
今日の写真:「いつかの大雪/蓼科高原」
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しだいに意識がはっきりしてくる。私は標高1700mの我が家の駐車場の60センチばかり積もった雪の上に横向きに倒れて埋もれている。除雪機を使っての除雪をしているうちに頑張りすぎて貧血を起こしたらしい。なにしろもう3時間も飲まず食わずで休むことなく除雪を続けているのだからやりすぎということだ。
冬山登山に近い格好で作業しているので、寒くもなければ冷たくもない。それでも分厚く積もった粉雪の感触とほのかな冷たさが心地よく感じられる。シベリアンハスキーのパル君が生きていた頃はよくこうしてふたりで新雪の中で遊んでは倒れ込んで空を眺めたものだった。ふとそんなことを想いだして哀しくなった。
すぐには起き上がらずにそのままころがっていることにする。ごうごうという風の音がする。こんな風に聴くのはじつに数年ぶりのことだろうか。「風の音」そのものというものはない、風が何かに当たって音を立てることをわれわれは「風の音」と呼んでいるのだ。
いま聞こえてくるのは氷点下17℃の突風が森の樹木の先端をなでていく轟音だ。ざわざわ、ゴーッという音が聞こえたなら、それは葉をすっかり落とした森の木々の間を風が通り抜けていく音だ。電線の少ない当地では都会のようにピューピューという音は聴くことがない。
風に吹き飛ばされてきた粉雪がゴアテックスのマウンテンパーカのフードに当たる音が懐かしい。ちょうど雨傘に砂が当たるような音だ。さらさら、ぱらぱらとそれは聞こえる。とても心地よい音だ。
秋に落葉松の針葉がひっきりなしに落葉するときにも同じような音がする。一度傘を差して落葉松林を歩いてみることをおすすめする。まるで粉雪のような音を聴くことが出来るだろう。
落葉松を含めて樹木の葉というものは、強風に引きちぎられるようにして落葉するのでは無いことを当地に移住して私も知った。なにもしなくても葉は終日落ちているのだ。たまさか一陣の風が吹いたときに大量にまとめて落ちるので、錯覚してしまうのだ。
気温は極寒だが、陽射しは強く柔らかくそして温かい。このまま寝入ってしまいそうだ。いやいやあぶないあぶない、自分のウチの駐車場で凍死するわけにはいかない。遭難するわけにはいかない。でも、この心地よさは一体何なのだろう…
それはおそらく「自然との一体感」のようなものを感じるからではないかと思い当たる。いまこの瞬間、私は自他無くこの自然と、この大地と、この空と一体になっているという紛れもない実感がある。
つかのまの至福の体験であった。
※過去記事(アーカイヴ)より再掲載。
from 蓼科高原ペンション・サンセット
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岡田@隊長さん