さて、獅子窟寺の巨岩を眺めたあと、仁王門跡の付近まで戻ってきました。
下り道の右手、ふもとから上がってきて左手に、「お大師さんの水」と書かれた標識があります。また、傍の案内板には、同じ方向に「王の墓」があると書かれています。
参道脇の案内板
竹林へと続く道
先が見えませんが、せっかくですし、入ってみました。
道はやや下りになっていて、竹林の中に入って行くようです。少し下ったあと、平坦な道になりました。すぐに、右手に赤い服をきた石像が視野に入りました。
「お大師さまの水」
傍らの説明には、こう書かれています。
「何時の時代か、誰が云うとはなしにこの谷から(男岩と女岩)出る水を弘法大師の水やと云われてきた」ということだそうです。
竹林の間を行く道
さらに先へと道は続いています。道の両側は立派な竹で覆われていますが、鬱蒼と覆い茂る樹木とは違い、優しげな(あるいは怪しげな)日の光が射しこんで、不思議な明るさが保たれています。
突然現れるお墓
柔らかな光に包まれて、多くの墓がきれいに並んでいます。神秘な、厳かな雰囲気が漂っていました。誰もいません。入ってはいけない空間に足を踏み入れてしまったような、そんな場所です。
突然、バサバサと飛び立つ鳥。ドキッとします。
古いお墓の一群
歴代の獅子窟寺の住職の墓とも云われているようですが、私にはよくわかりません。
「王の墓」
さらに奥へと進むと、上の写真のような小柄な石塔が2つ並んでいました。これが「王の墓」と呼ばれているものでしょう。現場には案内板がないので、少し不安になりますが、他にそれらしきものもないので、迷うこともないでしょう。
ところで「王の墓」ですが、亀山上皇とその皇后の墓と伝えられています。私市の地に滞在して病気の治癒を祈願したところ治ったとのことで、喜んだ上皇が荒れたお寺を再建し寺領を寄進したということだそうです。
この付近は百重ヶ原と呼ばれる場所で、この墓は「百重ヶ原陵」と呼ばれることもありますが、本来の天皇陵ではありません。ここは獅子窟寺再建に対する地元の人が感謝を込めて建てた私的な陵墓なのでしょう。
亀山上皇の本来の陵は、京都・嵯峨野の天竜寺境内にある亀山陵だそうです。陵とはいっても天竜寺のほうがはるかに大きいのですけどね。
一方で、南北朝時代の南朝の天皇、長慶天皇の墓だとする説もあります。
この先、道があるのかどうか、はっきりしませんでした。ここは無理はしません、すなおに引き返すことにしました。
梅が咲き出していました 2018年01月21日 コメント(2)
実りの秋(山田池公園にて) 2017年10月01日