歎異抄を学ぶ

歎異抄を学ぶ

2006年09月27日
XML
聖典399頁

『雑行を棄てて本願に帰す』

こそが、親鸞聖人の信念を表すと感じます。
自らが本願に生かされいることに気づいたことを表します。

我々この娑婆世界に生きる衆生は、自らが生かされていることに気づかない。
私も何処まで理解しているのかは分からないが、この世界に生かされているという自覚は少なからず持つと、感じるのは弥陀の本願の中に生かされる自分はどんな自分なのかを自問自答することになる。

私の感じる本願は、例として表すのは難しいが、よく言われる言葉で表すと「はたらき」である。
はたらきは、一番分かりやすい例が

風のはたらきをどう感じ取りますか?

木々の葉の動きで風を感じることが出来ます。

このように、見えない力を感じることが弥陀の本願による「はたらき」です。

我々は気づかずにいますが、生かされている
それは、私達が自らの意志で生まれ、死ぬわけでないこと気づかされる

親を選んだわけでもない、育った環境を選んだわけではない、死のタイミングを選べるわけではない(自殺は問題外)。
これは、生かされているからである

我々の命のつながりもとても重要です。
親を選べないのは万人にいえることです。
だったら親ですら親を選べないのです。

そしてどんどんさかのぼっていくと、沢山の生命のつながりを感じます。
これからも生かされていることに気づかされますよね。


多くの動物を食べたり、植物を食べています。
これも自分だけでは生きていけないということなのです

これも生かされているのです。

これだけいろいろな方面で生かされているってことに気づくことこそが弥陀の本願に気づくというきっかけになります。

私達はそうは言っても、これを辞めることも出来ません。


多くの生命に感謝したいものです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年09月28日 22時13分01秒
[レポート・宿題関係のネタ] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: