枚方公園駅と枚方市駅の中間付近、京阪本線沿いの南側に位置する万年寺山には、意賀美神社があります。南側から登ってくる階段が表の参道のようです。
北の坂道を登ってきましたが、とりあえずいったん階段下まで下りてみました。
意賀美神社の鳥居
道標
道路の名標
万年寺山を巡る道に付けられた愛称です。枚方市内にはところどころ、このような道路名が書かれた標識が設置されています。
意賀美神社の石標
「式内意賀美神社」と書かれています。
鳥居
同上
一の鳥居からいきなり階段です。その奥に見えるのが二の鳥居です。長松山萬年寺の石塔は、二の鳥居の近くにあります。
階段の頂上付近
二の鳥居からさらに階段を上がると、境内が見えてきます。
境内
大きな絵馬が掲げられております。牛の絵ですが、天満宮とは関係なく、今年(平成21年)が丑年だから牛ということです。
拝殿の正面にお百度石が置かれています。
拝殿
式内意賀美神社がどのように創建されたかよくわかっていないようです。Wikipediaを見ると「開化天皇の云々」という記述があります。開化天皇というと古事記や日本書紀に記されている紀元前の天皇です(実在したかどうかはっきりしていないようですが)。
もともと、「伊加賀村宮山」にあったと書かれています。現在の地より100メートルほど南になります。淀川の鎮守として、水運の安全や洪水が起こらないことを願う人々の信仰を集めていたようです。
明治42年(1909年)、日吉神社、須賀神社を合祀し、手狭になったため現在の地に遷座したといいます。
現在の地にもともとあったのは須賀神社だそうです。須賀神社は、長松山万年寺の開祖・聖宝(しょうぼう)が牛頭天王(ごずてんのう)を勧請して創建されたと言われています。
牛頭天王は「祇園社」とも呼ばれ、インドの釈迦の生誕地と関わりのある祇園精舎の守護神ともされています。。。。と、ここまで調べてみましたが、どこまでが神道でどこからが仏教なのか、よく判らなくなりました。
一方の日吉神社は、応仁の乱(1467年~1477年)で焼失しましたが、慶長5年(1600年)に枚方城主の本多政康が再興し、氏神としたようです。本多家は豊臣秀吉の家臣ですから、「日吉」の名前には特別の意味があったのかもしれません。
1600年といえば関ヶ原の戦いの年。枚方城主・本多政康の心中はどのようなものだったのでしょうね。
ちなみに、本多政康は大坂夏の陣(1615年)で徳川方に攻められ、枚方城は落城、政康は戦死し、本多氏は没落しました。本多政康の墓が一乗寺(意賀美神社から200メートルほど東、枚方市駅近く)にあるそうです。
梅が咲き出していました 2018年01月21日 コメント(2)
実りの秋(山田池公園にて) 2017年10月01日