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退院後2週目に入り、徐々に排尿痛はなくなっていった。だが、退院時に処方されていた止血剤(アドナ錠)が切れたため、今度は毎回血尿が出るようになった。便器には、毎回赤ワイン色のおしっこが出て、その色を見ると、なんとも言えない憂鬱な気分になるのであった。また、これまでは、患部に滲みる排尿痛があったが、次第に、毎回の血尿で、○棒の先っちょがピリピリする痛みに移行していくのだった。尿道から出ていた血の方は、少しずつ収まってきて、尿漏れパッドに付く量も少なくなってきた。ただ、朝方の頻尿は続き、尿意切迫感の症状も出てきた。急に、おしっこがしたくなり、漏らしそうになるのである。幸いにも漏らすことは無かったのだが、朝から外に出掛けることはできなくなった。この時期は、在宅勤務をしていたが、休日も遠出は控えた。また、階段を降りる時や歩いている時、膀胱辺りがくすぐったい感じになり、おしっこがしたくなるような感じにもなった。そうこうしているうちに、3月8日となり、1ヵ月後検診があった。退院後初めてW先生の病院を訪問し、退院後の症状を伝えた。W先生からは「膀胱を軟らかくするお薬を出します」とのことだった。処方された薬は「ベオーバ錠50mg」。また、合わせて止血剤のアドナ錠を1週間分処方してもらった。その後、アドナ錠を飲むと、それまで続いていた血尿が、ピタッと止まるのであった。アドナ錠って、すごい、と感心するのであった。また、ベオーバ錠を飲むことで、次第に朝方の頻尿、尿意切迫感も消えていくのであった。手術から1ヵ月経ち、暖かい気候になって、体も回復してきて、少しずつ外に出掛けることが、できるようになっていったのであった。
2024.10.06
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2月19日、退院の翌日から仕事に復帰した。但し、事務職なもので、しばらくの間、在宅勤務とさせてもらった。この頃は、いつ尿漏れをしてしまうかもしれないと、不安であり、尿漏れパッドを付けていた。また、ずっと事務椅子に座って1日過ごすのは、ちょっと患部に障るかな、という感覚もあった。なので、退院後しばらくの間、机に前のめりになって座って、パソコンと対峙していて、と、事務所でそんな変な姿をさらしたくなかった、というのもあった。ただ、なぜか朝方、午前中は、頻尿に陥った。30分おきにおしっこがしたくなる。その度に、「ジャー」とそれなりにおしっこは出る。排尿痛はあるので、おしっこをしている間、「ジーン」と滲みるような痛みはあった。ても、おしっこは10秒~15秒くらいで出しきった感じにはなる。排尿痛はおしっこを出しきった後、数秒で収まる、というのを繰り返した。午前中はこんな感じだが、不思議と午後は頻尿は収まり、夜間はおしっこで目が覚めることは、ほとんど無かった。幸い、尿漏れは無かったので、尿漏れパッドは1日1回の交換で済ませた。ただ、尿道から知らぬ間に血が出ており、尿漏れパッドにはべっとり血が付着しているのであった。一応、病院から、止血剤(アドナ錠30mgとトラネキサム酸カプセル250mg)を5日間分処方され、1日3回服用していたので、おしっこの時に血尿は出なかったが、尿道からチョロチョロと出てくる血までは、止まらなかったみたい。やっぱり、血を見ると、回復はまだまだだな、と、憂鬱な気分になるのであった。
2024.08.25
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術後3日目の午前中に尿道カテーテルを抜去し、しばし小便の出待ちとなった。看護士からは、透明のビニールカップと尿漏れパッドをそれぞれ10セットくらい手渡された。小便する度に、ビニールカップに尿を取り、いつ、どれだけ出たかの記録を取るように用紙も渡された。そして、尿漏れパッドの重さを測って、尿漏れの量も記録するように、とのことだった。術後は紙オムツを付けていたが、カテーテル抜去後はパンツの中に尿漏れパッドを仕込むようにした。10時半頃にカテーテルを抜いて、最初の小便は、14時半頃にあった。看護士に言われた通り、ビニールカップに用を足した。すると、最初にうっすらと赤い尿が出た後、「じゅわー」と勢いよく、小便が出始めた。「すげー、この勢いを求めていた」と感動したのは束の間、次の瞬間、「うわー滲みる。はよ、小便出終われー」と顔を歪めて、心の中で叫んだ。自分としては、この手術で感じた一番の痛みだったかも。そりゃ、切ってるのだから、これくらい滲みて当然といや当然であるけれど。で、初回の排尿量は、150mlで、尿漏れ無し。看護士を呼んで残尿をエコーで調べてもらったら、20mlということだった。看護士曰く、「上々の尿の出方」とのことだった。また、尿漏れが無かったことを伝えると、「先生が上手に手術されたんでしょうね」と返ってきた。尿漏れパッドは着用させられるし、こんな会話になるので、「この手術を受けたら、尿漏れになる人が多いんだな」と心の中で呟いたものである。自分は、その後も尿漏れパッドは1ヵ月ほど付け続けたが、一度も尿漏れにはならず、この時の看護士が言っていた「先生が上手く手術された」との言葉、後々にも実感することになるのであった。その後、17時に210ml、21時に200ml、夜間は小便で起きることなく、翌朝5時に目が覚めて、260mlの排尿量だった。2回目からは、少し滲み方がましにはなったように感じたが、まだまだ排尿痛は続くのだった。そして、術後4日目(2月18日)の朝に退院し、帰宅するのであった。<手術総括>5泊6日の入院⇒会社には有休取得(閑職ゆえにスムーズに取得)経尿道的レーザー前立腺切除・蒸散術⇒前立腺は、正常のものより2~3倍大きい60gあったが、半分強の35gをくりぬき。(W先生に確認)手術入院代は総額173,649円 ⇒但し、後日、生保入院給付金を申請したり、健保給付金やらが下りてきて、結果的にはカバーできた模様。
2024.08.18
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術後3日目の朝8時、前夜に服用した「マグミット錠」の効果が出て、あまり力まずに排便することができた。固形でしっかりと出たのは、入院の前々日以来6日ぶりであった。もうとにかく、お腹の中がすっきりして、異常に頻発していたおならも収まって良かった。やれやれであった。・・・ちなみに、マグミット錠は、術後2ヶ月くらい(術後の血尿が完全に止まる)までは、力まずに排便できるように、1日1錠服用した。便が固くて出ない時に、無理やり出そうと力むと、血尿が出ることになる。この薬を服用することにより、便が軟らかくなり、血尿が出るほど力まずとも、排便できるようになるため、毎日お腹をすっきりさせることができた。閑話休題、あとは、尿道カテーテルの抜去が最大の難関であった。これを抜く時、ものすごく痛い、とネットの書き込みが多く、この時を迎えるのが憂鬱であった。小心者の自分は、看護士さんに、「カテーテルの管抜く時、かなり痛いらしいですね?」と声を掛けた。すると、「そんなに心配しなくても、アッという間なので、大丈夫ですよ」と返されるのだった。半信半疑のまま、10時30分になり、W先生がやってきて、「カテーテルを抜きます」となった。「紙オムツを下ろしますよ」とW先生に状態を見てもらったのだが、「出血量も少なくなっていて、いい感じなので、抜きましょう」とのこと。まぁ、もうW先生に身を任せるしかないな、と思ってその時を迎えた。W先生「はい、抜きますよ。」自分「あ、」W先生「はい、もう抜けましたよ。」ものの数秒の出来事。痛い時には声にすると、痛みが少しましになる、と聞いたように思っていたので、「あいたー」と言ってやろうと、脳が待ち構えていたのだが、それを言う間も無く抜き去りが終わった。本当に抜いた時に「あ、」と言っただけであった。また、自分の場合、抜き去り時の痛みは、幸いにもほとんど無かった。カテーテル装着時は、管に触れるだけで、○棒の身がもげるような感じになっていたので、この管を抜く時は相当痛いんだろうな、と思っていたのだが、結果的には取り越し苦労で終わった。でも、何はともあれ、最後まで装着していた尿道カテーテルが抜けて、ようやく自由の身となり、解放されたのであった。
