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体調復活した途端、遊びたくてたまらくなり、週末ランチパーティを開こうと急遽思いつきました。突然の招集にも関わらず、四名の友人が応じてくれまして、賑やかな週末になりそうです。まだ人数増えるかしら?と言う訳で、パーティメニュー作りに奮闘していました。パーティの目的の一つに、映画を観るというのも含まれています。先日「8人の女たち」を観て、面白いフランス映画が観たくなってしまいまして。今までフランス映画は、どちらかといえば敬遠しがちだったのですが、「8人の女たち」はフランス映画の魅力が上手に生きていて、本当に面白いです。おそらく好き嫌いは別れるような気はしますが、私はとっても愉しみました。サントラを、いえ、DVDが出たら買うわと、映画館出たと同時に宣言。コケティッシュでシニカルな愛憎フレンチ・ミュージカルをお望みの方にはお勧めです。一応、観ようと思っている映画は「アメリ」。あと、フランス映画ではありませんが、フランスが舞台という事と、ダンスシーンが観たかったので「ムーラン・ルージュ」でも借りてこようかしらと思っています。映画を観ながら摘まめる料理で、私もちょくちょく席を離れたくありませんので、作り置きできる料理をと考えました。でも昨日の蒼空さんの日記でパスタが食べたくなったので、それは外せない。今の処、頭にあるメニューはこんな感じです。そば菜と大根のサラダスモークサーモンとレタスの生春巻きカナッペ3種モン・ドールとベイクドポテトソーセージと温野菜のトマトソーススモークサーモンのクリームソースパスタアップルクランブル アイスクリーム添え物足りないかしら?いつもの事だけれど、凝った料理は無いわよ。飲物はシャンパン、ブルゴーニュ(赤)、ボルドー(赤)、アイスワインかな。イタリアワインの方がいいかしら。手持ちの中なら幾らでも変更可能だけれど、皆出されたものは文句言わずに愉しんでくれるから、私の気分次第ね(笑)。本当は「アメリ」だし、クリーム・ブリュレがいいかしらと思ったけれど、作った事は無いし失敗すると嫌なのでやめました。誰か買って来てくれてもいいけれど(笑)。さて、買い物メモも作成したし、とりあえず今できる準備は万端。もう何品か増やした方がいいかしら。手軽に家にありそうなもので増やせるメニュー、ありますか?
2003年01月31日
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夕陽が沈めば、夜がやってくる――夕陽を見に外海にやってきた私たちは、夜の為に長崎へ戻ります。行きとは別の道がある筈なのだけれどと、外海の漁港を少々彷徨い、幾つもの船が並んで停泊しているのを見ました。海の幸の名前が並んだレストランの看板に、胃袋が刺激されます。結局同じ道を引き返す事になったのですが、斜陽に映し出された漁港の風景は、旅心を騒がせました。そろそろ疲れが出てきたのか、SAWAは長崎までのドライブ中、殆ど眠っていました。私も運転しているかしょうさんに申し訳ないと思いつつも、時折うつらうつらとしてしまったようです。かしょうさんもお疲れのよう。途中、事故があったらしく、少々渋滞していましたが、それ以外は順調でした。長崎市内に戻ってきました。既に陽は落ち、街明りが際立ち始めています。流石に市内は道が混んでましたが、そこは地元のかしょうさんの運転です、裏道を通って長崎駅まで辿り着きました。長崎は平地の部分がとても少ないので、裏道というと結構な坂道が多く、私はそれをも愉しませて戴きました。自分の運転なら、愉しむどころじゃない細い坂道ですが。坂道が多いせいで、僅かな距離でも皆よくタクシーを使うのだそうです。タクシーも快く短距離を走ってくれるとか。途中、日本二十六聖人殉教地の横を通り、もし時間があったら駅から近いし、寄ってみてはとかしょうさんに勧められ、最後に寄ろうと決めました。さて、今は長崎駅に用がある訳ではありません。駅の近くを通り過ぎ、私たちが向かった先は、稲佐山。蛇行する坂道を延々と登り、高台にある幾つかのホテルを通り過ぎます。眺めの良いレストランがあるとかで、いつかの機会に訪れてみたいと思いました。そして頂上が望める場所に、辿り着きました。八合目にある大駐車場に車を置き、スカイウェイで頂上を目指します。所要時間は僅か3分程なのですが、その間素晴らしい夜景が愉しめました。進行方向左手には長崎市内が一望できます。右手には外海や幾つかの漁港町の明り。頂上には360度見渡せるガラス張りのパノラマ展望台があり、レストランも併設されています。今回はこの後の予定がありますので、見事な夜景だけを愉しみました。稲佐山は標高333mと、何処かのタワーと同じ高さですが…そういえばあれには登った事が無いですね。去年のGW辺りに展望室がリニューアルされたような記憶があるから、今度行ってみようかしら。展望台の屋上まで登り、ガラス張りのドームに沿って螺旋に廻らされた通路を通りました。闇の中に散らばる無数の光。写真は手振れてしまい美しくないのですが、このような夜景を堪能する事ができました。
2003年01月30日
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苛々して集中できない。不条理に対するストレスは、受け流して、忘れてしまう事でしか、解消できない。それは解っていても、爪を立ててしがみついてくるそれを、無理矢理引き剥がしたら、自分に傷がつくだけ。ああ、何か、愉しい事を考えたい。今日は寒いけれど、とても良い天気。水彩絵の具を塗り込めたような薄い空色。見つめ続けなければ動いている事が解らない程、緩やかに流れる雲。なのに地表近くでは、冷たく強い風に身を震わすようにそよぐ街路樹の葉。高く舞い上がっては再びアスファルトに降りて、陽射しの中で丸くなる鳩…視界に入るものに癒しを求める。緑の生息域を越えた山の頂、吹き上げる風と滑らかな岩肌、眼下に広がる恐ろしくも美しい世界。見た事も無い木々の林道を抜け、辿り着いた緑に包まれた清らかな小さな湖。走り抜ける列車の車窓から、垣間見た縁の無い、利便には無縁そうな、様々な美しい場所。素朴なもの、瀟洒なもの、荘厳なもの、華麗なもの、その時々の時代を感じさせる建築物、その欠片、その名残。四季ある国の美しい日々。桜のある風景に、美しさを感じなかった事は無い。花散らしの雨の後、初々しく命溢れた淡い色の新緑に満ちた公園。梅雨明け、緑深まる木々の力強さ。炎の揺らぎ、力強い血脈を思わせる様々に赤い紅葉、山を染め上げるその絶景、庭の一本の木に灯る情景。温泉の帰り道、険しい山道を走るバスの中から眺めた、常緑樹を覆う真っ白な雪。いつか見た美しい光景を心に描く。少し落ち着いたかしら。やっぱり想いを書く事は、私にとって癒しになる。それがどんなに醜い感情でも、書いている内に浄化されていく気がします。浄化は大袈裟かしら。無くなりはしないけれど、気持ちの整理がつくという事かしら。目前の愉しい事も考えよう。今日は映画を観に行くの。「8人の女たち」。咳が治まって、熱もほぼ引いたし、漸く観に行かれます。その前に食事。美味しいお酒と料理は、今の私には必需品。時間があったら買物もしたい。そうそう、次の旅に関する本を探さないとね。長崎の旅に心を持って行かれなかったので、今日はこんな日記で失礼致します。
