「枚方宿鍵屋資料館」から旧街道沿いに東へと歩きました。この辺りは東行きの一方通行になっています。
街道筋に残る町家
「田葉粉屋」
上の写真の中央に見える町家は明治時代に建てられたと推定されており、「表屋造り」と呼ばれる伝統的な構造だそうです。4棟の土蔵のある大規模な町家です。
この場所は、江戸時代初期から庄屋と問屋役人を兼ねていた「木南家」があったところで、かなりの実権を持っていたようです。屋号を「田葉粉屋」といい、「くらわんか船」の茶船鑑札(つまり営業許可証)を持ち、幕末期には金融業も営んでいたそうです。
左手の白壁の左手を奥に進むと、船番所跡があります。
船番所跡
跡といっても、説明板が置かれているだけのようです。
この辺りには「伏見船船番所」があったようです。また右手奥には「過書船船番所」もあったそうです。「過書」とは通行手形のことで、これがないと船の行き来ができません。その見張りをするのが「船番所」というところです。
説明板によると、「享保初年(1716年)には、乗客を主とした三十石船671艘(そう)、貨物運送を主とした二十石船507艘が、大坂と京・伏見の間を航行して」いたそうです。
過書船の独占営業だった運航に対し、「元禄11年(1698年)に伏見船の営業が認められたため、両者は激しく競合」したということです。
船番所近く
船番所の説明板の後ろを見ると、これまた立派な屋敷が建っています。
旧街道に戻って、さらに東に向かって歩くと、正面に「浄念寺」が見えてきます。
浄念寺
浄念寺は浄土真宗本願寺派のお寺で、蓮如上人の弟子、浄念によって開基されたと言われています。万年寺山にあった万年寺が廃されたとき、本尊や鐘楼などがこの浄念寺に移されました。
街道はここで右に曲がり、そしてすぐに左に曲がっています。わざと道を曲げることで攻め入る側にとっては死角となり、守りやすくしています。武家屋敷などでも見られる構造です。
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