2024.08.04
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前日同様、ペースは落ちてきたものの、おならプープーの状態は続いていた。朝9時になり、W先生の回診があった。W先生は、「もう、カテーテルを抜いてもいいかも」とのことだったが、前日いきんで、ドバッと血が出たことを伝えた。W先生は、「血が出てこないようにカテーテルを付けているのだけど」とは言いつつ、今日、カテーテルを抜くかどうかを聞いてくるのだった。自分は、やはり前日のドバッと血が出たのがトラウマになっていて、カテーテルを抜くのが少し怖くなっていた。抜いた途端、血が止まらなくなるんじゃないかと。(根っからの小心者なもので)ということで、カテーテル装着をもう一日延長するという、W先生に、まさかの泣きを入れることになるのだった。実は、術後、おしっこでトイレに行くことが無くなったので、ストレスフリーの状態であった。ここ数年間、一日に10~12回くらい、一回あたり10分~15分かかっていた、おしっこの時間が、全く無くなったのである。嘘みたいにおしっこのストレスが無くなったのである。○棒に管が付いているのも慣れてきていたので、現実逃避の入院生活で今のままがいい、みたいな心境でもあった。術後2日目にもなると、もはやカテーテルの管と排尿バッグは、自分の分身、相棒みたいになってくるのだった。ただ、大便は出せず、お腹はモヤモヤした状態が続いた。便器に座っても、血が出てくるかも、と、いきむことができなかった。この日の夜は、たまらず「マグミット錠」を服用して、翌朝快便であることを願って床についた。プープー出ていたおならは、次第に臭みを帯びてくるのであった。4人部屋の同室の人達には、プープーしょっちゅう音を聞かせて、しまいには臭くさせて、申し訳無かったなぁ、と、今更ながら思う次第である。
2024.07.14
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術後6時間が過ぎてベッドの上で寝返りができるようになり、腰の痛みからは解放されたが、今度はおなかがゴロゴロするようになり、おならプープー地獄に陥った。10分に1回くらいは、プーっと出た。臭いのしないおならだったが。そして、夜通しプープーして、翌朝を迎えた。何だろう、これは手術前まで下痢地獄に陥っていた後遺症なのか、全身麻酔の時に注入されたガスが出てきているのか、まぁ、どちらかだろう、と思った。⇒多分、後者。翌朝7時に、血栓予防で両足のふくらはぎに装着されていた、マッサージ器が外された。朝からは食事が出てきたが、ベッドの枕の高さを60度くらいまで上げて、ベッドの上で食事を取った。普通に座ると切った患部を刺激しそうだったので、念のため直撃しないように注意した。(術後2日目くらいから、バスタオルのようなクッションを敷いて、普通に座れるようにはなった。)朝9時には、膀胱洗浄液の注入が終わった。(術後、尿道カテーテルを通じて膀胱が洗浄されていたみたい。そんなことをされていたとは、自覚症状は無かった。)お昼12時には、点滴も外れた。どんどん体に装着されていたものが外されていき、最後まで残ったのが、おしっこを出す管と排尿バッグであった。でもようやく、排尿バッグを点滴スタンドにぶら下げつつも、病院内を歩けるようになった。15時30分にシャワーを予定していたため、15時くらいにトイレに行き、大便をしようとして、少々いきんだ。すると、○棒の先(入っている管との隙間)から、ドッと血が出た。結構な量が出たので、びっくり動転して、便意も引っ込んでしまったのであった。そんなこんなで、15時30分になり、排尿バッグをシャワー室に持ち込みながら、シャワーを浴びた。前日の術後から紙オムツをしていたが、脱ぐと、紙オムツには血糊がべっとり付いていた。血塗れになり、ぶっとい管を咥えている愚息を見つめながら、相当な修羅場を乗り越えてきたんだな、よく頑張ったね、と妙なねぎらいの言葉をかけるのだった。(個室シャワーなのでもちろん独り言ではあったが)それにしても、○棒に刺さっている管が少しでも何かに触れるだけで、○棒の先がもげるような感触になった。痛いというか、もげてしまうような恐怖感というか。しばらくは、この管と排尿バッグとは、一心同体の運命共同体だな、と思うのだった。
2024.07.14
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かすか遠くで「手術は終わりましたよ」と呼びかけの声が聞こえた。そして遥か遠くから意識が戻ってくるような感じがした。「あぁ、生きてたんだな」と。どうやら、自分は今ベッドに寝かされて、手術が終わって手術室から入院病棟まで運ばれているところなんだな、と分かった。「ということは、手術で前立腺を切ってしまったんだな」と。「ということは、尿道カテーテルの管も刺さっているんだな」と。全身麻酔がだんだんと醒めてきて、いろんな記憶が戻ってくるような感じになり、一つ一つ記憶が戻ってくることで、「生きている」ことを確信していくような、妙な気分だった。時計は見なかったが、戻ってきた病室の窓から外を見た時に、まだ外は明るかった。その後も1時間くらいは暗くならなかったことと、2月であり、手術が終わって病棟に戻ってきたのは、16時半くらいだったのかな、とか考えたりした。手術後はベッドの上で動けないし、考えることも、そんなことくらいだった。しかし、とにかくこの尿道カテーテルの管により、○棒の先っちょが、ズキズキと痛んだ。ただ、このズキズキとした痛みは、麻酔が醒めて1~2時間ほど我慢すれば、だんだんと○棒と差し込まれた管が馴染んできて、痛みは落ち着いていくのであった。○棒の根元付近が少しズキズキする時間帯もあった。この痛みは手術で切った部分の痛みだったと思うが、カテーテルの管の痛みに比べれば全然マシで、30分くらい少し痛みを感じた程度だった。また、管が膀胱を刺激するためか、無性におしっこがしたい感覚にもなった。様子を見にきてくれた看護士さんに、おしっこがしたい感覚になると告げたら「導尿バッグに尿が出ているので、大丈夫ですよ。管が入ると最初のうちは、しょうがないですよ」と。それを聞いてからは、安心することができたので、それ以降はおしっこがしたいと感じても、我慢しようとしないで、「垂れ流しでいいや」と思うようにした。そう思うようにすることで、おしっこが気にならないようになっていった。これらの問題がクリアになり、その次の苦難は、ベッドの上で6時間じっと寝ていることだった。とにかく腰が痛かった。前立腺の疼痛より遥かにしんどかった。頭を動かすと、全身麻酔の副作用で、くらくらと船に揺られている感覚になるので、腰をさすりながら、安静にしておくことに努めた。夜9時半頃だったか、さすがに辛くなってきて看護士さんに頼んで、体を横向きにしてもらった。すると「もうご自身で寝返りしても大丈夫ですよ」、また、「ご家族にメールしてもいいですよ」と言ってくれるのだった。家内にLINEメールで「手術無事だったよ」と伝えたところ、「知ってる」と意外な返事。その後のやり取り。「何で知ってんの?」「病院から連絡あったもん」「え、何時頃?」「15時55分」予定の時間通りに手術が行われ、終わるとすぐさま家族に連絡を入れるとは、この病院は抜かりがないねぇ、と感心するのだった。それとともに、とりあえず、手術という大きな山を越え、ほっと安堵した夜でもあった。