2003年01月29日
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「沈黙の碑」のすぐ近くには、外海町まちづくり記念館があります。この辺は出津文化村と言われる場所で、歴史民俗資料館、子ども博物館、ド・ロ神父記念館、救助院跡、出津教会などが徒歩圏内。生憎夕暮れが迫って来ているので、ゆっくりそれらを見て廻る時間はありませんでした。この辺りの土産物の一つに、「ド・ロさまそうめん」があります。最初その看板を見た時には、神父の名のついたそうめんって一体何?まさか神父がそうめんを作った訳じゃないわよね?と、何も知らない私は、迂闊にもそう思ったのです。ド・ロ神父記念館には入りませんでしたが、その前にある説明版に目を通す事はできました。彼はこの地で、愛の教えを説くだけでなく、あらゆる手段を用いてそれを実践した人だったようです。まず、彼が最初に手掛けたのが、福祉事業。遭難漁民の寡婦たちが自活できるよう、授産施設を設け、織物や染色などの技術を教え、パンやマカロニ、そうめんを製造する工場を作りました。それがド・ロ神父記念館の隣にある、救助院跡です。既に陽が傾いていた為、撮れませんでしたが、門の脇には子供とド・ロ神父の像が建っていました。福祉事業の他にも、土木、建築、医療、教育文化などに奉仕されたそうで、記念館でそれら彼の足跡を辿る事ができるようです。さて、次にかしょうさんのご友人紹介の、「アフリカ仮面美術館」に足を伸ばしてみる事にしました。何故、外海でアフリカ?と思いますが、逆にそれが気になったという処でしょうか。食事やお茶が戴けるという事だったので、そろそろ喉を潤したい気分で向かいました。ところが途中少々迷い、お陰でこの地ならではの光景を目にする事ができました。山間の道の途中に見つけたものは、墓地。とても不思議な光景でした。普通、日本の墓は、長方形の墓石が多いと思います。キリスト教徒の多い国では、石版のような墓石に十字架が彫られたものや、土台の上に十字架の形をしたものもあるでしょう。日本でも外国人墓地に行けば、それらを見る事ができます。外海にあるキリシタン墓地にも、それに類する形のものがあるようなのですが(あくまでも類するだけで、同形とは決して言えないようです)、私たちが偶然行き合ったキリシタン墓地の墓石は、それらとは異質に見えました。遠目に見ただけなのですが、その限りでは日本の墓にありがちな長方形の墓石でした。ただ違うのは、その長方形の墓石の上に、十字架が乗っていた事です。どうにも道を行き過ぎたと気づき、後戻り、人に訊ねて漸くアフリカ仮面美術館に到着。畑の畦道のような処を歩き、何だか不思議な空間に辿り着きました。美術館というよりは、アフリカ民芸品が飾られたレストランといった処でしょうか。まるで洞窟のような部屋で紅茶を戴いて、夕陽の為に早々に去る事となりました。ここはお食事が美味しいという事ですので、もし外海を再び訪れる機会があれば食事をしてみたいものです。遠藤周作記念館近くの、夕陽が丘そとめ公園まで戻ってきました。ここで見た風景は、長崎で得た宝物の一つです。そのあまりの美しさに、総てを忘れ去った気分で、暫し立ち尽くしました。
2003年01月28日
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海岸線からすぐの処に、海を見渡すようにしてそれは建っていました。遠藤周作のこの地を舞台にした作品を記念して建てられた、「沈黙の碑」です。これについては、「沈黙」を読んで戴く事以外にありません。歴史書を何冊も読み解くよりも、年表を眺めるよりも、この地の歴史の一片を感じる事ができるように思えます。「沈黙」の話とその背景の史実を付焼き刃で書くのは、危険なので止めておきます。ただ、全く「沈黙」について知識が無い方への取っ掛りとして、今手許に本が無いので、うろ覚えの記憶からですが、少々紹介させて戴きましょう。ポルトガルのイエズス会が日本に派遣していた神父フェレイラが、拷問を受け、棄教したとの報告がローマ教会に入ったという下りから、話は始まります。そして彼を敬愛していた神父ら3人が事実を確かめる為に、長崎へ向かって旅立ちました。長旅の結果、2人の神父が外海町出津に密かに上陸。そして弾圧下のキリシタン達に出会います。彼らの苦しみ哀しみ、そして自らのそれらの前に神父ロドリゴは、沈黙したままの神に、幾度も何故と問い掛けるのです。 人間がこんなに哀しいのに主よ海があまりに碧いのです碑に刻まれた言葉です。
2003年01月27日
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出津川を越え、出津文化村の前を通り過ぎました。かしょうさんが「三色の橋を見てから、戻ってきましょう」と、海岸沿いに車を走らせます。三色の橋があるのよと、前以って聞いていた私は、三色の色が使われた一つの橋があるのだと思っていました。ところが「今のが青い橋」とかしょうさん。空の青に溶け込んで、気づいた時には通り過ぎていた橋は、青一色の橋。私の勘違いで、かしょうさんの言う三色の橋は、三つの色がそれぞれ一色づつ使われた、三つの橋の事だったのです。「青と白と赤の橋があって、フランス国旗を意味している」とのかしょうさんの説明。何故フランス国旗?と訊ねると、「外海に縁深いド・ロ神父がフランス出身だからかしら?」と、偶然この橋の存在を知る事になったかしょうさんは言いました。勿論そこに端を発しているのですが、外海町はド・ロ神父の出身地、フランスのヴォスロールと姉妹都市で、その国際交流にちなんでイメージされた橋なのだそう。そもそも外海に行く事になった最初のきっかけは、かしょうさんの友人が外海にあるド・ロ神父縁の場所がいいと、勧めてくださった事でした。そしてあれやこれやとあるという話を聞き、ド・ロ神父について全く知識の無かった私たちは、色々目移りして時間を費やしてしまったのですが。詳しくはまた後程。青い橋の後、少しして白い橋がありました。最初の橋を逃してしまったので、Uターンした後、赤い橋から順に写真に収める事にします。赤い橋は新神浦橋といい、神浦港に注ぐ神浦川に架かっています。上流には神浦ダム。神浦川は日本一の清流だそう。 外海は自然が豊かで、それを活かした美しい公園や、森の中のキャンプ場などの施設などがあるようです。いつかまた、ゆっくり訪れる機会が持てればと思いました。またこの道路は国道202号線ですが、サンセットオーシャン202という名前がついているようです。この海岸線からは、美しい夕陽が眺められるという事でしょう。私たちはUターンして長崎方面に戻っていますが、この道は大瀬戸町、佐世保へと続いています。ハウステンボスの帰りに、足を伸ばしてみるというのは如何でしょう。続いて白い橋、荒川橋です。青い空に映えて、白い橋は特に美しく見えました。 そして青い橋、四谷河内橋。 橋を愉しみながら、海岸線をドライブ。心地良い一時でした。そして出津文化村まで、戻ってきました。
