京阪本線の枚方公園駅から枚方市駅にかけて、ほぼ本線に並行するように京街道の道筋が通っています。京街道は京都と大坂を結ぶ主要街道で、豊臣秀吉の文禄年間に整備され、交通が盛んになりました。
また江戸時代には「東海道53次」(江戸・日本橋~京都・三条大橋)からさらに大坂までを「東海道57次」と定めたとする記録があるそうです。この場合、53番目の大津宿から先、伏見宿(54)-淀宿(55)-枚方宿(56)-守口宿(57)と続き、終点は大坂の京橋(のちには高麗橋)までが整備されたということです。
枚方公園駅から枚方市駅にかけては、かつて枚方宿があって賑わったといいます。枚方公園駅西口には、宿場町の様子を示す説明板が掲げられています。
枚方公園駅西口
再び枚方公園駅を起点にして、枚方宿の史跡を探しながら歩いてみたいと思います。
西口を出て左手、細い道を抜けると、そこは西見附です。
西見附付近の道標
同上
西見附の案内
見附(または見付)とは、まさしく見付けること、つまり見張りを置いた場所のことです。転じて、西見附とは宿場の西の入口のことです。ここから東見附まで約1.5キロの街道沿いに宿場町が形成されたということです。
京街道(東海道)
「鍵屋」
同上
同上
暖簾にも「うだつ」にも、鍵のトレードマークが描かれています。
同上
「鍵屋」は伏見~大坂を行き来する客船「三十石船」の船宿で、天正年間(1573~1592年)の創業と伝えられています。船便を待つ間の休憩場所だけでなく、社交場的な意味合いもあり、三味線や太鼓の音で賑やかだったとか。
枚方宿鍵屋資料館
最近まで料亭として営業していましたが、1997年に廃業。枚方市の指定文化財に指定され、2001年に資料館として公開されています。
同上
梅が咲き出していました 2018年01月21日 コメント(2)
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