2024.06.22
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手術中に大のおもらししたくないからと、トイレに行っていきんでみたが、何も出なかった。2日前からの下痢続きで、みんな出てしまったかな?看護士にも下痢の状況は伝えていたので、手術前の浣腸は無かった。その後、全身麻酔で口から気道確保のため、管を通されるとのことだったので、朝から何も食べていないにも関わらず、歯みがきをして、舌みがきして、髭剃りして、鼻から鼻毛が見えたら嫌やな、と鼻毛も切って準備を整えた。5分遅れの13時5分に看護士からの呼び出しがあった。上半身は、下着をつけず専用の青い手術衣を着、下半身はパンツを履いて、浴衣の寝着を上にまとって手術室に歩いて向かった。手術室の手前で、緊張でドキドキのMAXになった。でも、あの苦しめられた前立腺ではあったが、切り落とされるとなると、不思議と前立腺のことを愛おしく思った。また、手術の怖さと、ご先祖や父母から授かった臓器を取ってしまうことの申し訳なさで、ええ歳のおっさんながら、直前になって泣き出しそうになった。手術室に入る際に、名前と手術部位の確認があり、またそこからいくつかの部屋に別れているため、看護士に連れ添われ、歩いて10と書かれた手術室に入った。W先生と執刀医、麻酔担当の先生、人数は確認できなかったが、5~6名がスタンバイされていたか。もうこの先生方にお任せするしかない、と思いながら、手術台に仰向けになった。念のため、家内と子供達の顔を思い浮かべて、これまでありがとう、と心の中でつぶやいた。すると、先生方は手際よく、血圧計、心電図を取り付け、W先生から「点滴の入口から麻酔が入りますよ」の声が。手術台に仰向けになって、5~10秒間の出来事。そして、自分は仰向けになって、手術室の蛍光灯の灯りを、うっすら目を開けて見ていた記憶はあるが、W先生の「麻酔が入ります」と声が聞こえた後、3秒後の記憶は何も残っていなかった。自分が麻酔の眠りにつき、目を閉じたことすら記憶に残っていなかったのである。全身麻酔恐るべし、である。
2024.06.16
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2月14日(水)手術当日の朝を迎えた。病院の中とはいえ、6.5時間くらい、よく眠れたなって感じで起床した。(前日夜も緊張感は無かった)13時からの手術であったが、朝から絶食だった。前日夜から翌朝にかけて飲むように渡された、経口補水液2本をちびちびと飲んだ。ただ、腹の調子が悪い状態は続いていて、朝から2回、水のような便が出るのだった。10時になり、飲水停止で点滴が始まった。これくらいから、緊張感が増してきて、そわそわとしてきた。Holep手術は痛いのだろうか、いや、全身麻酔をするのだから痛みは感じないはずだ、手術後痛いのだろうか?尿道カテーテルは辛いのでは?いや、管を抜く時痛いんちゃうか?いや、そもそも全身麻酔して意識戻るの?麻酔効かんことあるん?もうとにかく、ありとあらゆる不安が一気に押し寄せた。手術までの時間は、スマホから「手術前に落ち着く方法」でネット検索して気を紛らわそうとした。すると、いろんな方の体験談が参考になり、自分がこの後どうなっていくのか、分からないなりにも何となくイメージができて、少し気分を落ち着かせることができた。特に自分に刺さったコメントとしては、「手術の苦難を乗り越えた先に、自分の体が良くなるんだ、ということだけを考えて」だった。また、「今の状態を放置しておくと、膀胱や腎臓を悪くすることになる」この言葉も手術を最終的に受け入れる気持ちにさせてくれるものであった。実は、この時のネットの体験談の書き込みは、小心者で怖がっている自分を励ましてくれる、非常にありがたいコメントでもあった。本当にありがとうございました。ほんの少しだけ、その時の恩返しがしたくて、自分も今、当ブログを書いています。。。
2024.06.16
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入院の前日は、多分その前の日に食べた海藻サラダに当たったのか、下痢で5回はトイレに行った。(決して手術前の緊張によるものではなかった)そして、入院当日の朝は、いつもより強い便意で目が覚め、下の階のトイレに行こうと階段を下りていく途中で、歳のせいかお尻の締まりが悪く、おもらしをしてしまった。(決して手術前に緊張していた訳ではなかったのだが)大のおもらしなんて、いつ以来だろう、こんなことが起こるとは、いろいろ良くないことが起こる予兆なのか、と少し不安になったが、まぁ、なるようにしかならない、と自分に言い聞かせて、病院に向かったのだった。2月13日(火)10時30分、病院に到着。病院まで30分弱掛けて歩いた。家内が付き添ってくれた。下痢でボロボロになっている亭主を心配してくれていたのだろう。この時の自分は、手術への不安というよりも、おもらしせず病院にたどり着けるか、ばかりを考えていた。幸い、おもらしすることもなくたどり着き、病院の玄関前で家内とはバイバイした。こうして4泊5日(予定)の入院生活が始まったが、手術の前日ということで、まだ食事など何も制約は無く、麻酔の説明など受けたが、何となく腹が据わっていたのか、何とかなるさと開き直っていたのか分からないが、この時までは、自分は落ち着いていたように思う。
2024.06.16
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W先生に処方してもらった「フリバス」は、効き目が落ちるのではないかと心配していたが、服用して1週間を経過しても、ナフトピジル(日新)と全く同様の効き目があった。S先生閉院で一時はどうなることかと悩まされ、約3年間、ナフトピジル(日新)しか自分には効かないと思い込んでいたので、肩透かしを食らったような状態であった。でも、だんだんと「自分の体に合う薬で本当に良かったな」という安堵のような気持ちになっていった。ということで、手術までの薬の心配は無くなった。あとは、手術までの準備、心の準備であった。W先生から、Holep手術に関する同意書なるものを手渡されていた。そこには、手術の合併症・偶発症とその発生率、発生時の対応が書かれていた。記載されていた内容は以下の通り。「合併症1.術中の出血は少なく、輸血が必要となることは稀です。極まれに術後出血が治らない場合があり、止血術を行う場合があります。2.前立腺を切除する際に前立腺の外側の膜を越えたり、膀胱に傷がついたりすることがあります。尿道カテーテルの留置で自然にふさがります。3.腎臓や前立腺、精巣上体に炎症が起こり、発熱が持続する場合があります。抗菌薬で治療を行います。4.尿道カテーテルを抜去後に再出血する場合があります。止血術を行う場合があります。5.肥大した前立腺を除去した後も尿が出ないことがあります。その場合は再度尿道カテーテルを挿入します。6.尿道カテーテル抜去後にトイレに間に合わないといった尿失禁をきたすことがあります。ほとんどは一時的なもので、術後の経過とともによくなります。7.射○しても○液が膀胱内に出てしまい、尿道から出なくなる人が半数の方にみられます。健康上は問題ありません。」手術の同意書には、家内にサインしてもらった。「この手術したら、もう子供作られへん体になってしまうらしい」と言って家内に同意書を手渡したところ、「あんた、まだ子供作りたいの?」と半ば呆れ顔で受け取る家内。続けざまに、「あんた、それとも、他で子供作るようなことしたいんか?」と強烈な突っ込み。「そんなこと、、ある訳無いやろ(汗)」とぎこちない返事をしつつ、家内は何の躊躇も無く同意書にサインをするのであった。自分の健康を取り戻す手術ではあったが、実は何かを失うような寂しさもあった。でも、この時の自分は、残りの人生、健康を取り戻して生きていきたい、という気持ちの方が強かったように思う。