2003年01月24日
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公園になっている小高い丘を下り、遠藤周作文学館へやってきました。海に面した場所で、青に包まれるように建物が建っていました。建物中央のポーチを抜けると、最初にあるのは海を望むテラス。遥かな水平線、角力灘に浮かぶ島々を眺める事ができました。 ついつい眺めに魅入ってしまいましたが、目的を思い出して館内に入ります。入館料を払いエントランスホールへ。高い天井の広々とした空間。見上げると、深い蒼に輝くステンドグラスがありました。そのせいか、何処と無く教会を思わせる造りです。勿論十字架や、長崎のキリシタンが何よりも崇めたマリア像はありませんが。展示室に入ります。一角に遠藤周作氏が生前愛用していた、机や椅子が置かれた書斎コーナー。生原稿の展示。氏の生涯を辿るパネル展示――12才の時、洗礼を受けたものの、それは母の為であって信者としての心があったとは言えなかった事。何度も信者である事を棄てようとしては、母への思いから留まった事。戦時中に信者故の迫害を受けた事。そして次第に幾つかの出会いから、カトリック文学への関心を深めていった事。悩み戸惑いながら、キリスト教と向き合っていった氏の歴史を垣間見る事ができます。そして壁一面に展示されているのは、「沈黙」とそれに連なる作品と言われている「女の一生」の文章の断片をパネルにしたもの。迫害の時代における宣教師の、キリシタンの、切なくやるせない、哀しく辛い中での直向きな想いは、その断片からだけでも胸に迫ってきました。「沈黙」の登場人物の宣教師ロドリゴのモデルとなった、ジュゼッペ・キャラや、実在の人物でもあるフェレイラについてのパネル展示もあります。また長崎に宣教師として訪れ、ポーランドに帰国後、ドイツ軍に捉えられ、アウシュビッツで若い男性の身代わりとなって、愛を説きながら殉教をとげたマキシミリアノ・コルベ神父についてのものもありました。続いて入った部屋は、一角が畳となっていて碁盤が置かれていました。氏は碁が好きだったという事で。そして大きな窓からは眩しさに直視できない程の陽光が射し込み、遥かに海と空とを見渡せます。続いて入った展示室では、氏の活動の歴史が垣間見る事ができます。氏と、氏を取り巻く人々の写真などが展示されていました。思いの外、時間を取ってしまったでしょうか。夕陽を眺めるまでに、もう少し外海を廻りましょうと、遠藤周作文学館を後にしました。
2003年01月23日
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思案橋横丁から表通りに出て、家へのお土産にみろくやの長崎ちゃんぽんを購入。ここでなくても買えるけれど、お土産という名目が無いと、なかなか手は出ませんし。勿論、帰ってから家では大喜び。作り方に書いていないよと言われながらも、牡蛎を入れて作って食べました。タクシーでかしょうさん宅へ。これからかしょうさんの車で長崎市を出て、その隣の西彼杵郡外海町に向かいます。旅の計画段階で、かしょうさんから「夕陽を眺めて海岸線をドライブ」との提案があり、大喜びした私たち。夕陽が美しく見える公園が、外海にあるという事でした。外海については、とても一言では語れません。この地域は「キリシタンの里」であり、遠藤周作の「沈黙」の舞台となった黒崎があります。その事から「沈黙の碑」が建立され、平成12年には「遠藤周作文学館」が開館しました。そんな訳で、行きの飛行機の中で「沈黙」を読んでいたのです。この黒崎の出津地区には出津文化村があり、この地の歴史を垣間見る事ができるようです。ちなみに「外海」は「そとめ」と読むのですが、うっかり「そとみ」と読んで、かしょうさんに苦笑された私…。地名の読み方は知っていないと間違えてしまう事があるので、気をつけないと。そういえば長崎市内で「木場」という地名を見たのですが、こちらもアルファベット表記が無かったら、間違う処でした。東京にも同じ地名があり、東京の方は「きば」、長崎の方は「こば」と読むのです。山間の道を抜け、海が見えてきました。ああ、この青。空の色、海の色――長崎の色です。あまりの景観に、車を止めてもらいました。 漁港が見えました。大きな船が幾つも停泊しています。そこで目にした「ごんあじ」という文字に首を傾げると、知らない?とかしょうさんに愕かれました。「ごんあじ」とは長崎ブランドの鯵の事だそうです。脂がのっていて美味しいよとの言葉に、買って帰ろうと密かに決心。調べてみた処、長崎の五島灘に生息する瀬付きのマアジ(本来回遊魚である筈の鯵が、比較的浅瀬の特殊な範囲に棲みついたものを瀬付きアジと言う)の事だそうで、腹部が黄金色に輝いているところから、おうごんのあじ、「ごんあじ」と言うようです。他の鯵と比べると、平均して脂肪がのっていて美味だとか。250g以上で「ごんあじ」、150~250g未満のものは「若ごんあじ」と呼ばれやや脂肪ののりは少ないとの事。長崎市ブランド振興会による厳正な審査によって、認定されてはじめて「ごんあじ」と言われるそう。さて、車は漁港に突き当たって後、右手に折れて国道202号を走ります。そして最初の目的地にやってきました。
2003年01月22日
