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第3社会は今の民主主義社会とどう違うのかと言えば、一言財産相続制が廃止された社会だと言えるのである。今の日本の超過累進課税でいいのでは、と思われるが根本的な法学原理が違う。我々は歴史の流れの中にいるので、流れの外に出て未来を予見できずにいる。そう、外へ出なければならない。
2009.04.12
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マルクスは、自然(宇宙)と人間は本質統一態である、として自らの「共同社会」構想を練り上げていった。私も、自然と人間の本質は「能動的」だとして、「人間主義社会」構想を創り上げた。それは、マルクスのように一切のものの「止揚(しよう)」ではなかったが、人間が人間らしく生きられる社会構造となっているのである。
2009.04.09
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少し前、「宇宙の本質は能動的なものであって、非常に不安定なものである。」とラジオで聞いた事がある。私の「原理」は主体の人間についてのものであるが、拡大解釈すれば宇宙についての「原理」となる。私も本質は能動的なもので、次々と入れ替わるものとし、その人の死によって消失する、と考えた。対象の宇宙も同じと言う事だ。
2009.04.08
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およそ人間は所有欲のかたまりのようなものである。フロイトは性的なものが人間の本質である、としたが、これは生命体の普遍的な特質であって、人間は、あくなき所有欲をもつ。他人より、他民族より自分の方が多く、高く、質のいいものをと思っている。けだし、これでいいのかもしれない。
2009.04.05
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人間社会は、このまま進めば文明に滅ぼされてしまうかも知れない。かと言って自然に戻って自然主義社会だと今度は自然に滅ぼされるだろう。だから、文明にも自然にも滅ぼされない人間主義社会を早急に建設しなければならない。
2009.04.03
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人類の歴史が、原始社会から文明社会へと進歩したならば次に来るべき社会は、原始社会と文明社会を合わせたような社会になるだろう。この社会形態で、文明にも自然にも滅ぼされない本当の人間主義社会が建設されるだろう。
2009.04.03
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マルクスは、共産主義社会を一言で「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」社会としたが、ここで、一人の者が「私には世界が必要だ。」と言った瞬間、全てが壊れてしまうもろい社会形態でもあるのだ。こんな社会すっとばして我々は先へ進もうではないか。
2009.04.01
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