2024.06.09
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2024年1月の年明け早々、W先生と手術について相談し、2月13日の週で行われることが決まった。術式は、経尿道的前立腺レーザー核出術、いわゆるHolepと呼ばれる方法だった。これは、尿道より内視鏡を挿入し、生理食塩水を注入しながら、レーザーで前立腺の中身をくりぬき、膀胱内に落とし込む。くりぬかれて、膀胱の中に落とし込まれた前立腺組織を、セルモーターを用いてミンチ状にして取り出す。出血がないかよく観察し、尿道から水で洗浄しながら尿を排出するカテーテルを挿入し、手術を終了する。ということで、全身麻酔の状態で、3時間の手術、という説明を受けた。尿道から内視鏡やカテーテルを入れるとか、何かめちゃくちゃ痛そう、と思ったが、全身麻酔で行うとか、経験の無いことばかりなので、説明を聞いた時は、他人事みたいにあまりピンとこなかった。そして、S先生が閉院したため、W先生に「ナフトピジル」と「デュタステリド」の処方をお願いした。手術まで1ヵ月少々であり、ややこしいことを言うのも面倒だったので、薬のメーカー云々の話はやめておいた。すると、W先生は、ナフトピジルではなく、「フリバスOD錠75mg」を処方するのだった。まぁ、あと1ヵ月少々だし、その間おしっこが不調になっても、我慢すればいいか、と、特にW先生に掛け合うことなく、新しい薬を服用することにしたのだった。その後、、、ネットでHolep手術や尿道カテーテルなどについて調べることが多くなった。「あの狭い穴に管通されるの?結構太い管ちゃうか?」と、手術の時は、多分何の痛みも無いのだろうけど、麻酔から醒めた後、どんな感じなのか、めちゃくちゃ痛いんちゃうか?とか考えるだけで、だんだんと怖くなってくるのであった。
2024.06.02
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2023年6月の勤務地変更により、それまでの毎朝のウォーキングマシンでの運動ができなくなってしまい、おしっこの出方が不調となってしまった。が、その後、椅子に座った状態で、簡単なエクササイズを行うことにした。毎晩、椅子に座って、伸びをしたり、体をよじったり、もも上げを行ったり、そもそもお腹の出っ張りを少しでも引っ込められないか、ということで始めたエクササイズだった。汗をかかない、体が少し温まる程度の軽いものである。実は、軽くでも体を動かし温めると、感覚的なものではあるが、夜寝るまでに、おしっこが出し切れる感じになった。相変わらず、おしっこの時間は10~15分掛かるのだが、出し切れる量が増えるのか、夜間寝ている時に、おしっこで起きることが少なくなった。やはり、何事においても、体を動かすのはいいのだろう、と、思った次第。(肝心のお腹の出っ張りは、相変わらずではあるが)そんなこんなで凌いでいたのだが、2023年の年末に、かかりつけ医のS先生の病院を通りがかった際に、貼り紙が。「また先生、休診か?」と思ったのだが、よく見ると「閉院」の文字が。とうとう恐れていた、「ナフトピジル(日新)」が処方されなくなる事態が、起きてしまったのである。手術はまだいつになるのか分からない。とにかく、手術まで別のメーカーの薬で我慢するしかないか、年明け早々にW先生に相談しよう。。。いろいろと思い悩む年末年始を過ごすのだった。しかし、以前から休診を繰り返していた、S先生の体の具合が心配ではあった。また、これまで3年間お世話になったが、お礼も言えず終いだった。自分にとっては、ここしかないというタイミングで、W先生による治療の道をつないでいただき、本当に感謝しかない思いであった。
2024.06.01
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丸二日間「セフトリアキソンナトリウム」の投薬(点滴)を受けて、ようやく平熱に戻った。過去最高体温を記録した時は、一時はどうなることかと不安になったが、熱が下がりやれやれであった。まぁ、日頃の行いが悪いので、罰が当たったのだろう、と、自分を慰めるしかなかった。しかし、入院中、点滴を受けると頻尿になり、しょっちゅうトイレに籠ることになった。通常、おしっこ1回あたり、10~15分掛かるのが常だが、入院中はどうせベッドにいても暇だから、ということで、点滴スタンドを転がしてトイレに入り、30分近く籠るようになった。そうすると、トイレで気張りすぎて、突起物(内痔核?)が肛門の外に出てきて痛くなった。用を足した後、その突起物にトイレットペーパーをあてて指で押し込むのが、ルーティーンになった。熱の方は、ただ、体が熱いだけで、気分が悪いとか食欲が無い、といった症状は無く、入院期間中辛かったのは、点滴の副作用から引き起こされる頻尿と、痔?の悪化であった。ただ、一つだけいいことがあった。前回の生検後は、1ヵ月くらい血尿に悩まされたが、今回は、点滴薬の中に止血剤が入っていたのか、頻尿でおしっこばかりしていたためなのかは分からないが、退院時には血尿が止まっていた。お尻からは痔?で血は出ていたが。退院時には、W先生から「癌は見つかりませんでした」と、一週間前に受けた生検の結果も伝えられたのであった。何はともあれ、手術に向けて第一関門を突破できた、2023年師走であった。
2024.06.01
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翌朝、体温を測ると、39度3分。下がるどころか、悪化している感じだった。不思議だったのは、これだけ熱があっても、咳、鼻水、喉の痛みは無く、食欲はあったので、普通に食事は取れた。ただ、立ち上がって歩くとフラフラする感じだった。自分の記憶では、4歳の時にはしかにかかり、40度近くの熱が出た、という経験はあったが、普段風邪をひいても、コロナ予防接種を受けても、37度を超えることはほとんど無い。フラフラするし、異常な熱も怖かったので、会社は休んだ。まぁ、自分は閑職の身であったので、それだけが幸いで、仕事のことは気にせず、自分の身を案じることに専念できた。夕方になり、コロナの自己検査キットがあったので、チェックしてみた。唾を容器に溜めて、スポイトで検査キッドに垂らして、線の出方で判定するもの。で、結果は陰性。ただ、熱は下がらないので、近くのかかりつけのA先生に診てもらった。この時の体温は40度4分、自己最高記録だったと思う。自己検査でコロナ陰性だったことを伝えると、インフルにかかっていないかをチェックしてもらった。で、結果は陰性。とりあえず、熱冷ましのため、頓服を処方してもらった。頓服を飲むと、6時間くらいは平熱に戻った。しかし、その後は、また38~39度となった。次の日の朝、W先生の診療外来を受けて、血液検査にて原因が発覚。急性細菌性前立腺炎とのことだった。火曜日に生検を受け、水曜日午後から熱を発症し、木曜日を経て、金曜日のお昼頃にようやく原因発覚という、紆余曲折した流れであった。W先生から、「明日から休診になりますので、入院されますか?」と尋ねられたが、間髪をいれず「病院に居る方が安心なので是非お願いします」と言うのだった。ということで、診療外来からそのまま入院となった。午後になって、家内が着替え等荷物を持ってきてくれて、入院の諸手続きを済ませてくれた。面倒くさそうに「今度はちゃんと治してから帰ってきてよ。中途半端な状態で戻って、家でウダウダされたらかなわん。」と。ごもっともな意見を言うのだった。