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唐人屋敷跡から、龍町通りを歩いて思案橋に向かいました。行こか戻ろか思案橋――橋は現在無いですが、この辺りは長崎一の歓楽街。今は昼なので、閉まっているお店も多いですが、夜にはかなりの賑わいをみせるのでしょう。詳しくはこちらへ。途中、SAWAが福砂屋本店でカステラを購入。待ち合せ場所の銀行前に行こうと横断歩道を渡りかけた処に、かしょうさんが現れました。そっち側だからと言われて、渡りかけた道を戻ります。旅の計画段階で、かしょうさんから「お昼には美味しいちゃんぽんを食べに、案内します」とのメールを戴いてから、ずっと愉しみにしていました。そしてかしょうさんの案内で、向かったのは思案橋横丁。「並んでいるかもしれない」と、たったか足早に歩くかしょうさんについて行きました。お店の名前がうろ覚えだったのですが、場所的に見て「康楽(かんろ)」でしたでしょうか?かしょうさん。この日は並ぶ程ではなかったのですが、満席だったので暫し待つ事に。かしょうさんとお店の方は、長年のお付き合いのようです。席についてから、お店の方とかしょうさんの店主の人柄がよく現れた、とあるエピソードを聞かせて戴きました。また、先日かしょうさんを訪ねていらした、ロンドンの老舗ワイン商の方からのお手紙を、私たちが先立ってお願いしていたので、持って来て戴いて、拝見させて戴きました。その方がいらした時のワイン会のお話をメールで戴いていたのですが、身悶えする程の内容で、その件について手紙では感謝の言葉が綴られています。そして当然ながら、かしょうさんをロンドンへ誘っているのですが、そこ以外ではお目に掛かる事は有り得ない、素晴らしいワインが眠るセラーをもってしても、かしょうさんはロンドンへは乗り気じゃないようで。勿体無いとここでも私たちは身悶え。さて、次々と料理が運ばれてきました。まずは前菜。かしょうさんのお勧めとあって、どれもこれも美味しいものばかり。ビールが欲しくなってしまいますが、ここは我慢。メインが入らなくなってしまいます。 そしてお待ちかね、ちゃんぽんと皿うどん。ちゃんぽんまでは覚えていたのですが、皿が置かれると同時に箸を握ってしまう習性にて、皿うどんの写真を撮るのを忘れてしまいました。この時期のちゃんぽんは牡蛎が入っているものだとか。また、牡蛎が入っていないちゃんぽんは、本物じゃないと、この時期以外はちゃんぽんを口にしない人もいる程だそうです。私たちが戴いた、美味しい本物のちゃんぽんです。ちゃんぽんは胡椒を沢山振って、皿うどんはソースをかけて食べる方が多いとか。そのままのお味と、両方堪能させて戴きました。シェアして食べたとはいえ、お店の方のサービスで大盛だった為、胃がはち切れそうです。なのになのに、ここ思案橋横丁には、meemeeさんのお勧めであり、SAWAも絶対食べたいと言っていた、外せないお店があるのでした。小さいから一個だけならと、長崎ぶたまん桃太呂で、ぶたまんを購入して食べ歩きさせて戴きました。美味しかったのでぺろりと平らげましたが、もう当分、何も入りません。
2003年01月21日
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微熱状態継続中につき、思考力著しく低下中のこの頃。とてもまともな文章を書く事ができずに、今日も旅の記憶を綴るのは断念致しました。ここまで書くのに、何度も手が止まるくらいなのだから、もうどうにも…。というわけで、確か今朝のニュースで今日から大寒とか言っていたようなので、頭使わず辞書・辞典を使って日記を埋めようとしております。大寒 ―― 二十四気の一つ。二十四気 ――中国から渡来した季節区分で、一年を太陽の黄道上の位置によって、二十四(各15日)に分けたもの。二十四節気。単に節気とも言う。立春から交互に節気・中気を設け、それぞれに名称を与えた。中国は黄河の中、下流域での季節区分なので、日本では少し季節感が合わない面もある。また日本では極寒と感じる時を、中国ではこれ以上寒くならないので、春が来たと考えるそうで…暦の上では春だけど、なんて言いますが、そういう事なんですね。考え方の差という事でしょうか。春立春(りっしゅん)正月節/2月4日頃 雨水(うすい)正月中/2月19日頃 啓蟄(けいちつ)2月節/3月6日頃 春分(しゅんぶん)2月中/3月21日頃 清明(せいめい)3月節/4月5日頃 穀雨(こくう)3月中/4月20日頃 夏立夏(りっか)4月節/5月6日頃 小満(しょうまん)4月中/5月21日頃 芒種(ぼうしゅ)5月節/6月6日頃 夏至(げし)5月中/6月21日頃 小暑(しょうしょ)6月節/7月7日頃 大暑(たいしょ)6月中/7月23日頃 秋立秋(りっしゅう)7月節/8月8日頃 処暑(しょしょ)7月中/8月23日頃 白露(はくろ)8月節/9月8日頃 秋分(しゅうぶん)8月中/9月23日頃 寒露(かんろ)9月節/10月8日頃 霜降(そうこう)9月中/10月23日頃 冬立冬(りっとう)10月節/11月7日頃 小雪(しょうせつ)10月中/11月22日頃 大雪(たいせつ)11月節/12月7日頃 冬至(とうじ)11月中/12月22日頃 小寒(しょうかん)12月節/1月5日頃 大寒(たいかん)12月中/1月20日頃 黄経の位置によって計算するので、毎年日付はずれます。言葉の由来なんかも、書いてみようかと思いましたが、気力の限界。まあ、字面でだいたいの予測はつきましょう。大寒はあちこちで、色々な寒稽古が始まる季節ですね。武道や芸事をなさる方は、気合いを入れて鍛えて、一層の充実を図るのでしょう。寒さが極まる季節という事で、皆様お身体ご自愛くださいね。私は早く風邪を治さねば…。
2003年01月20日
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「出島」の次に向かったのは、横浜、神戸と並ぶ「新地中華街」。横浜中華街を見慣れている私たちには、聞いていたものの、あまりの小ささにこれだけ?とちょっと愕いてしまいます。縦に一本、横に一本の十字路のみの新地中華街。江戸時代中期に、中国からの貿易品の倉庫を建てる為に、埋め立てられてできた街だそうです。新しくできた地、よって「新地」という訳ですね。 あるものは何処の中華街でも同じ。中国菓子に中国雑貨、中華レストラン。長崎の特色はからすみが目につく事でしょうか。SAWAは「石橋蒲鉾店」に惹かれていましたが、長崎駅近くにも出店しているという事なので、帰る日に買う事に。あっという間に中華街を抜け出て、湊公園に辿り着きました。ここから左手、山の方へ向かって歩き出します。暫くすると目的地を示す碑がありました。ここはあまりガイドブックに取り上げられる事は無いようですが、私としては「出島」に行ったからには、「唐人屋敷跡」も行かなくては片手落ちだわと足を運びました。「新地中華街」も、ここに「唐人屋敷」があった為に、その場所にあります。元禄2年(1689年)、幕府は密貿易対策として、当時長崎市内に住んでいた中国人(唐人)たちを収容する唐人屋敷を建設しました。オランダ人の出島、中国人の唐人屋敷という訳ですね。面積は約3万㎡で、出島の約2倍の広さ。当時長崎にはかなりの中国人がいたそうですから、それでも広いと言えたかどうかは解りませんが。練塀と竹垣で二重に周囲を囲い、唯一の出入口は大門のみ。出島と同じく、外の世界から閉ざされていました。屋敷への出入りが許可されたのは、丸山の遊女と門鑑という木の札を持った人だけで、一般の人々は立ち入ることができなかったという事です。鎖国時代、出島と共に海外交流の窓口として、大きな役割を果たした唐人屋敷は、安政6年(1859年)の開国後は廃屋となり、明治3年(1870年)に焼失、その後は市民に分譲されました。現在僅かに残る遺構は、明治期に修復改装された土神、観音、天后の3堂の遺跡と、明治元年(1868年)に福建省泉州出身者の手によって建てられた旧八門会所、明治30年(1897年)に改装、改称された福建会館です。観光客の姿は全く見えず、地元の人が犬を散歩させているくらい。殆ど人通りの無い、細い路地には魚の匂いが漂っていました。何となく、香港のスタンレー(赤柱)を思い出します。現存する建物は、ぽつりぽつりと、坂途中に点在しています。土神堂観音堂 福建会館唐人屋敷跡を散策中、携帯電話に着信。かしょうさんからです。少し予定を繰り上げて、待ち合せ場所へ向かう事になりました。お待ちかねのランチタイムです。新地中華街、唐人屋敷跡について、詳しくはこちらのサイトへ。
