Tarsha's Trace

Tarsha's Trace

2007.12.22
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カテゴリ: study
カテゴリー:「study」

当初は、自分が勉強したことの内容を綴っていこうと思っていたが、ブログ上に「まとめる」作業はかなりの時間を要することが判明したため、却下。

でも、このクリスマス休暇中に、これまで授業で扱われてきた「文学理論」をもう一度しっかり勉強し直そうと決めている。もちろん、来年1月3日に行われるフィリピノ語の外国語試験のための勉強も!・・・そう、やっと、外国語試験の日程が決まったのです。UPではこれに通らないと正式に修士論文に取り組めないことは、すでに親しい友人の皆様がご存知の通り。


今日やったこと

1.フィリピノ語動詞

活用形が半端なく多い・・・

その文における話題(もしくは焦点)が「行為者」「対象」「方向」「場所」「受益者」「手段」「理由」の7つの内のいずれに属するかによって、動詞の活用が変わるのです-いかにして? 20以上の接頭辞、接中辞、接尾辞が基底動詞(root word)に入れ替わり立ち代わり付くことによって。

もちろん、英語でいう「現在形」「過去形」「未来形」「現在(過去)完了形」といった時制があるが、英語では同じ形の「原形」「現在形」も、フィリピノ語では「語根」と「不定相」に分かれ、形も違う。そして、一つの語根が、接頭辞、接中辞、接尾辞によって、そして時制によって、様々な形に変化する。

英語より難しくて複雑だ。この自由自在で超柔軟なフィリピノ語を扱うフィリピンの人々が、他の外国語をすぐマスターする言語能力に長けているのは頷ける。本当に頭が良いと尊敬する。


この複雑なフィリピノ語をマスターするのは大変だけど、英語とはまた違った魅力を感じもする。
それに、フィリピノ語を話せるようになったら、世界中に散らばっているフィリピンの人々と、英語ではなく、彼らの魂のよりそばにある、このフィリピノ語でコミュニケーションが取れる。
それは本当に喜ばしいことだと思う・・・ だから頑張る。



2.大江健三郎『小説の方法』(1993年)

一昨日から1章ずつ読んでいる。これまで何度も挑戦しながらも、挫折して最後まで読めなかった本だ。
今もまだ時間がかかるけれど、ゆっくりと理解しながら、当時は覚えることのなかった感動を抱きながら読んでいる。日本の文学研究・批評のあり方に対する批判もあり、とても納得できる。

他の分野にはない「文学のみが持ち得る可能性・有効性」が理論的に展開されていて、とても嬉しい。
これは、往来私たちが目にし耳にするような、文学に対するありきたりの人生論的見解とは違う。


まさに、ターシャが自分の言葉で語れるようになりたいと欲しているところのテーマが「文学の可能性」だ。

文学を軽視する人々に対しても、文学に興味がない学生に対しても、あるいは、文学が大事と知りながらもその社会的有効性に対し疑問を持ったり自信がもてない人々に対して、

文学が私たち人間に与える他分野ではなし得ないほどの影響の大きさと深さを、堂々と語れる自分になりたい。それも、経験的主観ではなく、確固たる知を土台として。



もし自分が文学を教える立場になったら、学ぶ学生たちを、印象批評や読書感想文しか書けないまま卒業させるのではなく、「良き批判的読者」へと成長させられる人になりたい。

「良き批判的読者」は、自分の生活・人生、そして自分の生きる世界に対しても、
小さなギャップや疑問をないがしろにしない姿勢や気づき・発見力、
確かな分析力・批評(解釈)力、
想像力・創造力を持った、良き強き人間として対峙できると思う。


このように、文学が人間と、私たちが気づかないほどに深く結びついており、人間のためになるということを信じているから、そしてそれを無知と傲慢のためにないがしろにする輩への怒りがあるから、ターシャ自身が誠実に学び抜き、文学の持つ可能性に対する理解を深めていきたい。そう決意している。 



A Reader's Guide to Contemporary Literary Theory

現代の文学理論の入門的ガイド。私が心から尊敬してやまないUPのA先生が「現代文学理論」の授業で使われている本。

ちなみに、別の「古典的文学理論」の授業で同じA先生が使われているのが、Hazard Adams による Critical Theory Since Plato だ。A先生いわく、今まで沢山の理論書を見てきたが、この本が一番良いとのこと。
ターシャが持っているのは、授業で扱った部分のコピーだけ。あぁ、この本、高いけど欲しい~ いつか買おう。 


4.Terry Eagleton: "Introduction: What is Literature?"

タイトル通り、「文学とは何か」という根本命題に対する彼の論考。

そうだ、「文学とは何か」-これも、ターシャにとってずっと謎だった。学部時代から抱いていた疑問だ。ある意味で、様々な文学理論も、この問いに対する一つの答え、もしくは文学についての解釈であり、また、文学をどう読むかという方法だと思う。

Eagletonいわく、文学とは何かという問いに対して、いつの時代にも当てはまる普遍的な答えはない。「文学とはこういうものだ」という考えは、その時代のイデオロギー、価値判断によって「作られるもの」であり、作品の評価や解釈も時代によって変わる。私たちが考える「文学性」「文学らしさ」も、普遍ではなく"historically specific"なのだ。


ターシャはここで思った。文学を読むというその営み自体が人間に及ぼす影響はどうだろう? それも、歴史的に限定的、特定的なものだろうか? 「読む」という行為についての解釈や考えは時代や理論によって変わるけれど。

そう・・・「読む」「書く」という行為と人間との関係も、ターシャにとって深い興味を抱かせるテーマだ・・・ 追求することは沢山ある。








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最終更新日  2007.12.22 22:32:47
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