2024.05.26
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生検手術が終わり、翌日午前中に退院した。会社は休みをもらっていたので、午後は自宅で仮眠を取っていたのだが、夕方になって体がゾクゾク身震いするようになった。お風呂に入っている最中も体がゾクゾク。風呂上がりに夕食で豚汁を食べた後、一気に体が火照ってきたので、熱を測ったところ、38度6分あった。これはちょっと尋常じゃないな、とのことで病院に電話し、W先生の診療時間外だったので、緊急外来で受け付けてもらった。家族はペーパーだし、自分で運転して行くのは危険なので、自宅からフラフラしながら夜8時過ぎに歩いて病院に向かった。病院まで歩くと30分弱の距離。途中でタクシーを拾って病院に向かった。一応、タクシーに乗る前に、「熱があるが乗ってもいいですか?」と運転手に声は掛けた。緊急外来で診てもらったが、熱が出てまだ24時間経過していないとのことで、コロナ、インフルの判定はできないとのことだった。取り急ぎ、点滴を打ってもらい、スッキリしたので、これで熱も退いていくだろう、と勝手にいいように解釈をして、その日は自宅に戻るのだった。
2024.05.26
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2023年12月に、MRI検査を受け、その約2週間後に、1泊2日入院で生検手術を受けた。2021年に一度生検を受けていたが、局所麻酔がとんでもなく痛かったのと、術後に血尿が1ヵ月ほど続いたことが、嫌な記憶として残っていた。生検直前には、看護士に尻から浣腸を突っ込まれた。すると、自分の場合、1~2分くらいで、排便したくなり、すぐにトイレに駆け込んだ。あれって、そんなに即効性あったっけ?自分が2歳か3歳くらいの幼児の頃に、浣腸を突っ込まれて以来だったので、記憶は定かではなかった。生検手術は、前回は手術室で受けたが、今回は、泌尿器科の診察室の一室のようなところで受けた。かかりつけのS先生が、前回と今回とで紹介先の病院を変えたため、同じ生検手術でも違いのある部分はあった。生検手術の時間になり、診察室に入るとW先生がいて、自分は看護士の指示に従い、例のお尻の開いた青いビニール状のズボンに履き替えた後、W先生が「麻酔注射をしますので、そこのベッドで四つん這いになって」と言いました。「あれ?」と思ったのは、前回はお尻の方から麻酔注射をされ強烈な痛みに苛まれたのだが、今回は違うのか?と。すると、尾てい骨の上あたりに麻酔注射が打たれた。やはりこの注射も痛いことに変わりは無いが、前回の時のような体の奥底に画鋲を押し込まれるほどの痛みではなかった。この時の局所麻酔の関門を越えたことで、手術はこれからというのに、何気に気分が落ち着いた。その後、お尻から器材を入れられ、「パチン、パチン」と鞭を打つような音が鳴って、前立腺組織を取っていくのだった。音だけ聞いていると、相当痛いことをしてるのかな、と思うが、麻酔は効いているので、取られている組織の部分が痛いということはない。ただ、この時は、器材をグリグリ回すようにして、組織を取る作業をされていたので、肛門周りに妙なニュルニュル感とグリグリ痛があった。そうして生検手術が終わり、ふと思ったのだが、生検手術前に、前回のお尻からの局所麻酔が痛かったことをW先生に話していたので、W先生が気を回して、違う方法を取ってくれたのかな?と。
2024.05.25
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2023年9月、かかりつけのS先生に、手術を受けたい旨を伝えた。S先生は、「あんた、まだ若いから手術を勧めなかったけど、これまで辛い思いで我慢してきたんだね。ごめんね。」と言って、近くの大きな病院のW先生を紹介していただいた。10月になり、W先生に診てもらった。早速、手術の話になるかな、と思っていたのだが、PSA値が高いとのことで、生検をするとのことだった。この時のPSA値は、4,69(2023年7月)また、手術をするとしても、まずは癌ではないことを調べないといけない、とのことで、生検しないといけない、とのことだった。ということで、2021年3月にも受けた、局所麻酔がもの凄く痛く、あの「パチン、パチン」という音をさせる生検手術を、また受けないといけないのかと、面倒で憂鬱な気分になったのであった。
2024.05.25
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会社では、メンタルヘルスのアンケートがあり、思いきって、自分の前立腺の症状や不安に感じていることについて、書き込みを行った。これまでに、職場の直属の上司には、自分の体の症状を伝え、海外出張や、国内でも移動距離が長くなるような出張を割り振らないよう、配慮をしてもらっていた。(ちょうどコロナの時期だったので、幸いにも出張の機会は激減していたのだが)しかし、心のケアまでは受けていなかった。しばらく経つと、人事の医務関係の担当の人と面談が行われた。その場で、包み隠さず症状や不安に感じていることを伝えた。自分より少し年齢の高い女性の担当であったが、恥ずかしい部分の話ではあったが、恥ずかしがらず、辛い状況をしっかりと伝えようとした。女性の担当も話を真摯に受け止めて、聞いていただいた。そして、女性担当から「同じように前立腺肥大で苦しんでいる人がいて、手術を受けてその後楽になった、という話は聞きます。辛い状況が続くなら、かかりつけの先生と相談の上、手術を検討されては?」とのことだった。この面談を受けて、少し手術に向かう気持ちにはなった。ただ、その後も葛藤は続いた。この時、自分はまだ55歳。この若さで○○障害を受け入れなければならないとは。でも、かかりつけのS先生は、いつ体調を崩されて薬の処方が止まるかもしれない。それより、この夏場であっても薬が効かなくなってきている。この薬との付き合いを死ぬまで続けるのか?子供が2人いて社会人になっているのに、まだ子供を作りたいのか?などなど。2023年夏、いろいろ考えた末の結論は、今の状態を引き摺ったまま死んでいくのはやめよう。可能性があるなら、手術をして、おしっこで悩む日々から脱却することを目指そう、ということだった。
2024.05.19
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2023年春になると、性懲りもなく、晩酌のビールを飲むようになった。暖かくなってくると、発汗量が増えるのか、前立腺が軟化するのか分からないが、体の調子は良かった。でも、人生いい時は長続きしません。6月に転機を迎えることになった。勤務地の変更である。それまでは、毎朝1時間、ウォーキングマシンで軽く汗を流す習慣であったのが、勤務地変更により、できなくなってしまった。勤務時間のかかる分、早起きすれば良いのだが、そのような気力は残っていなかった。運動量、発汗量が少なくなると、たちどころに夜間頻尿の体質に戻ってしまった。夏場にも関わらず、冬場と変わらない体調となってしまったのが、気分的にダメージが大きかった。もう、薬物療法の限界ではないかと。この頃、しきりにネットで前立腺肥大症の手術治療の情報を見るようになった。薬でダメなら、手術で前立腺をくりぬいてしまえ、というものだった。でも、手術がうまく行くのか不安だし、また、体にメスを入れるのも怖かった。どうもこの手の手術をすると、ほぼ○○障害となり、前に飛ばなくなるらしい。要は、子供が作れない体になってしまうらしい、とのことだった。前に飛ばないのは、「シロドシン」で経験済みだったが、人生を終えるまでずっとそれでいいのか、これは大いに悩み、葛藤の日々が続いた。