2003年01月16日
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表門の隣には、慶応元年に建てられた石倉を復元した建物があり、「出島シアター」になっています。ここでは、映像で当時の出島の様子を紹介していました。主演(笑)は当時のオランダ通詞という設定で、史料館に展示されていた事を、解り易く解説しています。続いてちょっと戻って、表門の斜め前にある「出島史料館分館」へ。入場券は本館と対になっています。何処にいれたか忘れて、暫し焦りました。見つけて無事入場。こちらの建物は、幕末から明治にかけて建てられた石倉を復元したものだそうです。出島シアターは一階建てでしたが、こちらは二階建ての石倉。出島の出土遺物が、多く展示されていました。絵皿を見て、アムステルダムの空港で見かけたのに似ているなあ、なんて思ったり。分館を後に、出島シアターの前を通り二番蔵、一番蔵、そして一番船船頭部屋と見ていきます。まだどれも復元されたばかりの新しいもの。ここまでで出島の端まで来た事になります。端から中央の道を眺め、出島の狭さを実感しました。一番船船頭部屋は当時オランダ船の船長の宿泊所で、室内も当時の様子を再現。一番蔵は主に砂糖を収蔵していたそうで、現在はこの建造物復元の過程を紹介しています。二番蔵は当時、主に蘇木(染料の原料)を収蔵。復元後は出島から入ってきた西欧の科学などを紹介しています。これらの道を挟んで向かい側にあるのがヘトル部屋。ヘトルとは商館長次席の事です。ちなみに商館長はカピタン。カピタン部屋は場所的にはこのヘトル部屋の隣に位置すると思いますが、現在復元中です。ところでヘトルとは、実はポルトガル語だそうです。出島にポルトガル人が住んでいたのは僅か4年の事ですが、こんな形でその痕跡は残っていたのですね。さて現在ヘトル部屋は一階に案内所や売店があり、二階は多目的ホールになっています。ヘトル部屋の後ろには、料理部屋があります。当時の様子が再現されており、また当時の様子を描いた絵もありました。料理部屋の裏手には、当時の石垣が復元されています。こんなものに囲まれていては、監獄と思うのも当然でしょう。ヘトル部屋でお土産物を見て、出島の探索を終えました。ところで出島で一つ、気になった事。係員の女性が着ている制服も、何か出島に関係したものなのでしょうか。何だかとっても不思議なものを着ていたのですが。(参考)「出島生活」「出島案内リーフレット」(出島関連サイト)蘇る出島
2003年01月15日
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続いてやって来たのは、「ミニ出島」。こういう模型を見るのは、何故だかとても好きです。つい沢山写真を撮ってしまったりして。 この後にも強く実感する事になるのですが、こうして模型で全体図を見ると、「出島」がとても狭いものだった事が解ります。当時の「出島」の面積は約15000㎡(3900余坪)。この小さな島から、殆ど出る事は赦されず、限られた交友関係の中での生活。「出島」の周囲は高さ3m近い土塀で囲まれていたといいますから、閉塞感はかなりのものだったのではないでしょうか。ここで暮らすオランダ人たちは、ここでの生活を「国立監獄のようだ」と嘆いていたそうです。 ですがそんな中で、どうしても生活していかなくてはならないとなれば、気晴らしの為の娯楽が生まれたのでは?と思いました。資料を見てみると、発祥はしなかったようですが、遊びの伝来はあったようです。またカルタ遊びなどもしたとか。伝来したのはビリヤードや、バトミントン、庭園でゴルフなどもしたそうです。「ミニ出島」の隣に位置する庭園を通ると、それを示す碑が立っていました。 表門までやってきました。現在門は復元されていますが、橋は無いので出入り口としての役割は果たしていません。かつては出島に出入りする為のただ一つの門。橋を渡り、この門を潜れる者は限られていました。当時、出島で生活していたオランダ人は多くても15人くらい。商館長とその次席、荷倉役、決算役、書記役、医者などです。それ以外に下働きの職人と、オランダ人の身の回りの世話をする東南アジア人。彼らがこの出島から外に出られる事は、殆どありません。乙名と呼ばれた責任者、オランダ通詞(通訳)、火用心番、探番(門番)、料理人、草切(って一体…?)など、出島に関する役職についた日本人が出入りしていたそうです。そして唯一、それ以外に出島への立入りが赦されていたのが、遊女たち。出島赴任者は、妻の同伴を赦されていませんでしたから、出島とは男だけの世界だったのですね。遊郭というと、吉原などは遊女は外に出られませんが、ここでは出島から出られない彼らの為に、遊女が出張してきていたという訳。身の回りの世話を焼いたりと、妻的な存在であったりもしたようです。そして閉じ込められているのは、男の方ですから、恋に身を焦がして泣いたオランダ人もいたとか。吉原の遊女は悲哀の色が強いですが、長崎の丸山や寄合町の遊女たちは、強かなイメージがあります。裏取引きに暗躍もしていそう。そんな遊女たちが、禿(かむろ)を連れて、この門を潜り抜ける光景を思い描いて門を見上げました。
2003年01月14日
