが自分の会社の商品でもある。こうなったら、フィリピン中高年留学に参加して、昔とった杵柄発音ブラッシュアップにでも勤しんでみるのもいいかも知れない。因みに先生は金髪ではなく黒髪だということで安心もしていられそうだし。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2012年02月18日
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「すぐセブに行きなさい!」秋田出身で87歳になる東村山の母が電話でそう言った。翌日が日本行になっていた10月18日に、日本行をキャンセルして急きょ英語学校をやっているセブに行くことにした。10月15日に近くのボホールという所でマグニチュード7.2の地震があり、今まで経験したことのないような大きな地震で学校の教師、スタッフが怯えていると聞き、学生さんのサポート、建屋のチェックのためなどに行くことにした。日夜寝ずにサポートしている日本人スタッフのことも心配だった。母は、年に2回の私の帰国を楽しみにしている。私の方がもっと楽しみしている。河口湖の温泉もキャンセルした。移住の身だから、母とあと何度会えるのかと思うと、、、、。 セブで一週間が過ぎた。余震も落ち着いてきているがまだある。若いセブの教師にとっては私は、父親のような祖父のような年代で私がいるだけでも落ち着くようだ。来てよかった。壁の修復などもしている。日本人の学生さんは地震なれしている人も多く、先生スタッフを励ましてくれている。嬉しい限りだ。「お前にやってもらうと思ったこと沢山あったんだけどね。仕方ないね。」母は、いつも私が帰国するときに仕事リストを作って待っている。来年の1月に日本帰国を延期することにした。ということで、日本でお会いしたかった皆さま、1月に是非。母の仕事リスト、楽しみにしてる。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年10月27日
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「運の悪いものは、風呂より出んとして金玉をつめ割りて死ぬものもあり」手紙を書くのが好きだった坂本竜馬が姉の乙女に出した手紙の中の一節だという。本当に運の悪い死に方としかいいようのないことだろうけど、弟が姉に送る手紙の一節として隅に置けない、中央にどんと出したい表現だと思うのは私だけだろうか。私だけだろうなあ。しかし、そんなことで怖気づいてはいられない。実は、私は日本人なら誰でも知っている、知らなくても想像がつくだろう「金玉火鉢」という表現を何度かこの日記にも書いてきている。これは堂々と広辞苑にも載っている公用に耐える言葉だ。いったい、何が言いたいのかというと、この「金玉火鉢」と声に出して読みたい日本語彙といえる言葉だが、これは実際には寒い冬に男がまたぐ火鉢のことも指しているのだが、男が取るその動作そのものをも指しているということなのだ。こういう日本語の使い方は私の好きなところだ。旅行する、とかいった言葉と同列に金玉火鉢する、といってもぜんぜん違和感もないのである。たとえば、お茶を買ってくる、という表現とお茶にいってくるという表現があるが、前は単なる名詞で、あとのほうはお茶を飲むとか、お茶のお稽古事とかを指しているのだろう。「おい、昨日はえらく寒かったな。」「うん、それで俺は『金玉火鉢』したよ。」「そうか、おれもしたんだ。」こんな会話が昔はそこら中で聞かれていたのだろう。しかし、問題はこれを単なる普通名詞として考えた場合だが、ご主人の代わりに奥さんが雑貨店に言って、「すみませんがちょいと、そこの安い方の金玉火鉢を一つ下さいな。」などと実際に言っていたのかは疑問が残る。どなたか、実際にそういう場に遭遇したりご自分で使われたかたがあったらコメントをいただきたい。更に、一段深めて物事を考えてみたいのだが、現代では「頭が痒い」という表現と「金玉が痒い」という表現を、場所を選ばずにどうして同じように使えないかということだ。職業に卑賤なし、という表現を万人が認めるということを前提にするならば、人間の臓器に卑賤なし、といえないのだろうか。江戸時代の終わりに、坂本竜馬があっけらかんとして自分の実の姉に「金玉」といえたのが日本の社会だった。竜馬は特別だったのだろうか。否、「金玉火鉢」という普通名詞が「する」をつけて動作にも使えるような、そんな寛容な時代が江戸時代だったのだろう。そんな日本の寛容な文化が、いつのまにか窮屈な文化に変わってきてしまったのではないだろう。なんだか、この話題で一冊の本が書けそうな勢いいなってきたが、どんどん書いていったら寝られなくなりそうなのでこの辺にしよう。私は時々、生まれてくる時代を間違ったのではないだろうかと思うときがある。9割がお百姓だった江戸時代に生まれ、大工なんかが住んでいたら怒られそうな岡っ引き長屋なんぞに住んで、やれ金玉がどうしたこうしたなんてやっていて、時々かわら版とかに投稿したりしていた方が合っていたのかもしれない。日本がもっと陰にこもらずおおらかな国にもどってくれたらいいのだが。
2008年07月23日
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