2024.05.19
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S先生の休診により、かかりつけ内科医のA先生に頼んで、「ナフトピジル」と「デュタステリド」の処方箋を出してもらった。(本当はこのような依頼はよくないのだろうけど)町の薬局を数軒あたってみたが、「ナフトピジル(日新)」を取り扱っておらず、別メーカーのものしかなく、薬局では「日新よりこちらの方(薬局が用意できる薬)が新しく、いいですよ」と言うのだった。薬局の薬剤師の言葉を信じて、別メーカーの薬を服用し始めたが、やっぱりというか、2~3日後には、おしっこの出方が悪くなる。夜間のおしっこによる覚醒の日々が続くこととなった。自分は、おしっこをするときは、いつの間にか座ってするようになっていた。(10~15分間も立ちしょんするのは、しんどいので)そうすると、調子が悪い時、多い時で1日15回くらいおしっこに行き、1回あたり10~15分気張りながら座っていたら、肛門から痔と思うが、突起物が出てくることが多くなった。決まってこの突起物が出てきたら指で押し込んで中にしまい込んでいたが。(そうしないと、痛いので。もちろんトイレットペーパーをあてがいながら指で押し込みます)時折、肛門(突起物)から血が出ることもあり、トイレにいる時間は長いし、いろいろとストレスに感じることが多いし、トイレの中で、この先どうしたらいいのだろう、と悩むことが多くなった。ちなみに、おしっこが出ないとき、トイレットペーパーで肛門に手をあてがいながら、ツンツンと指で押し上げると、前立腺あたりを刺激するみたいになり、その後、ジワーとおしっこが出てくるようになることが分かった。突起物が出てきて押し込み作業を行ったおかげで、新たな発見に出会うこととなった。下腹部ペコペコ、肛門ツンツンが、おしっこが出ないときの切り札的処置となったのである。そんなこんなで1ヵ月くらい経った2023年1月に、S先生が復帰され、「ナフトピジル(日新)」を処方してもらうと、それまでの1ヵ月の苦闘の日々が嘘のように、夜間のおしっこによる覚醒が無くなり、ストレスが少ない状態に戻るのだった。(肛門からの突起物の出現も減る)
2024.05.19
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2022年秋口になると、少しずつ体も冷えてくるためか、晩酌でビールを飲むと、夜中におしっこで目が覚めることが続いた。そして、おしっこをある程度出し切ろうとすると、10分~15分くらいトイレに籠り、目が覚めきってしまうため、寝床に戻っても再度眠りにつくのに時間がかかり、寝不足となった。夜間におしっこで起きると、膀胱はおしっこでパンパンになっているものの、前立腺は硬直?しているような感じで、昼間よりもおしっこの出方は悪く、早く出したいのに、すぐに出し切れない、という、もの凄くもどかしい、辛い時間になった。おしっこは、ちょろちょろと出ては止まり、を繰り返す状態で、出なくなっても下腹部を押さえると、まだキンキンとする感じでおしっこが残っている。そこで下腹部にベコペコ腹圧を加えると、しばらくしてジワ~とおしっこが出る感じになる。これを3回くらい繰り返すと、ようやく出し切った感が得られたが、10分、長い時は15分くらいかかった。このようにして、寝不足が続くのは嫌なので、この頃からビールは飲まなくなった。もっと寒くなってくると、鍋料理のシーズンがやってくる。ビールを飲みながら、鍋料理を食べるのが楽しみであったが、我慢して飲まなくなった。だが、ビールだけではなく、この鍋料理も頻尿を起こす要因があることに気付くようになった。鍋料理を食べたら、頻尿と、夜間におしっこで目が覚めることが2~3日続く、という傾向があることが、だんだんと分かってきた。うちの鍋料理には、白菜を大量に入れる。この白菜には、利尿作用が働くようである。ただ、この時は、ビールは自分だけが我慢すれば済むので、すぐに止めたが、鍋料理を食べたら頻尿で辛い、ということは家族(家内)には伝えられなかった。家族から鍋料理を遠ざけたくなかったし、一人だけ別の物を食べるなんて興ざめするようなことは、家族の前ではしたくなかった、というのが理由であった。と、ええ格好を言わせてもらったが、自分自身鍋料理が大好物だから、食べれなくなる方が辛い、というのが本当のところだったか。鍋料理を食べた後、2~3日間、おしっこに関してストレスを感じることはあったが、まだ何とか我慢できる状態ではあった。そんな2022年12月のある日、かかりつけ医のS先生のところに定期診療で伺うと、休診の貼り紙が。。。「えー、また?」一年前の悪夢が蘇った。
2024.05.18
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S先生にナフトビジルを処方してもらうと、やはり明らかにおしっこの出方が良くなった。S先生は、病気を患っていたとのことで、かなり痩せ細った感じに見えた。再度先生が休診して、「ナフトピジル(日新)」を処方してもらえなくなるかも、と思い、「どこの薬局で処方してもらえますか?」と先生に尋ねたが、「分かりません」と素っ気ない返事しか返ってこなかった。この先、S先生がいなくなったら、自分はどうなってしまうのだろう、とこの時以来、一抹の不安を覚えるようになった。2022年4月に、3度目のPSA検査を受けた。値は、5,222で、前回2021年9月の時より、4.5ポイント程下がった。おそらく、デュタステリドを飲み始めたので、何かしら炎症が収まってるんだろう、とのことだったが、何はともあれ、値が下がるのはいいことで、かなりいい気分にはなっていた。この頃は、朝に1時間ウォーキングマシンを使って、軽く汗を流す習慣を続けていたので、晩酌で缶ビール350ml1本であれば、飲んでも夜寝ている時におしっこで目が覚めることもなく、おしっこに関するストレスはほとんど感じなかった。薬の副作用で、しゃがみこんだ状態で立ち上がると、立ちくらみしていたが、いつの間にかそのような不快な症状も起こらなくなった。薬が体に馴染んできたのか、何が良かったのか、未だに分からないが。2021年1月に薬物療法を開始してから、一番体調が良く、おしっこのストレスも少ない、2022年夏頃が一番いい時期だったと思う。ここからじわじわと下降線を描いていくことになるのだが。前立腺肥大症には、軽く汗を流すくらいの運動を毎日続けるのが、いいのかな、と思う次第。(前立腺肥大症に限らず、体を動かすことは、体にいいのだけども)
2024.05.17