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meemeeさん宅に泊まった朝。一人起き出して、meemeeさんの蔵書を漁って、meemeeさんの目覚めを待つ、というパターンを確立させそうです。一時間後、meemeeさん起床。私が本に没頭している間に、コーヒーをいれ、朝食を作ってくださいました。その後だらだら身支度をし、本を未練ありげに抱えていると、meemeeさんがお持ち帰りでしょうと袋を渡してくださる。これもいつものパターン確定ね。お昼前にmeemeeさん宅を出発。今日はmeemeeさんと楽天仲間のwildyさんの初対面の日で、私もお誘いを受けていたのですが、体調に自信が無かったので、返事は見送っていました。でも予想しつつも(笑)予定外でmeemeeさん宅に泊まって、このまま帰るのはつまらない。専属ナースがいるんだもの大丈夫と、仲間に入れて戴く事にしました。待ち合せ場所に着き、wildyさんを探して視線を彷徨わせました。といってもお会いした事は無いので、それらしき人を探したに過ぎませんが。見当たらず、まだ時間もちょっと早かったので、座って待つ事にしました。少ししてmeemeeさんの携帯電話に着信。「何処にいます?」とmeemeeさんが携帯電話に話している間に、私は辺りを見廻してwildyさんを視界に捉え、彼女もこちらを認めて「後ろにいます」。真後ろに立っていたのでした。初めましての挨拶の後、早速ランチに出発します。最初は美味しいハンバーガー屋さんと言っていたのですが、途中メキシカンレストランを見つけて予定変更。二階にあるレストランで、唯一の窓際テーブルを確保。セビッチェ、チーズナチョス、ビーフファヒータス、ブリトーと、盛り沢山でオーダー。飲物は私はネグロモデロ(メキシコの黒ビール)、meemeeさんはサングリア、wildyさんはアイスティ。wildyさんは外では飲まないそう。私はドクターストップでもかからない限り、飲まない事はないかも…。お食事とお喋りを愉しんで、その後はお買物へ。目的地へ行く前に、幾つか気になるお店もチェック。wildyさんも私と同じくドレッシー系がお好きのよう。「着る機会に恵まれないドレスが沢山ある」人種ね。じゃあ今度、ドレスアップしてパーティしましょう!とお約束。さてお買物と言って、行った先はスーパーマーケット。国際色豊かなスーパーマーケットがあるので、その辺じゃあなかなかお目に掛かれない食材を探しに来たのです。生憎、私の探し物は見当たらず、何か使い勝手の良いものでもあったら買おうかなと思ったのですが、風邪のせいか薬のせいか、物を選んだり買ったりするのに必要な気力が出てきません。やはり体調崩して疲労気味な時に、買い物は無理らしいです。ぼおっと陳列されているものを見て、気づくといつもの癖でワイン棚の前で佇んでいたり、ついうっかり試飲に手を出していたり…。meemeeさんとwildyさんは、それぞれ欲しいものを見つけられたよう。meemeeさんはジェノベーゼソース。wildyさんはベジタリアンレシピの必要に迫られていて、肉以外のスープストックを見つけられて大喜び。私もちょっとでもお役立て戴ければと、wildyさんに、手持ちの料理本からコピーしたベジタリアンレシピを持参。お歓び頂けて、私も嬉しい。ちなみに私が探していたのは、インスタントのグレイビーソース。手抜きしたい時に使い出があるんだけれど。買物の後は、じゃあお茶でもと、meemeeさん推奨のチョコレートの美味しいお店へ。辿り着いたのは一階がカフェ、地下がショップになっている処。向かいにエノテカがあって、「ああ、ワイン」とうわ言を呟き、私たちお茶飲んでいるから、一人でワイン飲んで来ていいよとあしらわれながら、この辺のお店にしては安いと、wildyさん感激のカフェへ。この頃疲労感ピークに達していたらしい私は、自分で一度決めたオーダーを、オーダーする前に忘れる始末…一度決めたんだけど、また悩み出しちゃって、なんて言い分けしていました。まったりお茶を飲んで、地下のショップでmeemeeさんがチョコレートを買って、今日のメニューは終了となりました。wildyさんとは初対面だというのに、風邪で思考力が著しく低下した状態だった事が悔やまれます。もっと色々お話したかったのに…。今度は体調万全な時に、また遊んでくださいね。そしてmeemeeさん、山ほどお世話をかけました。御礼は後程。まずは体調戻さなくては…。
2003年01月13日
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偶然ですが去年、新しくできたものが、便利だと初めて思った日。湘南新宿ラインとりんかい線。りんかい線はもうちょっと前から存在していますが、去年暮れに全線開通となったので。湘南新宿ラインは、時と場合で便利だったり不便だったり…私には不便な事が多いかしら。これは新しくできたと言っても、他の路線を合間合間に走るから、もともとあった線の本数が減ってしまったので。今日は湘南新宿ラインに乗って、地元の駅から一本で途中meemeeさんと車内で待ち合わさせて、大崎駅へ。そこからりんかい線で東京テレポート駅まで。まずは腹拵えをする為に、ヴィーナスフォートへ向かいます。去年の夏くらいかしら?新しくできたデリ・レストランへ。ランチメニューの中から選べるデリ3品とデザートがついたDONBURIセットというものをオーダー。デザートは生憎私の苦手な胡桃を使ったものだったので、勝手にデリ4品を選択。どれも無難に美味しかったです。数日前から風邪をひいて、非常に体調の悪かった私は、今日のメインイベントはどうしても外せないと無理矢理出てきたのですが、食後にmeemeeさんから薬を与えられて、飲んで暫くしたら症状が総て治まったのには驚愕。体調悪くても専属ナース付きなら怖くない(笑)。ヴィーナスフォートではワインショップとチーズショップをちらっと見て、すぐに本日一番目の目的地へ向かいます。前々から行きたいと思って、なかなか誘う相手に悩む場所だったのですが、きっとmeemeeさんなら興味があるのではとお伺いした処、気になっていたのよとの事。ヴィーナスフォートから少々歩いて辿り着いた先は、「日本科学未来館」。愉しみにしていたドームシアターガイアの上映は、総ての回満席になっていたので、来た瞬間にまた来ようと決意。途中、薬のせいで眠気に襲われるも、知識欲と好奇心に勝るものは無し。生命について、宇宙について、科学技術の進歩や発展について――2時間もあれば充分だろうと思っていたのに、ざっと見ただけであっという間に時間は過ぎてしまいました。全部見ようとしたら、一日あっても足りないわ。全部理解しようとしたら…何年かかるかしら。500円でこれだけ愉しめるのは、お得でしょう。友の会年会費(一年間入場無料)なんてたった1000円よ。子供が多かったけれど、こういう処で授業をしたら、科学も興味深く愉しめるでしょうね。そういえば明日は成人式だけれど、成人式をアミューズメントパークでやるなら、こういう処に来た方がよっぽど有意義だと思うけど。また来ようね、友の会入る?なんて話しながら、再びヴィーナスフォートへ。先程ワインショップで目をつけた、アイスワインを購入する為。ゆりかもめ青梅駅から新橋へ向かいます。まだちょっと時間があったので、新橋からちょっと歩いた処にある、私がよく行くワインショップへ。風邪引きな私はワインを選ぶ気力は無かったけれど、以前からmeemeeさんに案内するねと言っていたので。meemeeさんはオープナーをお買い上げ。そして内幸町駅から三田線で巣鴨駅へ。本日のメインイベントは「羊を食べる未年新年会」。単に羊肉好きの二人が、思う存分羊を食べようと、新年会の名目をつけたに過ぎないのですが。meemeeさんの案内で都内唯一のモンゴル料理レストランだという「シリンゴル」へ。客にはモンゴルの方が多く見受けられました。隣はモンゴル人二人と日本人一人のグループ。壁にかかった絵に纏わるモンゴルの話を説明しているのに、耳を澄ませ、しまいには勝手に話に参加してしまいました。知らない者同士でも気軽に声を掛合う事のできる、和やかで、和気藹々とした店内。とっても気に入ったのはチャンサンマハ(骨付き羊肉を塩だけで茹でたもの)にハルアルヒ(56度のコーリャンから作られた蒸留酒)。馬頭琴の生演奏に心地良い気分を味わいながら、身も心も酔っ払いました。そして酔っ払って家まで帰るのが面倒になった私は、meemeeさん宅にお泊り。お世話をかけました。
