歎異抄を学ぶ

歎異抄を学ぶ

2006年09月15日
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『人生には何ひとつ無駄なものはない』

この著書の魅力は何よりタイトルである。
私の人生など短いものだが、振り返ってみても沢山遠回りをした人生だと思っているがやはり何一つ無駄なものはなかったと感じている。
よく浪人生などは、親不孝でしかないというような感じを受けるが、私にとっての浪人時代は自己を見つめ直すきっかけになったし、目標を持つ大切さを学んだ時期だったと思っている。

さて、著書の中で
「ひとつだって無駄にしちゃいけない―と言うよりは、我々の人生のどんな嫌な出来事や思い出すらも、ひとつひとつとして無駄なものなどありはしない。無駄だったと思えるのは我々の勝手な判断なのであって、もし神というものがあるならば、神はその無駄とみえるものに、実は我々の人生のために役にたつ何かをかくしているのであり、それは無駄どころか、貴重なものを秘めているような気がする。これを知ったため、私は「かなり、うまく、生きた」と思えるようになった。」という文章がある。
これは私も随分前に誰かに言われたことがあり、共感していたこともあって、改めて共感しなおした文章であった。

私がよく思うのは、人生を仮に道に例えることが多いが、もし道は曲がりがあり、上りがあり、いばらの道があるのなら、平坦で小石一つない道などあるはずがないと思う。
人はよく小石につまずいたりしながらも先へと進もうとしていると感じているからだ。私の人生は試練が多いと思っているが他者もそれは変わらないことだと思う。ただ歩む道が違うだけで。

上記のように著者も神がいるかは別と書いているが、私もそれは別だと書いておく。

老病死という三苦のうち、死という概念をこの数年、自殺願望が強かった時期があったので思うことなのだが、生かされている以上、私には課せられた使命のような仕事があると信じている。
それは何かは全く分かっていないがそれを全うした時に私の寿命がつきると考えているので、やはり先ほどから話している人生には無駄なものは何一つないと思えて仕方がない。

万人が生まれたくて生を受けたわけでなければ、寿命を持って生まれた以上、死は誰一人逃れられない終末だと感じる。ただ、宗教的考えで魂があるないは別として死を終わりと見るかどうかはいろいろな意見があるだろうが、自己意思という見方では終わりだと思っている。

私は今、生かされている。
どんな使命を持って生かされているのだろうか、私だけに言えることではないのだが、これが分かる日がくるのかも分からないし、これを自覚することが可能なのかも分からない。
だが、一生懸命生きることは出来ると思っている。まだ私は若いといわれる年齢なだけに与えられた使命を果たす日までいろいろ問い詰めて自己を見つめていきたいとこの著書を読んで改めて思った次第だ。





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最終更新日  2006年09月15日 12時43分23秒


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