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2022年1月、S先生に出してもらっていた「ナフトピジルOD錠75mg「日新」」を探るため、別の泌尿器科病院を訪ね、B先生に診てもらった。B先生には、いきなり診察ベッドでズボン、パンツを脱がされ、お尻の穴から指を入れられ、いわゆる触診を受けた。この頃になったら、恥ずかしいとか、そんなうぶなものはなく、前から後ろから、どこから見てもええから、調子悪いんでちゃんと見てください、みたいな感じになっていた。(今思えば豪快に指突っ込まれたな、という思い出になっているが。)B先生は診察後、自分の顔を見て、顔をしかめながら(辛い状態なのだろうと察するような面持ちで)「大きい前立腺だわ」と言った。自分はそれよりも、ナフトピジル「日新」の薬を処方してほしい、他のメーカーの薬では効き目が無いことを告げた。B先生は、「メーカーは違っても成分は一緒なので、効き目が変わることは無いはずだが」と言って、あまり取り合ってもらえなかった。処方箋を出してもらったので、それを持って街の薬局を7つくらい当たってみたが、「日新」のものは見つからなかった。仕方なしに他メーカーのもので凌いでいたのだが、2022年2月に、待ちに待ったS先生の病院が開院していることを知り、駆け込んだのであった。
2024.05.12
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かかりつけ医のS先生より、生検後に歩くことの奨めがあった。生検後は、自転車に乗ることを止められ、代わりに「歩くといいよ」とのことだった。確かに自転車のサドルは患部を直撃するので、乗らない方がいい。生検後は、半年くらい自転車に乗らず、1駅2駅くらいの距離なら、歩くようにした。何となく歩くと体調もおしっこの出方もいい感じなので、2021年の秋口くらいからは、家の中で眠っていたウォーキングマシンを使用して、本格的に毎朝1時間歩くようにした。1時間も歩くと、ほど良く汗をかき、薬の服用とで、おしっこに関するストレスがかなり軽減された。だが、人生いい事は長続きしません。2021年11月、毎月の検診でS先生の病院を訪ねたところ、休診の貼り紙が。いつまでとも書かれておらず、薬も切れる状況だったため、さすがにこれには焦った。幸い、別のかかりつけの内科医のA先生に相談すると、処方箋を出してもらえることになり、急場を凌ぐことができた。そして、街の薬局で薬を受け取ったのだが、S先生が出していたのと同じメーカーのものは無く、別のメーカーの薬になるとのことだった。ただ、「こっちの薬の方が新しくていいですよ」とは、薬局の人の話だった。しかし、メーカーの変わったナフトピジル、デュタステリドを服用して、3日くらいすると、これまで調子が良くなってきていた、おしっこの出方が徐々に悪化していったのであった。
2024.05.12
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ナフトピジルを服用すると、おしっこの出はましになり、夜間におしっこで起きることは、少なくなった。ただ、副作用?として、服用後何だか眠たくなるような、気だるさのようなものが残る感じになった。朝食後に服用していたが、朝からそんな長い時間ではないが、少しぼーとした感覚になった。また、しばらくしゃがみこんでいて、パッと立ち上がった時に立ちくらみを起こすことが多くなった。薬を飲むことで、体には相応の負担をかけているんだな、と思ったが、おしっこが出なくなることを考えると、背に腹はかえられんと思って、薬の服用を続けた。((注)薬の副作用には個人差があります。)2021年9月に、かかりつけS先生により、2回目のPSA検査が行われた。結果は、「9.718」で生検前の検査より1.6くらい値が高かった。「値悪いんですか?え~↓」と落胆していたが、S先生からは、「もう一個薬追加するわ」と言って、「デュタステリド」を処方された。これは、前立腺を小さくする薬とのことだった。説明を聞いた後、「魔法のような薬だな」と、少し希望の光を感じたのだった。
2024.05.12
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生検手術後、局所麻酔が切れてきて、患部がほんの少しだけ、ジンジンする感じがしたが、さほど痛みは感じなかった。やはり、局所麻酔の時の注射が、一番痛かった。今の今まででも、あの時の痛みがきつかった。ずっと痛い訳ではなく、一瞬のものではあったが。術後一回目の排尿時は、しびんに取って看護士に見せなければならなかった。出し始めに真っ赤な鮮血が出て、その後おしっこを出し切ったところ、しびん全体がピンク色になっていた。色が色だけに、気分的に萎えるものがあったが、看護士がそれを見ると、「いい感じで出ている」と人をおちょくる感じでもなく、普通に言うので、「こんなもんなんだ」と妙に安心したものであった。その日は病院で一泊して、翌朝退院した。退院から8日後、再度K先生の診察を受けた。生検結果は、陰性とのことだった。「MRIで白い影があると言っていましたが、それでも陰性だったんですか?」とK先生にしつこく噛み付いたのだが、K先生曰く、「そんなこともある」とのことだった。K先生からは、術後、前立腺がむくむことがあり、おしっこが出にくくなるかも、と言って「セルニルトン錠」を処方された。その後、、、通常、1~2週間くらいで血尿が止まる、ということだが、自分の場合は、1ヶ月ほど続いた。日がたつごとに、少しずつ色は薄くなっていったが、おしっこの出し始めに、チョロっと赤いのが出るので、その度に、「ああ、またか。」と、ため息が出て、憂鬱な気分になった。また、セルニルトン錠を服用したが、効き目がなく、おしっこの出が悪くなった。何となく、薬が自分に合ってなく、やはりナフトビジルの方が自分には合っているかな、ということが分かった。かかりつけのS先生に、ナフトビジルを処方してもらって、服用後にそのことを確信したのだった。((注)薬の効き目には個人差があります。これは、一個人の薬の効用に関する記録です。)
2024.05.10
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手術室には診察台があり、K先生と数名の看護士さんがいたと思うが、緊張のあまり頭が真っ白で、今となってはあまり記憶に残っていない。どのようにして診察台に身を任せたのか、どのような体勢を取ったのか。結構恥ずかしい体勢を取ったのだろうけど、当時はそんなことすら気にする余裕は無かった。(根っからの小心者なもので)ただ、局所麻酔の注射がもの凄く痛かったのは覚えている。自分からは見えないように下半身の部分はフードを掛けられている状態だったので、どこからどのように注射をされたのかは分からなかった。会陰部から前立腺に向かって麻酔が打たれたのか、肛門から前立腺に向かって麻酔が打たれたのか。思わず「うおっ」と断末魔のような声を出してしまったが、体の正に急所、体の奥底に画鋲を押し込まれたような痛みだった。注射なので実際その通り体に針を刺すことなのだが、経験したことの無い痛みだった。その後しばらくして、肛門から機材を入れられ、前立腺の組織が取られた。「パチン」と組織を取る度に、けたたましい音が鳴った。麻酔が効いているので、痛くは無かったが、ベルトか鞭のようなものでおもいっきりしばかれたような音がするので、音がする度に体がすくんだ。その様子を見かねたのか、K先生からは「痛みは感じないと思うから怖がらないでね」と言われたほど。生検手術は予定通り20分くらいで終わったと思う。処置が終わると、テキパキと看護士さんが、紙オムツをセットしてくれた。K先生から、「13個の組織を取りました」と言って、ガラス瓶に入っている、取ったばかりの前立腺組織を見せてもらった。白い紙撚が小さくなったような、少し赤みがかった部分もあり、自分の体のパーツだったとはいえ、ちょっと神秘的、だと思った。何はともあれ終わってやれやれであった。
2024.05.09