2003年01月12日
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海が無い現在、「出島」との境にあるのは、遺構調査によって出土した当時の護岸石垣が復元されたもの。南側部分と西側部分があり、「出島史料館本館」側にあるのは、「南側護岸石垣」です。 現在柵がある場所から先は、かつては海だったという事ですね。この辺りだと正確には河口かしら。埋め立てられて、見る影もないけれど。さて、まずは「出島史料館本館」へ。この建物は明治10年(1877年)に、日本初のキリスト教新教の神学校として建てられたものだそうです。入場料を払って中へ。出島は史料館だけが有料。ここでは模型を用いて、貿易と文化という二つの視点で出島誕生の経緯とその変遷、貿易品や出島での生活などが紹介されています。とても興味深い内容で、かなりの時間を費やしてしまいました。私たちが一番熱心に見てしまったのは、当時の晩餐会のお品書きです。途中、SAWAが先程飲んだ頭痛薬が効いてきたらしく、耐え切れない睡魔に襲われふらふら。ちょっとだけ寝かせてと言って、館内の休憩用のベンチで沈没しました。私はゆっくり見て廻わり、ベンチの処まで戻ったのですが、何処で擦れ違ったのか、SAWAが見当たりません。まあどうせ携帯電話で連絡取れるしと、お手洗いに行きたかった事もあり、史料館を後にしました。隣の、と言っても間に庭園があり、少し歩くのですが、「旧内外クラブ記念館」へ向かいました。お手洗いへ行った処で、SAWAから連絡。居場所を言うとじゃあそっちへ行くと言うので、待っていたのですが姿が見えません。何処にいるんだろうと、建物を出てふらふらしていると、同じくふらふらしているのが見えました。私はまっすぐお手洗いに向かってしまったせいで、「旧内外クラブ記念館」の裏手から入ってしまい、SAWAは表側に向かったのです。改めて表側から「旧内外クラブ記念館」に足を踏み入れました。ここは明治36年(1903年)に、日本人と外国人との社交場として建てられた建物だそうで、現在は無料休憩所と、居留地時代の紹介などをしています。
2003年01月10日
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ホテルモントレ長崎のエントランスは、海岸通りと並行に通る一本山寄りに入った道、「オランダ通り」に面しています。海岸を背に、右手に行けばグラバー園や大浦天主堂、左手は市街中心地へ続きます。私たちが向かったのは、左手。歩き出してすぐに、「野口彌太郎記念美術館」がありました。これは旧英国領事館の建造物で、国指定重要文化財となっているそうです。気になりましたが、この辺は後回し。美術館の向かいには「オランダ坂」もありますが、坂とは反対方面に歩いて、海岸通りに出ました。そして更に中心地に向かって歩きます。そして目的地、「出島」に到着。そう、長崎と聞き、私が最初に思い浮かべるのは「出島」。勿論それと連なって長崎奉行とか、丸山遊郭とか、オランダ船とか、まあ他にも色々浮んできますが、今現在見る事ができるのは「出島」だけです。その「出島」も、実はつい最近復元され始めたのですが。「出島」といえば、その姿は扇形の人工島として浮かび上がってきます。在りし日の姿に興味を抱いたものの、その後、出島がどうなっていったのか、長崎に行こうと思うまで知りませんでした。「出島」と言うからには、島だと――今も猶、美しい扇型を保っていると、幻想を抱いていたのですね。現在の「出島」は、周囲をすっかり埋め立てられて、市街地の中にあり、島という言葉は完全に過去のものとなっています。幕末から明治期にかけての混乱は、長崎港の維持管理に支障をきたし、中島川から流れてくる土砂の堆積を齎しました。そこで川の為の工事で削られたり、鉄道の用地確保で埋め立てられたり、最終的には明治37年の第2期港湾改良工事で、出島は完全にその姿を消してしまったという事です。現在、出島の歴史的価値を未来に残そうと、復元整備計画が進んでいます。建造物復元に始まり、最終的には四方に水面を確保し、かつての扇形の島に完全に復元される予定なのだそうです。という訳で、歩いていると街並の一角として、かつての出島が見えてきました。「出島和蘭商館跡」というのが、現在の正式名称のようです。大抵は出島電停で降りて入るらしいのですが、私たちは歩いている内に反対側に来てしまったようで、最初に目に入ったのは、「出島史料館本館」でした。
2003年01月09日
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翌朝、目が覚めた瞬間から動き回れる私は身支度を整えると、布団を上げたり、昨日もいで貰ったみかんを食べたりしながら、暫し唸ったり転げ回ったりしないと起きられないSAWAの、用意が整うのを待ちました。SAWAの寝起きの悪さは天下一品。おまけに昨日飲み過ぎて、頭が痛いらしい(蒸留酒苦手なくせに、沢山飲むから…)。コーヒー飲みに行こうよと、かしょうさん宅を後にしました。かしょうさんとは後で合流する予定。まだ眠っていらっしゃるだろうと、静かに朝早い街中に出て行きました。今夜はホテルに宿泊。取り敢えず最初は、チェックインをして荷物を置いてくるという予定でした。昨日かしょうさんから、行き方や市電はここから乗れば都合が良いとか、色々教えて戴いたのですが、まだ朝も早いし、コーヒーを飲める処を探して、ちょっと歩いてみようという事に。まずは川沿いに出て、眼鏡橋を目指して歩き始めました。これは当初からの予定の行動です。中島川には眼鏡橋以外にも勿論、幾つかの橋が架かっています。その中の一つ、柳の葉越しに見えた東新橋はちょっとした風情。 そこから更に川沿いに歩いて行くと、見紛う事無き眼鏡橋です。眼鏡橋はやはり川面に映った姿と共に見なければと、ちょっと手前で川岸に降りて、撮影ポイントを探しました。 古代ローマ人によってあみだされ、ポルトガル人から長崎に伝わった石橋の技術は、中国から来日した黙子如定禅師によって架設され、日本初の石造アーチ橋として、ここにある――そう考えると、何ともドラマティックな橋ではないでしょうか。眼鏡橋の一つ先にある橋の上から、真正面に眼鏡橋を臨みました。今朝の天気は生憎の曇り。それでも水面に映る姿は、綺麗です。橋を渡り、ホテル方向に向かいながら、コーヒーを飲める処を探したのですが、まだ朝早いせいで開いている店が見当たりません。漸く市電の西浜町駅前に、モスバーガー発見。美味しいコーヒーは諦めて、朝からやっているファーストフードに入る事にしました。アメリカンと言うにもあまりな、味も香りも無いコーヒーと、ライスバーガーで朝食としました。次第に青空が広がっていく窓からの眺めに、私はコーヒーには文句を言いながらも上機嫌。SAWAはコーヒーを飲みながら沈没。頭痛薬を飲んで、もう少しすればどうにかなるだろうと、ホテルへ向かう事にしました。西浜町から石橋行きの市電に乗りました。大浦海岸通りで降りれば、ホテルはすぐの筈です。走ったと思えばすぐ次の駅。聞いてはいたけれど本当近いのねと思いながら、幾つ目だっけと電車内の路線図を見ました。ええと、今のが市民病院前…え?もう次?握り締めた百円玉が暖まらない内に、下車駅に到着です。慌てて市電を降りて呆然。乗る必要ってあったのかしら?と思い、笑ってしまいました。ホテルは本当に下車してすぐの場所。今夜の宿は、ホテルモントレ長崎です。チェックインを済ませ、荷物を預けると、長崎に来るならここは外せない場所へ向かって歩き始めました。
2003年01月08日
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この日の3本目のワインにかしょうさんが用意してくださったのは、先程からデキャンタで時を待っていた「パヴィヨン・ルージュ・デュ・シャトー・マルゴー ’90」。説明の必要は無いでしょうが、シャトー・マルゴーのセカンドラベルです。以前96は飲んだ事がありますが、90なんて自分じゃ手が出ません。96じゃあまだ早過ぎるでしょうと、かしょうさんはおっしゃいましたが、それだってワインバーでシャトー・パルメ96とのテイスティング対決という企画があって、何とか手が出たもの。こんな私は一体いつ、目も眩むような歓待をしてくださったかしょうさんに、ご恩返しができるでしょうか。美味しいワインとお食事を戴きながら、お喋りをしていると、かしょうさんの息子さんが登場。実はこの前にも登場して、忙しいらしく挨拶だけで退場されていましたので、再登場なのですが。何やらPCトラブルで頭を抱えていましたが、某メーカー勤務のSAWAとPC話に花を咲かせました。息子さんは一滴も飲まない、というか飲めないそうで、勿体無い!とつい私は叫んでしまいました。体質ですから、仕方ありません。かしょうさんと息子さんはとても仲が良くて、二人の会話には思わず大笑いしてしまいます。口には出さないかもしれませんが、息子さんがかしょうさんを尊敬しているのが、感じられました。食後酒としてかしょうさんが、ショットグラスに何やら注いでくださいました。そしてボトルは見せないまま、これが何だか解ったら兜を脱ぐわとの事。透明な液体。蒸留酒だという事は解りますが、はてさて。香りを嗅ぐと、何処か覚えのあるもののように感じます。ですがとても薫り高いのに、それが何の香りなのか思い出せません。頭の中で様々な蒸留酒を思い浮かべながら、考えたのですが、覚えのある蒸留酒の中にその香りは発見できず。口に含んで強いアルコールと共に広がる芳香は、絶対に何処かで感じた事があると確信できるのに。もどかしい思いのまま、降参の白旗を振りました。さて、答えは何と「トリュフ」。思いも寄らないとはこの事です。覚えのある蒸留酒に探してもある訳が無く、滅多に嗅ぐ事の無い香りだけに、思い出せなかったという事でしょうか。「ジャン・ポール・メッテ スピリチュード・トリュフ・デュ・ペリゴール」という名前。覚えていられませんので、実は後からかしょうさんにワインリストを送って戴きました。とても稀少なお酒なので、飲まれた事は勿論、目にされた事がある方も少ないでしょう。少々調べてみました。アルコール度数45度。原産地はフランス、アルザス地方。生産者ジャン・ポール・メッテ。ペリゴールトリュフ(黒トリュフ)をふんだんに使用して造られた究極のオー・ド・ヴィ。1本(350ml)のトリュフのオー・ド・ヴィを造るのに、約30グラムのフレッシュ・トリュフを使用。生産量は年間約200リットル(350mlのボトルで約571 本)と極僅か。5年から7年の間、セラーでゆっくりと瓶内熟成をさせてから出荷されるそうです。まさに究極の夢に漂うような酔い心地の中で、すっかり夜も更けました。明日の予定を打ち合わせる為に、長崎のガイドブックを持ってくると、かしょうさんと息子さんが初めて見ると興味津々。地元のガイドブックなんて見ないものでしょうか。私の地元も観光地ですから、年がら年中何かにつけては雑誌で特集されますし、ガイドブックも数多く出ているので、たまに覗きます。まあ確かにじっくり読む事は無いですが。酔いの廻った頭で、何とか打ち合わせを済ませ、夢の中に突入しました。ワイン三本に食後酒、飲み切れた訳も無く、グラスに残したワインが今でも心残りです。特にパヴィヨン…ああ、美味しかった。
2003年01月07日
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明けましておめでとうございます。如何お過ごしでしたでしょうか。今年ももう六日が過ぎてしまいました。本当は昨日あたりに、新年の挨拶日記を書く予定だったのですが…休み中まさか本当に、殆どPCの前から遠ざかっている事になろうとは思いませんでした。やっていた事は予想通り、本を読んだり、食べたり飲んだり…予想外にお菓子作りに精を出したかしら。バナナが熟し過ぎたのでバナナケーキを作って、新年の挨拶で家に人が集まる時に、人数を考えなくてすむトライフル。シェリーを切らしていたので、替わりに白ワインを使ってみました。サイコロ状に切ったスポンジとフルーツにワインをたっぷり(ハーフボトル使い切りました)振り掛けて、カスタードと生クリームを掛け、一晩寝かせた(これが重要)だけの簡単なもの。ちなみにあまり甘いのは好きではないので、生クリームは砂糖抜き。大人なトライフルになりました。それからスコーン。クロテッドクリームは無いので、バターとりんごをワインで煮たものを添えて。作っては食べ、作っては食べ…殆ど家でごろごろしていたので、確実に体重を増やしたような。年明け出掛けたのは、初詣と買物と友人宅でのビデオ観賞ワイン会。気の置けない仲間と、頭を使わない品位をうっちゃったビデオで大いに笑い、美味しいワインと食事を愉しんで…気づいたらお休みは終わり。明日から通常の過去旅日記に戻ります。新しい年の始まりです。さて、今年は何処に旅できるでしょう。今年も宜しくお願い致します。
2003年01月06日
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