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前立腺癌の疑い(PSA値上昇)により、2021年3月に前立腺生検を受けた。1泊2日入院で行われた。検査の方法は、病院から渡された説明書にこう書かれている。「載石位(出産のような体位)の状態で、局所麻酔下に行います。場合により、腰椎麻酔で行います。まず肛門より超音波検査の器具を挿入し、超音波で前立腺の位置、状態を正解に観察します。この状態で会陰部(肛門と陰嚢の間)の皮膚に局所麻酔薬を注射し、超音波で確認しながら、前立腺付近の局所麻酔を行います。その後、会陰部より生検用の針を前立腺に到達させ、6~12箇所の前立腺組織を採取します。この時にパチンと音がして会陰部に軽い鈍痛があります。検査に要する時間は通常20分程度です。~」めちゃめちゃ恥ずかしい検査だが、おしっこの出は不調だし、これまでの検査の値や結果が良くないので、受けるしかないかなと、半ば観念した感じだった。恥ずかしいとか言ってられん。好きにやってくれ、というような気分で、入院当日を迎えた。入院当日は、朝食を取ってから10時頃に病院に入った。その後は、絶食絶飲で下剤も飲まされた。15時から検査手術ということで、お尻の部分が丸く開いたビニール状のズボンに履き替え、その上にパジャマのズボンを履いて、看護士に付き添われ、手術室に歩いて向かった。いよいよ、ということで緊張しまくってドキドキし、手術室に入ると、何だか寒いないぁ、と感じたことをいまだに記憶している。そして。。。
2024.05.06
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若い割りに前立腺が大きい、とのことで、初めてPSA検査を受けた。これは、普通に血液検査で血を取られるものだった。2週間後に結果を聞いたが、PSA値は、8.095ng/mL。基準値は4以下なので、精密検査を受けた方が良いとのことだった。S先生が、近くの大きい病院のK先生を紹介してくれて、そこでMRI検査を受けた。MRI検査は、初めて受けたのだが、狭いドックの中に全身ずっぽり入れられて、30分程度じっとしていなければならなかった。痛みを伴う検査ではないが、検査中ずっと「キンキン、カンカン」大きい音が鳴るので、ヘッドホンを着けていたのだが、何だか妙に息苦しく、少々閉所恐怖症になりそうで、居心地のいいものではなかった。MRI検査受診後、これも2週間後くらいだったかな、K先生から結果を聞いた。すると、「画像に白い影がある」とのことだった。「1ヶ月後に生検する」とのことで、検査入院を言い渡されるのであった。生まれてこの方、初めての入院をすることになった。はてさて。52歳(53歳直前)にもなって、初めて尽くしであった。
2024.05.05
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2021年の年明け早々に、近くの泌尿器科の病院に行き、S先生に診てもらうことになった。泌尿器科は気恥ずかしくて行くのが億劫になるものだが、この時は、おしっこが出ないことの苦痛や不安の方が大きかった。S先生に症状を伝えたところ、「エコーを撮ろう」となり、超音波検査を受けた。結果は、事前の検尿で出し切ったつもりだったが、「牛乳瓶1本くらいおしっこが残っているわ」、また、「あんた、若いのに前立腺が特大サイズだわ」とはS先生のコメント。処方された薬は、シロドシンOD錠4mg。薬を飲んだところ、さっそく効果が表れ、1~2日の服用で、「つー」と30秒程度でおしっこが出るようになった。ただ、副作用があり、服用2日目の夜から重度の鼻づまりになり、寝付けなくなってしまった。おまけに「逆行性〇〇」も経験することになってしまった。(注:薬の副作用には個人差があります。これは一個人の薬の作用の記録になります。)初診から4日後に、病院に不調を訴え薬を変えてもらった。処方された薬は、ナフトピジルOD錠75mg。薬を変えたところ、シロドシン程の効果は無いが、なんとかおしっこが出せる感じだった。おしっこの勢いは無いが、ちょろちょろと出ては止まり、またちょちょろと出す、を繰り返すような感じで、3~5分掛ければ出し切った感が得られた。鼻づまり、逆行性〇〇も改善されたので、ナフトピジルで行くことにした。このようにして薬物療法が始まり、この後約3年間、ナフトピジルを毎日服用していくことになるのだが。。。
2024.05.05
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4年前(2020年7月)までは、東南アジアの常夏の国で駐在員生活をしていた。仕事終わりに、ほぼ毎晩ビールジョッキ数杯飲むのが日課になっていた。暑い国では、ビールが本当にうまかった。この頃、起床時におしっこが出ないこと(尿閉)が何度かあったと思うが、起床して少し時間が経てば出てくるので、何も気にすることもなく生活を送っていた。このように楽園での生活を謳歌していたのだが、人生、いい時は長続きしません。帰任辞令が出て、日本に帰任することになった。帰国当初は、日本も夏で暑い時期だったので、常夏の国にいる時とさほど体調面に変化は無かった。ただ、だんだん秋になってくると体が冷えてくるせいか、おしっこに行く回数が増えてきた。おしっこの勢いも無く、ちょろちょろと出ては止まり、また、ちょろちょろと出すような感じで、次第におしっこの時間も長くなってきた。自分の感覚では出したつもりでも、1時間も経たないうちに、ひどいときは30分も経たないうちに、おしっこに行きたくなる、というような状況になった。特に朝方午前中はしょっちゅうトイレにこもるようになった。この頃になって、歳を取ったらおしっこが近くなる、という人がいるが、自分もそのような歳になったのかな、と思いつつも少し変かなと思うようにもなってきた。秋から冬にかけて症状はさらに悪化していき、これまでは夜寝ている時におしっこで起きることは無かったが、1回もしくは2回、ひどい時は3回起きてトイレに行くようになった。おしっこがしたくても、出てこない時もあり、下腹部あたり(膀胱があるところ)を手でペコペコ押さえると、しばらくしてじわーとおしっこが出るようになる。でもまだ下腹部を触るとキンキンとする感じで、残尿感がある。なので、また下腹部をペコペコ、しばらくしてじわーと出す、の繰り返しで、一度トイレに入ると10分~15分こもるようになってきた。寝不足になる日が多くなり、元来小心者なもので、このまま放置はまずいな、何かの病気かも、と思うようになった。年明けに近くの泌尿器科に行こう、と心に決めた2020年52歳の年末であった。
2024.05.04
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前立腺肥大症の治療で、手術してから約3ヶ月が経ち、術後の体調が落ち着いてきた。せっかくだから、治療体験を回顧しながら、記録に残しておこうと思う。約4年前、朝起床時にトイレの便座に座って、おしっこをしようとしたら、「あれ、出ない」となったのが、初めて異変に気付いた時だった。その時は、前立腺に問題があったとは露知らず、「体調が悪いのかな?」程度にしか思わなかった。まだその頃は、朝会社に行く身支度をして、体を動かしているうちに体が温まってきて、再度便座に座ると、何もなく「つー」とおしっこが出るので、「まぁ、いいか」と気にも止めなかったように思う。でも、これが、前立腺肥大症に悩み続ける日々の始まりでもあった。
2024.05.03
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